【35】誘拐されました
目が覚めたら、見知らぬ部屋の床に寝転がされていた。
「なんだここ」
「やっと目が覚めたの? あんた起きるの遅いわよ」
留花奈の声。
体を起こそうとしたけれど、自由が利かなかった。
どうやら後ろ手で縛られているようだった。
「なんだよこの状況」
壁に背をあずけて、私と同じように拘束されている留花奈に尋ねる。
「誘拐されたのよ。わからないの?」
言われて直前までの状況を、私は思い出す。
確か、私は黄戸家の車で家に送ってもらう途中だった。
けど、理留が学園に忘れ物を取りに戻っている間に、理留のふりした留花奈に車に乗せられて。
恋人のふりを強要されていたら、運転手の高田さんにいきなりスプレーをかけられた。
それからの記憶は途切れている。
「なんで余計なモンまで攫ってきたんだ。あぁん?」
「すいません。あの方はお嬢様の婚約者で、家までついてくるようだったので、つい」
外からは男の怒鳴る声と、高田さんが謝る声がした。
「やっぱり高田が裏切り者だったか。報告では聞いてたけど、姉様が懐いていたから残念だわ」
留花奈は失望したようすで溜息をつくけれど、その態度は冷静そのものだった。
「なんで留花奈はそんなに落ち着いてるの? これ、誘拐なんだよ?」
「そんなことを言われても、よくあることだもの。何回目かしらね、これ。十を越えたあたりから、数えるのやめたわ」
諦めているというよりも、今はこうしている方が一番いいとわかっているような態度だった。
「そうだ、携帯で連絡を取れば」
「この場所にくるまでに、もう処分されてると思うわよ」
確かにポケットに入れていたはずの携帯電話の感覚がない。
この前のリーダー合宿の時に留花奈に壊されて、新品を貰ったばかりだったのに。
いや今は新品の携帯電話の心配をしている場合じゃない。
どうにか脱出する方法を考えなきゃ。
すると、ふいにドアが開いて、高田さんとサングラスをした二十代くらいのひょろい男が入ってきた。
「なんでこんなことをしたの、高田」
「すいませんお嬢様」
へこへこと高田さんは頭を下げる。
黄戸の家と連絡がとれたらしく、私達は部屋の外へ連れ出された。
「ワタクシ、あなたの事信頼してましたのよ」
「すいません。どうしても事情があって、お金が必要だったんです。身代金さえもらえれば、すぐに解放します」
高田さんの顔は罪悪感でいっぱいだった。
「あなたはそのつもりでも、そちらの男はどうかしら。サングラスごときで顔を隠したつもりですの? あなたこの前うちの母につぶされた、長谷川グループのご子息でしょう?」
「な、なんで知ってるんだ」
留花奈の指摘に男がうろたえる。
「それくらいは調査済みですわ。高田の妹に近づいて、借金を負わせるように仕込んだのもあなたでしょう」
「そ、そんな。あなたが全て仕組んだことだったんですか!?」
留花奈の言葉に、高田さんが動揺した。
「騙されるな高田。こいつが言ってることはでたらめだ。お前は俺に従っていればいいんだ。妹の借金を返したいんだろう?」
「ワタクシを助け、二度とこんなことはしないと忠誠を誓いなさい高田。そうすれば、妹さんの借金を含め、今回のことは全て水に流してさしあげます」
長谷川という男と、留花奈の間で高田さんは揺れているようだった。
「うるさい、お前は喋るなっ!」
長谷川が留花奈へと近づき、その喉元にナイフを突きつける。
これには留花奈も黙り込んだ。
「これから取引先に出かける。そこでお前達を解放して、お金を貰うことになってたんだが、そこまで知られちゃあ返すわけにはいかねぇ」
「最初から目的は身代金よりも、復讐だったのでしょう? そうでなければ、あんな法外な金額を要求したりはしませんわ。まさか黄戸家が準備するなんて、言うと思わなかったのでしょう?」
長谷川がぐっとナイフを握る手に力をこめ、留花奈は淡々と返す。
煽るようなこと言って、何やってるんだ!
