【53】お兄ちゃんのお嫁さんに
「もうすぐ卒業ですね、アユムお姉ちゃん」
「そうだね」
横を歩くシズルちゃんにそう話題を振られて頷く。
もう大学も四年目で、すでに冬。
シズルちゃんも私も宗介も、すでに就職先が決まっていた。
全員教師志望で、赴任先は母校である星鳴学園。
教職課程をとった何人かは、そのまま学園の教師になる。
去年卒業した理留は初等部の教師になった。
それでいて実は幼い頃からの婚約者がいたらしく、彼と結婚してしまった。相手は家柄のある大企業の御曹司で、あからさまな政略結婚だった。
理留の黄戸家はお金持ちだけれど、家柄がいいわけじゃない。
その血を理留が結婚することで引き入れようという目論みがあきらかだ。
この結婚を理留は本当に納得しているのか……それを聞きたかったけれど。
理留を振った私にはその権利はないような気がして、何も言えなかった。
普段なら理留の妹でシスコンの留花奈が、何か言いそうなところだけれど。
珍しく、姉様が決めたことだからとしか口にしなかった。
それでいて留花奈の方は、モデル業の方に専念するみたいだ。
最近では女優の仕事も回ってくるみたいで、ちょっとした役を貰ったりしている。 猫を被るのがうまく、化粧の腕もあり、頭も回る留花奈のことだ。
きっと成功することだろう。
紅緒の方は、海外から帰ってきて劇団に入ったらしい。
そちらの道に本格的に進むみたいだ。
吉岡くんは一流企業に就職して、そこのバスケチームに所属している。
相変わらずバスケ大好きみたいで、とても生き生きとしていた。
ちなみに紫苑の方はまだ大学にいる。
元の世界での親友・乃絵ちゃんに似た紫苑は、乃絵ちゃんと同じで医者を目指しているらしい。
ずっと病弱で病院にいた紫苑。
普通は、病院が嫌いになりそうなものだ。
けれど紫苑は病気と闘う中、励ましてくれていた看護婦さんやお医者さんのことを尊敬していたみたいだ。
昔、乃絵ちゃんが一度、同じ事を私に話してくれた。
いつか医者になるのが夢なんだと。
自分のように病気で苦しむ誰かを救いたいんだと。
乃絵ちゃんの夢は叶うことがなかったけど――紫苑の夢と一緒に叶えばいいと思う。
シズルちゃんと一緒に学園から私の実家に向かう。
ちなみに宗介と結婚してからは、実家の近くにアパートを借りてすんでいる。
料理は宗介が作ってくれて、私はその他の家事担当だ。
恋人だったときとやってることはそう変わらないんだけど、前よりも関係性に安心感があるというか。
自分が宗介の奥さんなんだなと思うと、まだ少し不思議な感じがする。
「おかえり、二人とも。頼んだものは買ってきてくれた?」
「うん。はいこれ」
頼まれていた食材を渡せば、宗介が受け取る。
今日はシズルちゃんの家で、小さなパーティを開くことになっていた。
私と宗介、それとシズルちゃんの就職祝いだ。
シズルちゃんのお母さんの家と私の家からそれぞれ料理を持ち寄って、お祝いをする予定になっている。
珍しく休みがとれたらしい母さんは、朝から張り切っていて、宗介と一緒に料理を作っていた。
シズルちゃんのお母さんは結構料理上手らしく、対抗心があるらしい。
料理ができあがったところで、シズルちゃんの家に車で移動する。
門を開けた瞬間、シズルちゃんの家の庭で飼っている犬のラブがお出迎えしてくれた。
「こらラブ、駄目でしょ。待て!」
主であるシズルちゃんがそう言っても、ラブはじゃれるのをやめない。
尻尾をフリフリじゃれてくるラブは、触って触ってとお腹を見せてゴロゴロと寝転がったりしていた。
ラブは大型のラブラドールレトリバーという品種。
番犬にと飼ったらしいのだけれど、人懐っこくてほえることもなく、番犬にならないんですよとシズルちゃんは言う。
困ったように言いながらもその口調はでれっとしていて、シズルちゃんがラブを大好きなんだなということが伝わってきた。
「おぉ、いらっしゃい!」
しばらくして叔父さんたちが出迎えてくれた。
