【60】ゲームの始まり
とうとう高校生になってしまった。
まるで命のカウントダウンをされているかのような心地になってくる。
学園に足を踏み入れれば、澄んだ鐘の音が響いていた。
まるで始まりをつげるように、高らかに鳴り響いているけれど、どこから聞こえてくるのだろう。
今までこの学園に通っていたけれど、一度もこんな鐘の音を聞いたことはなかった。
はぁと、思わず溜息をつく。
晴れやかな青空と鐘の音とは違い、私の心は憂鬱だった。
この世界は『その扉の向こう側』というギャルゲーの世界で、高校生活の三年間で女の子たちと恋愛をするゲームだ。
ただし、かなり癖のあるギャルゲーで、どのルートでももれなくメインヒロインの桜庭ヒナタが主人公である男の子を殺しにくる。
それだけでもやっかいなのに、そもそも私は女なのだ。
前世が女だったとかじゃない。今現在もちゃんと体は女の子だ。
周りには『男に認識される力』が働いていて、女だとばれることはないのだけれど。
七歳の時に記憶が戻って、私はヒナタに殺される事なく元の世界に戻ろうと決めた。
恋愛を成就させ、このギャルゲーの鍵である『扉』を開ける。
それが私の目指すところではあったのだけれど。
やっぱり女の子との恋愛という部分に抵抗があった私は、自分磨きや必要な情報は集めつつ、恋愛面は後回しにしていた。
それがいけなかったのかもしれない。
私の気持ちは、いつの間にか攻略対象とは別の所に向いてしまっていた。
ずっと側にいてくれた、幼馴染の宗介。
彼を庇って、主人公が怪我をして。
そういう負い目もあって、側にいてくれているんだと思っていたのに、気づけば依存されていて。
それがいけないと思ったこともあったけれど、必要とされる事が嬉しくて。離れていけば寂しくなった。
突き放されて、一緒にいるのが当たり前だと思っていた自分に気づかされて。気持ちを自覚したのは、ついこの間の冬の事だ。
あれ以来、宗介に対して、私はぎこちない態度を取ってしまっている。
いつかと逆だ。
そして今日は入学式。
高等部の制服――もちろん男子用を身に纏い、私は体育館にいた。
壇上では、このギャルゲーのメインヒロインである桜庭ヒナタが、新入生代表の挨拶を務めている。
セミロングの桃色の髪には、子供っぽい大き目の星型の髪飾り。
くりくりとした瞳が愛らしい、天使のような清純さを持つ美少女。
柔らかそうな唇から紡がれる声は、明朗ですんなりと耳に入ってくる。
ゲームの始まりを告げるように、彼女がお辞儀する。
その光景が、前世でみた記憶と重なる。
テレビの向こう側にあった絵が、目の前にあった。
ゲームだったら、このタイミングでオープニングが流れ出すところだ。そんな事を考えていたら、ヒナタと目があった。
完璧に整っていた顔が、一瞬くしゃりと歪む。
――今の表情は、何なんだろう。
私を見て、泣きそうな顔をしていた気がしたけれど。
その理由がわかるわけもなく、入学式が終わり、新しい教室へと足を踏み出した。
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「アユム! オレたち今年も同じクラスだな!」
宗介を引き連れて声をかけてきたのは、吉岡くんだ。
吉岡くんとは初等部の二年生からずっと同じクラス。
テンションが高い彼といると少し気持ちが軽くなるし、宗介がその場にいても気まずくならない。
「しかし、高等部からアユムもエトワールか。そうくるんじゃないかとは思っていたけどな」
うんうんと吉岡くんが一人頷く。
エトワールというのは、この星鳴学園独特の制度で、選ばれると様々な特権が与えられる。
選ばれる基準は様々。家柄のよさや、成績のよさ、運動方面での活躍など、何か目に留まるようなモノを持っている人に与えられる特権だ。
特別なサロンの使用許可、その他施設の優先権。
何より学費の大幅免除が嬉しい。
渡されたエトワールの心得という手帳にまだ目を通してはいないのだけれど、他にも色々あるようだ。
私は、運動方面での実績と、高い成績を評価されたみたいだった。
