【58】リスタート
私は、『今野アユム』の人生を七歳からやり直していると、すぐにそのことに気付いた。
どうしてこうなったのかはわからない。
前にはなかったこのヒナタのメモリーカードが、何か関係しているとしか思えなかった。
宗介が死んで後のことは、何も覚えていない。
気付いたらここにいた。
もしかしたら、やり直せるのかもしれない。
もしもそうならば。
絶対に、あの未来は回避する。
心に強く誓う。宗介にあんなこと、させちゃいけない。
でもどうすればいい?
鏡を見れば、青い髪に赤い瞳をした七歳の私が映る。
それは、今の私に特殊な力がある証拠だ。
七歳の時に遭った事故で、本来死ぬ予定だった宗介。
アユムが救ったことで、宗介は生き延び。
代わりにアユムが死ぬことで相殺されるはずだった運命に、この世界の創造主が介入した。
『今野アユム』はその体に私の魂を宿して、創造主の特殊な力を手に入れたのだ。
アユムが死ななかったことで、宗介は周りを死に巻き込む特異点になった。
星鳴学園を舞台に行なわれる、『扉』をかけたゲーム。
宗介と私の運命を面白がった死神のクロエ。
それによって、宗介の特異点としての力の発動は遅らされていた。
高等部を卒業して、延ばされていた猶予の期間が切れて。
そして――あんなことが起こってしまった。
宗介が生きれば、周りが死んでいく。
周りを生かそうと思えば、宗介が死ぬしかない。
つまりは、そういう事なのだ。
でも、宗介を救うには一つだけ抜け道がある。
――私が死ぬことだ。
死神のクロエは言っていた。
初等部六年の時、私を殺そうとしたけれど殺すことはできなかったと。
創造主からの力を得ている今の私は、普通の方法では死なない。
だからと言って、高等部を卒業して特殊な力を失って後で死んでも遅すぎる。宗介はすでに特異点になってしまっているから。
宗介を助けるには。
高等部を卒業するまでに、このゲームのヤンデレヒロイン・ヒナタのナイフで刺されて死ぬ必要がある。
創造主から力を与えられた者だけを殺すことができるナイフ。
そのナイフを心臓に突き立てられれば、確実に死に至る。
「……」
正直、選びたくない選択肢だ。
死ぬのは嫌だ。
でも、宗介は逆の立場に立ったとき、私を生かすために自分が死ぬ選択をしていた。
その決意を崩して、修羅の道を歩ませたのは私だ。
あの最後の瞬間のことを思い出して、苦しくなる。
私は、私のために生きてくれた宗介を、最後の最後に突き放した。
一緒に生きていくために手を血で汚した宗介を、怖いと思ってしまった。
誰が宗介を咎めようと、私だけは受け入れなくちゃいけなかったのに。
――さよなら、アユム。
そう口にした時の、宗介の顔が頭から離れない。
傷ついているのに、それを押し殺して笑うような顔。
ナイフの突き刺さる音、宗介のうめき声。
胸から流れていく血。
そこで無理やり考えるのをやめる。
息が苦しくなってくるのがわかったから。
頭の奥が白く痺れて、胸が苦しくて喉をかきむしりたくなる。
私が死を受け入れるとしても、それにはまだ時間がある。
ヒナタが私を刺すのは、星降祭でパートナーが決まって後だ。
ゲームのルールでそう決まっているのだと、誰かが言っていた気がする。
――なら、せめてそれまでは。
誰も死なない方法を捜してあがこう。
自分が死ぬのは、最後の手段だ。
宗介も、私も、まわりのみんなも死ななくていい方法がどこかにあるはず。
そう決意して。
一回り以上小さくなってしまった拳を、胸にひきつけるようにしてぎゅっと握った。
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クリスマスの日、両親が教会に私を連れて行ってくれた。
前にここで私はヒナタと出会った。
元の世界にいたとき、兄がやっていたギャルゲー『その扉の向こう側』でも、主人公はこの日にメインヒロインのヒナタと会うことになっている。
私は、自分からヒナタに接触することにした。
以前の私なら絶対にしなかったことだ。
自分を殺しにくる相手と、わざわざ関わろうなんて思えない。
けどおそらくヒナタは、私が知らない情報を何か持っているんじゃないかと思えてならなかった。
前のヒナタに渡された、ゲームのメモリーカード。
元の世界の兄が『その扉の向こう側』のゲームデータを記憶していた、メモリーカードも同じ黒色をしていた。
メモリーカードを渡してきた日のヒナタは、いつもと様子が違っていた。
常に張り付いているような笑顔はなく、暗い瞳に抑揚のない声。
ヒナタを警戒していた私は、ついにヤンデレとして覚醒したのかと思って身構えたけれど、今思い返せば違うように思えた。
――そろそろ受け入れたら? 同じ事を何回も繰り返して、もう僕は疲れたよ。
――今回はいつもとちょっと違うのかな。宗介が今までアユムを受け入れることなんて一度もなかったのに。
ヒナタの言ってることが、あの時の私には何一つ理解できなかった。
けどもしヒナタが、今の私のように世界を繰り返していたのだとしたら?
