【3】王道幼馴染はヒロインじゃありません
年があけてすぐに、私は行動を開始していた。
兄がやっていたギャルゲーの世界で、死亡するのを回避するために必要なのは、情報と仲間だ。
実はヒナタのことを考えている時に思い出した事がある。
兄がヒナタに殺されまくるエンドを繰り返している時に、質問したことがあるのだ。
他にメインにふさわしいヒロインはいなかったのかと。
そしたら兄はいると答えた。
そのキャラは主人公の親友であり、気になる女の子の情報を教えてくれたり、アドバイスをくれたりする心強い味方なのだという。
アユムの両親の親友の子供で、アユムとは幼馴染。高校の時には、主人公の家に居候していて、不在がちの両親の代りに家事をしてくれている。
世話焼きで、いつだって主人公の味方をしてくれて、どのルートでもキャラとの恋愛を後押ししてくれる。
七歳のに主人公が事故にあった原因に関わっていて、その事故を自分のせいだと思い込んでいるのが主人公に尽くす理由だったりするんだけど。
しかもこのキャラ。ヒナタにナイフで刺されるイベントが起こった際、好感度が高いと主人公を助けにきてくれるらしい。
ヒナタのナイフイベントが起こっても、このキャラがきてくれれば、主人公は死なずに済むのだと兄が言っていた。
こっちがメインヒロインでよかったんじゃね? という声が続出するのもわからなくはない話だった。
どのルートでも主人公を殺しにくるキャラと、どのルートでも助けてくれるキャラ。どっちがメインにふさわしいかと言われたら、私は即答できる。
「朝主人公を起こしにくる、一緒に登校する。一つ屋根の下。主人公との過去。家事は完璧、料理もうまく世話焼き。王道幼馴染キャラとしてのスキルを余すとこなく持っているんだけどね……ひとつだけ問題があるんだ」
その一つが重要な問題なんだというように、兄は大きな溜息をついていた。
「このキャラ、男なんだよ」
物凄く残念そうに兄が言ったことを、私は今でも忘れない。
床に手をついて、泣き出しそうな勢いだった。
仁科宗介というそのキャラは、それくらいプレイヤーの間でも人気が高いキャラらしい。
こっちが真のヒロイン。
そのポジションは女だろ。なんで男にしてしまったのか。
宗介を女にしなかったのが、このゲームの最大の間違い。
むしろ男でもいいから、攻略ルートをつくってほしい。
そういう声が続出しているキャラなんだと、兄が語っていた。
まぁ要するに、味方にしておいて損はないキャラクターなのだ。
そういう理由で、私は宗介の家を訪れていた。
両親は微妙な顔をしていたけどね。
それもわからないでもない。
アユムが記憶を失う原因となった事故には、宗介が関わっているからなぁ。
あの事故の日。宗介はアユムの家に泊まりにきていた。
宗介の両親が急な仕事で家を空けるから、預かることになったらしい。
けど宗介は熱を出してうなされて、家を飛び出してしまった。たぶん親に会いに行こうとしたんだろう。
アユムはそれに付き添って、宗介を庇って事故にあったのだ。
まぁ私にはそんな記憶ないから、全部母さんたちから聞いた話なんだけど。
その事故以来、仲がよかった家族間の付き合いも絶えてるって状況だったりする。
でも両親にとって、これもいい機会なんじゃないかなと思う。
病院で眠っていたとき、毎日宗介はお花を持ってきてくれていたらしい。アユムが目覚めない不安から、もうこないでと母さんは言ってしまったらしく、それをとても気に病んでいるみたいだった。
宗介の家は人気の建築家がデザインしましたというような洒落た家だった。
「ん?」
おしゃれなガラスで出来た表札を見て、私は首を傾げた。
家の表札には山吹の文字。
宗介の苗字は仁科だったと思っていたんだけど。
私の記憶が間違っていたのかもしれない。
チャイムを鳴らすと、山吹夫妻が出迎えてくれた。
母さんたちと夫妻の雰囲気は、最初少しぎこちなかったけれど、すぐに和やかなものに変わる。
四人とも昔からの友人同士とのことだから、本当はもっと早く仲直りしたかったんだろう。
そのまま飲み会が始まってしまった。
しかし、肝心の宗介の姿が見あたらない。
「宗介くんはどこにいるの?」
山吹のおじさんに尋ねると、少し困ったような顔になる。
