【46】大学生活がはじまりました。
学園の大学部は敷地かなり広く、色んな学部学科がある。
人数が多いので、この場で行なわれるのは教育学部だけの入学式だ。
新入生だけでも千人近くはいるらしいから、そうそう会うこともない。
宗介の受け売りを心の中で唱えながら、自分の席を捜す。
「お兄……お姉ちゃん!」
声がしてそちらを見れば、シズルちゃんがいた。
ぎゅっと腰に抱きつかれる。
一つ年下の従兄妹であるシズルちゃんは、今年大学に入学してきたので同じ一年だ。
学部は一緒だけれど、私と宗介が理数科なのに対してシズルちゃんは芸術科。
絵が上手いシズルちゃんは、美術の教師を目指すつもりらしい。
今野アユムの父方の従兄妹であるシズルちゃんは、私の事情を両親から聞いて全部知っている。
大学生になったのに相変わらずシズルちゃんは幼い顔立ちで、中学生くらいにしかみえない。
子犬を思わせる仕草で、私がこうして大学に通うことを喜んでくれていた。
一年次は基礎を学ぶことになっているから、重なる教科も多い。
シズルちゃんも私のフォローにまわってくれる心強い味方の一人だった。
昔からシズルちゃんは、私のことをお兄ちゃんと呼んで懐いてくれていて。
だからこそ、女だということがわかって態度を変えられてしまうことが怖くもあった。
けど、そんな心配は杞憂だったみたいで、シズルちゃんはむしろ女になった私の世話を積極的に焼いてくれた。
私が女だと発覚した直後の春休みには、一緒にブラを買いに行ってくれたり、女の子の色んなことをレクチャーしてくれた。
まぁ元の世界では女として過ごしていたし、体としては女のままだったので、そんなに必要はなかったのだけれど。
一人で下着を買いに行ったり、色々入り用なものをそろえるのは大変だったからありがたかった。
あまりにもシズルちゃんの態度が普段と変わらないので、私が女になって混乱しないのかと聞いてみたら。
「正直びっくりはしましたけど……お兄ちゃんじゃなくてお姉ちゃんなら、ずっと一緒にいられます。これはこれでいいかなって」
そう言ってシズルちゃんは着替えをしてきた私に抱きついてきて、嬉しそうにしていた。
「シズル男の人苦手ですし。お兄ちゃんがお姉ちゃんならそれはそれで……素敵だと思います。これからいっぱいシズルが色んなこと教えてあげますね。女の子同士ですから、前よりももっと仲良くなれます」
そう言ってちょっと頬を染めたシズルちゃんのスキンシップは、以前よりも激しさを増すようで。
女の子同士ですからお背中流しますなんて言って風呂に入ってきた時は、正直うろたえてどうしようかと思った。
お姉ちゃんお姉ちゃんと甘えながらも、世話を焼いてこようとするシズルちゃんに、同じく世話焼きの宗介が対抗してきたりして。
シズルちゃんは全く宗介の事を気にしてないけど、宗介の方は絶対ヤキモチを焼いていた。
まぁ、何はともあれ、女性側の味方がいるととても心強い。
そんなことを考えていたら、目の端に真っ白な髪の美少女をとらえた。
「マシロ!」
名前を呼んで手を振れば、女装姿のマシロがこちらへとやってくる。
白雪マユキという女生徒として、高等部に在学していたマシロ。
それは『扉の番人』として、扉を開ける資格を持つ私を近くで見守るためだった。
扉を開けないことを私が選択した今、マシロは大学部へ進学する気なんて一切無かったのだけれど。
私のフォローをするため、同じ学部の同じ学科にマシロは入学してくれていた。
ちなみに女装の『白雪マユキ』のまま入学してきたのは、女になった私をサポートしやすいようにという理由だ。
「マシロじゃなくてマユキだ。間違えないようにしてくれ、アユム」
「いやマシ……マユキこそ私の名前を間違えないでよね。アユムじゃなくて歩だから」
互いに小声で指摘しあって、顔を見合わせて笑う。
宗介だけじゃなくて、シズルちゃんやマシロも手を貸してくれる。
そう思えば、不安と緊張がほどけていくのを感じた。
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マシロと宗介がいるなら、女の子に戻ってもやっていけるだろうと思っていたけれど、私は根本的なことを忘れていた。
そもそも、この二人……あまり仲がよろしくない。
「歩は俺と組むから、白雪さんは別の人と組んでよ」
「仁科、四人席で隣の人とペアを組めといわれたんだ。それだとお前の隣のヤツが余る。素直に左隣のヤツと組め」
理数系に進むとしても、語学は必須の授業科目だ。
英語の時間、隣の人と組んでくださいと言われた瞬間、宗介とマシロが私の取り合いを始めた。
……注目を浴びたくないのに、早々周りの目を集めてしまっている。
しかたないので、宗介の隣にいる男の子と組んで、マシロと宗介には二人で組んでもらった。
納得してないようだけどしかたない。
大学部は高等部の時よりも外部生が多くて、知らない顔だったから安心できた。
この講義には、学園の知り合いはいないみたいだった。
「ゼミのクラスと、必須の英語の時間は理数科だけで固定されているからな。そのあたりは多少融通を利かせてもらった」
この事を口にすれば、マシロがそんな事を言う。
