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【59】自覚

「あった!」

 朝、毎日ポストを覗くのがここ最近の私の日課。

 薄紫のお洒落な封筒。そこには流麗な字で、相馬そうま紫苑しおんと書かれている。


 美空坂みそらざか女学院じょがくいんで、元の世界での親友である乃絵のえちゃんとそっくりな紫苑と出会い、文通を始めたのは秋の事。

 ゲーム内では口を開けば冷たい言葉ばかりの紫苑なのだけれど、手紙の中ではそうでもない。


『朝、ひんやりとした空気に空を見上げれば、青が澄み切っていて。足元で朽ち葉が音を立てるのを聞いて、あぁもう冬がきたのだなと思いました』

 繊細な文字で綴られた文章は、冬の訪れを感じた一文から始まり、前回送った私の手紙の質問に対して律儀に答えてくれていた。

 文面から受ける印象は、感受性が豊かで華奢なお嬢様といったところだろうか。


 そういうところも、その文字も。

 全くといっていいほどに、紫苑は乃絵ちゃんにそっくりだった。

 前世でゲームをやっている時には、分からなかった部分まで乃絵ちゃんと同じだなんて、偶然にしてもできすぎていると思う。

 乃絵ちゃんと違うところを探したくて色んな質問をしてみたけれど、趣味から好きな食べ物、嫌いなものまで全く一緒だった。

 

 これはもう乃絵ちゃんじゃないのか。

 私と同じように、乃絵ちゃんもこのギャルゲーの世界に来てしまったんじゃ?

 『友達になりたい』と言った私に、そう言われたのは二度目だと、ひっかかることを言っていた紫苑。

 前世の私が言った言葉を覚えていた――とかだったりしないだろうか。

 

 そんな事を考える一方で、それはありえないとも思う。

 前世と今世の私の顔は、そう変わらない。だから、もし乃絵ちゃんなら私に気づくはず。

 紫苑は私のことを知らないようだったし、何より私と違って、このゲームと乃絵ちゃんの接点はない。


 でもなぁ、似すぎてるんだよね。

 そんな堂々巡りの事を考えていたら、宗介がいつの間にか横に立っていた。

「誰かから手紙?」

「うん。前に美空坂女学院に行った時、知り合った子なんだ」

 尋ねられて、自慢するようにその封筒を見せ付ける。やっぱりこうして、書いたものに返事がくるのは嬉しい。

 


