【2】前世の話
前世(?)の私には年の離れた兄がいた。
家にこもってはゲームばかりしてるとても残念な兄だったけど、兄妹の仲はよかった。
兄の部屋はネットが出来る環境に加え、マンガにゲーム、お菓子がいっぱいあった。特に私はマンガとお菓子を目当てに兄の部屋に入り浸っていた。
ゲームをする兄の薀蓄を適当に聞き流しながら、お菓子片手にマンガを読む。
それが私の日常だった。
特に兄が好きだったのが、ギャルゲーと呼ばれる種類のものだ。
可愛い女の子たちと仮想の恋愛を楽しむゲームだ。
RPGのように魔王を倒したりするわけでもなく、女の子達と日常を過ごし、仲良くなっていく。それの何が楽しいのか私には正直よくわからなかった。
むしろゲームの中でヒロインを落としている暇があるなら、現実の女の子を落とす努力をしろよと心のなかで何度思ったことか。
まずはその五年以上着ているダサいTシャツをどうにかするところからはじめよう。
なんてことを言いたかったが、ヒロインについて語るときの兄はとても生き生きしていたので、実際に言ったのは数回ほどだ。
なんだかんだで私は、兄が色々と手遅れであることを知っていた。
テレビの向こうの女の子を『嫁』と呼ぶのはまだ許そう。しかし等身大のキャラの抱き枕はやめてほしい。とりあえず没収して上からさらにカバーをかけて、私の部屋のクッションにしたのは記憶に新しいところだ。
意外といい素材を使っているのか、ふかふかしてお気に入りだったのだけど、今のここにはないんだよなー。
そして、そんな兄が最近……この言い方も正しいのかよくわからないけれど、はまっていたのが『その扉の向こう側』というギャルゲー、通称『そのド』だ。
そしてそのギャルゲーこそが、今いる世界だと私は確信していた。
攻略キャラである『桜庭ヒナタ』との出会いで、記憶が弾けた。
今までのもやもやがいっきにすっきりした瞬間だ。
どうやら私は『そのド』の主人公として、この世界に転生してしまったらしい。
なんで兄じゃなくて私なんだと、もの凄く叫びたい。というか、密かに叫んだ。
私は横でゲームを見てただけだというのに。
転生ということは『前野歩』としての私は死んでしまったのだろうか。
でもそんな記憶は全くない。全部の記憶を思い出したというわけではないかもしれないが、思い出せる限り最後の記憶での『前野歩』は、兄の部屋でくつろいでいた。
その日私は好きなマンガの最新刊を読み終えた私は、何気なく兄がやってる『そのド』を横から見ていた。
私が興味を持ったと思ったのか、この日はいつも以上に兄は饒舌だった。
これがゲームの最後のルートだったのもあるだろう。
ここまでたどり着くのは本当に大変だったんだと、兄は語っていた。
最後のルートをやるためには、全てのヒロインを攻略する必要があったらしい。
推理物の犯人だけわかればいいやみたいなノリで、隠しキャラ中の隠しキャラだというそのキャラとのストーリーを、私は兄から聞いた。
不思議な事に、その詳しい内容もそのキャラの容姿も、モヤがかかったように思い出せない。
思わせぶりで、味方になってくれたり、問題をかき回したりするような、そういうつかみ辛いキャラだったように思う。
ちなみに兄はこのキャラを、声を出している声優さんの名前で呼んでいた。兄はこの声優さんが大好きで、おかげで私まで声だけはしっかりと覚えている。
何を思ったのかは覚えてないけれど、『前野歩』だった私は、テレビ画面の中で微笑むそのキャラに対してぽつりと何かを言った。
瞬間、キャラと目が合って、意味ありげに微笑んだ気がして。
そこで記憶は途切れている。
まぁそんな感じで、死んだ覚えもないし、そこから私はこの世界にきた可能性が高い。
その口にした一言がいけなかったのかな。
何を言ったかは全く覚えてないんだけど、今からなしにできないだろうか。
可能性としては、このゲーム自体が私の妄想って考えもあるけど、たぶん違うだろうなぁ。
もし私が妄想するなら心躍るRPGになるだろうし、せめて女じゃなく男を落とすゲームにするところだ。
そもそも、何が悲しくて女である私が、女の子を口説き落とさなくてはならないのか。
そういう趣味は私には無い。
前世の『前野歩』は女だったけど、『今野アユム』は男という事になっている。
違和感たっぷりの記憶喪失からスタートした私は、大抵の事は記憶をなくしてるせいにして割り切ってきた。
そのためか、今までそう混乱はなかったけど、前世での私は女で。
今の私の体も――実は女のままなのだ。
七歳という性の違いが出にくい歳なのも手伝って、性別に対する混乱はあまりなかったのだけど、今なら言える。
