【50】宗介のわがまま
「クロ子ちゃんとデートするってこと、怒ってるの?」
「別に怒ってないよ」
嘘だ、と私は思う。
感情を表に出さないことを得意とする宗介が、それすらできていない。
スマホが壊れてしまったクロ子ちゃんは、デートの当日である今日の朝に、宗介を通じて連絡をとってきた。
それ以来、ただでさえ悪かった宗介の機嫌は最悪を更新していた。
宗介は私と仁科兄妹が関わるのが、とても嫌みたいだ。
けどそれだけでこんなに苛立つのは、ちょっぴり過剰反応だと思う。
ほぼ初対面に近い女の子とデートなんていう、非常識っぷりが許せないとか?
しかも相手は自分の義妹だ。
ありえる気がした。
私が誰かをナンパした時でも、あんなに怒ってた宗介のことだ。
こういう付き合い的なものには、潔癖なところがあるのかもしれなかった。
けどあの場合しかたがなかったと思うんだけど。
そもそもコレは宗介自身の事ではなく、私のデートだ。
なんでここまで宗介が苛立つのか、よくわからない。
クロ子ちゃんとデートの約束したとき、宗介は私を無表情で見つめていた。
ただ宗介の瞳は、責める様に私を見ていて。
まるでコントロールできない怒りを、瞳の内に無理やり閉じ込めてしまったかのようだった。
声をかけたところですぐに元に戻ったけれど、あれは前に私を問い詰めて、意地悪な事を言った宗介と同じ顔に見えた。
「宗介、言いたい事があるなら言ってよ。何が気に入らないの?」
この空気に耐えられず、箸をおいて宗介を問い詰める。
「別に」
淡々と宗介が答え、またこれかと思った。
怒ってるなら怒ってるで言ってくれれば謝りようがあるのに、こんな態度をとられてしまって、私までもイライラが伝染してくる。
「いい加減にしてよ。言いたいことがあるならはっきり言ってくれなきゃわかんないだろ!」
「……言ったらデートやめてくれるの?」
ドンとテーブルを叩いて言うと、冷静な目で宗介が見つめてくる。
「それは約束だからできない」
「ほら、だったら言ったところで意味ないし」
ふいっと視線をそらされ、かちんときた。
テーブルに乗り出し、宗介の胸倉をつかんで、頭突きをおみまいする。
「っ! なにするんだよ!」
「それはこっちの台詞! そういう態度とられたら、気になるだろ! いいから言って。ボクが悪いと思ったら謝るから」
頭を抑えた宗介をどなりつけたら、観念したのか宗介はむすっとした顔でこっちを見た。
「アユムがあぁいう風に軽々しく、なんでもするなんて言ったのが許せなかったんだ」
「……それだけ?」
思わずぽかんとする。
バツが悪そうに宗介はそうだと頷いた。
「まだ要求されたのがデートだからよかったけど、もっと酷いことを要求されてたらどうするつもりだったの?」
「さすがにできないようなコトを、クロ子ちゃんも要求してこないよ。宗介心配しすぎ」
過保護にもほどがある。
さすがにこれには呆れて溜息がでた。
「アユムがそういうのがわかってたから、言いたくなかったんだ」
そういった宗介は、まるで拗ねた子供のような顔をしていた。
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朝食を終えて支度を済ませ、玄関で靴を履きかえる。
ふいに宗介が近づいてきた。
「さっきはごめん。俺が悪かった」
「もういいよ。怒ってないし」
反省したのか、宗介はうなだれていた。
「今日は夕飯、アユムの好きなグラタンだから」
まだお昼にもなってない。
いきなり夕飯の話をされ、つい首を傾げて宗介を見る。
「五時にはもう準備して待ってる。だから、その……」
なんだかいいにくそうに宗介は視線を彷徨わせて、それからじっと見つめてくる。
「早く……帰ってきてほしい」
心細そうな表情。
小さな声は縋るようで。
本当はいかないでほしい。
そんな気持ちが透けて伝わってくる。
滅多にない、宗介のわがままだった。
私がクロ子とデートすることが面白くないと、素直に態度で示す宗介に、胸の奥のほうがくすぐったくなる。
中等部に入ってから、宗介は全く私に甘えてこなくなった。
それを少し寂しく思っていただけに嬉しくなる。
まだ宗介の嫉妬や執着の対象なんだということに、安心感を覚えている自分がいた。
「うん、早く帰ってくるね」
思わず笑みがこぼれてにやにやしてしまう。
「約束だからね」
そんな私に、照れを隠すようなむすっとした顔で宗介はそう言った。
