【34】二日目の夜と黒い翼
「恋人同士の部屋に割り込むのは野暮だと思うんですけどね。遠慮してくれませんか」
「うるさい。アユムをお前みたいな奴とこんな日に同じ部屋にしたら、何されるかわかったものじゃない」
低い宗介の声が右側から、不機嫌そうなマシロの声が私の左側からする。
ふたりが両側から密着してくるせいで、せっかくいいホテルのいいベッドで、広々と寝られる予定だったのに台無しだ。
「何したって、他人のマシロさんには関係ないでしょう?」
「……ぼくはアユムの友達だからな。みすみすお前の毒牙にかかるところを見逃すわけにはいかない」
私を挟んで、宗介とマシロが会話する。
火花がバチバチと散っているのは、きっと気のせいではないはずだ。
「友達……ねぇ? 友達なら友達の恋路を邪魔するのはよくないことだと思うんですけど。別に俺がアユムに強いてるわけじゃなくて、アユムも俺を選んだんです。それに……あなたはアユムの選択に文句をつけてはいけない立場でしょう?」
「それは……っ」
少し意地悪な口調でくすっと笑う宗介に対して、マシロが言葉を詰まらせる。
二人の会話の奥底に、私が知らない何かがあるように思えて落ち着かない。
「ちょっと二人とも、喧嘩しないでよ」
「喧嘩なんてしているつもりはない。こいつが勝手に突っかかってくるんだ。まぁ不毛なことには変わり無いな」
たしなめれば、マシロがそう言って溜息を吐いた。
どうやら宗介との言い合いはやめてくれるつもりらしく、その声から険が抜けていた。
「それにしても、こうやってアユムと同じベッドで寝るのは久しぶりだ。前はよくアユムが部屋に泊まりに来て、一緒に眠ったのにな」
マシロの方を向けば、懐かしがる口調でそう言って頭を撫でてくれる。
「ゲームをして疲れて一緒に眠って、朝になったらぼくはベッドから落ちてるんだ。アユムは本当に寝相が悪くて手を焼いた」
「うっ……ごめん」
やれやれと言った様子のマシロに謝れば、ぐいっと後ろから体を引き寄せられた。
「ねぇアユム、マシロさんの部屋にお泊りしてたことは知ってたけど……同じベッドで寝てたんだ?」
耳元にする宗介の声。
抑揚が一切なく、感情というモノが欠落したような声なのに怒っているのがわかる。
ひゅっと音を立てて心臓が縮んだ気がした。
「あ、あれはね宗介。あの頃はマシロもボクを女だと思ってなかったし」
「でもアユムは自分が女の子だって自覚はあったよね。なのにどうして泊まったりしてたの。それに、高校生の男のベッドで一緒に眠るなんておかしいよね。しかも泊まったのは一度や二度じゃないし。ねぇ……どうして?」
お腹の方に宗介の手が回される。
どんな顔をしているのか、怖くて振り向けない。
私を問い詰める囁きは、言い逃れを許さないというような含みを持っていた。
「ほらあの時のボクは初等部の子供だったし、マシロとはそういうのじゃないから平気かなって思って。だってほら、男女とかそういうのを飛び越えた友達だしね!」
「……アユムは友達となら、一緒にこうやってベッドで眠ったりするんだね? そういえば前に吉岡くんがテスト勉強に来たときも、二人で仲良くベッドで寝てたっけ。アユムは男に対する警戒心が足りなさ過ぎるよね……俺がちゃんと教えなきゃいけなかったかな」
慌ててフォローを入れれば、宗介が呟く。
その教えるという響きが妙に艶めいていて。
吐かれた溜息がうなじをくすぐって、ぞくぞくとした。
「男に対する警戒心がなさすぎるというところは、そいつに同意だな。アユム、特にそいつには気を付けた方がいい」
私の手をぐいっと引いて、マシロが体を引き寄せてきた。
「……何もかも奪われて、壊されてから後悔しても遅いんだぞ。今ならまだ引き返せるんだ」
ふいにマシロが耳元で囁く声は、私を心から心配してくれているようで。
側にある顔は、苦しそうな顔をしていた。
