【60】繫いだ手
「僕も宗介を救う方法を考えてみるよ。でも、あくまでも第一目標は、僕らが生きてもとの世界へ帰ることだからね?」
そこだけは譲れないからと、兄は言う。
このギャルゲー『その扉の向こう側』をやりつくしている兄が協力してくれるのと、くれないのとでは大きく違う。
わかったと頷けば、兄はそれでいいというように頭を撫でてくれた。
「……なんか、ヒナタの見た目だから変な感じがする」
「だろうね。僕も物凄く違和感があるよ。なんで男の僕が主人公じゃなくて、よりにもよってヒナタなんだろう」
正直な感想を言えば、兄がはぁ……と深いため息を吐く。
物凄く嫌そうな顔をしていた。
「それはともかく、具体的な作戦を立てようか。宗介の死を止めるとして、そのことに関して詳しいのは死神のクロエだ。うまく取り込めたなら、何か方法があるかもしれない……あまりオススメはしないけど」
確かに、宗介の死に一番近く、それをつかさどっているのはクロエだ。
けど……素直に教えてくれるだろうか。
「クロエは面白さで動くところがある。僕たちの今の状況を面白がってくれて、見る価値があると思えば、こっちについてくれる可能性はなくはない。ただ、クロエは自分が楽しむために平気で嘘を付くし、好かれたらそれはそれでやっかいなんだよね。ドSだから」
気に入った子が、困ったり泣いたり、あがいたりしてる姿を見るのがクロエは好きなのだと兄は言う。
「クロエのルートは二種類あるんだ。マシロルートをクリアする前のノーマルルートと、マシロルート後に出るベストルート。ノーマルルートでは、クロエが実は死神だと知らずに結ばれるんだけどね。死神だと判明するベストルートを通ると、他のルートでクロエがどれだけ嘘をついたり、主人公を欺いていたのかわかるんだ」
知らないうちに鳥籠の中に閉じ込められて、逃げられないよう囲われている。
そんな雰囲気が、クロエのルートにはあるらしく、それも兄がクロエというキャラクターを苦手とする要因のようだった。
「クロエって……主人公のことを振り回すし、お気に入りの玩具としか見てない気がするっていうか、苦手なんだよね」
「それわかる。本当、クロエって性格悪いもんね」
うんうんと頷く。
恋人にするどころか、友達にだってしたくない。
クロエには散々嫌な目に合されてきた。
初等部六年生のとき、不運が続いたのはクロエが私を殺そうとしていたのが原因だし、宗介に余計なことを吹き込み、私の身代わりになって死ぬ決意をさせたのもクロエだ。
宗介に化けて見せて、私の気持ちを試したり。
高等部の修学旅行では、宗介をダシにされ連れていかれた先で……危うくエロDVDを見せられそうになったこともあった。
特異点になった宗介のせいで、みんなが死んでると気づいたときも。
クロエは私に、みんなを殺す選択肢と、宗介を殺す選択肢を与えてきた。
そこまで考えて、ふと思う。
確かにクロエには嫌な目に遭わされてきた。
でも、クロエが宗介に変身して、私の気持ちを引き出さなければ……宗介と結ばれることはなかった気がする。
クロエの介入なしに宗介への恋心に気づいたとしても、世間的に私は『男』だったし、気持ちを伝えることはなかっただろう。
それに、宗介を選べば『扉』の向こう側に行けず、元の世界へ帰れないという事情もあった。
宗介も宗介で、私のことを男だと思っていたようだし。
それに、何より宗介は私のために死のうと思っていた。
だから……宗介から告白してくるなんてことは、絶対なかったはずだ。
クロエの動機はいつだって「面白そうだから」のひと言につきる。
私や宗介は面白がられただけだ。
でも確かにクロエは……こっちが持ってない情報や選択肢を、私にくれていた。
うまくクロエに取り入れば、宗介を生かすことができるかもしれない。
そうは思うけれど、リスクも同じくらいある気がした。
「ただ大きな問題があるんだ。クロエルートに入ると……僕というか、ヒナタはクロエに殺されちゃうんだよね」
それだけは嫌だなぁと、兄が情けない顔になる。
クロエ以外の女の子を攻略してほしいと言ったのは、これが原因だったようだ。
