【19】ウサギと学校の怪談
オレンジと紺の混じった空の色は綺麗だけど、どこか不安を駆り立てる。
夕暮れ時の学校は、不気味だ。
部活をする生徒たちも帰ってしまって、校舎内には人がいない。
昼と夜の境目のこの時間は、何か出そうな気がして心がそわそわとする。
まぁそんな風に感じてしまう原因は、今日聞いた怪談のせいだと思うのだけど。
4年生になって一学期を過ごし、最後の授業が終わった放課後。
私は教室に宿題を忘れたのを思い出して、取りにきていた。
あんな話聞かなければよかったなぁと思う。
夏といえば怪談だと言い出したのは、同じクラスの吉岡くんだ。
彼とは2年生の時から同じクラスで、わりと仲がいい。
私は幽霊話とか怪談が嫌いじゃないし、気になるほうだ。
でも怖い。怖いけど、気になる。
怖い話って、そういうものだと思う。
好奇心に負けた私は、この学校にあるという七不思議を聞いてしまった。
あんなの子供騙しだ。本気で信じてるわけじゃない。
本日吉岡くんが主催する肝試しの参加は断ったけど、別にそれはビビったとかそういうわけじゃない。
決して。
まぁ七不思議なんて、どこの学校でもそう変わりない。
誰もいないはずの音楽室でピアノの音が聞こえるとか、夜に大鏡を見ると奥に閉じ込められた人が見えるとか、大体はそんな感じだ。
ただこの学園には、特有の話があった。
白い髪に赤い目の少年、ウサギの話。
星降祭の劇に出てきた『ツキ』と一緒に扉の向こうからやってきたウサギは、『ツキ』が扉を閉ざしたせいで戻れなくなってしまい、こちらの世界をずっと彷徨っているのだとか。
ウサギは寂しがりやで、今でも夕暮れ時になると扉のあるこの学園を徘徊しているらしい。
気に入られると扉の向こうへ連れていかれて、二度と帰れなくなってしまうという。
扉の向こうに戻れなくなったから彷徨っているのに、捕まると扉の向こうに連れていかれるとか、そもそも二度と帰れないなら誰がこの話を流したのかとか。
矛盾するところはたくさんある。
けど、ただの噂話にしては、目撃談がかなりあるのが嫌なところだった。
「家庭科室でウサギが包丁を持っているところを見たわ。目を合わせなかったから平気だったけど」
「理科室でウサギが怪しげな実験してた。すぐに逃げたよ」
などなど。
去年から時々ウサギの噂は耳にしていたのだけど、今年の夏は目撃談が多い。
すでにクラスでも五人に一人くらいはその存在を目撃しているらしい。
ウサギの噂は昔からのものらしく、学園の卒業生である学年担任の先生や、うちの両親もその存在を知っていた。
駄目だ。思い出したら負けだ!
勝負事ではないけど、こういうのは一度考えるとずっと考えてしまう。
さっと宿題を回収し、足早に教室を後にする。
「うわっ」
「きゃっ!」
下を向いて歩いていたので、玄関前で人にぶつかってしまう。
ぶつかった相手は音楽の先生のようで、床に散らばった楽譜と指揮棒を拾ってすぐに渡した。
「大丈夫ですか? すいません、ちゃんと前を見てなくて」
「えぇ、こちらこそごめんなさい。急いでいたものだから」
立ち上がろうとして、先生は顔を歪めた。
足をひねってしまったらしい。
「ご、ごめんなさい。すぐに保健室に・・・・・・って閉まってるしどうしよう!」
「平気。でももしできるなら、この楽譜を音楽室に届けてもらえるかしら。声楽部の子が待っているはずなの」
「わかりました!」
楽譜を受け取って、三階にある音楽室へと私は向かった。
うちに声楽部なんてあったっけか。
合唱部ならなんども賞を取っているみたいだけど、いまいちわからない。
クラブ活動は4年生からあったけれど、私はあまり興味を持っていなかった。
音楽室の前までくると、ドアに手をかけてほんの少しだけ開ける。
軽快なピアノの音が聞こえてきた。
――誰もいないはずの音楽室で、ピアノの音が。
吉岡くんの言葉が頭によぎったけれど、それを振り切る。
先生は声楽部の子が待っていると言っていた。
つまり、無人じゃない。
気持ちを落ち着けるために、深呼吸しているうちに、このピアノのメロディに馴染みがあることに気づく。
これ、ドラリアクエストの曲だ!