「大丈夫だよマシロ。宗介優しいし、それにその」
マシロは私が本当は女である事を知っている、年上の友人だ。
何よりも親身になって私のことを考えてくれていて。
その気持ちは、とても嬉しかった。
「ボクは、宗介のこと好きだから」
告げればマシロは、少し黙り込んで。
「そうか。それがアユムの選択なら――ぼくには止められない」
それから困ったような、どこか辛そうな顔で私の頭を撫でてくれた。
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昨日は結局気付いたら寝ていて、朝になったらマシロはいなかった。
朝食の席で遠目にその姿を確認したから、マシロが自分の部屋に不在だったことは、上手く誤魔化せたんだろう。
マシロには暗示の力もあるので、あまり心配はしてなかったけど少しほっとする。
朝食はバイキング形式。
和風にしようかなと納豆のカップを手にとったところで、すすっとクロエが近づいてきた。
「アユム、昨日はマシロと宗介を部屋に引き込んで何してたんすか?」
「なっ!」
含むようなからかい笑いを浮かべてくるクロエに、思わず戸惑って声を上げてしまう。
「何でそのこと知ってるの!」
小声で叫べば、クロエはにっと目を細める。
宗介がマシロに取引を持ちかけているのに、クロエは気付いていたらしい。
それで面白いことになりそうだと、密かに私達のことを見張っていたようだ。
「しかし驚いたっすよ。マシロがアユムに正体をばらすなんて。扉の番人は、中立っすからね」
面白そうに、クロエは口にする。
「……前にもそれ言ってたね。マシロって一体何者なの。歳とってないみたいだし」
――学園にある扉をあける資格を持っている私が、誰を選んで扉をあけるか、開けないか。
『その扉の向こう側』という世界に巻き込まれた私が、やらされているゲーム。
マシロは学園にある扉の番人で中立の立場にいる審判だと、前にクロエからは聞いていた。
「人間じゃないんすよマシロは。この世界の創造主の一部で、ずっと同じ見た目でこの学園にいて――扉の番人をしてるっす」
ざわざわと騒がしい中で、誰も私達の会話を聞いてる者はいない。
野菜も食べなきゃ駄目っすよと言いながら、私の皿に野菜をクロエが盛る。
世話を焼くふりをしながら、まるで世間話のように口にした。
「創造主って、この世界を作った人ってこと?」
「この世界を作った神様――神様はまた別にいるからややこしいんすけどね。とりあえずそれで当たってるっす。けどマシロは創造主の一部であって、創造主自身ではないっすから、本人は自分の意思で動いてるっすよ?」
尋ねる私にクロエは答えて、手が止まっているっすよと囁く。
普通どおりにしていろという事らしい。
「マシロは人を愛する創造主の心っす。それでいて中立の立場だから、ゲームに口出ししてはいけないことになっているっすよ。前にマシロといる時に俺と会ったじゃないすか。あの時には多分、マシロはアユムがゲームの主人公だと薄々感じてたんじゃないっすかね?」
だから中等部になって、マシロは私から離れて行った。
そう言いながらクロエは私の反応を観察しているみたいだった。
「あのマシロが自分から動き出すなんて無かったことっすよ。アユムへの過度な接触、選択肢の誘導は扉の番人としてアウトなのにそれを犯してまで忠告してくるあたり……アユムは相当マシロに好かれているっすね」
ぞくぞくすると言ったような、恍惚の表情をクロエは浮かべる。
まるで私やマシロや宗介が、ゲームの駒であるかのようにクロエは見ている。
やっぱり好きになれそうにないとそんな事を思った。
「ねぇ、宗介もマシロが扉の番人だってことは」
「知ってるっすよ。それもあって二人は仲が悪いっす。扉の番人は見守るだけっすけど、マシロはアユムの幸せを望んでしまっている。けど宗介が望むのは――」
