【48】2月14日は何の日?
クリスマスパーティが終わって。
私は、携帯電話のメール画面とにらめっこしていた。
『紅緒先輩から話を聞いたんだけど、一体マシロって何者なの?』
マシロに、その一文を送るかどうか。
悩んではやめることを、ここ数日何度も繰り返していた。
「その扉の向こう側」というこのギャルゲーの中で、『扉』の存在は重要なものだ。
学園内にある、不思議な扉。
流星の降り注ぐ星降際の夜、想い合う二人が愛を誓うことで扉が開く。
それ自体がこのゲームの目的だ。
紅緒先輩曰く、『扉』の番人であるマシロは、誰が『扉』を開くのか中立の立場で見守る必要があるらしい。
だから『扉』を開いて、元の世界に帰ろうとしている私に、「味方になれない」とマシロは言ったのだ。
特殊な見た目に加え、暗示という不思議な力。
学園の隠し部屋に住んでいるという不思議要素。
マシロが、このギャルゲーのキーキャラクターなんじゃないか。
そう、最初から思ってはいたんだけど。
なのに、私はそれをうまく飲み込めなかった。
私の中のマシロは、ゲームが好きで、引きこもりで。
それでいて、面倒見のいい歳の離れた大切な友人だった。
マシロは、この世界の『今野アユム』だけじゃなく、前世の『前野歩』もまとめて受け入れてくれて。
それがもの凄く心地よかった。
いつの間にか、マシロの存在自体が私にとって重要になっていたんだと気づかされる。
できれば、そういうモノとマシロが無関係であって欲しい。
マシロにそれを否定して欲しい。
けれど同時に、紅緒先輩がいうことが真実だと頭の中ではわかっていた。
扉を題材にした劇の中では、扉の向こう側に別の世界があるのだと言っていた。
『ウサギ』は、扉の向こう側から来たものの戻れなくなってしまい、こちらの世界をずっと彷徨っているのだとか。
『ウサギ』の見た目は、白い髪に赤い瞳の少年。
昔から学園に出没するというオバケ。
それは紅緒先輩の言う通り、マシロに当てはまっていたけれど。
その話をそのまま信じるのなら、マシロはあの見た目で実はかなりの歳ということになる。
人間ではありえない。
よくよく考えれば、私はマシロを高等部の生徒だと思い込んでいたけれど、制服を着ているところを見たことはなかった。
加えて、マシロは三年間で全く見た目の変化がなく、声変わりもまだだった。
高校時代の男子は成長期なのに、おかしなほど最初会ったときのままだ。
その事も、紅緒先輩の言葉を裏付けているように思えた。
メールを送ったら、マシロは私の疑問に答えてくれるだろうか。
そしたらこのもやもやが、すっきりするだろうか。
そう思って、ボタンに力を込めるけれど、結局は押せない。
このメールを送った瞬間、きっとマシロは私と連絡を取ることをやめる。
紅緒先輩にするように、私のこともマシロは避けるようになるだろう。
ただでさえ会えないのに、メールのやりとりすら出来なくなる。
そんな確信があって、それだけは絶対に嫌だった。
学園のパーティはクリスマスより前の日に行われていて、ちょうど今日はクリスマスイブ。
宗介と一緒にいつもより豪華な夕飯を食べて後、結局私がマシロに送ったのは、メリークリスマスという一文だけだった。
『メリークリスマス。そろそろ寝ないと、サンタがこないぞ?』
すぐに返ってきたそのメールに、心の底からほっとする。
子ども扱いされてることが妙に嬉くて。
もう少しだけこのままでいたいなと、そう思った。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
冬の寒さがいよいよ本番になったある日。
家に帰ったら、紙袋がテーブルの上に置かれていた。
