【1】目覚めたら七歳でした
なんでこんなことになったんだろう。
何故か、ギャルゲーの主人公(男)になっていた。
私の覚えが正しければ、これは兄がやってた『その扉の向こう側』というギャルゲーの世界だ。
この世界で、私の記憶が始まったのは七歳の秋。
目が覚めたら病院にいた。
私は大きな事故にあって、奇跡的に助かったらしい。
二ヶ月くらいずっと寝ていたのだという。
初っ端から、この状況に違和感があった。
小さな手、小さな体。
自分のものではない気がした。
ここは今まで自分がいた場所じゃないのではないか。そんなことを漠然と思った。
大きな事故にあったせいで、記憶が喪失してしまったから混乱しているのだと、両親と名乗る男女は言ったけれど、納得はあまりできなかった。
それから私の『今野アユム』としての生活が始まった。
優しい両親、何不自由ない家庭環境。
勉強は最初から無駄にできたし、七歳にして高校生レベルの問題もとけた。
世間の常識的なものも教えられなくても知っている。
なんて生きやすい世界なんだろう。
子供の世界での私はできる子だった。
周りの子たちよりも持っている情報が多い分、やっていいことと悪い事がわかる。
大人のような視点で、子供として過ごしている感覚。
その時点で聡い私は、自分には前世があったんだなと感づいていた。
もっとも、前世があったんだろうな程度で、具体的なことは何一つ思い出せなかったのだけれど。
思い悩むことはたくさんあったのだけど、考えたところでわからない。
ならいくら考えても時間の無駄だと割り切って、今の状況を楽しむことに私は決めた。
第二の人生、どうせならうまく過ごしたい。
私は、可愛げがあったほうが子供としては無難だよねってことを、ちゃんとわきまえていた。
絶賛子供らしく振舞い、可愛げのある態度を取る、可愛げのない子供。それが今の私だった。
クリスマスの日。両親が私を教会に連れて行ってくれた。
サンタさんに会えるというイベントで、私を喜ばせようと両親が連れてきてくれたのだ。
これから各自が持ってきた飾りでツリーを飾り付けて、この後は聖歌隊の合唱とクリスマスのお話を聞く。
そしてそれからメインイベントのサンタさんだ。
早くサンタさんから、プレゼント貰いたいなぁ。
サンタさんに会いたいなぁとならないところが私だ。
あれが赤服に髭をつけたただのおじさんだと、私はちゃんと知っていた。
喜ばせてくれようとしている両親の手前、口には出さないけれど。
私が信じているのは、サンタよりも、両親だ。
自転車が欲しいとずっと前から思っていた。
この小さな体は移動できる速度がとても遅くて困っていたのだ。アピールも十分にしていた。
飾りつけの途中でお手洗いに行きたくなって、私はトイレに向かった。
そこから会場に戻る時、うずくまっている女の子を見つけた。
廊下の端っこにある、植木の後ろに隠れるようにしてしゃがんでいる。
白い聖歌隊の服。この後イベントで歌う子なんだろう。
大丈夫かなと思って、そっと近づくとぶつぶつ何か言っていた。
「無理無理無理。誰かと喋ることすらできないのに、人前で歌うなんて無理。しかも中心とか目立つし、ソロとか何考えてるの。失敗したらどうすんの。歌詞忘れてシーンってなったら? どうしようめっちゃ逃げたい。今すぐに逃げたい。よし逃げよう!」
急に立ち上がったその子の後頭部が、私の顔面を直撃した。
「っ!」
鼻を押さえてよろめく。
女の子も頭を押さえてこっちを振り返った。
私は鼻の痛みも忘れて、女の子に釘付けになった。
端正な顔立ち。
桃色がかった髪をリボンで結んでいて、長い前髪の隙間からはくりくりとした瞳が覗いている。
天使のようなという形容詞が似合う、女の子だった。
目があった瞬間に、全身に電気が走ったような衝撃があった。
どこかでこの子を見たことがある。しかも、今のような姿じゃなくて、もう少し大人の彼女を。
それは確信だった。
私と同じように、女の子も私を見て固まっていた。
変なところを見られてしまったと思ったのかもしれない。
けれど私はそれどころではなかった。
目の前の女の子と、自分の中にあった画像が重なって。
それをきっかけに、頭の中に流れ込んできたのは、『前野歩』という十七歳の少女の人生だった。
知らない他人の記憶を見たとかそんな感じじゃなくて、自分で実際に体験した感情を伴う鮮明な記憶が、私の中で弾けた。
まさか、そんなはずはない。
そう思いながら、私は目の前の女の子の名前を口にした。
「――桜庭ヒナタ?」
それは『前野歩』だった頃の私の兄がプレイしていた、ギャルゲーにでてくるヒロインの名前だった。
目の前の女の子が、目をまん丸に見開く。
間違いない。