ドラリアクエストとは、前世で私が大好きだったRPGゲームだ。
冒険に駆り立てる序章のような音楽に、怖さを忘れてテンションが上がった。
このギャルゲーの世界にも、ドラリアクエストがあると知ったとき、私は大いに喜んだ。
前世にあってこっちにないものも結構多い。
このギャルゲーを作った会社とドラリアを作ったゲーム会社は同じとか、そういう理由があるのかもしれない。
まぁそんなことは置いといて。
私は、この音楽を奏でている人物が気になった。
なかなかゲームをやっている人がいないこの学園で、この曲を聞くなんて思いもしていなかった。
思い切って、ドアを開ける。
白いカーテンがはためいて、窓の外には黄昏の空。
それをバックに、少年が鍵盤を叩いていた。
歳は高校生くらいだろうか。
学園内なのに制服は着ていない。
上下とも真っ白な服に、月の光を紡いだような白銀の髪と白い肌。
話に聞いた、ウサギという少年と特徴がよく似ていた。
顔立ちは整いすぎていて、現実感がない。
お化けというより、儚げな王子様のようだと思う。
目を閉じて演奏をしていた彼が、曲を終えて目を開く。
真っ赤な色をした瞳と目が合った。
頭の鉄片からつま先に向けて電流が走ったような気がした。
トクトクと心臓の音が鳴って。
胸騒ぎというのとは、ちょっと違う。
この感覚を言葉にするのは難しい。
この子と私は一緒だとか、私を理解してくれる気がするとか。
そんな理由もない直感のようなものが、私の体を駆け巡った。
「こんな時間に人がくるとは思わなかった」
気だるげに言って、彼は私の目の前までやってきた。
目線を合わせるようにかがんだ彼の瞳の色を見て、綺麗だと思う。
――まるで宝石みたい。
そんな事を考えていると、ふっと彼は笑った。
「怖がらないんだな。この赤い瞳のことを綺麗という奴は珍しい」
もしかして、無意識のうちに口に出していたのだろうか。
慌てて口を押さえる。
「ははっ、そんな事しても意味ないよ」
じっと目を見つめられる。
ほのかに光を帯びているような気がするくらいに、色鮮やかな瞳だった。
まるで、こちらの心の中まで見透かされてるような気がする。
そんな視線なのに、嫌な気はしない。
「あ、あの。先ほど弾いてた曲って、ドラリアクエストの曲ですよね?」
「なんだ知っているのか?」
彼は驚いたようだった。
「はい、ボクあれが大好きで。セブンまでクリアしました! 世界観と、ストーリがいいですよね。特にファイブがボクは好きです」
「幼いのによくわかっているじゃないか。シリーズの中でも、ファイブは名作だよな。ちなみにビビとソフィどっち派だ?」
「やっぱり、幼馴染のビビだとおもいます!」
「そうだろうな。あの子以外の子を花嫁にするなんて、考えられない」
彼とぐっと握手を交わす。
学園内で趣味のゲームの話ができる人は初めてだ。
そもそもゲームをしている子が少ないし、同じ歳の子たちにはこのストーリーを理解するには早すぎるらしく、同士もいない。
久々の楽しいオタクトークに花をさかせ、私は大分彼と打ち解けていた。
コアな話ができる彼がお化けなんて、もう全く頭にもなかった。
ふと気がつけば外は大分暗くなっていた。
「そういえば、まだ名前を言ってませんでした。ボクは今野アユムです」
校門前まで送ってもらいながら自己紹介する。
盛り上がりすぎて、すっかり名乗るのを忘れていた。
「アユムか。いい名前だ」
彼はしゃがんで目線を合わせてくる。
『ぼくの名前はマシロだ。けど忘れていい。今日ぼくにあったことも、名残惜しいが忘れるんだ』
悲しそうにマシロの告げる声は、まるで頭の中に響くようだ。
「折角ゲームの話ができるのに、どうして忘れなくちゃいけないんですか?」
『ぼくがお化けだからだ。それに忘れたくなくても、忘れるよ』
赤い瞳が真っ直ぐこちらを見据える。
声が柔らかくすっと耳に入り込んでくる。
心地よく心を委ねたくなるような声だった。
なぜそんなことを言うのだろう。
その見た目から、マシロがウサギの正体なんだろうけど、お化けではない。
触れもするし、なによりこんな話題をお化けと共有できるとは思えなかった。
マシロは寂しそうな顔をして立ち上がると、ポンポンと私の頭を叩いて去っていく。
