【42】彼を生かすものは
楽しかった夏が過ぎ、秋になって、あっという間に冬。
私が星降祭の劇を下りたことで、紅緒が劇の主役に決まった。
このクリスマスパーティで紅緒がお相手を指名して、その相手が劇でのヒロインとなる事が決まっている。
ギャルゲー『その扉の向こう側』でのメインともいえるイベント。
ちなみに、選ばれた相手役の女の子に拒否権はない。
誰を選ぶのかなと思っていたら、紅緒が指名したのはマシロだった。
マシロはあからさまに嫌そうな顔をしながらも、しかたないと言った様子で紅緒とダンスを踊る。
今年の私のパートナーは、理留だ。
ちなみに、宗介のパートナーは紫苑。
二人は同じクラスで仲がよく、私と宗介にダンスのペアになってほしいと申し込んできたのだ。
前世の親友、乃絵ちゃんとそっくりな紫苑は、結構な人見知りだ。
それに宗介は紫苑に対して、妙なライバル心を持っている。
ここは私が紫苑とペアを組んだほうがいいだろうと思ったのだけれど、宗介によってそれは阻止された。
嫉妬しなくていいよと言ったのに、宗介ときたら本当にしかたない。
義務であるペアとのダンスを一度終えれば、後は自由。
バイキング形式になっている食事でも食べようかと思ったところで、服の裾をつかまれた。
「一曲踊ってくれませんか?」
にこりと笑って話しかけてきたのは、ヒナタ。
ギャルゲー『その扉の向こう側』で、どの攻略対象のルートにおいても主人公を殺しにくるメインヒロイン。
思わず体が強張った。
高校三年生になった冬、つまりはこの時期に主人公はヒナタに刺されてゲームオーバーになる。
ここまできて、そんなのはごめんだ。
「ごめん、ボクちょっと疲れたから」
「そんなこと言わないでください」
微笑むヒナタの瞳は、いつもよりなお赤い。
「わたしずっと今野くんのこと、好きだったんです」
ヒナタの言葉に周りにいた子たちが、こちらを向く。
演劇部であり、このギャルゲーのメインヒロインであるヒナタは透き通った声の持ち主で、ざわめく中でもその声はよく通った。
「……わたしじゃ駄目ですか?」
勇気を精一杯出した告白だよ、というような顔。
真っ白なドレスは穢れがなくて、髪に付けられた薄桃色の薔薇のコサージュは、可愛らしいヒナタによく似合っている。
男ならこんな美少女にそんな顔で迫られて、悪い気はしないだろう。
けれどどうにも私には、ヒナタの全てが作り物めいて見えた。
男の子は弱いとかそういうのが計算しつくされたかのような行動。
留花奈もこういうことを時々やるけれど、それとはまた違う。
どこまでも無機質で、人を真似たような気持ち悪さがやっぱり拭えない。その瞳の奥に、感情をどうしても見つけられなかった。
好かれることをした覚えもない。
一度首を絞められたことだってあるというのに。
ヒナタの考えていることは――全く読めない。
「ごめん、桜庭さんをそういう風には見れない」
きっぱりと断る。
冷たいと思われようが構わなかった。
ヒナタの顔が歪んで、悲しそうな顔を作り上げる。
でも、すぐににっこりと笑って。
「いいんです。わかってましたから。ちゃんと答えてくれて嬉しいです」
健気とも思える言葉を口にして、ヒナタは瞳を潤ませて。
その場を立ち去って行く。
友達がもったいないことをとか、あの桜庭さんを断るだなんてとか、好き勝手言っているけれど。
ドクドクとなる心臓の音がうるさすぎて、それどころじゃなかった。
「アユム」
その声に振り返り、宗介の姿を見て思わずほっとする。
側に行こうとすれば、宗介の顔が強張った。
思いっきり横に突き飛ばされて、床に倒れこんで。
受身を取りながら見えたのは、宗介が無表情のヒナタに刺される瞬間だった。
「宗介ェェッ!」
私の声と同時に、周りから悲鳴があがる。
血が宗介の腹部から流れて。
ゆっくりとヒナタがナイフから手を離す。
倒れこんだ宗介に近づけば、苦しそうに目を閉じていた。
「あ、あ……」
恐れていたことが起きてしまった。
生温かい血が、私の手を濡らす。
どうしてどうしてと頭の中がグルグル回る。
ヒナタを見ればそこに立ち尽くしているだけ。
