【59】兄と私の温度差
「なるほどね」
今までの事情を話せば、ヒナタの姿をした兄が難しい顔をする。
「この世界は僕が元の世界でやっていたギャルゲーとよく似た世界で、実在している世界。歩がこの世界の創造主によって選ばれて、主人公の『今野アユム』になり、学園にある『扉』を開けるか開けないかというゲームをさせられていた」
そこまではあってるよねと兄が確認してきたので頷く。
「歩は一度、『今野アユム』として七歳から三十歳まで生きて、そしてまた七歳から繰り返している。つまりは二周目。歩は前回宗介を選び、ゲームにはないルートを進んで、気づいたらまた『今野アユム』の人生をやりなおしてたってわけだね」
マメな兄は、ノートに図を描いてまとめながら言う。
あの出会いの後、私は兄を家に招いて情報の共有を行っていた。
私と違って、兄の中に前回の記憶はなかった。
家で『その扉の向こう側』をプレイしていたら、妹の私が隣で寝てしまって。
しかたないなと思っていたら、兄も眠くなった。
気づいたら寝ていて、目を開けたらこのギャルゲーのメインヒロインである『桜庭ヒナタ』になっていたらしい。
「歩の話を聞くと、前回のヒナタも僕じゃないかと思えてくるね。それでいてその僕は、何回もこの世界を繰り返していた……そう考えたほうがよさそうだ」
手のうちで黒いゲームのメモリーカードを弄びながら、兄が口にする。
「僕には、渡として家でゲームしてた記憶しかない。このメモリーカードを前回手放して、また世界が最初から始まったことで記憶がリセットされた可能性があるね。今の僕がこのメモリーカードを手にしても、記憶がよみがえるわけじゃないみたいだ」
少し残念そうに言いながら、兄は私の手にメモリーカードを返却した。
「これからどうしたらいいかな?」
縋るように口にすれば、兄は考えこむ。
「この世界が繰り返していて、あのギャルゲーと設定が同じだとしたら……たぶん創造主のツキがかかわっていると思う」
ツキというのは、星降祭の劇に出てくる登場人物だ。
『扉』の向こう側からやってくる、不思議な力を持った者。
ツキは『その扉の向こう側』において、隠しキャラまで完全クリアして後にクリアできる、隠しキャラ中の隠しキャラだということだった。
「ギャルゲーではツキは主人公を使って、この世界の未来を決めるゲームをしてる。ツキの『目』の力を得た主人公が、ツキの作った世界や人間を愛して扉を開けたなら――ツキは主人公の願いを叶えるため、世界を改変する。もしも主人公が『扉』に辿りついても開けられなかった場合は……この世界に価値がないって、ツキは世界を壊すんだ」
世界を壊すところまでギャルゲーの中では描かれてないんだけどねと、兄は言う。
ヒナタは世界の改変を止めるために、この世界の『神様』が作り出した『天使』という存在。
『神様』もまた『創造主』によって作り出された存在で、『神様』は世界を守ることが目的なのだと言う。
ただし、『神様』は直接この世界に手出しはできない。
だから『天使』のヒナタが代理で、主人公が『扉』に辿りつくのを阻止しようとするのだという。
「主人公が扉に辿りつくと、『神様』は困るんだ。世界が壊されたり、変えられたりしてしまうからね。それを阻止するためにヒナタがいる」
それが主人公をヒナタが殺しにくる理由。
けれど天使であるヒナタもまた、創造主の作ったルールにのっとって動いていて。
星降祭の劇で相手役が決まるまでは、主人公を殺せないらしい。
「ちなみに主人公に選ばれて、ヒナタが扉の向こうに行くことでも『神様』の目的は達成されるんだ。だからヒナタは初期から主人公に優しくて、主人公に愛されるために完璧超人なんだよ」
これは今のヒナタである兄にも、適用されるらしい。