高等部入学早々、エトワールに入ることができるなんてついている。
その証である星の飾りが、胸ポケット付近で輝いていて、ちょっとした達成感があった。
このエトワールにならないと、たとえ女の子たちといい仲になっても、肝心の扉を開く事ができず、ゲームがクリアできない。
それを考えると、大分幸先のよいスタートだ。
本来主人公のアユムは高等部からの外部生。
けれど、私は初等部の二年生からここに在学していて、早いスタートを切れていた。その積み重ねが実を結んだと言っていい。
しばらくすると先生が教室にやってきて、自己紹介や簡単な高等部の説明をし、今日はそのまま帰ることになった。
明日から本格的に、高等部での生活が始まる。
気合をいれなきゃなと思っていたら、また吉岡くんが近づいてきた。
「なぁ、三人で一緒にこれから遊びに行こうぜ」
「あーボクはちょっとやめておくよ」
吉岡くんの横に宗介の姿を見つけて、断る。
それに今日はこの後行きたいところがあった。
「俺も用事あるから、ごめん」
「なんだよ、付き合い悪いな二人とも」
断って教室を出て行く宗介を見送りながら、吉岡くんが溜息を付く。
「あのさ、お前らいつまで喧嘩してるつもりなんだよ。さっさと仲直りしろよ」
私に視線を向けて、吉岡くんはそんな事を呟いた。
そんな事を言われると思ってなかったから、思わず目を見開く。
「なんだよその反応。オレが気づいてないとでも思ってたのか」
正直、そう思っていた。
吉岡くんはそういう事に敏感なタイプじゃない。私と宗介が微妙な空気になっていても、それを気にせずに何度も遊びに誘ったり話しかけたりしてきていた。
「クリスマスの前あたりから、何かぎくしゃくしてるだろ。オレそういうの疎いけど、さすがに友達のお前らの事くらいは気づくんだよ」
こういう時どうしたらいいかわからないというような顔で、吉岡くんが頭を掻く。
彼にしては珍しく、悩ましげな表情だ。
普段どおり話しかけてきていたから、全く気づいていないとばかり思っていたけれど、違っていたらしい。
「喧嘩はしてないよ。大丈夫だから」
心配させないようにとそう言えば、もどかしそうな顔で吉岡くんが私を見た。
「中等部の初めの頃に戻ったみたいで、なんか嫌だ。折角楽しく過ごしてたのに、こういうの好きじゃない。何があったかは知らないし、オレが口つっ込むことじゃないとは思うけどさ。できることがあるなら言えよな」
「うん……ありがとう」
わざと空気を読まずに、私と宗介が仲直りするきっかけを作ろうとしてくれていたのかもしれない。
普段そういう事をするような奴じゃないのに。
吉岡くんの優しさが、少し心に染みた。
私はいい友達を持ったなぁと、しみじみ思う。
ふいに視線を感じて、横を見ればヒナタと目があった。
ヒナタはしまったという顔をして、思い切り目を反らす。今のやりとりを聞かれてしまったみたいだ。
席も近いからしかたない。
内緒話というわけでもないから、別にいいのだけれど。
ヒナタは私の事が気になるんだろうか。
入学式の時も目があったし、時折こちらを気にしているのがわかる。
そういえばゲームでの設定は、最初から何故か主人公に好意を抱いているというものだったなと思いだす。
関わりたくないというのが、正直な気持ちだった。
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吉岡くんと別れてから、学園内の外れに向かう。
この先に、このギャルゲー『その扉の向こう側』のタイトルにもなっている『扉』があるのだ。
フェンスの向こう側、普段入れない場所に扉はある。
行ったところで見ることすらできないのに、今日はそこへ行かなくてはならないような気がした。
まるで何かに導かれてるみたいだなと、気味悪く思う。
なのに、行かないという選択をする気にはなれなかった。
学園内にある謎の大きな『扉』。
星降祭に、それを開くことがゲームの鍵。
そのための足がかりであるエトワールには、もうなることができた。
