【62】忘れても覚えていること
二度目……元の世界で歩として過ごしてたときも含めれば、覚えている限りで三回目の人生はかなり順調に進んだ。
ただ、肝心の未来を回避する手段は見つからないままで。
私は――初等部の六年生になってしまった。
「アユム、本当に大丈夫? やっぱり俺も修学旅行休むよ」
「大丈夫だから。なんでボクが休むからって宗介が休む必要があるの。むしろ宗介は、ボクの分まで修学旅行を楽しまなきゃダメだからね?」
修学旅行の当日に、仮病を使う。
ごほごほとわざとらしくせき込みながら、玄関のドアの向こう側にいる宗介をなだめた。
この修学旅行へ行っている間に、宗介の育ての親である山吹夫妻は火事で亡くなってしまう。
どうにかして、それを阻止したかった。
「アユム、顔を見せてよ……心配なんだ」
か細い声で宗介が言う。
「風邪がうつったら怖いからダメ。お土産ちゃんと買ってきてよね」
顔を見せれば、宗介は私が仮病だと気づく。
そんな確信があったから、ドアごしに会話を続けた。
「別にいいよ。俺も修学旅行行かないから」
「わがまま言わないでよ、宗介」
「……嫌だ。アユムがいないのに修学旅行なんて行く意味がないよ。それに、俺がいない間に、アユムが死んだら……怖いんだ」
あきれて溜息をつけば、宗介がそんなことを言ってくる。
死ぬという言葉に、ドキリと胸が跳ねた。
「風邪で死ぬこともあるんだよ? アユムのおじさんもおばさんも、仕事でいないじゃないか。何かあったらどうするの……?」
「それなら大丈夫だよ。山吹のおじさんたちの家に泊まることになったから」
そう言っても、いまいち宗介は納得してくれない。
しかたなく、あまり使いたくなかった最後の手段を使う。
「わがままばかり言ってると、宗介のこと……嫌いになるよ?」
「……わかった」
宗介の好意をわかってて、利用するような言葉。
これでどうにか宗介は諦めてくれたようだった。
山吹のおばさんが私を迎えに来て、一緒に山吹の家へ行く。
風邪のふりをしながら宗介の部屋に引きこもり、とうとう前回山吹夫妻が亡くなった日を迎えた。
「ありがとね、マシロ。付き合ってくれて」
「……放っておくとアユムは無茶をしそうだからな」
お礼を言えば、マシロがしかたなくだというように溜息を吐く。
あれからマシロとはずいぶん仲良くなって、前回のマシロと同様、もしくはそれ以上の友情を築けていた。
夜中二人で起きて、家の植え込みに隠れて待機する。
前回、山吹夫妻の家が燃えた原因は放火。
結局犯人は捕まらなかったけれど、火が放たれた場所なら知っていた。そこを見張るように隠れて、マシロとじっと息をひそめる。
しばらくすれば、そこに人影が現れた。
全身黒のトレーニングウェア。闇にまぎれて現れた人物は、山吹夫妻の寝室がある壁の近くにしゃがみ、ごそごそと怪しい動きを始めた。
「おい」
マシロが声をかければ男が大げさなほど体を跳ねさせ、ゆっくりと振り返る。
『こんなところで何をしている。正直に答えろ』
頭の中に響くようなマシロの声。
男に対して、暗示をつかったんだろう。
素直に男は放火しようとしていたことを白状した。
マシロは続けて、今すぐ自首するようにと暗示をかけ、男をその場から立ち去らせた。
「……ありがとう、マシロ」
山吹夫妻が死なずにすんだ。
ほっとして、嬉しくて。
ぎゅっと背中から、マシロに抱きつく。
「礼はいらない。それより今ので運命の歪みがさらに大きくなったからな。クロエがそこに来ている」
誰もいない空間を、マシロが警戒するように睨みつけた。
ゆらりとその空間が歪み、黒い衣装を身に着けたクロエが現れる。
胸のふくらみからすると、このクロエは女性の姿をしているようだった。
「ははっ、やっぱりマシロにはわかるっすか。それにしてもどうしてここにマシロがいるんすか? 誰かの運命に介入するなんて、珍しいっすね!」