宗介と私に向けられた目は、何の感情も映し出してはいなかった。
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「宗介の馬鹿、何でボクを庇ったりしたの!」
「とっさに体が動いてたんだ。アユムが無事でよかった」
「よくない! 宗介が怪我したら、意味ないんだからね!」
宗介の傷は思っていたより深くなかったみたいで、ほっとした。
叱られているのに、宗介はどこか嬉しそうで。
私を守れてよかったと、頬を撫でてくる。
「本当に心配したんだよ。なのに、本当にわかってる?」
「うん、わかってる……ごめんね?」
涙目の私を見て、心底嬉しそうに宗介は微笑む。
愛おしそうに見つめてくるその瞳に、本当にわかっているのかと文句の一つも言いたくなった。
「宗介がいなくなったら、ボクがこの世界に残った意味はなくなるんだよ。宗介はボクを一人にする気だったの?」
「ごめん」
怒りを言葉にすれば、ますます嬉しそうに宗介は謝る。
「なんでボクが怒ってるのに、そんなに嬉しそうにしてるの」
「アユムが、俺をどんなに想ってくれてるのかってわかるから……嬉しい」
頬を膨らませば、宗介がそっと口付けしてくる。
私がそこにいることを確かめるかのように、その口付けは深くなっていく。
「俺もね、アユムがいない世界なんていらないんだ」
ゆっくりと互いの顔が離れてから、宗介は秘密を打ち明けるかのように耳元で囁いて。
幸せそうに、微笑んでくれた。
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「アユム、少しいいか」
宗介の病室を出たところで、マシロに呼びかけられて頷く。
ここまではマシロとクロエがついてきてくれていた。
屋上に案内されてドアを開ければ。
そこには――クロエが立っていた。
黒い翼に黒い衣装。
何の冗談かとおもうような、大きな鎌。
そこからは血のような……おそらくは血が滴っている。
赤い眼は光を帯びているように爛々としていて。
私と目が合うと、にっと笑った。
頭の中に思い浮かんだのは、死神という単語。
かつて兄が、ゲームの攻略対象の中にそういうキャラがいると言っていたことを思い出す。
クロエもまた、攻略対象の一人なんだなと頭の隅で思った。
「安心していいっすよ。もうアユムのゲームは終わったっす」
クロエは一瞬にして、翼を仕舞い、鎌もその手から消して見せる。
いつもの学生服に身をつつんで、私に何かを投げてよこした。
それは所々赤に染まった、桃色の薔薇。
ヒナタの頭にあったコサージュ。
「ヒナタをどうしたの?」
「……ヒナタはゲームオーバーっすからね。それなりの対処をしてきたっす」
言葉を濁し、淡々とクロエは口にする。
「あの場面を事象から切り離して、皆の頭の中からなかったことにしたっすよ。まぁ宗介の怪我は特殊なんで、この作業で治せはしないっすけど」
病院関係者の記憶操作が少し面倒っすねと、クロエは肩をすくめた。
「まぁそれはともかく、おめでとうっすよアユム。生き残れた資格持ちって実は初めてっす」
明るくクロエは笑って、左手を差し出してくる。
握手を求めてるつもりらしい。
「クロエ。左手で握手を求めることは、喧嘩を売っているのと同じだぞ」
「そうなんすか。マシロは物知りっすね。利き手がこっちだったから、つい」
そう言って、クロエが再度右手を差し出してきたけれど、その手を取る気にはならなかった。
「ある程度クロエから聞いているんだろう? 学園にある『扉』をアユムが開けるか開けないか。アユムがやっていたのは、そういうゲームなんだ。そのゲームにおいて、ヒナタはアユムを妨害する役割だった」
マシロが見かねて、私に事の次第を説明してくれる。
ヒナタの目的は『扉』を開ける資格を持つ者を殺すこと。
もしくは扉を開けるためのペアに、ヒナタ自身が選ばれる事だった。
「ヒナタが資格を持つ者を殺す際には、ルールがいくつかある。星降祭のペアが選ばれるこの日以降、特殊なナイフで相手を刺す事。刺すのは一度だけで、相手を間違えたらそこで終了だ」
