【45】新しいはじまり
「アユム、会わないうちにすっかり女の子ね」
私に会いにきてくれた母さんが、そんなことを言って微笑む。
その横で父さんは少し複雑な顔だったけれど、そうだなと頷いた。
「そう? 髪が伸びたからかな」
自分じゃあまり自覚がない。
何だか照れくさくてそんな事を言えば、違うわよと母さんに笑われる。
「アユム幸せそうな顔してる。いきなり女の子になって、アユムが辛い思いをするんじゃないかって心配だったけど……これも宗介くんのお陰ね」
「うん、宗介には本当感謝してる」
こんな事になって、両親に心労をかけてしまっているのが気がかりだった。
けれど、母さんの微笑みを見てほっとする。
「宗介くんがアユムを女の子にしてくれたのね」
「ごほっ! か、母さん!?」
母さんの発言に、思わず飲みかけの麦茶を噴き出すところだった。
宗介との関係のことは、一切話してないはずなのに。
そういう意味?
いや違うよね。私が考えすぎてるだけだよね。
今のは過剰反応だったかもしれない。
どうやって誤魔化そうと必死に頭を回転させていたら、父さんが困ったような笑みを浮かべた。
「恥ずかしがることはない。宗介くんから話は聞いてるんだ」
「えっ!?」
思わず自分の横にいる宗介に目をやる。
「ごめんねアユム。やっぱりこういう事はちゃんと言っておくべきかなと思って、アユムとこっちにくる前に二人には話しておいたんだ」
さらりと宗介はそんな事を暴露した。
「こっちに来る前って……何をどう話したの!?」
思わずソファーから立ち上がり、隣にいる宗介を問い詰める。
「昔からずっとアユムが好きだから、女になったなら俺が貰いたいですけどいいですかって」
大分直球だ。
あまりのことに口をぱくぱくさせる私を見て、その反応が可愛いというように宗介が目を細めた。
それから立ち上がって、私の手を握ってくる。
「ふ、二人はそれでいいって言ったの?」
「宗介くんなら安心してアユム任せられるって思ったから、お願いしますって言ったわ」
目を向ければ、母さんはそんな事を言って微笑む。
うちのアユムを貰ってくれてありがとうと言わんばかりだ。
「……アユムは宗介くんに心を許しきってるし、宗介くんがアユムを昔から大切にしてるのは見てわかったからな。その申し出がある前から、向こうに行って女として一緒に過ごせば、いずれこうなるんじゃないかと思ってたんだ」
父さんが苦い顔で呟く。
かなり複雑な心境らしい。
息子が娘になって、しかも嫁入り寸前みたいな心境なのかもしれない。
「その指輪も……宗介くんからもらったものなんだろう?」
「えっ? あっ、これは!」
父さんの言葉に、以前宗介から貰った指輪を薬指にしたままだったことを思い出す。
男という事になっている時は、指輪にチェーンをつけて胸から下げていたのだけれど。
女になったことだし誰も見てないから指に嵌めてほしい。
そう宗介に言われて、指輪は基本的につけっぱなしにしていた。
……うっかり取るのを忘れていた。
宗介がソファーに座り、私もその横に収まる。
それから宗介は真っ直ぐに私の両親を見つめた。
真剣な表情からは、何かの決意か読み取れて戸惑う。
「今俺は仁科の家の仕事を手伝っていて、給料も得ています。結婚するのに十分な資金もありますから、大学に入って少し落ち着いたらアユムと結婚したいと考えてます」
いきなりの発言に驚く。
結婚の話は初聞きだった。
「ちょ、ちょっと宗介!?」
戸惑う私に、宗介が甘やかな視線を向けてくる。
「両親を失って、育ての親も亡くなって。いつも俺の側にいてくれたのはアユムでした。女性になる前からずっと大切な存在で。これからも……俺が大切にしたいんです」
好きだと囁くようなその視線に、体の熱が上がった気がする。
宗介の言葉を頭の中で繰り返して意味を理解しようとするけれど、戸惑いと混乱が大きすぎてうまく処理できなかった。
「……宗介くんなら、アユムを任せられるとは思っているよ。ただ、アユムは元男だし色々混乱もあると思う。それに、大学を卒業してからでも遅くないんじゃないか?」
