【41】水泳の授業で男らしさを見せ付けます
「それじゃあ、頼んだからねマシロ」
「あぁまかせておけ」
水泳の日当日。
その日の水泳は午後の一番初めだったので、昼休みにマシロと学園の隠し通路で落ち合い、入れ替わる。
中等部の制服を着たマシロは、まだ中学生でも通じそうだ。
けれどどうみたって、私には見えない。
「本当に、皆には今のマシロが私に見えるの?」
何度目かになるかわからない確認に、マシロはちょっと呆れ顔だった。
「そんなにぼくが信じられないか?」
「いやそういうわけじゃないけど。私にはマシロにしか見えないから、不安なんだよ」
マシロに不思議な力があるのは知っているし、一度目の前で見たこともある。
夜中の学園にいた私達を見つけて怒鳴ってきた警備員は、マシロが力を使った瞬間、何事もなかったかのように去って行った。
私の『周りに男だと認識させる力』がマシロに効かないのと同じように、マシロの不思議な力は私に効かないらしい。
「大丈夫だ。大人しく待ってろ」
ドンと請け負うマシロに、うんと頷く。
その姿を見送ってから、私は急いで隠し通路内を移動した。
この学園には、マシロが学園長に作らせた隠し通路が蟻の巣のように張り巡らされている。
隠し通路にはいくつも出入り口があり、隠し通路を使えば校舎から校舎への移動も可能だ。
もちろん、プールまで続く通路も存在している。
マシロには信用してないみたいで悪いとは思ったけれど、心配だった。
プールのシャワー室に繋がっている扉から出て、男子更衣室へと向かう。
誰もいないことを確認して中に入ると、プールへ繋がるドアのすぐ横、更衣室の入り口のドアが見える位置に、使用禁止と張り紙のされたロッカーが一つあった。
事前に下調べした時に、鍵が掛からない事は確認済み。
使用禁止と書いてあるロッカーなら、誰も開けないし、この位置ならマシロが入ってきたのを見逃すことはないだろう。
ちょっと気は引けたけれど、私はそのロッカーの中に身を隠した。
しばらくすると、クラスメイトたちが入ってくる。
体育は隣のクラスも合同なので、私のクラスの四組の男子だけじゃなく、三組の男子もいた。
ちなみに中学生になった今も、私は男子に混じって着替えをしている。
制服の下にはランニングシャツを着て、パンツの上にトランクスを重ね履き。
周りを見ることなく、誰よりも早く着替えを済ませる術を身に付けていた。
目の前でクラスメイトたちが着替えを始める。
水着だから下まで脱ぐってことを忘れていた私は、隣のクラスの子がおもむろにパンツを下ろしたあたりで、慌てて目を閉じた。
やばいコレ、今の私って覗き魔というか、変態みたいじゃない?
今更そんな事に気づく。
心配で見にきてしまったけれど、見つかったら色んな意味でアウトだ。
結構早まったことをしたかもしれないと後悔していたら、マシロが更衣室に入ってきた。
マシロは吉岡くんと一緒に、喋りながら更衣室に入ってくる。
「それにしても、アユムがプール入るなんて初めてだよな。いつもは背中の傷見られたくないって言ってたのに」
吉岡くんのマシロに対する態度は、普段私に対するものと変わらない、フレンドリーなものだ。
不思議そうに尋ねる吉岡くんの声には、楽しそうな響きが混じっている。
初等部のころから、傷なんて気にしないで泳ごうと吉岡くんは私を誘っていた。
「昔の傷をいつまでも引きずっているのも男らしくないからな」
「よく言ったアユム。今日は思いっきり泳ごうぜ! 勝負だ勝負!」
吉岡くんはマシロの隣で、上機嫌で着替え始める。
ちゃんとマシロを私だと思い込んでいるようだ。
白髪に赤い瞳。
こんな目立つ容姿をしているマシロなのに、皆普段通りでマシロに特別注目する子もいなかった。
ここまで誰も気づかないと、逆に怖いな。
そんなことを思っていたら、目の前でするりとマシロが上着を脱いだ。
「結構凄いな。これ痛くないのか?」
マシロの背を見た吉岡くんが、少し心配そうに口にする。
「もう傷は塞がってるからな。平気だ」
そうマシロは答えたけれど、私の目に映るマシロの背には傷一つない。