紙袋の上の方から、可愛らしい包装紙に包まれた箱が顔を見せていて、それがバレンタインのチョコなんだなぁとわかる。
「アユムおかえり。そのチョコ食べていいよ」
夕食を作る手を止めて、宗介がそんな事を言う。
どうやらこれは宗介が貰ってきた、バレンタインデーのチョコのようだった。
「凄いねこの量」
「うん。いらないとは言ったんだけど、靴箱とかロッカーに勝手に入ってたんだ」
宗介は少し困った様子だった。
「宗介もてるね。この中の誰かと付き合ったりはしないの?」
何故か一瞬もやっとした気持ちに突き動かされて、そんな事を口にする。
中学に入ってから社交的になった宗介は、女の子たちから前にも増してモテるようになっていた。
嫌味のような響きを伴う声に、自分でドキッとする。
「誰とも付きあう気はないよ。アユムの世話で手一杯だし」
「なんだよそれ」
宗介は冗談めかした口調でそう答えて、肩越しにこっちを振り返った。
目が合うと、くすりと宗介は笑う。
まるでこっちの感情を見透かすような態度に、落ち着かなくなった。
「いいな宗介は。ボクなんて、一個も貰えなかったのにさ」
気持ちを切り替えるため、どうでもいい話題を口にする。
ふと思えば、前世で女だった時ですら、二・三個貰っていたというのに。
この世界にきてから、チョコをくれたのは理留くらいのものだ。
なんだろうこっちの世界のアユムよりも、前世の女だった時の私の方が男前だったと神様は言いたいのかな。
別に女の子にモテたいとか、そういうわけではないのだけど、なんだか釈然としない気分になる。
「アユムの場合、初等部の頃から黄戸さんたちがいるし、怖くて渡せないんだと思うよ」
宗介が苦笑いする。
「なんでそこで理留や留花奈が出てくるの?」
「……アユムは、黄戸さんからはチョコ貰わなかったの?」
首を傾げた私に、宗介はそんな事を聞いてきた。
宗介の指している黄戸さんとは、理留の事だろう。
私は今までにも、理留から友チョコを貰っていた。
「それが今年はもらえなくて。手作りじゃなくても全然いいというか、むしろ市販品くれないかなぁって期待してたんだけど」
理留は料理ベタなので、手作りだと危険が伴う。
四年生の時はどうにか阻止したものの、卵に納豆を詰めてチョコでコーティングしようとしていた。
そして、五年生の時にもらったチョコは、チョコと呼べない謎の物体Xだった。
食べると甘いというより、舌をやられる刺激があって、それでも理留に悪いからと全部食べたらお腹を壊した記憶がある。
それでも、一個ももらえないというのは少し寂しいというか。
やっぱりチョコ欲しいなぁと思っていたら、玄関からチャイムの音がした。
誰だろうと思ってドアをあける。
そこには、理留が立っていた。
「理留?」
「い、家まで押しかけてごめんなさい。ただ、これをアユムに渡したかったのですわ!」
そう言って押し付けられた紙袋を受け取る。
「今日はバレンタインデーでしょう? 本当はすぐにでも渡したかったのですが、人目がありますし、恥ずかしくて……」
理留はもじもじとしていた。
わざわざコレを渡すために私の家まで来てくれたらしい。
胸にじわじわと温かいものが広がっていく。
「気に入るかわかりませんが、開けてみてください」
「うん。ありがとう!」
理留の言葉に、さっそく袋から取り出して包装紙を破る。
箱を開けると、中から出てきたのは美味しそうなチョコ。
――ではなく、ふんどしだった。
「……なんで、ふんどし?」
一瞬、固まる。
いや、その前になんてものを理留はプレゼントしてくれているんだ。
ふんどしって布っぽいけど分類は下着だよ?
下着をプレゼントなんて、恋人同士でもなかなかハードル高いよ?
