【55】二本のナイフ
舞台の後、紅緒は楽屋で一人でいた時に心臓発作で倒れたらしい。
初主演によるプレッシャーや、心労、そんなものもあったのかもしれないと、テレビが勝手なことを口にする。
紅緒のことはわりと大きなニュースになっていた。そうやってテレビで取り上げられることで、紅緒は注目されていたんだなと改めて知る。
シズルちゃんの時もそうだったけれど、気持ちが追いつかない。
実は私の目の前にいないだけで、どこかで紅緒は生きてるんじゃないかという気持ちになる。
あれから半年以上時が経った。
紅緒がいるわけがないのに、近くまでくるとつい劇場まで足を運ぶ。
死んだ場面を目撃したのなら、本来は近寄りたくないと思う場所なんだろう。
でも、私はその場面を見たわけじゃない。
もしかしたらまだ舞台のどこかに、紅緒がいるんじゃないかとそんな気持ちになってしまう。
感傷的な気持ちになってるのを、誰にも知られたくなくて。
紅緒がなくなって後、他の人がやることになった舞台の再公演を一人で見る。
やっぱりそこに紅緒はいなくて、虚しくなっただけだった。
「あなた紅緒さんの友達よね」
帰ろうとした時、劇団員らしき人に呼び止められた。
「はいそうですけど」
「……ちょっといいかしら」
頷けば裏手に連れて行かれた。
「私、紅緒さんとはとても仲がよかったの。それで、あなたたちのこともよく覚えてる」
何故か強い口調。
責めるような響きを感じる。
「紅緒さんが死んだあの日、劇が終わって控え室に戻った紅緒さんに私は会いに行ったの。そしたら部屋には先客がいて、後にしてくれって言われたわ。先客はあなたと一緒にいた男だった。紅緒さんはその後すぐに亡くなったのよ」
そんな話初耳だった。
「あれが不運なことだったってことはわかってるの。でも、あの男と一緒にいた紅緒さんの様子は明らかに変だった。あの男は、何を紅緒さんに言ったの?」
私にそれを聞かれても困るけれど、この人はこの人で必死なんだろう。
紅緒のことを案じてるというのがわかる。
劇が終わって後私たちと一緒にいなかったのはクロエだ。
そうなると、紅緒と一緒にいたのはクロエなんだろうなという所までは推測がついた。
クロエは、この世界における死神だ。
……紅緒の死がわかっていたんだろうか。
「すいません。ボクにはよくわからないです。本人にそれとなく聞いてみますね」
そう言って、その日はその人とアドレスを交換して別れた。
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「アユムから呼び出しなんて珍しいっすね」
話があると言って喫茶店に呼び出せば、クロエはすぐにやってきた。
現在クロエが何をしているかはよくわからない。
そもそもクロエは人間ではないから、私たちみたいに就職をする必要もなければ、家族を作る必要もないんだろう。
「今日紅緒の劇団の公演を見に行ったんだ。そこで女の人にあったんだけど、紅緒が死ぬ前にクロエはどこにいた?」
「用事でおれは先に帰ったっすよ。どこにいたときかれてもそれは困るっす」
思ったとおりはぐらかされる。
紅緒に急な死を運んできたのは、死神であるクロエじゃないか。
私はそんなことを思っていた。
「クロエは死神だから、誰がこれから死ぬとかわかるんだよね。じゃあ、紅緒が亡くなることも知っててあの場にいたの?」
「……運命で決められた死なら、おれには事前にわかるっすよ。でも、それ以外の死については、予測はできてもおれの範囲外っす」
私を見て少し目を細め、クロエは言う。
まとう雰囲気がいつものチャラついたものから、底知れないものになる。
回りくどい言い方はどこか含みがあるような気がして、歯に何かがひっかかったようにもやもやとする。
「紅緒もシズルちゃんも、急な心臓発作だった。これは偶然?」
「偶然ともいえるし、必然とも言えるっす」
淡々とクロエは答える。
こちらを観察するような目からは、何も情報が読み取れない。
「二人が同じ死に方だったことは、私が『今野アユム』であることと関係ある?」
このことが、ずっと気になっていた。
いきなり仲のよかった子たちが亡くなって。
二人とも昨日まで元気だったのに、突然の心臓発作。
しかも私と会った直後に亡くなっているなんておかしい。
「……」
クロエは無言だった。
それは肯定のように思えた。
「宗介と一緒にいると決めたなら、覚悟はしてたんじゃないんすか? もともと宗介は死ぬはずの人間だった。高校の三年間、おれは宗介を生かす契約をしたっす。でもその後は死んでもらう予定だった」
宗介はいずれ、生きてるだけで周りの人を死に巻き込んでいく存在――『特異点』になる。
だから、高校三年生の冬に本当は死んでもらうはずだっだ。
それは前にもクロエから聞かされていたことだった。
「おれが宗介の特異点化を防げたのは、高校三年生まで。今の宗介は完全に特異点化してるっす。宗介に生きる選択をさせたのはアユムっすよ。まさか、全然頭にもなかったとは言わないっすよね?」
貫くようなクロエの視線。
思わず息を飲む。
考えたことはあった。
高校三年生の冬、ヤンデレメインヒロインの桜庭ヒナタに襲われて、私は宗介が今まで何と戦っていたのかを知った。
自分が生きていると、周りに不幸が起こる。
宗介はクロエと取引をし、一番近くにいる私の命を守るため、その命を差し出そうとしていたのだ。
「けどクロエは心配することはないみたいなことを言ってなかった?」