皆でわいわいと食事をして笑いあう。
「しかしアユムくんが女の子になってしまうとはね。シズルは昔からアユムお兄ちゃんのお嫁さんになるって言ってたんだよ?」
「もう、パパったら!」
お酒の入った叔父さんがそんな事を言って、真っ赤な顔でシズルちゃんがその胸をポカポカと叩く。
「高等部の時もアユムくんを追いかけて学園に入ったようなものだものね」
「もう、ママっ!」
両親にからかわれて、シズルちゃんは居たたまれないという様子だった。
「その、それは……子供の時の憧れみたいなもので!」
あたふたとして、シズルちゃんが私に言い訳をしだす。
焦っている様子がとても可愛くて、懐かれてるなと思うと嬉しくなる。
「ありがとう、シズルちゃん。もうホント可愛いんだから」
ぎゅっとしたい気持ちを堪えて、頭をなでる。
すると俯いて、少し照れたような顔をするからまた可愛い。
抱きしめて撫で回したい衝動に駆られた。
シズルちゃんは昔から少し男の人を苦手とするところがあったから、昔から私はこの衝動をぐっと抑えてきた。
よく考えれば今の私はもう男じゃないんだし、我慢する必要もない。
欲望のままに抱きつけば、シズルちゃんは身を硬くした。
顔を見れば驚いてるみたいだったけど、嫌悪感とかはないみたいだ。
なら大丈夫だろうと、子供のように艶やかなその髪の感触を楽しみながら、柔らかな頬を触ったりして楽しむ。
「ははっ、やっぱり可愛い! 昔からこうやってシズルちゃんを可愛がりたかったんだよね」
慕われてるのがわかってるから、構いすぎて嫌われてもなと多少抑えていたけれど、女同士なら遠慮もいらないはずだ。
「アユム、それくらいにしておきなって。シズルちゃんいっぱいいっぱいみたいだよ?」
思う存分シズルちゃんを堪能していたら、宗介に止められる。
気付けば私の腕の中で、シズルちゃんが茹でたタコのように顔を真っ赤にしていた。
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車で来たうちの両親がお酒を飲んでしまい、盛り上がったあげくシズルちゃんの家に一泊していくことになった。
滅多にシズルちゃん家の両親と、うちの両親のスケジュールが合う事がないので積もる話が山ほどあるらしい。
もう眠かったので、私はシズルちゃんの部屋で一緒に寝かせてもらうことになった。宗介は男なので別の部屋で寝るとのことだ。
「ごめんねシズルちゃん、いきなり泊まることになって」
「いえ、大丈夫です! むしろお姉ちゃんとお泊りなんて嬉しいです!」
犬だったら尻尾が揺れてるだろうなというくらい、声に喜びをのせてシズルちゃんは言ってくる。
シズルちゃんは寝間着を貸してくれたけれど、丈が短かったのでおばさんのものを借りる。
お泊り用の布団はちゃんとあったので、シズルちゃんの部屋の床にそれをしいて横になった。
「……アユムお姉ちゃん、まだ起きてますか?」
「うん」
「そっちに行ってもいい……ですか?」
いいよと返事をすれば、ベッドの上のシズルちゃんがわたしの布団に入ってきた。
「アユムお姉ちゃん、温かいです」
「シズルちゃんの方が体温高いでしょ」
えへへと満足気に笑うシズルちゃんにそう言えば、じっと私の顔を見つめてくる。
「何、どうしたの?」
「今日パパとママが言ったこと……本当だったんですよ。わたし初めて会った時から、アユムお兄ちゃんのことが大好きでした。たぶん一目ぼれだったんだと思います」
柔らかな声でシズルちゃんが口にする。
「おままごとの時、アユムお兄ちゃんと結婚するって言ったの……本気だったんですよ?」
そう言ってシズルちゃんはふわりと笑った。
花が綻ぶような優しい笑顔に、思わず魅入られる。
向かい合うような形になっている私にぴったり寄り添って、シズルちゃんが胸に顔をうずめてきた。
「大好きですよ、アユムお兄ちゃん……おやすみなさい」