焦る私とは逆に、留花奈はさらに冷めていくようだった。
「お前の母親があんなことをしなければ、俺たちの家は幸せだったんだ。あの卑怯な魔女め!」
「八つ当たりもいいとこね。暴かれるような不正をしてるほうが悪いと思いますわ。恨みがあるなら、直接母を狙えばよろしいのに。子供のわたしたちを狙うあなたの方が卑怯者ではなくて?」
「このっ!」
長谷川の顔が苛立ちに彩られ、ナイフを振り上げる。
その瞬間、私は体当たりしていた。
「逃げろ、留花奈!」
留花奈は一瞬驚いた顔をしたけれど、すっとしゃがむと長谷川の足を払った。
バランスを崩した長谷川が床に倒れた瞬間、留花奈手からナイフを蹴り飛ばし、その腕を縄で手際よく拘束する。
「形成逆転ね。さてこれからどうしようかしら」
男の上に座った留花奈の手には、小ぶりの折りたたみナイフ。
男が持っていたものとは、別のものだった。
「あっ、手がすべった」
「ひぃっ」
男の顔の側に、留花奈はわざとナイフを落とす。
「や、やめろ。ちゃんとお前達は解放する。だから、許してくれ」
「嫌よ」
そう言って、留花奈は男を上向きにした。
男の腹の上にのり、ナイフを構える。
「――だって、あなた姉様に酷いことしようとしてたでしょ?」
それは凍てつくような、冷たい声だった。
「ストップ留花奈! 落ち着けって!」
高田さんに縄を解いてもらい、留花奈を羽交い絞めにする。
「本当にやるわけないでしょう。ちょっと脅すつもりだっただけよ」
慌てて止めた私に、留花奈が呆れたような声をだした。
本当にそうするつもりはなかったとしても、その殺気は絶対本物だった。
「おどかすなよな・・・・・・」
ちらりと男の方を見れば、男はくたりと失神していた。
「こいつこんなに根性がないのに、よくこんなことしようと思ったわね。まぁいいわ。そろそろ皆出てきていいわよ」
誰に向かって言ってるんだと疑問に思っていたら、部屋の中に黒服の男達が次々と入ってくる。
最初から留花奈は、車をつけさせていたらしい。
男は黒服たちに連れられて行った。
「いつの間に縄を解いたんだ」
「ここにきてすぐよ。ちなみにスプレーで寝てもいないわ」
私の質問に、留花奈はナイフを手で弄びながら答える。
「最初から、攫われるのがわかってたの?」
「まぁね。高田の動きが不審だったし、知らない男と密会してるみたいだったから、調べさせていたのよ」
留花奈は得意げな様子ですらあった。
「こんな危ないことする必要なかったよね。もう少しで殺されるところだったんだよ」
怒った様子の私に、留花奈は眉をひそめた。
「心配しなくても、あんたに手出しはさせないつもりだったわよ。大体、今日が決行の日だって突き止めたのに、姉様があんたなんか誘うから、ややこしいことに」
「そうじゃない」
愚痴り始めた留花奈の頬に触れる。ぬめりとした感触。
痛みに留花奈が顔をしかめた。
「ナイフ、かすってた。これが首だったら、大変なことになってたんだよ」
「あんたがいきなりタックルなんかかますから悪いんでしょ。黒服たちも近くにいたし、留花奈だけでどうにかできたのに」
たぶん、私がどうにかしなくても、留花奈の言うとおり黒服たちが助けにきたんだろう。
それに留花奈の身のこなしは、なかなかのものだった。
けど、そういう問題じゃない。
「わざわざ自分から危ない目に会おうとしないでよ。ああやって犯人挑発してさ。それに、最初から分かってたなら事前に阻止できたよね」
「事前に阻止したところで、また繰り返すだけじゃない。この方が効率いいの。なんで、あんたにそこまで怒られなきゃいけないのよ。それよりこれで黄戸の家に関わると危険ってことがわかったでしょ。姉様の傷が深くならないうちにとっとと・・・・・・」
ぷちっと私の頭の血管が切れる音がした。
つまり留花奈がこんな茶番を組んだ理由の一つには、理留の側にいると危険な目に会うと私に教えたかったというのがあるらしい。
そして、そんなことで私が理留を避けると思われている。
加えて、手足を拘束されながら、私が必死の思いでタックルした理由が全く伝わっていない。
気がついたら、思いっきり留花奈に頭突きを食らわせていた。
「痛っ! 何すんのよ!」
「怒るのは、心配したからに決まってるじゃん! こんなくだらない事のために危ないマネして、大怪我したらどうするつもりだったの! こんなナイフなんか振り回して、留花奈はアホの子なの!?」
一気に言い切ると、留花奈はポカンとしていた。
「ア、アホって何よ! あんただって、犯人にタックルしたじゃない。姉様じゃなくて留花奈だってわかってるのに、どうして助けようとしたのよ!」