「ヒナタの持ってるナイフを奪って、逆に刺してくるんだ。ヒナタが持ってるナイフは特殊で、『創造主』の力を持ってる奴だけを殺せるんだよね……」
主人公を殺すのも、苛めるのも自分の特権っすよ。
そう言って笑いながら、クロエはヒナタを殺すらしい。
ちなみに死神だと判明しないノーマルルートでも……クロエがヒナタを殺したとわかる会話があるようだ。
「だからクロエと接触するなら、ルートにだけは行かないようにしてね? 情報を聞き出すくらいには興味を持たせて、好かれすぎないように」
前回の私は、認めたくはないけれど……クロエに気に入られていたと思う。
うっかり加減を間違ってしまったら、こっちに全くその気がなくても、クロエのルートに行く可能性が高い気がした。
「……クロエは保留にしようか」
「それがいいと思うな。やっぱり協力を頼むなら、マシロの方がいいと思う」
言えばほっとしたように、兄は頷く。
「マシロ? そう言えばその名前、さっきも言ってたよね」
「白雪マシロ。白い髪に紅い目の子。目立つのに、もしかして会ってないの?」
首を傾げれば、兄が驚いた顔をした。
いたような、いなかったような。
その名前に聞き覚えがあるような気もするけれど……曖昧だ。
「マシロは学園の地下通路に住んでる、『扉』の番人なんだ。ツキがこの世界に残して行った、人間を好きなツキ自身の心。この世界で行われてるゲームの中では中立の立場で、女生徒として学園に通ってる」
そう言って兄がノートをめくる。
そこにはマシロの外見と、細かなデータが描かれていた。
腰まである白の髪に、紅の瞳。儚げな美少女と言った感じだ。
見てみれば、どこかで見たことがあったような気もしてくる。
「お兄ちゃん、いつの間に絵がこんなに上手くなったの? 昔は幼稚園生レベルの絵しか描けなかったのに!」
「これもヒナタの能力の一つなんだよ。勉強も、運動も、音楽も、美術も。努力しなくてもできるんだ。僕とは正反対」
驚く私に、ちょっぴり自嘲するように兄は口にした。
「それでね、マシロは人間が大好きなツキ自身の心だけあって、とても親切な子なんだ。本来は中立の立場で、ゲームを見守らなきゃいけないんだけど……主人公のために色々してくれる。ただ、男なんだけどね……」
ギャルゲーで、それはどうなんだと思うけどと、兄はため息をつく。
このマシロというキャラは、二周目以降にクリアできる隠しキャラであり、実は男。
恋愛なのか友情なのかよくわからないラインで、エンドを迎えるのだと言う。
「じゃあ、まずはマシロを仲間に引き込む方向で行こう。どうやったらマシロと出会えるの? 高等部入学まで、待つしかない?」
「そんなことはないよ。マシロは学園の隠し通路に住んでるから、探し出せば会えると思う。あと、マシロはゲームオタクだからね。ネット上に『シロ』という名前でいるはずだ」
『その扉の向こう側』の公式ファンブックでは、マシロの好きなゲームはドラリアクエストシリーズと、レッドフレイムという格闘ゲームらしい。
たぶんその掲示板に『シロ』という名前でいるはずだと、兄は言う。
しかし、それを探そうにも、私の家にはネット環境がなかった。
ヒナタの家である教会にも、それはないらしい。
ネット環境がある場所で思いつくのは、星鳴学園の図書館。
誰もが自由に使える端末が、そこに存在している。
兄と話し合いをした結果、初等部は前回と同じように星鳴学園で過ごした方がいいということで話はまとまった。
「お兄ちゃんも一緒に通うことはできないの?」
「それは無理だね。ヒナタにはいくつか制限があるんだ。ゲームがスタートする高等部入学時点まで、星鳴学園には入れない」
きっぱりと兄は口にした。
「僕は僕でいろいろ動いてみるよ。とりあえずは美空坂女学院にいる、攻略対象たちと交友を深めてみようと思う。それが何に繋がるかはわからないけど、もしかしたらそこにヒントがあるかもしれないから」
お互いに頑張ろうと励まし合って、その日は兄と別れた。
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「いらっしゃい、アユムくん」
扉を開けて、山吹のおじさんとおばさんが、私たち親子を迎えてくれる。
向けられた笑顔はぎこちない。