「ヒナタは、本来の資格持ちであるアユムじゃなくて、宗介を刺したっす」
マシロの言葉を引き継いで、クロエが口にする。
クロエの手にはいつの間にかヒナタが持っていたナイフ。
それを弄びながら、ぞっとするほど妖艶な笑みを浮かべて嗤う。
酷く愉快だというように。
「扉を開ける資格者は、創造主から力を与えられるっす。どんな力かは毎回変わるんすけど、それで大体資格持ちに当たりをつけることができるんすよ。けど今回は力を持つ者がイレギュラーで二人いた」
アユムと宗介のことっすよと、クロエは口にする。
「ナイフは一回しか使えない。宗介がアユムを庇った時点で、留まろうと思えばできたはずなのに、ヒナタはそのまま行ったっす。おそらくはアユムだと確信してたわけじゃなかったんすね」
だからもうヒナタは、私を殺せない。
妨害する者はなく、私は生き残った。
扉を開けないという選択肢を私はすでに選んでいる。
だから、ゲームはクリアしたも同然なんだとクロエは口にした。
「……宗介は、全部知ってたの?」
刺されることを承知であの場にいたんだろうか。
そう思ってクロエに尋ねれば、んーと首を傾げる。
「今日刺されることなら、宗介も知らなかったっすよ。おれにも教えられることと、教えられないことがあるっすからね」
「それって、刺されること自体は知ってたって事?」
「まぁ、そうなるっすね」
はぐらかそうとする雰囲気を感じ取りクロエを睨めば、観念したように息を吐いて肩をすくめた。
「元々の宗介の目的は、あそこでアユムの変わりに死ぬことだったっす。そうすればアユムの命は助かることになっていたっすからね」
クロエはそう言って、裏の事情を教えてくれた。
宗介は本来、七歳の誕生日に事故で死んでいるはずの人間だった。
けれど、それを今野アユムが助けたことで運命に歪みが生じた。
世界には運命の歪を勝手に修正しようとする力があるらしい。
あの事故の日に宗介の代役としてアユムが死ねば、歪みは修正され、全てが丸く収まるはずだった。
運命は確率で、クロエに言わせればそれぐらいの誤差はよくあることらしい。
けれどその歪みは修正されることなく、アユムも宗介も生き残ってしまった。
歪みはどんどん大きくなり、歪みに影響されて私達の周りにいる人の運命にまで作用し始めた。
歪みの元となる私と宗介を放っておけば、本来生きるべき人たちの運命を奪う存在――特異点になってしまうとクロエは危惧したらしい。
「おれは本来、仁科クロエなんていう人間じゃなくて死神なんすよ。間違って生きてる人間の魂を、あるべき姿に戻すのもお仕事っす」
クロエはどうやら死神だったようだ。
その告白に、あまり驚いていない自分がいた。
私の反応にクロエは少しつまらなさそうな顔をしたけれど、話を続ける。
私と宗介は二人で一つの運命を背負ってしまっていた。
このまま行くと私と宗介が特異点になり、周りでたくさんの人が死ぬ。
でも、まだどちらかを殺せば――得意点が発生するのを阻止できそうだ。
そう思ったクロエは簡単に殺せそうな私を選んで、殺そうとしたのだという。
「でもアユムには、おれやマシロと同じこの世界の創造主から与えられた力があったっす……だから、その時点で殺す事はできなかった」
クロエが私を殺そうとしていた時期は、初等部五年の終わりから六年の初めにかけて。
それは不運がおかしなほど続いていた時期と重なっていた。
私の命は、今日この日までは創造主によって保障されていたらしい。
だから、死神であるクロエでも奪えなかった。
創造主から新たに与えられた力を持つ者は、『扉』を開ける資格を持つ者。
クロエはそれに気付いて、面白おかしく見守ることに決めたらしい。
「おれの力を宗介に与えて、二人が特異点になる日を今日まで延ばしたっす。まぁ宗介の育ての両親は、それが間に合わなくて亡くなったっすけどね」
本来山吹のおじさんやおばさんは、死ぬ予定ではなかったのだとクロエは口にする。
つまり私や宗介の運命に巻き込まれた、犠牲者ということのようだ。
やさしかった二人の事を思い出して、悪い気持ちになる。
「宗介に力を与えたって……宗介の力はクロエが与えたものなの?」
