【64】くるくる回る、そのわけは
扉の中はどこまでも真っ白な空間が広がっていた。
振り返ればそこにまだ扉はあって、向こう側には学園の校舎が見える。
「……ツキ、いるんでしょ?」
マシロが少し落ち着いたのを見計らい、誰もいない虚空に呟く。
姿はなかったけれど、誰かの気配を感じていた。
「うん、ここにいるよ」
ふんわりとしたキャンディボイス。
目の前に現れたのは、白いワンピースの少女だった。
顔立ちはマシロにそっくりで、紅い瞳に白い髪。
マシロが女装した姿であるマユキとよく似ていて、私を見つめて微笑んでいた。
紅い瞳は宝石のようで、真っ白な髪は腰まである。
瞬きしている間に消えそうなほど、幻想的で儚い雰囲気。
けれど、そこにいるだけで注意が引き付けられる。
――もっとこう、禍々しいものを想像していたんだけど。
悲惨な運命を宗介に与えて、世界を繰り返す元凶。
私に執着しているという、はた迷惑な存在。
つまりは私の敵だ。
なのにどうしてだろう。
向けられている目は優しくて……危険は感じない。
まるで長年の友を見るかのような、親しげな……懐かしむような色がツキの瞳の中にあって戸惑う。
……油断を誘おうとしている?
警戒しなきゃ、気を引き締めなきゃと、ポケットの中のナイフに触れた。
このナイフは兄――ヒナタが持っていたナイフだ。
創造主の力を持った者を殺せる、特殊なナイフ。
「僕はこれを歩に使うつもりはないから」
そう言われて、兄から預かっていた。
クロエとの交渉の段階で必要になれば使おうと、今日は持っていたのだけれど。
創造主のツキにも……このナイフは効くのかな。
ツキを殺してしまったら、この世界はどうなるんだろう。
宗介は、死ななくてすむ?
「……」
目の前のツキは、微笑みながら私を見ている。
出方を待っているかのように、黙ってそこに佇んでいた。
ポケットから手を出し、攻撃的で悪い考えを溜息とともに吐き出す。
――この世界の繰り返しをやめて、宗介を生かして。
私の願いをツキにぶつけることは簡単だ。
でも、それをツキがたやすく叶えるとは思えない。
「元の世界に戻して」なら、ツキに請求する資格があると思う。
けど、宗介に関する願いは別だ。
ここはツキが創り出した世界。
繰り返すのも自由なら、そこで生きてる人間をどうしようと……ツキの自由だ。
どんなに理不尽でも、創り出したツキにはその権利がある。
それに、私が元いた世界でだって、人は死ぬ。
あっさりと、こっちがどんなに祈ったって、死ぬときには死んでしまう。
元の世界の親友、乃絵ちゃんがそうだったように。
どうして宗介に辛い運命を与えるのかと、ツキを恨みたい気持ちでいた。
でも、宗介が死んでしまうことは、この世界では最初から決まっていたことで。
そっちのほうが――本来自然な形だと、私だって気づいていた。
認めたくはないけれど。
本来の運命を捻じ曲げようとしているのは私のほうで、正しくないのは私の方なのだ。
世の中では、毎日人が死んでいく。
この世界でも、元の世界でも同じことだ。
宗介だけ特別にどうにかしてほしい……なんて、本来願ってはいけないことなんだろう。
あらかじめ定められている、どうにもならないこと。
ただの人間には何も打つ手がなく、受け入れるしかない運命。
でも私はこの世界の裏側を知っていた。
宗介を生かすことのできる可能性は、ゼロじゃない。
その可能性を知ってしまったから、こうやってあがいている。
例え自分勝手なわがままで、世界を歪めて後ろ指を指されたって。
宗介が生きられるならなんだってする。
この繰り返しの中で、宗介が私のために――千回近くその身を犠牲にしてきたように。
私だって宗介を生かすために、できることをするだけだ。
ツキは私に何かを求めている。
対価も何もなくこっちだけ願いを要求すれば、きっと通らない。
創造主であるツキは、全ての頂点。
でも、私はこの世界の者じゃない。
だからこそ、ツキと対等な位置に立てるはずだ。
「ははっ、アユムはやっぱりおもしろいなぁ。記憶がなくても、ボクと対等でいてくれるんだ?」
ははっとツキは笑う。目を細めて。
ただの人間がボクと対等なんて身の程知らずだねと、そう言いたいのかと思ったけれど、ツキは幸せそうな顔をしていた。
まるで対等であることを、喜んでいるかのように。
「……声に出してないのに私の考えてることわかるんだ?」
「うん。前にも言ったと思うんだけど……覚えてないんだっけ。マシロの本体だから、その能力を持っててもおかしくないでしょ?」
まるで、マシロも心を読む能力があるみたいな言い方だと思う。