あとは、三年生になってエトワールの中から選出される劇の主役に抜擢されれば、『扉』方面の心配は要らない。
今私に、それ以上できることはないだろう。
問題は恋愛面だ。
一緒に扉を開けてくれる、攻略対象が不可欠だった。
同じクラスになった、攻略対象その一、桜庭ヒナタを思い出す。
メインヒロインでありながら、どのルートでも主人公をナイフ片手に殺しにくるヤンデレちゃん。
ゲーム内では、成績優秀、文武両道。誰にでも優しく、人間味がないくらい完璧な隙のない、良い子ちゃんキャラだった。
こちらの世界にきてから『日世渡』と名乗る女の子と、その正体がヒナタだと知らずに出会い、その印象は大分ゲームとは違っていたけれど。
あの子が本当に、私を殺しにくるんだろうか。
今日近くであの子を見ていたけれど、女の子たちと楽しそうにお喋りしていた。
いっそヒナタと仲良くなって、殺すのをやめてもらうべきだろうか。
でも仲良くなると、今度は逆にヒナタが自殺してゲームはクリアできなかったんだよね。
やっぱり他の攻略対象と恋愛するのが、ゲームクリアには無難なんだろうな。
そうすると、ヒナタが私を殺しにくるのだけれど。
前世の兄によれば、『宗介の好感度が高いと助けにきてくれて、先に進める』らしい。
宗介の私に対する好感度が低ければ、たとえヒロインの好感度がマックスでも主人公が殺されてしまう仕様らしく、前世の兄はそれに気づかないで、かなり長い間試行錯誤していた。
今の微妙な状態では助けに来てくれるかわからないけれど、宗介の好感度はうぬぼれではなく高いと思う。
それに加え、私の体力はステータスに依存しているみたいで、女の体でありながら男子を超える運動能力を持っている。
これによって、ヒナタがナイフで刺してきたとしても、避けたり逃げたりする下地も準備済みだ。
本編が始まる前に、死亡ルート回避の条件はほぼすでに揃っていると言っていい。
いやー私頑張ったなぁ。
後は攻略ヒロイン決めて突き進むだけじゃん。
この三年で恋愛関係を作って。
三年の星降祭で、ヒロインと劇の主役になって、学園内にある謎の扉を開けてしまえばきっと元の世界へと帰れる。
帰れるんだ。
希望が見えてきたはずなのに、思っていたよりも嬉しくないのは、少しここに愛着を持ちすぎてしまったせいだ。
元の世界に戻りたいのは変わらない。けれど同時に、それは皆との別れを意味していて。
……問題は、相手を誰にするかだよね。ふらふらと色んな女の子にいくよりも、早めに一人に決めた方がいい。
本当は、こんなことしたくないのだけれど、帰るためには必要なんだ。
頭に思い浮かぶのは宗介の顔だったけれど、無理やり頭を切り替える。
『お嬢』で『ドリル』ヘアが特徴、私のお茶友達である黄戸理留。
その双子の妹で姉である理留が大好きな『シスコン』の、留花奈。
『ツンデレ』で『根暗』な、私の前世の親友•乃絵にそっくりな、相馬紫苑。
可愛いものが大好きな『百合』キャラで、一つ年上の先輩である星野紅緒。
私の一つ年下の従兄妹で、『妹』キャラの今野青風ちゃん。
この五人から選ぶとして、どうしようか。
攻略だけを考えるなら、理留やシズルちゃんあたりがいいんだろうな。
二人とも私を好いてくれてるし。
ただこの二人は純粋すぎて、元の世界に戻るために利用しているのだという罪悪感に、私が押しつぶされてしまいそうだ。
それに利用するには愛着を持ちすぎた。
理留やシズルちゃんを傷つけるやつは、たとえ自分でも許せそうにない。
紫苑は乃絵にそっくりだから、仲良くなると上の二人と同じ理由で私には無理だ。
そうなると、残りは留花奈と紅緒先輩となるわけだけれど。
留花奈には嫌われているからないとして、消去法で紅緒先輩が残る。
常に飄々としてる先輩なら、あまり罪悪感を持たないで済みそうだ。
今までその性格から、ちょっと苦手意識があって先輩を攻略することを真剣に考えたことはなかったけれど。
それに『扉』の前で捨てられていた紅緒先輩は、私と同じで『扉』を開けることに執着している。
交渉次第では協力ができるんじゃないだろうか。
そんなことを思った。