元の兄は、運動音痴、成績は中の中だった。
けれどヒナタになってから勉強ができるようになり、運動神経も格段に上がったのだという。
ただし……上がり症と元々のヘタレな性格だけは、どうにもならないらしかった。
「ちなみに好感度マックスでヒナタのルートへ行くと……主人公が彼女を星降祭のパートナーに選んだ瞬間に、ヒナタは自殺するんだ。主人公への恋心と、自分の使命との間で揺れ動いて、命を絶っちゃうんだよ」
「ヒナタとのベストエンドは、どんなふうにすれば迎えられるの?」
好奇心で尋ねれば、兄は苦い顔をする。
「ヒナタの好感度を上げないで、一緒に扉の向こうへ行くのが……ファンの間では、ベストエンドってことになってた。甘い言葉も吐いてくれるし、一見ラブラブに見えるからね。変な攻略法だってファンの間ではずっと言われてたけど……真相を知るとアレはバッドエンドでしかない」
ヒナタを『扉』の向こうへ連れていけば、創造主とのゲームは『神様』の勝ちで。
主人公は……殺されてしまうからねと、兄は言う。
「もしかして、ヒナタってメインヒロインなのに……本当の意味でのベストエンドないんだ?」
「……まぁ、そうなるね。でも、主人公と平穏に結ばれるルートがないだけで、ヒナタは主人公を殺し損ねても、死ぬわけじゃないから」
私の言葉に、まるで自分に言い聞かせるような口調で兄が答える。
「本当にそれでも、メインヒロインなの?」
「うん、僕もそう思うよ。心から」
この世界に来て、何度思ったかしれないことを言えば、兄が同意する。
これギャルゲーじゃなくて、ホラーゲームか何かなんじゃないだろうか。
「この世界をクリアして元の世界に帰るなら、主人公である歩が『扉』の向こうへ行く必要があると思う。たぶん歩だけが元の世界へ戻ることなら、どうにか可能だと思うんだよね……」
うーんと、兄がうなる。
――お兄ちゃんは、元の世界に帰るつもりでいるんだ。
そこで私との差に気づく。
私の目的は、そこにはない。
宗介に生きてもらいたい。
それが、今の私の願い。
兄は、私が元の世界へ戻りたいと願っていると、思っている。
当然のように、それを前提としていた。
「けど、ヒナタって主人公を殺すことを拒み続けると……たぶん、『神様』の強制力によって、自我を失うんだよね」
ヒナタルートで好感度マックスなのに、主人公が劇の相手にヒナタを選ばなかった場合、ヒナタはおかしくなる。
まるで主人公と出会った頃のヒナタみたいになって、主人公を殺し……その後でヒナタは我に返って泣くらしい。
そのストーリーから、兄はいずれヒナタである自分が、私を殺そうとするのは避けられないと考えているようだった。
前回の私の記憶で、兄だったであろうヒナタが私を刺そうとしたのも、この推測を補強する材料になったようだ。
「僕と歩で『扉』をくぐるのは、その時点で『神様』の勝利が確定する可能性があるから危険だ。歩が攻略対象の一人を選んで、『扉』をくぐって。元の世界へ僕たち二人を帰すようツキにお願いするしかないと思う」
真剣な顔で、兄が口にする。
「攻略する女の子は、クロエ以外なら誰でもいいんじゃないかな。二周目だからツキに近い、マシロでもいいかも。マシロは実は男の娘だから、歩でも抵抗ないんじゃないかな。宗介と仲よくしながら、攻略対象の好感度を上げていけば、簡単に『扉』に辿りつけると思う」
兄はそう提案してきた。
何も知らない頃の私だったら、兄の案に従ったと思う。
「ねぇ、お兄ちゃん。その案だとさ」
「何?」
兄が首を傾げる。
「宗介は……死ぬよね?」
思いのほか、低い声が出た。
兄は私から目を逸らす。
「……このギャルゲーで、攻略対象の女の子をクリアしようと思ったら、宗介の犠牲は不可欠なんだ。じゃないと主人公であるアユムが死ぬ」