「あれ? 今のアユムはマシロが心の声を聞けること知らなかったんだ? 何度も繰り返してると、そこのところ忘れちゃうんだよね」
ツキがマシロに対して、軽い調子で謝る。
「……マシロ、ボクの心の声が読めるの?」
「強い感情なら……だけどな」
本当かどうか確認すれば、隣にいたマシロが気まずそうに答えた。
どうやらツキが言うことは真実らしい。
「初めてアユムがボクを……マシロを見たときに、綺麗だって心の中で強く思ってくれたでしょ? あのときのこと、今でも覚えてるよ。何の強制力も働いてないのに、そうやって思ってくれたことが嬉しかったんだ」
ツキが顔をほころばせる。
こんな人間のような顔もできるんだと、そのことに驚いた。
まるで大切な思い出を口にするように優しい声色だった。
私の中で、ツキは残酷で無慈悲で。
にこにこ笑いながらも、人らしい感情に欠けてるイメージだったのだけれど。
「……」
もやもやしたものを感じながら、横のマシロをうかがえば目を見開いていた。
ありえないものを見たというように、その視線はツキに注がれている。
「どうしたのマシロ?」
「……ぼくが知ってるツキは、こんなふうに笑えないはずなんだ。そういう人らしい感情は全部、ぼくの中に詰めて捨てていったはずなのに……どうして」
「本当、これは驚いたっすねぇ……」
尋ねればマシロが動揺した様子で答え、さらにそれにクロエの声が続く。
いつの間にかマシロとは反対側の私の隣に、クロエが立っていた。
開いた扉から入ってきたらしい。
兄も一緒に来たみたいで、クロエと私の間に無理やり入ってきた。
「今日はお客さんがいっぱいだ。とはいっても、そのうちの二人はボク自身だけど、おもてなししなくちゃね!」
ふふっとツキが笑って、指をはじく。
周りの景色が一瞬で変わり、綺麗な花畑が広がった。
白いテーブルと人数分の椅子、そして美味しそうなケーキと湯気を立てる紅茶が姿を現す。
緑の香りを含む風が心地いい。
席につこうとすれば、私が座りやすいように勝手に椅子が動く。
どういう仕組みになってるんだろうと一瞬思ったけれど、考えるだけ無駄な気がしてすぐにやめた。
「……この世界がいるかいらないか決めるために、ツキはボクを元の世界から呼び出したんだよね」
「そうだよ。最初の目的はね」
少し考えてから質問すれば、ツキが頷く。
「答えは出たの?」
「うん。最初のアユムはボクを……マシロを選んでくれたからね。この世界に価値があるって思えるだけで十分だったのに、アユムはボクを一部でも愛してくれた」
ツキは花がほころぶような可憐な笑みを見せて、ゆっくりと紅茶を飲んだ。
「だからボクはこの世界をまた愛せたんだ。アユムがこの世界ごと、ボクを愛してくれたから。愛するアユムがいるこの世界を壊すなんて、ボクがするわけないでしょ?」
コトンと音を立ててカップを置いて、愛をささやくように、とろけるような声でツキは言う。
聞く必要もないくらい、当然なことだというように。
聞いてるこちらがむず痒くなるくらい、飾り気のない純粋な好意。
甘ったるいキャンディボイスで、マシロとそっくりな女の子の姿のツキから言われると……何だか妙な気持ちになる。
「あれ、女の子姿じゃ不満? だったら、男の子になろうか」
「姿も自由自在なの?」
「そうだよ。クロエの使える力も、本体であるボクが持っていて当然でしょ?」
変身した方がいいかと再度問われて、別にそのままでいいよと答える。
マシロと全く同じ姿をされてしまうとややこしいし、複雑な気分になりそうだった。
「最初のアユムは扉に辿りついて、マシロを人間にしてほしいって願ったんだ。あんなに幸せな日々は初めてだった」
一週目の私と、ツキは相当仲よくなったらしい。
初めはかなり嫌われていたらしいけれど、そのうち友達と言える関係になったのだとツキはちょっぴり自慢げだった。
「でもね、アユムは死んじゃったんだ」
ふいに、ツキが悲しみの滲む声でつぶやく。
その暗い表情に、こっちまで感情が伝染してくるような気持ちになった。
「何故、ボクは死んだの」
「寿命だよ。人間になったマシロよりも少し早く、アユムは亡くなった。そしたらね、悲しくなったんだ……物凄く、今までの非じゃないくらい、寂しくなった」
ゆっくりと、ツキは言葉を紡ぐ。
「何度もアユムのところに行って、特別にマシロも一緒に永遠の命を授けてあげるって言ったんだよ。でもアユムは首を縦に振らなかった」
人生の最後まで、マシロと一緒に人間として生きることが私の願い。
一度叶えると約束したことを、創造主であるツキが破るの?