山吹のおじさんたちの養子である宗介を庇って、『今野アユム』は危うく死ぬところだった。
アユムの両親とおじさんたちは親友同士だったけれど、アユムが目覚めないことからその仲はぎくしゃくしてしまっていたのだ。
まぁ、そんなことは些細なことで、どうでもよかった。
というか、それどころじゃなかった。
目の前には若い、山吹のおじさんとおばさん。
私の大好きな二人が、生きて、そこに立っている。
初等部のとき、修学旅行に行っている間に家が火事になって。
二人はそのまま帰らぬ人となってしまった。
お別れも言えないまま。
「アユム……? どうしたの?」
「……ううん、なんでもない」
不審に思った母さんに話しかけられて、涙をぬぐう。
それから顔を隠すように、山吹のおばさんに抱きついた。
「おばさん、久しぶりです」
「アユムくん……宗介を助けてくれて、ありがとうね」
柔らかな声でおばさんが言う。
抱きしめても、おばさんは消えたりしない。
あたりまえだけど、幽霊なんかじゃなかった。
その後、前回と同じように飲み会が始まったので、手袋もせずに山吹の家を出る。
教会の方へ行けば、二階くらいの高さのある小窓に、幼い宗介がへばりついていた。
……宗介だ。
その小さな後ろ姿を見つけただけで、心がいっぱいになる。
自分を庇って怪我をしたアユムのために、宗介は毎日ここで祈っていた。
「宗介」
声をかければ、宗介はびくりと肩を震わせてバランスを崩す。
それを抱き留める。でも、力が足りなくて結局尻もちをついた。
「いたた……怪我はなかった?」
「それはこっちのセリフだよ! バカ!」
宗介に叱られる。
あぁ、そうだ……昔もこうやって宗介に怒られたっけと懐かしい気持ちになった。
「怪我は? どこか痛くない? なんでアユムはいつも俺なんかを助けようとするの?」
雪が積もっていたし、痛くなんてなかった。
でも、無事を確認するかのように、宗介が真剣な顔でぺたぺたと体を触ってくる。
手袋を脱いだ宗介の手をにぎる。
冷たい手に、切羽詰った表情。
そのどれもが愛おしかった。
「大丈夫だよ、宗介」
「本当に?」
「うん、平気」
何度も何度も聞いてくる宗介に、立ち上がり、なんとも無いというアピールをする。
「宗介は、あそこで何してたの?」
「あそこから中にいる神様の像に、祈ってたんだ」
宗介がそういって、二階の小窓を振り返る。
どう答えるのかわかっていて、記憶をなぞっていく。
「だから、もう俺に関わらないで。アユムを不幸にしたくないから」
「それはできないよ」
この頃から、宗介は何も変わってない。
アユムを、私のことを考えてくれている。
「どうして。俺のこと、忘れちゃってるんでしょ。なら、簡単だよ」
「……忘れてないこともちゃんとある」
前とは違う意味を持つ言葉を、声にだす。
自分の胸をドンと叩く。
「宗介がボクにとって、大切だってこと」
あぁ、ここは「親友」っていうところだったっけ。
言ってから気づく。
けれど、それは些細な違いだ。
ぽかんとする宗介の手を、ぎゅっと力をこめてにぎる。
「宗介が側にいるよりも、いない方がボクは不幸になるんだ。宗介がいないと……ダメなんだよ」
祈るように、まぶたを閉じる。
最期のあの瞬間、私は宗介の手を放してしまった。
もう、絶対離したりはしないと誓うように口にする。
「宗介はボクを不幸にしたくないんだよね。なら、ボクと一緒にいなくちゃいけない。そうだろ?」
ゆっくりと目を開いて、まっすぐに見つめて。
宗介に向かって言葉を吐く。
そこまで言ったところで、宗介がぷっと吹き出した。
それからおかしそうに笑い出す。
「アユム、前も全く同じことを言ってた。覚えてないのに、また同じこというんだね」
そう言って笑う宗介の顔に、暗い影はない。
宗介の口にする「前」が、前回を差してるわけじゃないとわかっていたのに、少しドキッとした。
「わかればいいんだ。ほら、行こう?」
幼い宗介の手を引いて。
二人で、雪の上に足跡を付けながら、家へと帰った。
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★アユム 2週目 7歳
●宗介と出会う