「最近毎日ポストを見てたのは、それを待ってたんだね」

「うんまぁね。送ったのはいいけれど、ちゃんと返してくれるのか不安だったんだよ。でもこんなにいっぱい書いてくれたんだよ! ふふっ嬉しいよね」

 ついにまにましてしまう。

 乃絵ちゃんが学校に来られない時は、こうやってよく手紙のやりとりをしていた。

 文章の端々から、懐かしい乃絵ちゃんの面影が蘇ってくるようだった。


「凄く嬉しそうだね。そんなに仲良くなったんだ?」

「ううん、全然。でもこれから仲良くなるんだ!」

「へぇ……」

 ぐっと決意してそう口にすれば、ぞくりと背筋が冷たくなった気がした。

 ちらりと宗介の方を見れば、表情が消えていた。

 その雰囲気に、しまったと思う。浮かれすぎて、宗介の声が不機嫌になっていることに気づかなかった。


「どんな子なのか、俺にも聞かせてよ」

 ゆっくりと宗介が私と向かい合う位置に座る。

 口元は笑顔の形を一応作っていたけれど、目が笑ってない。


 宗介は昔から、私が知らない子と遊ぶのが好きじゃない。

 他の学校にいる友人の良太とか、年上の友達のマシロなんかと私が遊ぶと、口は出してこないけれど、面白くなさそうな顔をする。

 親が子供の友人を気にするようなものなのだけれど、本当過保護というか心配性だ。


 たわいない日常会話というには、緊張感を孕みすぎている空気の中。

 私はとりあえず、前世の親友の事から話す事にした。



●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●


 私の前世の親友である乃絵ちゃんは、長くて綺麗な黒髪を持つ美少女だった。

 可愛いというより、綺麗という言葉が似合う女の子。

 整いすぎて冷たく見える顔立ちに、完璧とも言える女性らしいプロポーション。

 背筋を伸ばして本を読むその姿は、凜として美しく。読んでいるその姿に一目ぼれしたと言っていい。


 病気のせいで一人でいる時間が長かった乃絵ちゃんは、人と話すのが苦手だった。

 口を開けば毒のある言葉ばかりで、虚勢を張ろうとする。

 けど中身は優しい子で、口では私を歓迎しないみたいな事をいうくせに、いつも図書室で待っていてくれていた。


 私達の学校には図書室が二つあって、乃絵ちゃんがいつもいるのは、旧校舎にある小さな図書室。

 乃絵ちゃん以外の人を、そこで私は見たことがない。

 本を借りるときは、そこから新校舎の図書室に言って借りるという面倒な手続きがある上、置かれているのは古びた本ばかり。

 図書室というよりも、倉庫に近い部屋だった。


 乃絵ちゃんは、読書部という部活にもなってない同好会の唯一の部員で、教室にいないときはいつも旧校舎の図書室にいた。

 活動場所であるこの図書室は、少し私物化されていて、ポットやお菓子が置いてあった。


「お茶が余りそうだ。捨てに行くのも勿体ないから、処分しろ」

 そう言って私にお茶をついでくれたりして。お菓子も口に合わなかったからと言ってくれたりした。

「ありがとう」

「いらないものを押し付けただけだ。礼を言われる意味がわからない」

 お礼を言えばそうやって、ツンと顔を背けられたりはしたけれど。


 わざわざ私専用に、カップや茶菓子を入れる皿を用意してくれてたから、それが照れ隠しなんだってことくらいわかった。

「このドーナツ美味しいよね。アーモンドが入ってて、私好み!」

「だろう? 気に入るんじゃないかと思ったんだ」

 お菓子を頬張ってそんな事を言えば、いつも無愛想な顔がふわりと優しい微笑みに変わる。

 整いすぎた顔立ちが冷たく見える乃絵ちゃんがそうやって笑うと、女であっても思わずクラリときてしまうほどに可愛らしかった。


「……もしかして、わざわざ買ってきてくれたの?」

「ち、違う。勘違いするな」

 そう言ってコーヒーを飲む乃絵ちゃんの声は、上ずっていて。

 仲良くなるにしたがって、時折見せてくれる優しい面に、私はころりといってしまった。

 ツンツンして口は悪いけれど、乃絵ちゃんは愛情深い子だった。


 体が弱いから、あまりよくないのに乃絵ちゃんはコーヒーを好む。

 私がコーヒーを苦手にしていたから、図書室の備品にはいつの間にかお茶のティーパックも増えていた。

 本人曰く、別に私のためではなく家で余っていたから、持ってきたものらしいけれど。


 私が一方的に喋りまくるのを、うっとうしそうにしながらも、いつだってちゃんと話を聞いてくれる。

「前に私の使っているリップが気になると言っていただろう。だからやる」

 ぶっきらぼうな態度と共にくれたのは、桃の香りがするリップクリームだった。

「いいの? でもなんで急に?」

「……誕生日だろう、今日」

 私が欲しがったことだけじゃなくて、ちゃんと誕生日まで覚えていてくれて。それがとても嬉しかった事を今でも覚えている。


 素直じゃないけれど、優しい乃絵ちゃん。

 体調を崩して学校にこれないときは、手紙でやりとりをした。

 普段の口調とはちがって、手紙の中の乃絵ちゃんは丁寧だ。いつもは言ってくれないことも書いてくれる。

 私とは違う感じ方で、乃絵ちゃんは世界を見ていて。

 繊細な乃絵ちゃんの心を覗かせてもらったような気分になれる。


 乃絵ちゃん、どうしてるかなぁ。