「それが出かけちゃったみたいなんだ。迎えに行ってあげてくれないかな。近くの教会にいるはずだから」
酒を飲んで昔話に花を咲かせている両親の側にいてもつまらないので、私は宗介を迎えにいくことにした。
山吹のおばさんに教えてもらった道を歩くうちに、そういえば顔を知らないやということに気づいたけれど、行けばわかるだろとそのまま進むことにする。
うぅ、寒い。近いからと手袋してこなかったのは失敗だったかもなぁ。
そんなことを思っていると、教会に着いた。
この前ヒナタと出会った教会に比べると大分小さいし、ぼろい。
建物から歌が聞こえてくるのにつられて、そっと扉の隙間から覗いてみる。
大人たちが声をそろえて歌っていたけれど、そこに私と同じくらいの子供の姿はない。
中にはいないなら、外なのかな。
教会の外は木がたくさん生えていて、ちょっとした森みたいだとおもった。雪がつもっていて、歩くときゅっきゅと音がする。
枝に積もった雪が頭に落ちてきて見上げたときに、二階くらいの高さにある小さな小窓にへばりついている男の子の姿をみつけた。
小さな足場はあったけれど、そこは人が立つように作られた場所じゃなかった。
教会の建物にくっつくように生えた木をつたって、あの場所まで行ったんだろう。
片手は壁に添えて、もう片方の手を胸に当てて、何かを祈っている。
真剣な横顔。オレンジ色の短髪。
ヒナタもそうだったけど、染めているというわけではなさそうだ。
人のよさそうな八の字の眉をしていた。
「宗介くん?」
声をかけると男の子はビクリと肩をすくめて、キョロキョロと周りを見渡し、それから足を滑らせた。
「危ない!」
私はとっさに走って、男の子を受け止めた。
けど子供の体では支えきれなくて、尻餅をついた。
「いたた……怪我ない?」
「それはこっちの台詞だよ、馬鹿!」
助けたのになぜか怒られた。しかも男の子は涙目だ。
「怪我は? どこか痛くない? なんでアユムはいつも俺なんかを助けようとするの?」
雪が積もっていたし、尻を強く打ったくらいで特になんともない。
なのに、無事を確認するかのように、ぺたぺたと体を触られる。
手袋を脱いだ男の子の手は、冷たい。
どれだけの時間外にいたんだろう。
物凄い動揺してるのが伝わってくる、切羽詰った表情。
ぶつかられたこっちの方が何事かと思うくらいだった。
「大丈夫。大丈夫だから」
「本当に?」
「うん、平気」
何度も何度も聞いてくる男の子に、立ち上がり、なんとも無いというアピールをする。
それで、ようやく男の子は落ち着いたようだった。
「宗介くんは、あそこで何してたの?」
こっちの名前も知ってるし、たぶん彼が宗介だろう。
そう思って名前を呼んでみたのだけど、男の子は何故か変な顔をした。
「あれ、もしかして君宗介くんじゃなかった……?」
「ううん。アユムはくんなんてつけなかったから、驚いただけ。今のアユムには記憶がないんだよね」
そう言った顔が悲しげに見えた。
なんだか悪いことをした気分になる。
記憶喪失というか、まるっきり中身が別人ですなんて、言えるわけもなかった。
「あそこから中にいる神様の像に、祈ってたんだ」
宗介がそういって、二階の小窓を振り返った。
「何を祈ってたの」
「それは……アユムが」
いいにくそうに、宗介がもごもごとして、こちらを見る。
この表情からするに、『今野アユム』が無事でありますようにとか、そんな感じのことを願っていたんだろう。
凄くいい子じゃないか。
すでに私の宗介に対する好感度は高くなっていた。
「正面から堂々と入ればいいのに」
「中に入っちゃいけないんだ。俺は死神で、神様に嫌われてるから」
「そんなわけないと思うけど」
宗介の顔が陰る。
まだ小学生なのに、人生を悲観しているかのようだ。影を帯びた表情は、だいぶ大人びてみえた。
「俺といると、みんな不幸になる。全部俺のせいなんだよ」
宗介は首を横にふる。
まだ若いのに、そんな思い込みはよくない。
子供ならもっと明るく未来を持って生きるべきだとおもう。宗介はよっぽど過去に辛いことでもあったんだろうか。
さっき私が倒れた時も、驚くというよりも怯えたような顔をしていたし。
――ん、もしかして原因って私じゃないの?
