【62】ゲームとルール
何かあったなら話せ、聞いてやる。
そのマシロの言葉に甘えて、私は宗介への気持ちを吐き出した。きっと誰にも言えないこの気持ちをずっと聞いて貰いたかったんだと思う。
全部言い終えた後は、胸が少し軽くなった気がした。
「ぼくがいない間に、またずいぶんと色気づいたことになっているな」
行儀悪く片膝を立てて座りながら、マシロが不機嫌そうな声を出す。スカートの中が見えそうだけどいいのだろうか。
「私だって一応年頃の女の子なんだから、しかたないでしょ」
「元の世界から数えると三十路なのに、女の子か」
「そこはカウントしないでよ!」
小突くとマシロは、はいはいと適当な相槌を打つ。
「それにしても、やっぱり宗介はアユムが女だと気づいてたんだな」
「マシロわかってたの?」
まぁなとマシロは答えた。
中等部一年の時、マシロは上半身裸になれない私に代わって、水泳の授業を受けてくれた。
マシロが私に見えるよう、他の人に『力』を使ってくれたのだ。
「宗介には暗示も掛けたんだが、どうにも効いてない気がしたんだ。水泳の授業中ぼくによく絡んでくる上、敵意がむき出しだった」
「どうしてそれを言ってくれなかったの?」
責めるようにして尋ねれば、マシロにしては珍しく苛立たしそうに顔を歪める。
「言ったらアユムはあいつに、全部話すと思ったからだ。ただでさえアレで、同じ家なんだぞ。事情を全部知ってストッパーさえなくなったら、アユムが危険すぎる」
「? ちょっと意味がわからないんだけど」
「まぁ間違いが起こってないようだからいいが、この状況は状況で面白くないな」
マシロはさらに眉を寄せて、不機嫌な顔になってしまった。
私が宗介に惚れているというのが不満らしい。
妹分が誰かに横取りされたような気分なんだろう。
「もう私は大丈夫だからさ、次はマシロの事を話してよ。何で女装してるの?」
「……やっぱり言わなきゃ駄目か」
気が乗らなさそうなマシロだったけれど、しかたないと覚悟を決めてくれたようだった。
マシロは実は人間じゃない。
この学園にある『扉』の向こうから来た存在で、あの『扉』の番人なのだ。
その事は、以前紅緒先輩から聞いていたので、驚きはしなかった。
星降の夜に誰が『扉』を開くのか。
そのゲームを中立の立場で見届けるのがマシロの役割らしい。
マシロはこの格好で学生の一人として入学し、ゲームを近くから見守るつもりでいたようだ。
「いやでもさ、なんで女装?」
「学園長の趣味だ。あと、この姿なら出会っても誤魔化せるんじゃないかと思ったんだ。無駄だったけどな」
マシロはうっとおしそうに髪を結んで、ポニーテールにする。
長くなった髪は、どうやらカツラではないらしい。
暗示の力を使うときに、目や髪が隠れていると不都合だからなのかもしれなかった。
「それよりも驚かないのか。結構衝撃的なことを言ったと思うんだが。それに見た目だって成長しないとか、人間としてありえないだろう」
「だって紅緒先輩から聞いてたし」
あぁあいつかと呟きながら、大きくマシロは溜息をついた。
「……そうだとしても、普通は気持ち悪いとか、距離を置きたいと思うものじゃないのか」
「なんで? マシロはマシロじゃん。マシロだってこんな私を受け入れてくれたでしょ?」
躊躇いがちに口にしたマシロに答えれば、その瞳が大きく見開かれる。
「そうか、ぼくはぼくか。そういえばアユムはこの外見のぼくの事を、最初見たときから綺麗だと言ってくれたな」
思い出し笑いするように、くすくすとマシロが笑う。
「それ言った覚えないんだけど」
確かに初めてマシロに会ったとき、王子様のようだと思った。真っ赤な瞳が宝石のようで綺麗だとも思ったけれど。
「あぁそういえば声にはしてなかったかもしれないな。言い忘れていたが、ぼくは人の心の声が聞こえるんだ」
「なにそれ。初耳だよ! じゃあ今まで私の考えていたことは、マシロに筒抜けだったってこと?」
軽い調子で爆弾発言をしたマシロに喰ってかかる。
落ち着けとマシロが手で制してきた。
「聞こえると言っても声や言葉がぼくに届くわけじゃない。感情が伝わってくるだけだ。アユムの場合は同類だからか、強い感動とか動揺がある時くらいしか聞こえてない」
「結局聞こえてるじゃん!」
恥ずかしくてつい叫ぶ。
「しかたないだろ。これは暗示と違って体質みたいなものなんだ。はじめて見た瞬間に、綺麗だという感動がダイレクトに伝わってきたときには驚いたな。ぼくを見てそんな事を思う人間は今までいなかったから」
大切な思い出を慈しむような声で、マシロが呟く。