色々とおかしいと。
私の体は、アユムが事故で受けた傷はあるものの、実は前世の時とあまり変わっていない。
顔や体自体は幼くなったけど、前世で慣れ親しんだ顔とそう変わらないし、体の性別も女のままだ。
なのに、周りは皆私を男として認識している。
『今野アユム』は女だけど、男として育てられているのかなという仮説を立てたけれど、それも違うみたいだった。
裸になっても、両親は息子が女だと気づかない。
魔法というより、呪いでもかかっているみたいだ。
ゲームの中で主人公が男だから、男だという設定が働いている可能性が一番高い気がする。
まぁ今の所中身が女でも、オカマっぽいとかは言われてないから、私の振る舞いに問題はないんだろう。今の両親もそのあたり心配してないみたいだし。
そういえば、前の世界では小さい頃よく男の子と間違われていたっけ。
サバサバした性格のせいか、よく男勝りだよねとか言われてたし。
別に女子高というわけでもなかったけど、バレンタインデーも女子からチョコ貰ったりして。
大人しい兄と比べられて、性別逆だったらよかったとよく母が嘆いていた。
なんかちょっと悲しくなってきた。
まぁ性別も問題なんだけど、一旦置いておくとして。
兄の話からすると、それよりも重大な問題が『そのド』にはある。
この『そのド』は、ざっくり言うと学園に通って高校生としての三年間を過ごすゲームだ。
行動を選び、女の子と会話して好感度を上げることで、結末が決まる。
ただ、普通に女の子と仲良くなるだけでは駄目だ。主人公には学園で果たしたい目的があり、それを達成する必要がある。
主人公が通う学園には不思議な『扉』があって、三年後に訪れる星降りの夜にその『扉』の前で真実の愛を誓うと、『扉』が開かれるという。
タイトルにもあるとおり、その『扉』を開いて向こう側を見るのが主人公の目的だったりするのだ。
つまり、女の子と仲良くなり、かつ扉を開くことでハッピーエンドエンドが迎えられる。
そこまでは、兄がいつもやってるギャルゲーでよくあるタイプのものなんだけど。
このゲーム、異様に主人公が死ぬのだ。
「主人公やキャラがよく死んだり殺されたりするから、一部では死にゲーとか言われてるんだよねこのゲーム。作った人は絶対ドSだと僕は思ってる。でも、バッドエンドの嵐を乗り越えて、正しい結末にたどり着いたときにはよかったねって気持ちになるし、達成感があるんだよね!」
そう熱く語っていた兄を思い出す。
しかし、この世界にコンティニューがあるのかが謎だし、痛いのは嫌なんで、バッドエンドだけは避けたい。
熱が出れば苦しいし、怪我をすればマジで痛い。
事故の後目覚めた私は、しばらく病院で痛いのを我慢して暮らしてたからなおさらだ。
ちなみにクリスマスの日は、教会でぶっ倒れてそのまま家に帰った。熱を出して寝込んでいる間、前世の人生が走馬灯のようにぐるぐる回っていた。
頭の容量オーバーなのか頭痛が酷くて、辛かった。
ゲームだし、まぁいっかなんて思えるわけがない。ゲームの世界だろうとなんだろうと、今の私にとっては現実。
だからこそ、絶対に死亡ルートだけは回避しなくちゃいけない。
兄からもらった情報を、思い出してちゃんと整理する必要がある。
どうやったら元の世界に戻れるんだろうという思いはあるけれど、まずは命の確保が最優先。
高校生になるまでは、主人公なので生きられるだろう。そんな希望的観測はあるけれど、そこまでの準備をしっかりやっておかなくてはいけない。
ゲームなら終わりはゲームクリアのはず。
これがRPGだったら、魔王を倒して終わりで単純だったんだけどなーなんて考えるけれど、死の確率的にどっちがましなんだろうか。
現状を否定していてもはじまらないので、悩みまくってでも前に進むしかないのだ。
「アユム、あなたにサンタさん届け物よ」
「わかった。ちょっと待って」
母さんの呼ぶ声に、私は思い出した情報を書きなぐったノートを閉じて、新品の学習机の引き出しにしまった。
今日届いたのは、あの日もらえなかったプレゼント。私の欲しかった自転車だった。
「これすっごく欲しかったんだ! ありがとう!」
「サンタさんにちゃんとお礼いうのよ。それとこれ。あなたにお手紙よ」
母さんから手渡されたのは、薄い桃色の便箋。
中には手紙が一枚入っていた。
『ねつだいじょうぶでしたか。あのときは、ありがとうございました。おかげでちゃんとうたえました。こんなのはじめてです。ほし、大切にします。おだいじに』
ひらがなばかりだけど、子供とは思えない丁寧で几帳面な文字だった。名前は書いてないけど、ヒナタだとすぐわかる。
「これどうしたの?」