そんなことしたら嫌いになるよ。
もう、絶交だからね。
一週目の私は――ツキにそんなことを言ったらしい。
「絶交って、友達同士がするものでしょ? そうやって言ってくれるのが嬉しくて、絶交されるのが怖くて……アユムが生きてるうちに、それが実行できなかった。おかしいよね。創造主であるボクに、怖いものなんてなかったはずなのに」
ツキは力なく笑う。
全知全能ともいえる創造主であるツキが、ただの人間である私との絶交を怖がるなんて妙な話だ。
私だけじゃなく、クロエやマシロ、それと兄もツキのこの告白に驚いた顔をしていた。
「無理やりにでも、不老不死にしちゃえばよかった。でもアユムとの約束を破るなんてできなくて。生き返らせるのもなしだよって言われてたから……なら、時間を戻せばいいやって思ったんだ」
――まるで子供の屁理屈だ。
そう思った私に、ツキが泣き笑いのような顔を向けてきた。
「ボクもそう思う。でもアユムは最後のときに、またねって言ったんだよ。いつものように、またねって。それってまた会おうっていう約束でしょ。なのに、もう会えないなんて辛くて。怒られたって、絶交されたって、例えボクの力が削られたって……また会いたかったんだ」
私の思考を読んで、ツキがくしゃりと顔を歪ませる。
その瞳から、ぽたぽたと涙が落ちた。
「いやいやいや、ツキはそういうキャラじゃないはずっしょ!? もっとこうおれに近くて、空虚で。感情は全部マシロに詰めて捨てたんじゃなかったっすか!?」
ツキの涙に、クロエが取り乱す。
ここまで動揺してるクロエを初めて見た。
それだけ彼の知っている本来のツキと、目の前にいるツキはかけ離れているんだろう。
「ボクもそう思ってたよ。でも、アユムはボクをただのツキとして扱ってくれたから……こうやってまた、ボクの中にいらないって捨てたはずの気持ちが芽生えちゃったんだ」
ゆっくりと言葉にして、ツキは胸が痛むかのようにそこを押さえる。
「いらないなら、捨てればいいだけの話っしょ? そうやってずっと存在を保って、強くあり続けてきたのに……どうしてそんなに弱くなったっすか!」
本体である自分が、そんなふうに弱くなってしまったことが許せない。
理解できないという様子で、クロエがツキを責めたてる。
「マシロをボクから切り離したときのように、苦しいからこの気持ちごと捨てようと思ったんだ。でも、できなかった。それをしちゃったら、アユムを思い返すことさえできなくなる。ボクがアユムと友達になれたことも――全部消える。なかったことになってしまう」
それだけは嫌だったんだと、ツキは口にする。
まるで傷をさらけ出すように、苦しげに。
私にはツキと仲よくなった記憶はないけれど、ツキが私を特別に想ってくれていることはわかった。
でもそこにあるのは子供のように純粋な好意で、カフェでクロエが話していたような感情とは少し違うような気がした。
私は、またクロエに担がれたのかな。
そこまで思って、考え直す。
マシロもクロエと同じ考えだったから、扉を開けてここまできていた。
そうなるとあの推測は、ツキがクロエやマシロの知っているツキだったら、間違いなくそうだったということなんだろう。
「ねぇ、ツキ。ツキは――ボクがほしいんだよね。ボクがツキと一緒に永遠を生きるよ。その代わり、宗介を生かしてもらえないかな」
今のツキなら、交渉ができるかもしれない。
創造主であるツキに対して、私が切れるカードは自分の存在しかなかった。
「おい、アユム!」
「何言ってるの歩!」
マシロと兄が止めてきたけれど、それを無視して続ける。
「運命を捻じ曲げるのはよくないっていうのはわかってる。それでもボクは宗介に生きてほしいんだ。ちゃんと寿命まで、幸せに宗介を生かしてほしい。それが叶うなら、ボクが代わりに死んでもいいから。これで繰り返しを最後にしてほしい」
懇願して、頭も下げる。
しばらくしてゆっくりと顔を上げれば、ツキは少し困ったように笑っていた。
「アユムらしいね。でも……ごめん。今のぼくにそれはできないんだ」
ツキは首を横に振る。
「どうしてダメなの? ボクが宗介のために動くのが気に入らない? それなら、宗介のことを忘れるよう暗示をかけて、ツキを好きになるようにすればいい」
「ははっ、アユムはさらっと酷いことをいうよね。操られた気持ちなんて……ボクはいらないよ」
必死になって言えば、ツキが傷ついたような顔になる。
今のはツキの気持ちを考えない発言だった。
気づいて、すぐに後悔する。
「ごめん……」
「いいよ。必死なのちゃんとわかってるから。アユムだから許してあげる」
素直に謝れば、茶目っ気のある表情で特別だからねと言って笑う。
気にするなというように。
何だか、調子が狂う。
ツキはもっとこう尊大で、何にも侵されない存在感があって。
子供のような残酷さをもって、こちらを玩具としか思ってない、私たちとは別だと強く感じる存在のはずだと、そんなことを思う。
最初から付きまとう、この固定観念と違和感。
今までの繰り返しで、私が見てきたツキの印象が、心のどこかにひっかかっているのかもしれないと思えた。
「アユムの願いを叶えてないんじゃなくて、叶えることができないんだ。宗介の死は、ボクの手から離れた。それに確かに最初、この世界が繰り返すよう仕向けたのはボクだけれど……今この世界が繰り返しているのはボクのせいじゃない」
謎かけのような言いかたは、まるで話すのを躊躇しているようにも見えた。
「じゃあどうして、この世界は繰り返してるの?」
「それはね」
問いかければ、ツキは私を指さす。
アユムが願ったからだよと、そう口にして。
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★アユム 2週目 初等部6年冬
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