思わず見惚れてしまうほど優しい顔をしていたけれど、こちらとしては気恥ずかしくてしかたなかった。
「そうだ。ぼくの部屋に泊まった時は、かなり緊張していたな。面白くてついからかってしまったが……今考えるとあれはぼくを男として意識してたからか」
そこまで言って、マシロがにやにやと私を見た。
「っ!」
その通りだったので何も言えなくなる。
言葉に詰まる私を見て、マシロは機嫌をよくしたように見えた。
「だってしかたないじゃん! あんな風に男の人と一緒に寝たことなかったんだから! 緊張して悪かったですね!」
「別に悪いとは言ってない。けどまぁ、そのうち平気になって、ぼくと同じベッドで寝るようになったアユムもどうかと思う」
からかわれて悔しくて、やけになってそう答えれば、さらにそんな事を言われてしまう。
「……マシロって結構意地悪だよね」
「そうか? 意地悪をされているのは、ぼくのような気がするけどな。アユムのせいで、ぼくはこんなにも心を乱されている。離れてる間もアユムの事ばかり考えていた。ここまで誰かを気にかけた事なんてなかったんだ。ぼくは」
指摘すれば、マシロが困ったような怒ったような複雑な顔になる。
確かに色々心配をかけてしまっている自覚はあったので、ぐっと押し黙った。この勝負分が悪いのは私だ。
「そもそもだ。ぼくは紅緒に近づくなと言わなかったか?」
「いや、このブレスレット持ってたらマシロの知り合いだってばれちゃって」
決して自分からマシロとの関係を告げたわけじゃない。
そう説明すれば、マシロはしまったと額を押さえた。
「……うっかりしてたな。まさかそこから関係がばれるとは」
自分のミスだというようにマシロが呟く。
「紅緒先輩って、マシロが育てたんだよね。マシロが扉の番人っていうのは分かるけど、避けないであげたら? 先輩寂しそうだったよ」
「アイツが扉を開けるなんて言い出さないなら、避ける気はない。無駄だからやめろと言ってるのに、言い出したら聞かないんだあいつは」
本当に手がかかるというように口にしたマシロの顔は、心配症の親そのものだった。
「そもそもだ。さっきは誰が扉を開くのかというゲームだと説明したが……本当は最初から扉を開ける資格を持っているのは、たった一人なんだ。例え紅緒が扉に辿りついても、扉は開かない」
正しくは資格を持つ子が、扉へ至ることができるのか、誰を選ぶのか。本当に扉を開く事ができるのか。
そういうゲームなのだと、マシロは静かな声で語った。
「そして扉を開ける資格を持ってるのは、アユム。お前ただ一人だ」
話の途中からそうじゃないかとは思っていた。
険しい顔で、マシロは今日一番大きな溜息を着いて、自分の前髪をくしゃりと握る。
「今日、鐘の音がお前にも聞こえただろう。あれがゲームの合図だ」
マシロによれば、朝に聞いた鐘の音は、ゲームの管理者と私だけに聞こえていたらしい。
「鳴り響いた瞬間、番人であるぼくだけに資格を持つ者がわかる。ぼくの暗示が効かない時点で可能性は頭にあったんだが、やっぱりと思った」
そうでなければいいのに。
そう願っていたんだと、マシロの声は伝えてくるようだった。
「というかさ、マシロ。これって話して大丈夫な事なの?」
以前私の前世の話をした時、マシロは聞かなかったことにした。
扉を開けようとしてる私の味方をするのが、番人としてマズイから、あの時はそうしたのだと思っていたのだけど。
「駄目だな。アウトかセーフか聞かれれば、疑う余地なくアウトだ。特に扉を開けられるのが、資格を持つものだけというのは極秘中の極秘だな。それを本人にいうなんて論外だ」
「ならなんで言ったんだよ!」
そんな事なら聞くつもりはなかった。
前にマシロは私のために特殊な術を使い、それが上にばれてしまった事がある。
あの時はこの学園から離されるくらいで済んだけれど、知られればその程度で納まるとは考え辛かった。
「……扉に辿りつくかどうか、誰を選ぶか。そして扉を開けられるのか。それに関してはぼくは口を出せないし、アユムが誰かに危害を加えられようとそれも試練だから庇うことはできない。例えどこに危険があるかわかっていたとしても、番人だから何もできない。わかってて言えない事もあるし、必要なら嘘もつく」
自分の無力を嘆くような、搾り出す声でマシロは呟く。
「けど今回はイレギュラーが多すぎるし、何よりぼくはアユムの友達でもある。ルール説明くらいは許されるだろ」
ふっと微笑んだマシロは、女装していたけれどとんでもなく男前だった。