ふと、そんなことに気づく。
宗介の立場に立ってみたら、熱出した自分のワガママに付き合ってくれた友達が、事故にあって記憶喪失だもんな。
仲がよかった親同士もギクシャクしてるし、どう考えてもトラウマ決定だ。
事故にあった時の『今野アユム』は、正確にいうと私じゃないんだけど、それでも責任を感じてしまう。
「別に事故は宗介く……宗介のせいじゃないと思う。それに、みんな不幸になんてなってないよ」
一度のトラウマくらいでそんなに思いつめたら駄目だ。
トラウマの原因である私が言うのもなんだけど。
「でも、俺がいなかったら、アユムは事故に会わなかった。本当の母さんだって俺を生まなければ死ななかったし、本当の父さんだって俺がいなければ、交通事故で死んだりしなかったんだ」
自分で傷をえぐるような苦しそうな顔で、宗介は口にする。
どうやらトラウマは一度ではなかったようだ。
本当の両親の死。そこにたたみかけるように、親友が自分を庇って事故にあい記憶喪失。悲観的になるのもしかたない気がした。
「だから、もう俺に関わらないで。アユムを不幸にしたくないから」
これは根が深そうだ。だからといって、こんな思いつめた表情をされて放っておけるわけがない。
「それはできないよ」
「どうして。俺のこと、忘れちゃってるんでしょ。なら、簡単だよ」
「忘れてないこともちゃんとある」
勢いで言った台詞に、宗介が答えを待っている。私はうんと力強くうなづいて、自分の胸をドンと叩いた。
「ボクと宗介が親友だってことだ!」
『今野アユム』としての記憶はなくても、宗介に関する情報は持ってるし、間違ってはいないはずだ。
ぽかんとする宗介の手をぎゅっと私は握る。
彼は毎日教会に通っているのだと、山吹夫妻から聞いていた。こんな風に冷たい手になるまで、いつも『今野アユム』の無事を願っていたんだろう。
こんなに自分のことを心配してくれる子がいて、この『今野アユム』が不幸なわけがない。
「それに、ボクは宗介が側にいるよりも、いない方が不幸になるんだよ。絶対に」
そこには、私自身の切実な思いがこもっていた。
もしもヒナタにナイフを突きつけられたとき、宗介がいなかったら私は死んでしまうのだ。それは確実に不幸と言いきれる。
きっと『今野アユム』もそう思うんじゃないだろうか。
「宗介はボクを不幸にしたくないんだよね。なら、ボクと一緒にいなくちゃいけない。そうだろ?」
そこまで言ったところで、宗介がぷっと吹き出した。
それからおかしそうに笑い出す。
「な、なんだよ。なんでいきなり笑うんだよ!」
「いやだって。アユムはアユムなんだなって思って」
あははと笑いながら、宗介は目じりの涙を拭った。
「前に俺が似たようなこと言ったとき、アユム全く同じことを言ってた。覚えてないのに、また同じこというんだね」
そう言って笑う宗介の顔にはもう暗い影はなくて、ほっとする。
「わかればいいんだよ。ほら、行こう。父さんたちが待ってる」
親友らしく、手を引く。
けど、宗介は立ち止まったままだった。
勢いで手を掴んでいるけれど、男同士で手を繋ぐのは変だったのかな。
でも今更引っ込みもつかないし。
「行こうってば」
「……アユム、手がちょっと小さくなった?」
もう一度声をかけると、黙っていた宗介がぽつりと呟いた。
「気のせいだよ。ずっと病院にいたから縮んだのかも」
「そうかな。でも、声も若干高い気がする」
宗介が顔を近づけてくる。
えっ、もしかして別人だってばれてる?
そんなわけはないのに、妙な汗をかいた。
近い。顔が近い。
鼻筋がすっとしてるし、きっと大人になったら男前になりそうな顔だなぁなんて考えている場合じゃない。
「いいから行こう!」
「そんなに強く引っ張らなくても、ちゃんと行くから!」
強引に宗介の手を引いて、私は走りだす。
どこまでも白く続く道は、これからの私が進む道と似ている気がした。