「宗介のグラタン楽しみにしてる。マカロニ多めにしてね」
「わかってる。行ってらっしゃい」
少しだけはにかんだ宗介に見送られて、私は家を後にした。
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待ち合わせ場所には、すでにクロ子ちゃんが待っていた。
本日のクロ子ちゃんは、健康的な足がよく見えるショートパンツ姿で、彼女によく似合っているなと思った。
「さぁさぁ、遊ぶっすよ!」
自然な動作で腕を組んで、クロ子ちゃんが歩き出す。
むにゅっとした感触が腕に当たる。
なんというか……大きい。
一見クロ子ちゃんもクロエも中学生には見えないほど大人びているのだけれど、実は私や宗介と同じ歳らしい。
クロ子ちゃんがプリンだとしたら、私はせんべいだろうか。
この胸の格差が悲しい。
前世高校生だったときも、クロ子ちゃんほど立派なものは持ち合わせてなかった。
今は男だから、胸はなくてちょうどいい。
別にうらやましくなんてないし、負け惜しみでもない。
「どうしたっすかアユム変な顔して」
「いやなんでもないよ」
自分に言い聞かせていたら、クロ子ちゃんがこっちを見ていたので、慌てて思考を打ち切る。
「それならさっそく行くっす!」
腕を引かれ、強引だなぁと思いながらもクロ子ちゃんの歩幅にあわせて歩く。
「もう行く場所決まってるの?」
「今日はフリーマーケットがやってるから、そっちに行こうと思ってるっす」
迷いのない足取りのクロ子ちゃんに尋ねたら、そんな返事がきた。
「あっ行ってみたい!」
「こういうの興味あるっすか?」
誘っておいて意外だというように、クロ子ちゃんはそんなことを尋ねてくる。
「結構好きなんだ。自分で見つける楽しみがあるっていうか、宝探しみたいでわくわくするよね」
こういうフリーマーケット的なものが、私は結構好きだったりする。
けれど、今世では一度も行ったことがなかった。
星鳴学園は金持ち学校だからか、人が使った古いモノなんてという感じでバザーもなかったし、そういう機会もなかったのだ。
「わかってくれるとは思わなかったっす。人によってはこんなの面倒だっていう人もいるっすからね」
クロ子ちゃんは嬉しそうに笑った。
二人でフリーマーケットを巡る。
面白い掘り出しものを見つけては、クロ子ちゃんがおどけたりして、笑いながら色々見て歩く。
クロ子ちゃんはさばさばした性格のように見えて、がさつというわけではなく、人をよく見ている子のようだった。
こっちが楽しめるように、巧みなエスコートで案内をしてくれる。
あまりにも自然に気遣ってくれるので、こっちも気負うことなく一緒にいてとても楽しい。
ただ時折、クロ子ちゃんはこっちを観察するかのような目で見てることがあって、それが少しだけ気に掛かった。
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「それにしても、アユムって普通の子っすね」
喫茶店でお昼を食べていたら、ドリンクを飲みながらクロ子ちゃんがそんな事を言い出す。
ちょっぴり拍子抜けと言った様子だった。
「一体どんなヤツだと思ってたの?」
「宗介から聞いた話では、もっとキラキラしてるっていうか、出来すぎててつまらないタイプの子を想像していたっす。こんなに素朴で庶民的だとは……」
現実とのギャップに悩んでいるかのように、クロ子ちゃんがうーんと唸る。
「なんだよそれ。宗介って一体ボクのこと、どんな風に話してるの」
「聞きたいっすか?」
「うん。気になる」
興味があったので、頷く。
しかたないっすねと少し悪戯っぽく笑って、クロ子ちゃんは話してくれた。
両親を失って一人だと思っていた手を、引っ張っていってくれたこと。
自分のせいで酷い目にあって記憶喪失になったのに、許してくれたこと。
不安になった時に、何も言わず側にいてくれたこと。
それをいつも感謝していると、宗介は言っていたらしい。
「何の価値もない自分をアユムだけは必要としてくれて、頼ってくれる。それだけでここにいていいと思えるんだって、宗介は言ってたっす」
「そんな事まで……」
人からこうやって聞くのは、妙に恥ずかしかった。
そんな風に人に話していたのかと、顔から火が出そうになる。
「そんなアユムを自分が守ってあげたいんだって、いつも仮面みたいな笑顔はりつけてるくせにすごーく甘い顔して言うんすよ。会ってみたいなって言ったら、アユムはお前と違って純粋なんだ。悪い影響を受けたらどうする! とかいって絶対に許してくれないし。過保護っすよね」