白くて細くて、少し不健康そうな背中が見えるだけだ。
周りの子たちもマシロの背を見て話しかけてくる。
吉岡くんだけじゃなく皆にも、その背中に傷が見えているんだろう。
「なぁ触ってみてもいいか?」
「それは遠慮してくれ。古傷が疼く」
尋ねた吉岡くんに、マシロは首を横に振る。
他の子たちも遠慮してくれたのでほっとしたけれど、気のせいかマシロの口調はあまり私っぽくないように感じた。
ばれないか心配だなぁ。
動作が芝居がかっている気もするし。
もしかして、あれは男らしくというのを意識してたりするんだろうか。
疼くなんて普段使わないんだけど。
はらはらしていていたら、マシロがズボンに手をかけたので慌てて目を閉じる。
「アユム、お前どうしたんだよそれ!」
「あぁ、これか男らしいだろ?」
吉岡くんの驚いた声。
何がどう男らしいのだろう。
気になるけど、同じくらい怖くて目が開けられない。
「男らしいというか、驚くだろ普通。赤いし、尻丸見えだし。今日気合入りすぎ」
あっけにとられながらも、面白がっている吉岡くんの声。
一体、なんの話をしているんだ。
「もしかしてあいつ、折角買ってやったのに使ってないのか」
マシロの言葉に、ん?と思って、ゆっくりと目を開く。
そこには赤いふんどし姿のマシロがいた。
思わずロッカーのドアに頭をぶつけそうになる。
何をしてくれちゃってるんだ!
他の子たちも注目してるし。
赤ふんのアユムなんてあだ名が付いたら、マシロのせいだからな!
心の中で叫んでいたら、更衣室に宗介が入ってくるのが見えた。
一緒に更衣室にきたクラスメイトから目を離し、更衣室内に目を向けた宗介はぎょっとしたような顔で固まってしまう。
その視線はマシロに釘付けになっているように見えた。
やばい。
赤いふんどしなんて履いてるから、宗介が不審に思っている。
「おっ、宗介! 見ろよアユムのパンツ。凄いよな!」
「・・・・・・アユム? 何を言ってるの、吉岡くん?」
ははっと笑う吉岡くんの声に、宗介は困惑顔で私の名前を呟く。
その顔は何を言ってるのか、よくわからないといった様子だった。
ふんどしうんぬんというより、宗介にはマシロが私に見えてない。
そう思わせる態度だった。
マシロは見抜かれることはないと言っていたけれど、こっちの世界で私と一番過ごした期間が長いのは宗介だ。
バレたとしても、不思議じゃない。
『どうした宗介。まるで知らない人でも見たような顔をして。幼馴染のアユムであるぼくは、いつも通り何も変わらないだろう?』
宗介の方を見て、マシロがそんな事を言う。
声の響きと、そこに込められる力が変わった。
宗介の様子が変なのに気づいて、暗示をつかったんだろう。
「・・・・・・アユムが水泳の授業に出るなんて思ってなかったからさ。そのふんどし、持ってるのは見たことあるけど、履いてるのは初めてみたよ」
すると宗介ははっとした顔になり、次の瞬間にはいつも私に接している時のように、マシロに話しかけた。
うまく暗示がかかったようでほっとする。
宗介は私の入っているロッカーのすぐ隣を使うことにしたようで、こっちに近づいてきた。
時折私の視界に、宗介のドアップがあって、ばれてしまわないかと心配になる。
緊張していた私だけど、宗介は別のことに気を取られてるみたいで、こっちを見ることはなかった。
宗介は、マシロの方ばかり気にしていた。
これはこれで落ち着かない。
初めて水泳の授業を受ける『アユム』を心配してくれているのか。
それとも、マシロの『アユム』に、暗示をかけられて後も違和感があるのか。
その表情はどちらにも取れた。
「そうだアユム。今日帰りにふりかけ買ってくるけど、何味がいい?」
唐突に宗介がそんなことを尋ねてくる。
それにいつも私は同じ味しか食べないので、普段何も言わなくても食卓にそのふりかけはあった。
「いつものヤツで」
「卵、それともオカカ?」
無難に答えたマシロに、宗介が尋ねたけれど、そのどちらも私は普段食べない。
何気ない会話に見せかけて、試されているようだった。