「マシロ先輩、今度は一緒にゲームしましょうね!」
後姿に向けて大きな声で叫ぶと、驚いたようにマシロはぴたりと足を止めて、早足で戻ってきた。
「なんで忘れてないんだ?」
「さっき聞いたばかりなのに、忘れるわけないじゃないですか」
鳥じゃあるまいし、私の記憶力はそこまで悪くない。
けど、マシロはおかしいというように私の顔を覗き込んでいた。
一体何なんだろう。
戸惑う私の頬に手を添えると、マシロは視線を固定してきた。
「えっと・・・・・・?」
「いい子だから、ぼくの目を見るんだ」
言われて私は従った。
マシロの手はちょっぴり冷たい。
何で見つめ合う必要があるんだろう。
しかもこんな至近距離で。
マシロはかなりの美形で、おもわずドキドキしてしまう。
その瞳は、夕焼けのせいか校内で見たときよりも真っ赤に染まっているように見えた。
まるで不思議な力を帯びているように、目が離せない。
『体の力を抜いてぼくに身を預けて、よーく聞くんだ。君は忘れ物を取りに来て、ここでは誰にも会ってない。いいね』
言い聞かせるような声。
言うとおりにしたほうがいいんだろうかと、とりあえず体の力を抜いたら、抱きとめられて目の部分をそっと覆われた。
「ほら、もういいぞ」
ゆっくりと目を開ける。
「じゃあな。真っ直ぐ家に帰るんだぞ」
そう言って、マシロは去っていった。
マシロが離れた気配を感じてからようやく私は動き出す。
なんだったんだろう今の。
まるで、催眠術でもかけようとしてるみたいだった。
お化けと言われるだけに、そんな特技がマシロにはあるのだろうか。
どちらにしろ、私には効かなかったみたいだけど。
「あっ、そういえば楽譜渡すの忘れてた!」
今更になって、当初の目的を思い出す。
マシロを追いかけて校内に入ると、彼は一階の階段下の用具室の扉を開けていた。
開けた先は、用具室ではなく通路があった。
――すごい、隠し通路だ!
前世ではお目にかかったことはないけれど、このギャルゲーの世界ではありなんだろう。
なんだかわくわくする。こういうのは大好きだった。
隠れ家、秘密基地。隠しダンジョン。
そういうのって憧れるというか、RPGゲーム好きの血が騒ぐ。
中に入り、扉を閉めようと振り返ったマシロと目が合う。
手に持っていたカードキーを落として、マシロは唖然とした顔になった。
「なんで着いてきてるんだ!」
「すいません。楽譜渡すの忘れてて。ここってアレですよね、隠し通路ってやつですよね。どこに繋がってるんですか?」
マシロは呆然として答えてくれなかった。
そんなにこの通路をばれたのがショックなのだろうか。
「大丈夫ですよマシロ先輩。ボク誰にもこの通路のこと言いませんから!」
しっかりと請け負ったのに、マシロはそれどころじゃなさそうだった。
「君はぼくの事を覚えているのか?」
「忘れるわけないですよ。マシロ先輩、見た目のインパクト強いし、さっき会ったばかりじゃないですか」
この会話本日二度目だ。
なんでこんなに同じ事を聞いてくるのか、私にはよくわからなくて、ちょっと呆れ気味になってしまう。
「ぼくの力が効かない・・・・・・? いやでも、まさか」
しかも、マシロは一人でぶつぶつと呟いて、こっちの話を聞いていないようだ。
「おーい、誰かいるのか?」
私も隠し通路に入ってみたいなと考えていると、階段の上の方から、男の声がした。
「そこで何をしている!」
私達の姿を見つけた警備員がこっちに向かって歩いてきた。
「見つかったか。ちょうどいい、試そう」
独り言のようにそういうと、すっとマシロは警備員へと近づいた。
「な、なんだお前は」
『君はここで何も見ていない。ここには何も異常がなかったので、次の場所へ行くんだ』
マシロが視線を合わせて呟くと、警備員は突然表情を変えた。
さっきまで眉を吊り上げていたのに、何もなかったかのように私達の側を通りすぎて行く。
「何、いまの?」
「あの警備員に暗示をかけたんだ。どうやら、ぼくの力がなくなったってわけじゃないようだ。とりあえず一緒にきてもらおうか」
マシロに手を引かれて、隠し通路へと足を踏み入れる。
背後でパタンとドアが閉まる音がした。