「おれが二人を殺すことはもうないって言っただけっす。宗介もアユムも、おれは絶対に殺さない。周りが例え死のうとも、世界の仕組みが壊れようとも。手は出さないって約束をしただけっすよ」
確かにその通りだ。
ヒナタが消えて、危険は全て消え去ったのだと――どこかで思い込みたかったのかもしれない。
「……つまりはこの先も、私と宗介の周りで人が死ぬってこと?」
「そういうことっす。宗介はアユムにそれとなく言ってたんじゃないっすか? もしくは好きになってごめんねだとか、おれといると不幸になるだとか……きっとアユムは自分のことを嫌いになるだとか」
認めたくない答えを口にすれば、クロエが笑う。
確かに宗介は何度もそんなことを言っていた。
両想いになったのに、時折悲しそうな顔をして。
――ごめんね、もう離してあげられない。
――こんな俺に好かれて、アユムは可哀想だ。
――アユムが俺を嫌いになるまでは、側にいるから。
その言葉の裏を、表情の意味を。
今になってようやく知る。
「あの日、死ぬつもりだった宗介を生かしたのはアユムっすよ。宗介はこの未来も全て承知の上で、アユムと生きることを選んだっす」
確かに、宗介に生きて欲しいと願ったのは私だ。
けれど……こんなことを望んでたわけじゃなかった。
「おれは聞いたっすよね。宗介だけがいない世界と、宗介がいるけど仲のよい人たちが皆いない世界。アユムはどれを選ぶ? って。選んだのはアユムっす。そして宗介も、アユムを選んだ」
ゆっくりと言葉をクロエが紡ぐ。
まるで断罪を言い渡すかのように、はっきりとした声で。
認識が甘かった。
胸の奥が冷える。
宗介が生きてるのは、私が望んだから。
つまりは私が望んだ結果だという事だ。
紅緒やシズルちゃんのことを思うと、胸が痛くなる。
でも、なによりも。
私は例えそれを知っていても――宗介を選んでいた。
なんて罪深いんだろう。
それでいて、私は酷い奴だ。
二人の事を悲しむ権利はそもそも私にはなかったんだと、今更に思い知る。
「……これから先も、誰か死ぬのかな」
「死ぬっすよ。むしろ宗介の力は強くなってるっすからね。最初にヒナタが亡くなって、三年持ったのが奇跡っすね。宗介やアユムに近しい者ほど、次の被害者が出るまでの時間が長くなるんすよ」
否定して欲しかった言葉には、当然のように肯定が返ってくる。
「ヒナタもカウントされてるの? それに高校卒業してから三年って、大学二年の時だよね。誰か亡くなったっけ?」
「……白雪マユキっすよ。同級生の」
言われて思い出そうとするけれど、ぼんやりとした印象だった。
顔すら思い出せない。
いたのは覚えているのだけれど、仲がよかっただろうか。
葬式にすら参加した覚えがない。
「まぁそれはいいとして、ヒナタで三年、マユキで二年。従兄妹のシズルで一年半しか持たなかったっすからね。どんどん間隔は短くなって行くと思うっす。それでも、宗介の側で幸せに笑う自信はあるっすか?」
酷い宣告に、吐き気がしそうになる。
つまりはこの先、仲のいい理留や両親。
他にも吉岡くんや、知り合った人たちがどんどん死んでいくということだ。
「どうにかする方法があるっすよ」
そう言って、クロエはテーブルにコトリとナイフを置く。
それは見たことがあった。
高校三年生の冬、ヒナタが持っていたナイフによく似ている。
「これは?」
「これは特別なナイフっす。普通の人はこれで刺されても、痛くも痒くもないんすよ。この世界で死ぬことのない、創造主から力を与えられた者だけを殺すことができるナイフっす」
クロエはナイフを手で弄ぶ。
これで刺されたら、おれも死ぬんすよなんて楽しそうに笑う。
「宗介はすでに特異点っす。しかも過去におれの力も与えて取り込んでしまったから、普通の手段では殺すことができない。アユムがこれで宗介を刺せば……これ以上死者は出ないっす」
「これで、ボクに宗介を殺せっていいたいわけ?」
馬鹿げていると思った。
馬鹿にしてると思った。
怒りで声が震えて、そのままの感情をぶつければ。
クロエはそうこなくっちゃ面白くないというように笑う。
「あがいてくれなきゃ面白くないっすからね。まぁでも、それはアユムに預けておくっす」
「いらない」
突き返せば、クロエは肩をすくめる。
「……じゃあ、代わりにこっちのナイフを渡しておくっす」
手渡されたのは真っ黒なナイフ。
ふざけてるのかと睨みつける。
「こっちのナイフは、死神の鎌っす。宗介を殺す事はできないっすけど、人を殺すことができるっす。相手の心臓を刺せば痛みもなく、心臓発作で死に至る。それで次に殺す人をアユムが決めていいっすよ? 長生きして欲しい人のために、別の人を殺せばその分次までの時間がのびるっす」
もちろんアユムが殺したことはばれないように、取り計らうっすよなんてクロエは笑う。
周りで死ぬ奴の順番くらい決めさせてやるよと、そう言いたいらしい。
「……やっぱりあんたは大嫌いだ」
「これでも親切のつもりなんすけどね?」
思いっきりコップの水をかけてやったけれど、クロエは全く動じない。
それどころか私の反応を好ましいというように、くくっと笑う。
やっぱり死神は死神だ。
同じ空間にいることすら嫌で、その場を後にした。
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★社会人2年目秋(25歳)―社会人3年目夏(26歳)
●退場者 なし
すいません、急な用事で一時間遅れました。