「アユム、ふんどし好きでしょう?」
呆然とする私に、理留は事実をそのまま告げるように明るい声で言う。
それは大きな誤解だった。
水泳の授業の際、私に化けたマシロがふんどしを着用していたせいで、私にはふんどしマニアなんて不名誉なあだ名がついてしまっていたけれど。
本当は、別に好きでもなんでもない。
「前に一緒に大学部へ行った時、アユムが気になっていたようなので、今回のプレゼントはコレにしてみましたの」
混乱する私に、理留は照れたようにはにかむ。
私が気に入ってくれると、信じて疑っていない顔だった。
理留の言葉に、一緒に大学部の購買へ行った日の事を思い出す。
確かあれは、初等部の四年生のバレンタイン前。
とんでもないチョコを理留が作ろうとしていると知った私は、阻止するために一緒に材料を買いにいったのだ。
その時に目に入った購買の一角。
2月14日はバレンタインじゃないふんどしの日だと主張するそのコーナーに、つい私は足を止めてしまっていた。
あれをまさか理留が覚えていて、しかもプレゼントしてくれるなんて考えてもいなかった。
これがふんどしじゃなければ、覚えていてくれたんだときっと感動していたことだろう。
「それだけじゃありませんわ。この柄を見てください。う●い棒とのコラボ商品で、限定モデルなのですよ!」
理留は得意げな様子で、私の手元にあったふんどしの柄を指差す。
う●い棒は私と理留が大好きな駄菓子だ。
修学旅行の際には、そのストラップを見つけてテンションが上がって、理留におそろいのヤツをプレゼントするくらいには好きだ。
きっと理留はそれのお返しも兼ねて、プレゼントしてくれたのかもしれないなぁと思う。
けれど、それをふんどしにしてはいけないと思う。
いろいろな意味でギリギリだ。
「ホワイトデーには、ふんどしを返すのもありだと聞きました。アユムが気に入っているその履き心地、ワタクシも実は少し気になっていますの」
その理留の発言を、私はどう受け止めたらいいんだろう。
私が好きなものを、勘違いとはいえ理解してくれようとしてるのかな。
それとも女の子が友達とお揃いの服を買いたがるアレなんだろうか。
もしくは――ふんどしに純粋な興味があったり?
「……もしかして、気に入りませんでした?」
ぐるぐるとふんどしを手に考え込む私の顔を、理留が不安げに覗き込んでくる。
「えっ、いやそんなことないよ! 超うれしい!」
とっさにそう答えると、よかったですわと理留は笑った。
「これ、ボク以外にはプレゼントしてないよね?」
「私がバレンタインデーにあげるのは……アユムだけですわ」
「よかった」
さすがにふんどしを他の人にはあげていないらしい。
それを聞いて、少しほっとする。
毎回バレンタインは理留に驚かされてばっかりだ。
「それとこっちは留花奈から。義理チョコだそうです」
「へぇ……留花奈から?」
手のひらに納まるサイズの小さな箱。
留花奈からもらえるとは思ってなかったので、驚いた。
「それじゃあワタクシ、これで失礼しますわね」
「うん。気をつけてね」
理留を見送って、玄関のドアを閉める。
「今きてたの黄戸さんだよね。チョコ貰ったんだ?」
台所に行くと、宗介が作業していた手を止めて振り返った。
「いや、貰うには貰ったんだけど、チョコじゃなくてふんどしだったよ」
「そっか貰えたんだ。よか……ふんどし?」
私の言葉に相槌を打って、作業に戻ろうとしていた宗介が私を二度見する。
そりゃさすがの宗介も驚くよね。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
部屋に戻って、留花奈から貰った小箱についていたメッセージカードを開けてみた。
『バレンタインデーなのに、ふんどし一枚しか貰えないあんたに、可哀想だから義理チョコを恵んであげる。感謝しなさい』
丸っこい文字でそう書かれていた。
理留がふんどしをあげようとしていることに気づいたなら、止めてくれてもよかったのに。
そう思うけれど、面白がって理留を後押しする留花奈が目に見えるようだった。
きっとこのカードを書くときだって、にやにやしながら書いたに違いない。
馬鹿にされてる……。
少しむっとしたけれど、チョコに罪はないのでいただくことにする。
するするとリボンを解いて現れたのは、直径五センチくらいのトリュフ。
悔しいけれど、そのトリュフはとても美味しかった。