お姉ちゃんではなく、お兄ちゃんとシズルちゃんは最後に呼んだ。
何と返していいかわからなくて、言葉を捜していたら……すでにシズルちゃんは眠っていた。
ゆっくりと上を向かせて、肩まで毛布をかけてあげて。
「おやすみ、シズルちゃん」
子供の時にやってあげたように、おでこにちゅっと軽くキスを落とした。
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「……ん」
犬の鳴き声がうるさくて、目を覚ます。
見知らぬ天井に、そう言えばシズルちゃんの家に泊まったんだと思い出した。
横を見れはシズルちゃんはいない。
毛布に体温も残ってないから、かなり前に起きたんだろう。
携帯電話を確認すればまだ朝の六時だ。
ちょっと不思議に思いながら、トイレに行って用を足し、それからシズルちゃんの姿を捜した。
リビングでは両親たち四人が酔いつぶれていたので、起こさないようにその側を通り、台所へ行けばトントンと包丁の音がした。
「あれ、アユムが早いなんて珍しいね?」
シズルちゃんかなと思ったら、宗介だった。
早く起きてしまったので朝ごはんを作っていたらしい。
「シズルちゃん見なかった?」
「ううん。シズルちゃんも起きてるの?」
言えば宗介も見てないみたいで、不思議そうな顔をする。
「部屋にいなくて、布団も冷たかったから……てっきり先に起きてるんだと思ったんだけど。どこに行ったんだろ?」
「オレも一緒に捜すよ」
宗介が包丁を置いて、一緒にシズルちゃんを捜してくれる。
一階も二階も全部の部屋を見たけれど、シズルちゃんの姿はなくて、ひやりとしたものが胸の中に落ちる。
「朝早くでかけたのかな……でも、電話も部屋にあるみたいだし、財布も置きっぱなしなんだよね」
「家の周り捜してみようか。もしかしたら散歩に行ってるだけかもしれないし」
不安になる私に宗介が提案してくる。
「……」
「どうしたの、アユム」
黙り込めば、宗介が尋ねてくる。
ワンワンと犬の声。
「散歩なら……ラブを連れて行くんじゃないのかな」
先ほどからうるさいのは、シズルちゃんの家の庭で飼われている犬のラブだ。
賢い大型犬のラブラドールレトリバー。
昨日会ったときも、全然ほえなくて、とても利口な犬だった。
よく耳をすませば、吼える声と一緒にガリガリとドアを引っかく音が聞こえる。
玄関のドアを開ければ、ラブが背中を向けて走り出した。
まるでついて来いというように。
家の裏手の方にまわる。
そこには、シズルちゃんが倒れていた。
「シズルちゃん!」
慌てて近づく。
体はまだ温かいけれど、息遣いが聞こえない。
「叔父さんたち呼んでくるね!」
宗介が立ち去って後も、何度も何度も名前を呼んだけれど、シズルちゃんは応えてはくれなかった。
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雨がしとしと降る中、私は初等部六年生の時のことを思い出していた。
宗介の育ての親である山吹夫妻がいなくなった日のこと。
大切な人が突然いなくなるということは、悲しみよりも先に喪失感がくる。皆がなんで泣いてるのか、私は理解できずにいた。
いや本当はわかってる。
でも、昨日までは元気だったのに。
これから先もずっと当たり前のように、シズルちゃんはそこにいるものだと思っていた。
黒い服に身を包みながら棺桶の中を見れば、白い服を着て静かに横たわるシズルちゃんの姿。
寝てるだけとしか思えない。
事実を認めようとすれば、息が苦しくなる。
手足から感覚がなくなっていくような心地がした。
そんな私の肩を宗介が何も言わずに抱き寄せてくれる。
もうすぐ大学も終わりの冬。
シズルちゃんは、突然の心臓発作で亡くなってしまった。
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★大学等部4年 冬 (23歳)
●シズル死亡