クロエは手に大きな鎌を持っていて、まさに死神といった風情。
にやにやとした小憎たらしい顔で、マシロを面白がるように眺めていた。
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「なるほど、そういうからくりだったんすね!」
全部というわけではないけれど、クロエにこれまでの事情を話せば、くっくっと楽しげに笑っていた。
どうやら興味を引くことには成功したみたいだ。
「アユムは宗介を助けたい。けど、誰も死なせたくはないと。それでおれに協力してほしいんっすね。なかなか難しい注文っす」
明るい口調でクロエは言う。
「まぁでも、いいっすよ。できるかぎりで手を貸すっす。まずはこの面白い話が流れないうちに、さくっと宗介におれの力を渡して、特異点化を遅らせる処理をしてくるっすね。そうじゃないと、修学旅行の帰りに飛行機が墜落……って事態が見えるっすから」
ふっと紅い瞳を細めて、クロエはその場から消えた。
飛行機が墜落って……。
山吹夫妻を助けたことで、とんでもないシワ寄せが来るところだったみたいだ。
苦い気持ちを振り切るように、マシロの方に顔を向ける。
「思ったより、あっさりとクロエは作戦に乗ってくれたね」
「ぼくは最初から予想していたぞ。あいつは面白いことが好きだからな。ただ、完全な味方だとは思わないほうがいい。宗介を生かしたほうがおもしろそうだと思ったからそうしただけで、善意からってわけじゃないからな」
そこは勘違いするなよとマシロが念を押す。
私のことを心配してくれているみたいだ。
「大丈夫。わかってるから」
「……それならいい」
ありがとうと気持ちを込めて笑いかければ、マシロが頭を撫でてくれた。
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「第一回、宗介くんを助けよう会議をはじめるっすよ!」
テンション高く、クロエがそんなことを言う。
まるで今からみんなでパーティの計画でも立てるかのようなノリだ。
「いやぁ、神の使いと死神、扉の番人と扉を開ける者。異様なメンバーがそろったっすね!」
呼び出されたカフェの席にはクロエの他に、私とマシロ、それと兄が座っていた。
見渡したクロエは、そんなことを言って楽しそうに笑う。
「それで何か方法があるの……?」
クロエに尋ねる兄は、警戒心丸出しだった。
まるで別の家に連れられてきた猫のように、縮こまりながらもクロエに注意を払っている。
「みんなおバカさんっすねー超簡単な方法が一つあるっすよ? アユムが誰かと扉の向こうに行って、宗介の特異点化を解除してほしいって願えばそれで終了っす」
にこにこと笑いながら、クロエは言う。
会議で話し合うこともなかったっすねーなんておどけながら。
それは私も考えたことのあることだった。
けど、マシロからは叶えてもらえる確率は低いと言われていた。
「創造主であるツキにとって、叶えることはたやすい願いっすよ。ねっ、マシロ?」
「叶えること自体は、確かにツキにとって……簡単だ」
楽しそうにクロエはマシロに向かって笑いかける。
マシロはクロエの言うことを認めながらも、何故か苦しそうに唇をかみしめていた。
「だが、アユムのその願いをツキが叶えない可能性の方が……高い」
「それはどうしてっすか?」
言葉を無理やり吐き出すようなマシロに、クロエが問いかける。
横にいるマシロの顔を覗きこんで、にやにやとしていた。
「……」
何も言わず、マシロはクロエからふいっと目を逸らす。
言いたくないと拒絶するマシロの顔は、まるで迷子になった子供のような顔をしていた。
「マシロ?」
名前を呼んで目の前のマシロを見つめれば、私の視線からも逃げるようにマシロは目をそらしてしまう。