「プレゼントを受け取りに行ったら、教会の子からあずかったのよ。ほら聖歌隊の真ん中で歌ってた可愛い子」
心配とお礼の手紙みたいだった。
ヒナタは律儀な性格のようだ。
しかし、油断してはいけない。
『そのド』のメインヒロインである『桜庭ヒナタ』は、いわゆるヤンデレで、このゲームにおける一番の危険要素なのだ。
ゲーム内でのヒナタは、小学生のときちょっと会っただけなのに、高校で再会した主人公に好意を抱いているという設定だ。
明るく可愛く、人懐っこく。人望があり、成績も優秀で運動も出来る。
非の打ち所がなく、学園でも一目置かれる存在であるのに、主人公以外は興味がない。
学園のアイドルみたいな存在に好かれるなんて、男の夢かもしれないけど、あまり私としてはうれしくない。
それは単純に、私が女だからとかそんな理由じゃない。
何故なら、ゲームにおいて、主人公が死ぬのは大抵ヒナタに殺されるからだ。
例えば、ヒナタをそっちのけで、他のキャラと仲良くしすぎると高確率で主人公がヒナタに殺される。
ヤンデレバージョンになったヒナタが画面に現れると、不安を煽るようなBGMが流れだして、主人公が酷い目にあう。
一見普段と変わらないようすで主人公を刺し殺すあのシーンは、トラウマだ。言ってる台詞はいつもと変わらないのに、声の調子とか雰囲気が見てるものをぞくぞくとさせる。
ハッピーエンドに行けない理由がわからなくて、兄が何度も繰り返しこのバッドエンドにたどり着いていたので印象に深く残っている。
ちなみに正しい対処方は……覚えてない。重要なことなのに。
ヒナタが変化する予兆も全く無いので、これには多くのプレイヤーが混乱したのだと兄は語っていた。
ちなみに、ヒナタが主人公を殺しにくる結末は、ゲームの中でも一番多いエンドだったりする。
だからと言ってヒナタに構いすぎると、彼女のルートに入ってしまい、高確率でヒナタが自殺する。
すると、主人公は学園での目的を果たすどころじゃなくなってしまいゲームオーバーになる。
ものすごく面倒なキャラなのだ。
「ヒナタはパッケージの中心にいる、いわばゲームの顔というヒロインなのに、最大の恋の障害であり、攻略が難しいヒロインなんだよ。他人のルートで主人公を殺すし、自殺はするし。嫌われてすらいる残念なヒロインなんだ」
兄曰く、多くのユーザーがヒナタによって心をへし折られるらしい。
横で時々見てる分には、ヒナタはとてもよい子だと思った。
いっそ理想的すぎて、人間味がないくらいに。
常にヒャッハーとか叫んでて、ナイフ振り回してるような子だったらまだしも、そんな子だからなおさら主人公を殺しにくる理由がわからなくて不気味なのだ。
どういう心境で、ヒナタは主人公を殺しにくるんだろう。
それさえわかれば死亡を回避できるかもしれないが、私はそこまで真剣に見ていたわけじゃなかった。兄だったらわかるんだろうけど。
とりあえず、ヒナタには関わらないのが一番だ。
攻略どころか、お友達になるのも遠慮したい。
一番いいのは、そもそも知り合わないことだろう。
――でも、すでに知り合っちゃったんだよね。
後の祭りとはこのことだ。
ヒナタと主人公の出会いは、あのクリスマスに聖歌隊が歌っているシーンだ。
本編では主人公がそこでヒナタを見て天使みたいだと思う。
ヒナタが歌うときに背中に羽が見えたのは、ゲーム画面のスチルというやつだったのだと今ならわかる。
スチルというのは、キャラとの特別なイベントが起きたときに画面に表示される一枚絵のこと。
ゲーム内であの絵が見れるのは、ゲームの序盤。高校生になった主人公が入学式でヒナタを見たときに、過去を回想する場面。
主人公の淡い初恋の相手がヒナタなのだ。
けど私が見たかぎり、ゲームの中の一枚絵のヒナタは髪に星の飾りをつけてなかった。ゲーム内で、この前のような出会いはなかったんだろう。
それはつまり、今の時点でも私の行動がゲーム内容に影響を与えるということだ。
色々問題はあるけど、今から行動すればなんとかなるんじゃないか。
誰かと恋愛をして扉を開ければ、元の世界に戻れる確率が高い。
男ということになってるけど、私女だし、そのあたりはどうなるのかちょっと自信はないけれど、とりあえず帰れなくても死亡ルートだけは避けよう。
とりあえずの方針は、三つ。
一つ、この世界に関する情報を集める事。
二つ、高校生になる前に殺されても困るので、ヒナタを避けること。
三つ、目立たず、騒がず、平穏に暮らす事。
後はなんとか根性で頑張っていくしかない。
そう決めて、私は気合を入れることにした。
2015/01/19 アユムの体が女だという記述をわかりやすく修正しました。