――歩はどうしてそんなにこの世界に――宗介にこだわるの? いつまでこれを続けるつもりなの?
――ねぇ、結局何も変わらないよ? 今回だって結局は同じ結末にたどり着くよ。もう歩も疲れたんじゃないの? もう諦めてよ――僕はもう疲れた。
これは仮説でしかない。
でも、もしそうなら。
ヒナタは何度も同じ日々を繰り返していたんじゃないだろうか。
それを裏付けるような言葉を、ヒナタは吐いていた。
それでいて、もしかしてヒナタは。
元の私である『前野歩』の、兄なんじゃないか。
確かめなきゃと思った。
聖歌隊の歌が始まる前に、ヒナタの姿を探す。
舞台裏に行けば会えるかなとウロウロしていたら、廊下の隅の植木の陰からのぞく、桃色を見つけた。
そっと近寄ってみれば、植木の陰に隠れている女の子がいた。
「無理無理無理。誰かと喋ることすらできないのに、人前で歌うなんて無理。しかも中心とか目立つし、ソロとか何考えてるの。失敗したらどうすんの。歌詞忘れてシーンってなったら? どうしようめっちゃ逃げたい。今すぐに逃げたい。よし逃げよう!」
一人でぶつぶつと呪文のように口にしている。
急に立ち上がった女の子の後頭部が、勢いよく顔面に当たって痛かった。
振り返った女の子は、まぎれもなくヒナタだった。
ただしいつも凜としてる表情が、どこかよわよわしく頼りない。
ヘタレで上がり症の兄を思い出させる顔をしていた。
私の顔を見て、ヒナタは目を見開く。
「どうして……ここにいるの?」
困惑した表情。
それを見て、やっぱりこれは兄だと確信した。
「やっぱり、ヒナタがお兄ちゃんなんだね?」
「歩? 本当に、歩なの?」
信じられないというように、ヒナタが問いかけてくる。
「どうして歩が『その扉の向こう側』の世界にいるの?」
「お兄ちゃんの横でゲームを見てたら、気付いたらここにいたんだ」
説明しながら思う。
目の前のヒナタ――元の世界の兄である渡は、この世界を繰り返した記憶がないみたいだと。
もしかして、このメモリーカードが手元になかったから?
ポケットの中にある黒のメモリーカードを取り出して、兄の目の前に差し出した。
「これ、お兄ちゃんのだよね?」
「ゲームのメモリーカード? 中身を見ないとわからないけど……僕が持ってたものと同じ色だね。これがどうかしたの?」
兄は首を傾げる。
私にこれを渡したことを覚えてないらしい。
「あっ、見つけたわよヒナタちゃん! そろそろ出番なんだから!」
その時、聖歌隊の服を着た女性が現れ、兄の手を掴んだ。
「えっ、ちょ、ちょっと待って! 今それどころじゃなくてっ!」
「そんなこと言って、また逃げようとしているでしょう。ヒナタちゃん歌うまいんだから、堂々としていればいいの」
ずるずると目の前で兄が引きずられて行く。
「また後でね!」
私の声が聞こえていたかはよくわからない。
その後席に戻って、兄の歌を聞いた。
上がり症の兄なのに、前の時と同じようにソロパートがあった。
兄は歌の途中で歌詞を忘れ、紅くなり立ち尽くして。
「……も、もう無理ですっ!」
手で顔を覆いながら、可愛らしい泣き顔をさらして舞台袖へと消えて行った。
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★アユム 2週目 7歳
●ヒナタ(兄)との出会い