宗介のまねを交えつつ、けらけらとクロ子ちゃんは笑う。
そんな風に宗介が思っていてくれたんだと思うと、ちょっと……いやかなり嬉しいと思う自分がいて。
からかわれているとわかっているのに、頬が緩むのを抑えられなかった。
「……宗介もアユムもそういう顔は女の子に対して向けるものだと思うっすよ。こんなに魅力的な子が、目の前にいるっていうのに」
呆れたようにそう言って、クロ子ちゃんが私の手をとって自らの胸に導く。
むにょんとした柔らかな感触が手に押し付けられ、突然のことに私は固まった。
「えっと……クロ子ちゃん?」
「アユムのこと、気に入ったっす。付き合ってくれないっすか?」
軽い調子でクロ子ちゃんが告げる。
「はい?」
「恋人になってほしいっす」
唐突な告白。
意味を理解するのに、かなり時間がかかった。
「……えっとクロ子ちゃん、ボクのこと好きなわけじゃないよね」
ようやく頭が動き出して、尋ねる。
「一目ぼれというヤツっす。付き合ってる人はいないんすよね?」
「それはそうだけど……」
クロ子ちゃんが身を乗り出して、私との距離を縮めてくる。
近くの席でパリンとグラスの割れる音がして、クロ子ちゃんはそちらに目をやり、それからおどけたように肩をすくめた。
「あーあ、脈なしっすか。反応が薄すぎるっすよ。普通男の子なら、胸を触らせた時点でもっと慌てるべきっす」
私の手を解放し、クロ子ちゃんはつまらないというように、足を投げ出すようにして椅子にだらんと行儀悪く座る。
「宗介もアユムもまだまだお子様っすね。異性よりも同性の友達と遊んでるほうが楽しいってやつっすか。宗介なんてこの胸に対して、ただの肉の塊扱いっすよ。本当この価値がわかってないっす」
「いや凄いとは思うんだけど、女の子がそうやって胸を触らせたらいけないと思う」
やれやれと言った様子のクロ子ちゃんに、つっこむ。
「いいんすよ減るもんじゃないし」
「それ触る側の台詞であって、触られる側の台詞じゃないよね」
クロ子ちゃんは、減るほどない人のことをもう少し考えて発言するべきだと心から思った。
「それでこれからどうするっすか?」
かなり投げやりな態度のクロ子ちゃんは、すでにやる気を失っているようだった。
「できればこれで解散したいんだけど、駄目かな?」
「いいっすよ。振られた相手とデート続行なんて、空しいだけっすからね。何か用事でもあるんすか?」
あっさりと提案が受け入れられてほっとする。
「この後宗介の誕生日プレゼントを買いに行こうかなって。宗介が欲しいものをあげたいんだけど、宗介って無欲だからなかなか決まらなくてさ」
「うわー傷つくっすね。よりにもよって、宗介に負けたっすか」
自分とのデートよりも、宗介を優先されたとクロ子ちゃんは捉えたようだった。
はっと自嘲するように笑う。
「クロ子ちゃん、宗介が欲しそうなもの知らない?」
「モノじゃなくて、何かしてあげたほうが喜ぶと思うっすよ。肩叩き券とかどうすか?」
一応尋ねてみたら、これ以上ないというくらいおざなりな答えが返ってくる。
口調からしても、適当なのがまるわかりだった。
「いや、子供じゃないんだからさ」
「ガキっすよ、あいつ。アユムが誰かとお揃いの何かつけてるってだけで、しばらくずっと暗かったっすからね。正直アホかと思ったっす。そういえば、宗介が何でバスケ部の助っ人やろうとしたか知ってるッスか? あれは……」
クロ子ちゃんは、私が宗介を優先させたことが気に食わなかったんだろう。
腹いせに、宗介の恥ずかしい話を暴露して、ストレスを発散してやろうという姿勢が見えた。
しかし、その話のほとんどが、宗介の行動の中心に私がいるみたいな内容で。
だんだんと私まで恥ずかしくなってきてしまう。
その様子を、クロ子ちゃんはにやにやして眺めていた。
「誕生日プレゼントは、アユムの好きなものをあげたらいいと思うっすよ。あとそっちの席に宗介いるっす」
「えっ?」
クロ子ちゃんに言われて振り返ると、メニュー表で不自然に顔を隠している人がいた。
一通り暴露してすっきりしたのか、ひらひらと手を振ってクロ子ちゃんは去って行ってしまう。
「えっと、宗介?」
背後の席にいた人に話しかける。
眼鏡をかけて、髪型や雰囲気は変えているけれど、それはやっぱり宗介だった。
「ごめん……」
悪戯が見つかった子犬のように、宗介は目を伏せていた。