「ただ共通の授業まで手を加えるのは無理だから、そのあたりは気をつけて……」
マシロが言葉を続けようとしたら、目の前からゆっさゆっさと揺れるドリルヘアーの女の子が現れた。
あんな髪型をしてるのは、わたしの友達の理留しかいない。
以前は金髪に見えていた理留の髪だけれど、実際は明るい茶色。相変わらずドリルは健在で、大学に入ってからはますます巻きに磨きがかかっていた。
宗介とマシロが私を隠すように、さっと前に出る。
「あら、仁科くんに白雪さん! お二人とも入学してきたんですの!?」
知り合い二人の顔を見つけて、ぱたぱたと理留がかけてくる。
「うん。今年から一年生で、同じ理数学科なんだよ」
宗介がにこやかに笑いながら理留に言う。
「そうなんですの。仁科くんがここにいるってことは、アユムも帰ってきていますの!?」
宗介の後ろから窺えば、理留の目は期待にキラキラと輝いている。
私が戻ってきたかもしれないということに、喜んでいるようだった。
「ううん。アユムの方はまだ。さすがに一年以上アユムに合わせて休学するわけにもいかなかったから、俺だけ戻ってきたんだ」
「そうですの……」
宗介が首を横に振れば、しゅんと理留が落ち込む。
私がいなくて落ち込んでいるその様子に、悪いなと思うよりちょっと嬉しいなと思ってしまう。
「あら?」
ふいに理留と目が合う。
大きく目を見開いて、まるで幻でも見たかのように目を瞬かせて。
それからゆっくりとわたしに近づいてきた。
「紹介するね。こっちはアユムの従兄妹の歩だよ。遠くに住んでたんだけど、今度星鳴学園の大学部に通うことになったから、アユムの家で預かることになったんだ」
「よろしくお願いしますね!」
先手を打つように宗介に紹介されて、理留ににこっと笑いかける。
アユムだとばれたりしてないか、心臓がバクバクとうるさかった。
「……アユム、ではありませんの?」
じーっとわたしを至近距離で見て、理留がそんな事を言う。
「アユムお兄ちゃんとは顔立ちが似てるからよく間違われるんですけど、私女の子ですよ」
やだなぁというように、笑ってみせる。
自分で自分のことをお兄ちゃんと呼ぶ日がくるなんて思わなかった。
「確かにスカートですし、アユムより声も高いですわね……。本当よく似てますわ」
理留は感心したようすでそう言って、それから手を差し出してきた。
「ワタクシは黄戸理留。アユムの友人ですわ。あなたより一年先輩ですし、困ったことがあったら何でも相談してくださいな」
「ありがとう」
疑われたりしないかなと思っていたけれど、理留はあっさりとこっちが作った設定を受け入れてくれた。
単純というか、理留ってあんまり人を疑わないんだよね……。
そんなお人よしな理留が好きなのだけれど、いつか誰かに騙されちゃったりしないかなと不安になる。
「そうですわ。今からお昼時間ですし、ご一緒しませんこと?」
「今日は遠慮しておくよ。初めての事だらけで、歩が緊張しちゃってるから。こうみえて人見知りなんだ」
そう言って、ぐっと宗介が私の腰を引き寄せて甘い顔をする。
まぁ、と理留が口をあけた。
「もしかしてお二人は恋人同士……なんですの?」
「うん。高校の時から付き合ってるんだ。だから今日は二人っきりで食べたいかなって。白雪さんは暇みたいだから、一緒に連れて行くといいよ」
理留の言葉に答えてから、宗介はちらりとマシロに視線をやる。
あからさまな厄介払いをした宗介を、マシロが睨む。
二人の間には冷ややかな空気があったけれど、そんなことに気付ける理留じゃない。
「白雪さんときたら、入学してくるならそうと言ってくださいまし。オススメの学食を紹介しますわ!」
「あ、あぁ……」
久しぶりの再会ともあって理留のテンションは高く、マシロは連れ攫われてしまった。
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大学生活が始まって一週間。
知り合いにすれ違ったりするたびに、アユムの従兄妹なんですと説明することにも慣れてきた。
アユムにそっくりだねと言われるものの、誰もアユム本人だとは思わないのかそこまで突っ込んだことは聞いてこない。
さすがに男だった同級生が、女になって帰ってくるなんてこと、誰も思いつかないのかもしれなかった。
宗介の言う通り、心配しすぎだったかも。
そんなことを思ったりもしながらすごしていたお昼休み。
ちょっとトイレに行こうとしたところを、個室にひっぱりこまれた。
「ちょ、なにす……」
「久しぶりね、アユちゃん? その姿を見るのは三年の夏以来かしら。何あんた女装癖でも着いちゃったの?」
声質は理留に似てるけれど、全く別のものに聞こえる意地のわるそうなそのイントネーション。
大学にいれば、いつかは接触してくるんじゃないかと一番恐れていた相手がそこにいた。
「さ、どうしてこんな面白そうなことになってるのか、わたしに教えてくれるわよね?」
そう言って、私に向かってにっこりと留花奈が微笑みかけてきた。
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★大学等部1年春