「・・・・・・今回は、納豆ご飯専用ふりかけで」
少し考えてから、正しい答えをマシロが口にする。
以前美味しいのだと力説した事があって、ちゃんと覚えていてくれたらしい。
「わかった。それ買ってくるね」
そう言って、私のいるロッカー側を向いた宗介は、誰にもばれないくらい小さく息をついた。
今のやりとりで、ちょっぴり安心した。
そんな風に私には見えた。
まだ不安はあるけれど、これなら大丈夫そうだ。
皆がプールに出て後で、元の隠し通路に戻る事にする。
外に出ようとロッカーのドアを押す。
・・・・・・びくともしない。
あれおかしいな。
もっと力を込めて押してみたが、開く気配はない。
さっと血の気が引いた。
前に確かめにきたときは、すんなり内側からも開いたのに。
このロッカー、どうやら鍵が掛からないんじゃなくて、鍵が勝手に掛かったり掛からなかったりするから、使用禁止になってたようだ。
しまったと思っても遅い。
何度か開けようと試みたけれど、うまくいかなくて、気づけば皆が水泳の授業から戻ってきてしまった。
マシロと連絡を取ろうにも、携帯電話は教室の鞄の中。
助けてもらうチャンスは、人がいる今くらいかもしれないけれど、それをやるのは難易度が高かった。
気づいてもらわなきゃ困るけど、気づかれたら困る。
水泳の授業では、どうやら宗介とマシロが泳ぎの対決をしたらしい。
更衣室内では大いに盛り上がっていた。
「親友対決は今野くんの勝利か。瞬発力はあるけど、持久力ないタイプだから、オレ仁科くんが勝つ方に賭けてたのに」
「まさか今野が最後あんなに差をつけて勝つなんてな。まだ余裕があるように見えたぞ」
皆の話から、どうやら宗介と『アユム』が対決して、『アユム』が勝利したらしいとわかる。
宗介は皆から惜しかったなとかと声をかけられながら、ロッカーに戻ってきた。
いつも通りの爽やかに対応してたのに、ロッカーの方を向いた宗介の顔は、誰も見てないからか、かなり悔しそうだった。
マシロ大人げないなぁ。
きっと本気で相手したんだろう。
なんとなくそんなことを思う。
でも同時に、宗介が『アユム』に負けてそんなに悔しがるのが意外だった。
結局私は何もできずに、マシロたちを見送り、五時間目どころか六時間目の授業もロッカーの中で過ごした。
今頃マシロはどうしてるだろう。
私の変わりに授業受けたりしてるかな。
それとも、私を捜してくれてるんだろうか。
しかしそれにしても、三年生と一年生ではこんなに体つきが違うんだなぁ。
ついそんな事を思う。
六時間目は三年生が更衣室を使っていた。
見ないようにとか思うのだけど、気になってちょっと見てしまう自分がいた。
やばい、お手洗いに行きたい。
放課後。私はいよいよピンチだった。
マシロはなかなかこない。誰でもいいから来てくれないかなと思っていたら、更衣室のドアが開いて、宗介が入ってきた。
宗介は隣のロッカーを開く。
右手には水中眼鏡が握られていて、どうやら忘れ物をしたらしいと分かる。
「くそっ!」
覚悟を決めて声をかけようとしたら、宗介が悪態をついてロッカーを拳で叩いた。
驚いて、思わずかけようとしていた声を引っ込める。
悔しそうな宗介の顔が半分だけ見えた。
水泳の勝負のことを、宗介はまだ気にしているようだった。
勝ち負けにこだわるようなタイプじゃないと思っていただけに、驚く。
「待って宗介!」
そのまま立ち去ろうとした宗介に、慌てて私は声をかけた。
「アユム?」
驚いた顔で、宗介があたりを見回す。
「ここ! 宗介が使ってたロッカーの隣! 出られなくなっちゃったんだ!」
「なんでそんなとこにいるの?」
ロッカーに近づいてきた宗介と視線があう。
その顔はとても戸惑っていた。
「おどかそうと思って隠れたら出られなくなっちゃって。ごめん、助けて!」
「ほんと、何やってるんだよ!」
宗介が外側からロッカーを開けようと力を込めたけれど、引っかかりがあって開かない。
けれど、二人がかりで力を込めれば、強引にこじ開けられそうだった。