しかたないことだよと、兄は言う。
「前回宗介を選んだ歩には、辛い決断かもしれないけどさ。ゲームのキャラなんだし、そこは割り切っ」
「宗介は! ちゃんと生きてる! ここはゲームの世界じゃない。よく似た、実際に存在してる世界なんだよっ!?」
なだめるように、でも軽く口にした兄に腹が立った。
兄にとって宗介は、画面の向こうにいたただのキャラクターでしかない。
でも私にとっては違う。
苦しいときも、寂しいときも、ずっと一緒に過ごしてきた大切な人だ。
立ち上がり怒鳴った私に、兄はかなりビックリしていた。
こんなふうに感情を荒げる私を見たことがなかったんだろう。
「私は、宗介を見捨てたくない。見捨てない」
はっきりきっぱりと、これだけは譲れないと口にする。
「……じゃあ、歩はどうするつもりなの?」
そうゆっくりと口にして、兄は私の前に膝立ちになった。
それから私の両腕を掴んで、まっすぐに見上げてくる。
「前回歩が宗介を選んで、宗介は生きた。でも結局、宗介は自ら命を絶ったんだよね。しかも、歩のために、人を殺して手を汚してきた」
痛いところを兄は抉る。
わざと罪悪感を煽るような、責める口調だった。
「宗介にそういう選択をさせたことを――歩は後悔してるんだよね? 宗介を生かして、また歩は彼に同じことをさせたいの?」
強い口調。普段はよわっちい兄なのに、こういうときは引いてくれない。
お兄ちゃんの顔をして、妹である私を見ていた。
「違うそうじゃないよ! 私は、ただ宗介に生きてほしいだけで!」
「なら、歩が死ぬつもりなの? それは――僕がさせないよ」
叫べば、強い力の宿った瞳で兄が私を射抜く。
そんなふうに見つめられてしまうと、何も言えなかった。
「歩が宗介を生かすために死ぬつもりなら、その前に僕が宗介を殺す」
殺す、なんて言葉を兄の口から聞くのは初めてだ。
ここがゲームの世界だと、まだどこかで思い込んでいるから、兄は簡単に言えるんだと一瞬思ったけれど。
私の腕をにぎる兄の手は震えていて――その瞳には決意の色があった。
心優しい兄は、たとえここがゲームの世界でも、人を殺すことが容易くできる人じゃなかった。
私のためならそれくらいはしてみせる。
そういう意思が、目の前の兄からは伝わってくる。
「歩、僕たちはこの世界の人間じゃない。父さんも母さんもいるし、友達だっているだろ。会いたくないの?」
「会いたいとは思うよ。でも、ボクは一度元の世界より宗介を選んだ。ここでずっと生きてきたんだ。もう、ここがボクの生きる世界だよ」
情に訴えかける声。けれど、それを振り払うように口にする。
今の私は、元の世界よりもこの世界に愛着を持っていた。
帰りたい気持ちがないとは言わない。
でも、どちらかを選べといわれたら迷わずこの世界を選ぶ。
前に同じ選択肢が目の前に提示されたとき、生半可な覚悟でここに残ったわけじゃない。
そんな返答がくるなんて、兄は思ってなかったんだろう。
目を大きく見開いていた。
「……宗介が、ボクのせいであんなことをするのは、嫌なんだ。でも宗介を犠牲にして、生きるのも嫌だ。どうして、宗介ばっかりがこんな目にあわなきゃ……いけないの? 宗介は何も、悪くないのに……っ!」
ぽろぽろと涙がこぼれる。
この世界の全てが、宗介を殺そうとする。
それが運命なんだから、しかたないよなんて――割り切れはしなかった。
「……歩は、宗介が大好きなんだね」
そんな私を兄はそっと抱きしめてくれて。
泣き止むまで、その背をずっと撫で続けてくれた。
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★アユム 2週目 7歳
●ヒナタ(兄)と作戦会議
★9/26 脱字等修正しました。