宗介も私も、大学には受かっていた。
特別処置ということで、一年間の休学扱いになっている。
父さんの渋い顔に、宗介は首を横に振った。
「人はいついなくなるか、わかりませんから。その時がきて、あぁしていればよかったと後悔したくないんです。今ある時間の限り、アユムを大切にしたい」
宗介がそれを言うと、重く響く。
両親も、育ててくれた仁科夫妻も。
宗介を可愛がってくれていた人たちは皆亡くなっていた。
「アユムはどうしたいの? 宗介くんと結婚したい?」
大切なのは私の気持ちだと言うように、母さんが優しく尋ねてくる。
横を見れば宗介と視線が合った。
瞳の中には不安が揺れて、願うようにこちらを見つめてくる。
「ボクは、これからも宗介と一緒にいたい。宗介がボクを望んでくれるなら……夫婦になりたい……です」
精一杯言葉にして、両親に告げる。
最後の方は小さな声になってしまったけれど、どうにか言えた。
「アユム……」
横から聞こえる宗介の声。
そちらを見れば、本当に幸せそうな顔をしていてドキッとする。
むず痒くてどうしようもない、不思議な感覚で胸の中がいっぱいになって。
気恥ずかしくて逃げ出したくなる。
「……わかった。正し条件がある」
父さんが重々しく口を開いて、全員の注目がそちらに集まった。
宗介の目を見据えた父さんは真剣な顔をしていた。
「何でしょうか」
どんなものでも受けて立つというかのように、宗介が緊張した様子になる。
「宗介くんが婿養子になることだ。長男の家系というわけじゃないし、継ぐものがあるわけでもない。ただ……アユムも宗介もあちらの家にとらるのは嫌だ。二人はうちの子だ」
「嫌だってあなた、子供じゃないんだから」
むくれた様子でいう父さんに、母さんが困った人ねと笑う。
「アユムを貰って、その上……二人の子供になってもいいんですか?」
「いいも何も。そうじゃなかったら結婚なんて許すつもりはない。それに宗介くんは引き取った時から、私達の子供だろ」
震える声で尋ねた宗介に、少し怒ったような声で父さんが告げる。
今更まだそんなことを言っているのかというように。
「こんなことになるなんて、思ってもなかった。あいつらとはよく、子供が男女だったら結婚させようなんて冗談で言ってたんだけどな」
「そう言えばそうね。きっと報告したら、天国で驚きながら喜んでくれるわ」
父さんのいうあいつらというのは、宗介の育ての親で親友の山吹夫妻のことだ。
苦笑する父さんに、母さんが微笑む。
「女の子になったちゃったから、相手は望めないかと思ってたけど。宗介くんがアユムを貰ってくれるなら安心ね。ふふっ、早くおばあちゃんになれそうな気がするわ」
「さすがにそれはちょっと気が早いと思うよ!?」
のほほんと口にする母さんに思わず突っ込めば、こほんと父さんが咳払いをする。
「宗介くん、アユムは元男だし色々と苦労するところもあると思う。少しおっちょこちょいなところがあるが、真っ直ぐで明るい子なのは宗介くんがよく知ってるはずだ。これからもアユムを側で支えてやって欲しい」
「はい」
父さんの言葉に、宗介が頷いて。
この日私は、宗介と正式に婚約を交わした。
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そして、私が女の子として生活するようになって一年が立って。
私は学園の前にいた。
「……やっぱり帰る」
「何を言ってるの歩。今日は入学式だよ?」
くるっと踵を返した私の手を、ぎゅっと宗介が掴んでくる。
「いやいや無理だから。こ、こんなヒラヒラしたスカートはいて大学通うなんて敷居が高いよ!」
「元々女の子なんだから、スカートくらいでそんなに照れる必要ないでしょ。ほら、行くよ」
ぐっと足を踏ん張るのに、宗介ときたら容赦してくれなかった。
「嫌ったら嫌だ! やっぱり他の大学に通う! 知り合いにばれたら恥ずかしいもの!」
別に女の子の服を着るのが恥ずかしいわけじゃなくて、私が嫌なのはそっちだ。