これは兄がやってたギャルゲーの世界だ。
唐突に私は気づいてしまった。
「どうしてここにいるの?」
「えっ、それはトイレに行こうかなって思ったら、君がいたから気になって」
ヒナタに尋ねられて、呆然としていた私は我に返る。
どういう状況なんだと混乱する気持ちは、とりあえず脇においておいた。
「……どうして、名前知ってたの?」
ヒナタがモミの木の後ろに隠れ、怯えた様子で尋ねてくる。
「プログラムに名前書いてあったよ。真ん中ってことは、聖歌隊のリーダーなんだよね?」
独り言を聞いていたと自白してるようなものだけど、怪しまれるよりマシだった。
この説明で、ヒナタは多少警戒を解いてくれたようだった。
「ひ、人前で歌ったことないから、きき、緊張して」
どもりまくりながら、こんなところにいた経緯を説明してくれるのだけど、ヒナタは一切こちらと視線を合わそうとしない。
葉の隙間から、時々こっちを窺って視線が動くのがわかる程度だ。人と喋るのも苦手みたいだった。
ゲームの中で出会う桜庭ヒナタは高校生で、明るく社交的だったはずなのに、まるで別人みたいだ。
子供の頃だからこんなに性格が違うのだろうか。
そんなことを考えていると、チャイムの音が鳴って、ヒナタがびくっと体を震わせた。
そろそろイベントが始まる時間だ。
ヒナタは立ち上がり、モミの木の周りでウロウロしだす。
いかなきゃいけないけれど、踏ん切りがつかないのだろう。
可哀想なほどに取り乱していた。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
安っぽい慰めの言葉に、ヒナタは首を横に振る。
「……無理。恥ずかしすぎる」
よほど切羽詰っているらしい。
さっきまで目を合わせることもしなかったのに、助けを求めるようにこちらを見つめてくる。
「観客をじゃがいもだと思えばいいんじゃないかな」
「そんなことしたら、今度はじゃがいも恐怖症になる」
「人に見られてるんじゃなくて、見せてやってるんだっていう気合で挑むとか」
「自分から進んで見せるなんて、露出趣味があるみたいでやだ」
思っていたより面倒くさい感じの子だった。
というか、小学生なのに露出趣味とか難しい言葉を知っている。
「せめて顔が隠せたらいいのに。そうだ、どこかに紙袋……」
「被るのはやめた方がいいとおもうけど」
紙袋を被った聖歌隊。イロモノすぎる。
しかし、ヒナタは真剣な顔だった。
「ならどうしたらいい?」
「えっと……」
代わりの案を出してくれるんだよねという目で見られる。
ちょっと考えて、私はポケットからまだ飾っていなかったツリー用の飾りを取り出した。
「隠すんじゃなくて、注目を別の場所に持って行けばいいんじゃないかな」
星の形をした大き目の飾りを髪に結わえてやる。
思っていた以上に似合って可愛らしいし、クリスマスっぽかった。
「これなら顔よりもその飾りが気になるでしょ。誰かがヒナタちゃんを見てるように感じても、それはヒナタちゃんじゃなくてその飾りを見てるんだ。だから恥ずかしくない」
さすがに無茶かなぁと自分でも思いながら言ってみる。
大きな星の飾りなんて、逆に目立つようなものだ。
「みんなが見てるのは星。視線は自分に向けられてない。だから平気。恥ずかしくない」
暗示のように繰り返して、ヒナタは頭の飾りを触っていた。
そうやって飾りを撫でているうちに、落ち着いてきたみたいだった。
「……いける気がしてきた」
自分でも意外だというように、ヒナタは呟く。
「これ、ありがとう。がんばる」
こちらを上目遣いで見て、ヒナタは顔を真っ赤にしながらそう言った。
この言葉をいうだけでも勇気を振り絞ったという様子だ。
「大丈夫、皆が見てるのは星で私じゃない」
もう一度繰り返したヒナタの顔は、少し落ち着いてみえた。
効果はちゃんとあったようで、ヒナタはパタパタと走って行った。
会場に戻ると、すぐに聖歌隊の歌が始まった。
ヒナタは壇上の中心で歌っていた。
透き通るような声は、他の子たちの声の中でも分かる。
皆がうっとりとしているのが、私にもわかった。
ゆっくりと目を閉じて、心の声を歌い上げるようなソロパート。
ヒナタの背中から天使の羽が見えたような気がした。
こんな映像を、私は以前にも見たことがあった。
しかもこんな風に動くわけではなく、画面の向こうで一枚絵になっているような、そんなイメージ。
点滅するように、それは脳裏に過ぎった。
その瞬間が切り取られた映像が、私の中で今の状況と完璧に重なる。
『前野歩』だったときに、テレビの向こう側に映っていた、一枚の絵。
それが今現実に私の目の前にあって。
くらくらと眩暈がして、私はそのまま熱をだして三日ほど寝込むことになった。