「理留だろうと留花奈だろうと助けるに決まってるだろ! どうしてそれがわからないわけ? 見ず知らずの他人だったら、あそこまでするわけないだろ!」
はぁはぁと荒く息をつく。
少し冷静になったら、若干女言葉になっていたけれど、この際どうでもよかった。
「何でよ。あんた留花奈の事嫌いでしょ! 本当にわけわかんない!」
「こっちだってわけわかんないよ! 留花奈って性格悪いし、嫌がらせもされたし、会うたび喧嘩ばかりしてるし。嫌いだって思うけど、嫌いになりきれないんだからしかたないだろ!」
自分で言ってて、わけがわからない。
でもそれが今の私の気持ちだった。
「留花奈お嬢様」
「「あぁ?」」
言い争っていると声をかけられ、留花奈と二人でぎっとそちらを睨む。
高田さんが床に頭をつけて土下座していた。
ずっと私たちの話が終わるのを、律儀に待っていたのだろう。
「信頼を裏切るようなマネをして申し訳ありませんでした。この後に及んで、こんなことを言うのは筋違いだとわかっていますが、どうか妹だけは助けてやってください。私はどんな罰でも受けます」
どう答えるんだろうと思って留花奈を見る。
私には、高田さんは悪い人には見えなかった。
酷い目にあった今でも、利用されただけなんだろうと思う。
理留に言われて私を送り迎えしてくれるとき、気まずくないように気を使ってくれていたし、車の中の理留は気を許しているように見えた。
「留花奈、どうにかできないかな」
私と目があった留花奈が、はぁと軽く溜息をつく。
お人よしと呟いたのが聞こえた気がした。
「妹さんなら無事よ。変なところに売り飛ばされる直前に保護したわ。長谷川を捕まえるために留花奈もあなたを利用したから、今回は許してあげる。その代わりもう姉様を裏切らないって、誓いなさい。もちろん今日のことは全て姉様には言わないこと」
高田さんはありがとうございますと、深く頭を下げた。
「いいとこあるじゃないか、留花奈」
「高田さんを許したことを言ってるの? あれは一度裏切った奴に恩を売っておくことで、弱みを握って扱いやすくするためよ」
口ではそう言っているけれど、たぶん理留のためだ。
信頼している人に裏切られたと知ったら、理留が傷つくから。
今回のことも、理留のために全部最初から計画されていたんだろう。
自分が危険な目にあっても、大切な理留のためなら、迷いなく留花奈はなんだってする。
その真っ直ぐさが、眩しく見えた。
留花奈が黒服に指示を出すために、部屋を出て行く。
残された高田さんが、私に近づいてきた。
「お嬢様たちの友人であるあなたを、こんなことに巻き込んでしまい、本当にすいませんでした」
改めて床に膝をついて謝ろうとするので、慌てて止める。
「こんなことになったのも私のせいなのですが、一つ話しておきたいことがあるのです」
「なんですか?」
「留花奈お嬢様があなたを巻き込んだ理由です。理留様には以前とても仲のよい唯一の友人がおりました。けれど理留様を狙った誘拐事件に巻き込まれ、彼女は理留様を避けるように転校していったのです」
高田さんの語った話によると、それによる理留の落ち込みようは見ていられないくらいだったらしい。
「理留様はしかたないと口では言っていましたが、傷ついているのは明らかでした。けれど、留花奈様にはその友人が許せなかったんだとおもいます。それから理留様と必要以上に仲良くしようとする者を、留花奈様は試すようになりました。離れていくくらいなら、最初から近づかせない。これも全て理留様を守るための行動なのです」
私が言えた身ではありませんが、あなたにはわかっていて欲しかったと高田さんは告げた。
――離れていくくらいなら最初から近づかせない、か。
高田さんから聞いた言葉を、心の中で繰り返す。
いつか私は元の世界に帰る。
そういう意味では、留花奈の行動は間違ってない。
仲良くなると、その分だけ別れが辛い。
裏切られるならなおさらだ。
黒服たちとの話し合いを終えて、戻ってきた留花奈を、ついまじまじと眺める。
いつだって留花奈はブレない。例えそれが理留の嫌がることだとしても、理留の幸せのためと思ったら突き進む。
迷いだらけの私とは、大違いだ。
それがうらやましかった。
「なによじろじろ見て」
「いや、留花奈ってドがつくほどのシスコンだけどさ。迷いがなくてうらやましいなって」
「何ソレ。馬鹿にしてんの?」
「純粋に褒めてるのに、捻くれててるよね留花奈って」
「留花奈のせい? 今のはどう聞いても悪口にしか聞こえなかったわよ!」
珍しく褒めたのに、すぐこれだ。
やっぱり留花奈とは、気が合わない。
落ち着いてください二人ともと、なだめる高田さんの車の中で、家につくまで私達はずっと口喧嘩していた。