「この世界は繰り返してるっす。おそらくは、アユムが宗介をあきらめない限り、ずっと回り続ける……マシロはそのからくりに気づいたんっすよね?」
くすくすとクロエは笑った。
愉快でしかたないというように。
「これは仮説でしかないんすけど、アユムが繰り返してきたことは、確実におれたちに影響してるっす。想いは蓄積されていて、記憶はなくてもちゃんある。出会ったばかりなのに、おれがアユムに心を惹かれているのがいい証拠っすよ。こんなこと今までなかった。マシロも、そうっすよね?」
クロエの瞳に強い色が宿る。
歪められた口元には、皮肉っぽい笑みがあった。
「――自分だけを見てほしいと願うくらいには、マシロはアユムを好いてるはずっすよ。そしてその気持ちは、確実にツキに影響している」
「……っ」
静かなクロエの言葉に、マシロがテーブルの上でぐっと拳を握りしめ、唇をかみしめる。
「ツキはおれたちと違って、繰り返しによる記憶の消去はない。だから世界が繰り返すたびに、アユムをどんどん好きになっていったんだと思うっす。けど、おそらくそれは……報われなかった。というか、ツキが満足できなくなっていった」
クロエはそういってアイスコーヒーを飲みほした。
カランと氷が音を立てる。
「積み重ねは忘れても、消えたわけじゃない。アユムの気持ちは回を重ねるごとに、おそらく宗介に向かって行った。前回のヒナタの言葉からしても、それは明らかっす。そしてそのことがツキにとっては許せなかった。自分の欲しい結果が得られるまで、なんどでも巻き戻して、世界を繰り返している」
まぁ推測っすけど、おそらく当たりだと思うッすよとクロエは呟いた。
「つまりツキは失恋を受け入れられなくて……この世界を無限ループしてるってこと?」
「いやぁ、自分の本体ながら女々しいっすよね」
兄のまとめに対して、お恥ずかしいというようにクロエは笑う。
扉の番人であるマシロ、死神であるクロエは創造主であるツキの一部。
二人の気持ちはすべて本体であるツキにはわかるのだと言う。
「アユムが宗介を想って自分から命を絶っても、おそらくは最初から繰り返すっす。自分の好きな人が、恋敵のために命を捨てたなんて面白くないっすからね」
最後の手段と思っていた方法すら、クロエに否定されてしまい、途方にくれる。
「……じゃあ、ボクはどうすれば? どうすれば宗介を完全に救えるの」
「アユムが宗介を想う限り、その方法は存在しないっす」
クロエからきっぱりと告げられた言葉に、目の前が暗くなったような心地になる。
「じゃあボクがツキのものになって、宗介を助けるようお願いするのは……」
「それって結局アユムは宗介が一番大切ってことっすよね。ツキはアユムの一番になりたいんすよ」
ばっさりと跳ね除けられる。
話にもならないという顔をクロエはしていた。
「ボクは……自分の気持ちまで変えられない」
「変えられないものだから、手に入れたいと思うんすよ。ツキは創造主で、なんでも簡単に手に入って、何でも思い通りだった。けどアユムはそうじゃない。だからこそ、なおさら……アユムに執着するんす」
八方ふさがりな気持ちになってうつむけば、私の頬にクロエが手を伸ばす。
顔をあげられて、紅い瞳と目が合う。
まっすぐ私を見ている瞳には、強い好奇心と抑えきれない熱のようなものがあった。
「アユムが宗介をあきらめて、おれたちを心から望むまで。おれたちだけを見つめるようになるまで……このゲームは終わらないっすよ」
クロエは狂気的な色を瞳に浮かべて、永遠に続くゲームのはじまりを告げるように笑った。
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★アユム 2週目 初等部六年冬
●クロエと出会う
★10/11 微修正しました。