一年経った今でも、女になったことを誰にも言ってなかった。
宗介や家族以外で知ってるのは、従兄妹のシズルちゃんくらい。あとは事情を全て知るマシロとクロエだけだ。
夏休みに理留や留花奈、紫苑や吉岡くんには会った。心配してるみたいだから、元気な姿を見せておこうと思ったのだ。
ちなみに、留花奈の方は理留を遊びに誘ったら勝手についてきた。
男装して普段どおりに振舞ったけれど。
理留からは丸くなりましたわねと言われた。
もしかして幸せ太りしてるのかもと焦ったけれど、そういう意味じゃなくて体全体が丸っこいという意味だったらしい。
するどいなと焦ったけれど、笑って誤魔化した。
留花奈からは、どこか呆れたような悟ったような視線を向けられた。
「あんた、アレと完全にくっついたのね……アレが幸せそうなのが腹立つわ」
理留たちと遊ぶ時、宗介もフォロー役として側にいたのだけれど。
留花奈に対して宗介は、私との仲を見せ付けるような行動を取っていた。
慌ててそんなんじゃないと言えば、宗介の行動がさらにエスカレートして。
……後で宗介を叱ったけれど、あれはあまり納得も反省もしてない顔だった。
紫苑の方は相変わらず口数は少なくて。
「元気なら別にいい。勘違いするな、別に心配してたわけじゃない。ただ姿が見えないから、どうしているかとか気になってしかたなかっただけだ」
それを心配しているというのだけれど、紫苑ときたら相変わらずのツンデレっぷりだった。
「紫苑ちゃん……!」
テンションが上がってしまって、元の世界の親友・乃絵ちゃんにやっていたように抱きつけば、一緒にいた宗介に引き剥がされた。
「アユム、ばれるの嫌なんでしょ」
だから抱きつくのは駄目だというように、小声で諭されたけれど。
宗介の声は明らかに不機嫌だった。
吉岡くんとは、宗介も一緒にボーリングに行った。
「それにしても相変わらず仲いいな。二人とも元気そうでよかったよ」
宗介があまり自重してくれないというか、いつも通りだったので、それを見て吉岡くんは呆れたように笑っていた。
仲のいい皆に、どう言ったらいいのかわからなくて。
できれば知り合いが誰もいないところで、女の子として新しく人生をやり直したいなと思った。
でも、星鳴学園ならかなり都合が効くし、宗介だけでなくマシロや従兄妹のシズルちゃんのフォローも受けられる。
悩んだ挙句、私は星鳴学園の大学部にそのまま進学することにした。
「名前だって別のものにしたんだから、シラを切れば大丈夫だよ。誰もアユムが女になって、入学してくるなんて考えもしないから」
宗介の慰めに素直にそうだねと頷くことはできなkった。
確かに普通に考え付く事ではないけど、不安材料はありすぎるくらいある。
今野アユムという名前は、男でも女でもいける名前だ。
しかしさすがにそれでは、私が女になったと疑うものがでてくると予想できる。
万が一周りにばれれば、事はすぐに広まって大事になりそうな気がした。
目立たずに過ごしていきたい私は、いざという時に別人だとシラを切れるよう名前を変えたのだ。
新しい名前は元の世界の時の名前の漢字『歩』で、読み方は『あゆ』。
私はアユムの従兄妹という設定だから、顔が似ていても問題はない。
宗介が私にべったりでも、アユムの親戚ならしかたないと知り合いは思ってくれるだろう。
それに以前、宗介がアユムそっくりな女の子『歩』と付き合っているという噂を、宗介に振られた先輩が流してくれていたから都合がよかった。
あとは上手く誤魔化しつつ、大学生活を謳歌できればいうことない。
しかし直前になると、これ無理があるんじゃないのかと思えてくる。
宗介がべったりしてる、アユム似の女の子。
それを見た人が、アユムを頭に浮かべてしまうことくらいは予想できた。
でもだからといって宗介を遠ざけて、この状況で一人でこそこそと大学に通う勇気はない。
「同じ学部学科じゃない限り、知り合いに会うこともないよ。ほら行くよ」
結局宗介に押し切られて、私は学園の門をくぐった。