「そうっすよ。宗介がアユムの側で暮らすことを受け入れて、仁科宗介になることを決めた瞬間に、おれの力の一部が渡るよう細工していたっす」
私の問いにクロエが頷く。
思い返せば宗介の髪や目の色が変わって見えたのも、その時からだったような気がする。
「おれと宗介は取引をしていたんすよ。おれは誰かが扉を開けるところを見たかった。だから宗介がアユムの恋路を応援して、アユムの代わりにヒナタに刺されて死ねば。アユムのそれから先の人生を保障してやるって持ちかけていたっす」
クロエの言葉で、今までの宗介の行動の意味が見えてくる。
中等部に入って、宗介が私の恋を応援するなんて言ったのは、クロエのこの取引が原因だったんだろう。
それでいて、宗介は最初から私の身代わりになって死ぬつもりでいた。
なんて馬鹿なことをと思う。
そんなこと、私は望んでない。
宗介がクロエのことを悪魔だと例えた意味がわかった気がした。
それと同時にこの取引が、元の世界で兄がやっていたギャルゲー『その扉の向こう側』の中でも成立していた事に気付く。
クロエと契約したから、ゲーム内の宗介は主人公の恋路を応援していた。
ヤンデレヒロインのヒナタに殺される時、宗介の好感度が必要だったのは――主人公のために、宗介が死んでもいいと思えるか。
そういう話だったんだろうと、今ならわかった。
主人公のアユムと宗介は二人で一つの運命。宗介が死ねば、主人公は生き延びることができる。
逆に宗介の犠牲がなければ、死ぬ運命は主人公に周ってくるため、ヒナタに刺されて死ぬ。
つまりはそういう事のようだった。
「でも、私も宗介も生きてる。これから……どちらかが死ぬってこと?」
「……」
問いかければ、クロエは黙り込む。
こちらを窺うような、観察する瞳を向けていた。
「なら、宗介を生かしてほしい。クロエならできるんでしょ?」
躊躇いなくそう口にする。
さっき宗介が死ぬかもしれないと思った時、生きている心地がしなかった。
宗介がいなくなってしまったら、私がここにいる意味はない。
そう強く想う。
真っ直ぐに見つめれば、ふっとクロエが笑った。
いつもの悪戯っぽい笑みではなく、どこか優しい、マシロが時々私に見せるような笑み。
そうやって笑えば、クロエは意外とマシロと似ているとそんな事を思う。
「おれが二人を殺すことはもうないっすよ。宗介ともう一つ賭けというか、約束をしていたんすけどね。宗介がそれを貫くと決めたからには、おれは約束に従って二人をサポートするだけっす」
話はこれで全てだと私の横を通って、クロエが屋上から病院内へと繋がるドアを開く。
「宗介を生かすのは、いつだってアユムだけっす。それだけは覚えておいてあげてほしいっすよ」
振り返れば、同じく肩越しにこちらを見るクロエと目が合う。
らしくないなと思うほどに柔らかく笑うクロエのその言葉は、どこか忠告めいて耳に響いて。
ドアの向こうへと、その姿は消えていった。
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★高等部3年秋―冬
●原作ギャルゲーとの違い
1)原作で宗介がヒナタに刺された場合、宗介はヒナタに刺されて一命をとりとめて後、アユムの見てない場所で自分から命を絶つ。(宗介が死ななければ、アユムが死ぬ運命にあるため)
その場合死後はクロエの暗示等により、宗介は留学をしていることになっている。
2)原作でのヒナタは宗介を刺して後に姿を消す(どこかで生きてる)が、今回はクロエがヒナタを始末している。
3)宗介とクロエの間で、特別な取引が行なわれたことにより、アユムも宗介もこの時点まで生き残っている。
4)クロエが自分のルートでもないのに、種明かしをアユムにしている。
5)マシロが多少、クロエに対して協力的である。
6)今まで「扉を開ける資格を持った者」は、全員扉に辿りつく前に『天使』(このゲームではヒナタ)に妨害を受けて殺されてきた。
●ルートA(マシロ編)との違い(93、94話相当)
1)マシロ編での宗介は、この夜の時点で死んでいる。