「アユムは中から押して。俺が外から引っ張るから」
「うん、わかった。いくよ!」
壁側に足を突っ張って、ドアに体重をのっける。
しばらく粘って、思い切り力を込めていたら、急に支えがなくなった。
「うわぁっ!」
勢いよくロッカーから飛び出した私は、宗介の胸に飛び込む。
そのまま宗介は私をかばうように、下敷きになった。
「ごめんね宗介、助かった」
「いいよ別に」
私の下にいる宗介は、全力を出したせいかちょっぴり息が上がっていた。
少し落ち着いてから、この状況にはっとする。
背中に手が回され、宗介のぬくもりが伝わってくる。こんなに密着したのは久しぶりだ。
昔はなんとなしに抱きついたりしてたけど、宗介の肩幅ってこんなに広かっただろうか。
どちらのものか分からない心臓の音に焦って、宗介の上から退こうと身じろぎしたら、頭をそっと抑えられて髪に顔をうずめられた。
「そ、宗介!?」
「アユムから・・・・・・シャンプーの匂いがする」
耳元でする宗介の声は、どこか艶を含んでいてぞくぞくとする。
「俺と同じ匂い。使ってるシャンプー一緒だし、当たり前だよね。今気づいた」
一瞬、プールに入ってないのがばれたのかと思ったけれど、そういうわけではなさそうだった。
どう反応したものかわからなくて顔を上げたら、宗介と目が合う。
息が掛かりそうな距離。
「アユム」
躊躇うように、切ない声で名前を呼ばれた。
私の名前を呼ぶことが、本当はいけないことであるかのように、宗介は苦しそうだった。
そっと伸ばされた宗介の手が、私の頬に触れて。
その瞬間、更衣室のドアが開いた。
「アユムー、いないか?」
宗介と二人して視線だけそちらに向ける。
私を見つけたマシロが、固まった。
誰もいない更衣室で二人きり。
互いに乱れた衣服。
息を切らしてぐったりしている宗介の上に、ロッカーに入ってたせいで汗だくの私が乗っかっている。
どう見たってこれ、私が宗介を押し倒してる図ですよね。
「えっと、あーいるならそれでいいんだ。邪魔したな」
「待ってよマシロっ! せめて説明させて!」
そそくさと出て行こうとするマシロを、全力で引き止める。
宗介がいるので、細かいことまでは説明できなかったが、マシロは大体の事情をわかってくれたみたいだった。
「忘れ物をして取りに来たら宗介がいて、脅かそうと隠れたら出られなくなって、助けてもらったと。そういう事なんだな、アユム」
「・・・・・・うん」
状況をまとめてくれたマシロの顔は、明らかに呆れていた。
マシロを信頼しきれず、ロッカーの中で隠れて見張っていたことにも気づいているだろう。
「まったく何をしてるんだお前は」
「ごめんなさい」
素直に謝ると、まったくしかたないなというように、マシロが服や髪の乱れを直してくれた。
「アユム、その人は誰なのかな?」
「えっと、この人はボクの友達のマシロだよ。今日はこの後一緒に遊ぶ約束してたから、捜しにきてくれたみたい」
尋ねてきた宗介にちょっと迷ってから、私はマシロを紹介した。
「へぇ、この人がマシロさんなんだ。はじめまして、アユムの幼馴染の仁科宗介です。アユムからよく話は聞いてます」
「ぼくはマシロだ」
爽やかな笑顔を浮かべて挨拶した宗介に、マシロが応じた。
「珍しい髪と目の色ですね。染めたりコンタクトしたりしてるんですか?」
「自前だ。目立つのは面倒だが、隠すのはもっと面倒なんでそのままにしている」
「アユムからは高等部の先輩だって聞いてましたけど、なんで中等部の制服着てるんですか?」
「中等部でアユムを捜すなら、こっちの方がいいだろ」
いきなり質問攻めの宗介に、淡々とマシロが答える。
二人の間にある空気が、ピリピリしているように感じるのは、私の気にしすぎだろうか。
「アユムは連れてくぞ。じゃあな」
さっさとこの場を立ち去りたいのか、マシロが私の手を引く。
「また家でね、宗介。夕飯までには帰るから!」
一瞬宗介の瞳に暗い光が宿ったような気がしたけれど、きっと気のせいだと思うことにして、トイレを我慢していた私は足早にマシロの後を追ったのだった。