 思い出して語っていたら、前世が懐かしくて恋しくなってくる。



「アユムの親友の乃絵ちゃんについてはわかったよ。でも、どんなによく似ていても彼女と紫苑さんは別人だよ?」

「それはわかってるんだけどね」

 紫苑は前世で兄がやっていたギャルゲーの攻略対象キャラクターで、横でそれを見ていたから、私は彼女の事をよく知っていた。

 けれどそれを宗介に言うわけにもいかなくて、言葉を濁す。


「紫苑さんを、前世で親友だった子の代わりにしようとしているの?」

「そういうつもりはないけど……」

 宗介の言葉は冷たい。

 知り合いに会ったような気持ちで舞い上がった心が、しぼんでいく。

 そんなに意地悪な事を言わなくてもいいのにと思う。

 気のせいか話す前よりも、宗介の空気がピリピリしているような気がした。


「アユム辛い事をいうようだけど、もうアユムは前世とは違う人生を歩んでるんだよ。そんな風に囚われてしまうのはよくない事だと思う」

 宗介の言いたいことはわかる。

 けれど、そんな簡単に諦められるようなものではなかった。

 前世でトラックに轢かれて死んだとかだったら、まだ諦めがついたのかもしれないけれど、そんな記憶もないのだから。


「女なのに男として生きなくちゃいけないし、大変だとは思う。けど俺も色々協力するから、前向きに今を生きて欲しいんだ」

「前向きにね……」

 この世界でこの先も「今野いまのアユム」として生きてく。

 将来図が全く思い浮かばなくて、溜息をついた。


「その場合、私は一生独身なのかな……」

 女の子と結婚するとか考え辛いし、かといって男と……なんてそれは、世間一般的に言って難しい。

 前途多難にもほどがある。

 まぁそもそも、メインヒロインに殺されるのを回避しない限り、見ることのできない未来なのだけれど。


「大丈夫だよ。アユムの隣にはちゃんと誰かがいる。全てうまくいくから、アユムは何も心配しなくていいんだ」

 力強く言い聞かせるような宗介の言葉。

 それが妙にひっかかる。

 まるで、そうなる事を知っているかのように、予言めいていた。

 何より全てうまくいったその時に、宗介が側にいないかのような言い方が一番気になった。


 それってどういう意味なの?

 問いただそうとしたら、宗介のスマホの着信音が鳴りだす。

「ごめん、クロエからメールみたいだ。これからちょっと出かけなきゃ」

 宗介がソファーから立ち上がった。


「あぁそれと、勘違いしないで欲しいんだけど、俺は別に紫苑さんとアユムが友達になることを反対してるわけじゃないから。色んな人と仲良くなる事は、アユムのこれからにとっていいことだと思う」

 リビングから去る前に、宗介がこちらを振り向く。

 そんな言葉が宗介からでるなんて思わなくて、きょとんとしてしまった。

 

「何その顔。もしかして、俺がアユムが誰かと仲良くなるのを嫌がってるとでも思ってたの?」

 心外だというように、宗介が口にする。

 その通りですとも言えずにいると、軽く宗介は息を吐いた。

 


「まぁ確かにちょっと面白くないけど、俺はいつまでもアユムの側にいられるわけじゃないから。例え恋愛感情がなくたって、一緒にいて幸せになれる人をアユムに見つけてほしいんだ」

 何気なしに放たれたその言葉に。

 突き放された――気がした。


「……それは、私に男として生きろっていうこと?」

「現実的にそれしか道がないと思うけど。実は女だって言っても、誰も信じてくれないみたいだし、戸籍だって男なんだから。大丈夫だよ、今までだってそうしてきたんだし、何も変わらない」

 宗介の言うことは何も間違ってない。

 むしろ、正しく状況を見てると言える。

 私だって考えた事がある。

 けれど、宗介にだけは言われたくなかった。

 そう、心が叫んでいた。


「そんな目で見ないでよ。別に俺はアユムの相手が男でもいいし、応援するよ。ただ難しいんじゃないかなと思ったから、素直に言っただけだ」

「何それ……」

 宗介は私が誰と付き合おうと、結婚しようと、別に平気らしい。

 そう思ったら、胸の奥がむかむかとした。



 もう行かなきゃと、宗介が出て行く。

 一人残された家で、だらりと体の力を抜いて天井を見上げた。

「宗介のやつ、なんだよアレは」

 呟く声が、シンとしたリビングに響く。


 私が他の人と仲良くしてると、ヤキモチを焼くくせに。俺の側からいなくなるなとか言ったくせに、宗介は私の側を離れるつもりでいるんだ。

 そう思うと、苛立ちが抑えられなかった。

 幼い宗介に側にいると言えなくて、側にいたいと誤魔化した自分を棚にあげ、ずいぶん都合がいい事を思う。


 突き放すような宗介の言葉に、思いの他ショックを受けている自分がいて。

 宗介がずっとこれから先も自分の側にいるものだと、いつの間にか思いこんでいた事に気づく。


 

 嫌だ。宗介がまた離れていってしまうのは、嫌だ。

 駄々を捏ねる子供のような本心が、私の心で騒ぎ出す。

 いつの間にか、私の方が宗介に執着してしまっていると、嫌でも気づかされる。


 あぁ、そうか。

「私は宗介が――好きなんだ」

 言葉にすればもう疑う余地もなく、すんなりとその事実が胸にすとんと落ちた。

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