尋ねた私にクロエがニヤニヤ笑いを浮かべながら、答えようとして。
しまったというように私の後ろへ視線を向けて、クロエが口を開ける。
何があったんだろうと後ろを振り返れば、テーブル席に座っている宗介とマシロがこっちに向かってきていた。
「話の続きを聞きたいなら、深夜一時に部屋のべランダで待ってるっす。そしたら迎えに来るっすから」
こそっと耳元で囁いて、クロエは立ち去ってしまった。
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今日も何故か宗介とマシロに挟まれて眠って。
深夜一時になったところで、そっとベッドを抜け出す。
べランダに出れば夜風が気持ちよかった。
宗介が望むもの。
それが何なのか、クロエは教えてくれるという。
マシロが望むのが私の幸せで、宗介は……そうでないと言ってるかのようだった。
クロエの言うことをあまり間に受けてはいけない気がするけれど、気になった。
この世界である『その扉の向こう側』はもともとギャルゲーという男性向け恋愛シミュレーションゲームだ。
正しく言えば、ゲームではなく現実に存在する世界だとクロエは言っていたけれど、それはまぁ置いておくとして。
このゲームのそもそもの目的は、主人公の男の子が攻略対象の女の子たちと恋愛関係になるところにある。
恋愛関係になるだけじゃゲームはクリアできなくて、高校三年生になった時に行なわれる星降祭で主役を演じる必要があった。
そこで主役になって、意中の攻略対象と一緒に学園内にある扉を開けることができればゲームクリア。
扉を開ければ願いが一つ叶い……私は元の世界へと戻れるはずだった。
けれど今の私は、元の世界に戻る気はなくて。
この世界で宗介とこのまま暮らして行きたいと思っている。
その障害になるのが、このギャルゲーのメインヒロイン桜庭ヒナタ。
どの攻略対象のルートでも現れて、主人公を殺してしまうとんでもなヤンデレメインヒロイン様。
彼女を回避するには、幼馴染でサポートキャラクターの仁科宗介の好感度が必須だという謎仕様。
ギャルゲーなのに、男性キャラの好感度を上げないとクリアできないギャルゲーなんて奇抜だった。
高校三年生の冬になれば、桜庭ヒナタがおそらく私を殺しにやってくる。
――わたし以外を選んだなら、あなたはいらないの。ごめんね。
そう言って、ヒナタは主人公を刺すのだ。
ちなみにこのゲーム。
ヒナタ自身を選んだ場合、好感度が高いとヒナタがクリスマスパーティのすぐ後に主人公の目の前で自殺する。
好感度が低い場合は、そのまま扉の向こうへ行けるという……ここもまたよくわからない仕様になっていた。
ゲームを作った人は、一体何を考えていたんだろうかと言いたいところだけれど。
このゲームを製作した人は、この世界を作った創造主様だとクロエは言っていた。
『その扉の向こう側』というギャルゲーは、これから起こるだろう未来の形の一部。
……そう捉えていいんだと思う。
宗介を選んだ場合も、ヒナタは主人公を刺しにくるんだろうか。
でもそんな選択肢は『その扉の向こう側』になかったから、わからない。
クロエはおそらくゲームに深く関わっているキャラクターだ。
だからきっと、何かヒントを持ってる。
宗介だけでなくマシロもクロエを嫌っているし、私も苦手なのだけれど。
飛び込むだけの価値は……あるんじゃないかと思えた。
しかし、べランダで待ってろって言われたけど。
どうするつもりなんだろうと思う。
隣のべランダを渡ってくるにしても、距離が遠い。
まぁ一時になれば分かるかなと思いながら、ぼーっとしていたら目の前に影が落ちた。
「お待たせしたっすね」
手すりに着地したクロエには、黒い翼。
体を支えられそうなほど大きな翼は、月に照らされて黒く艶やかに光っていた。
「……っ!」
思わず叫びそうになれば、クロエが翼を畳んで私の口を押さえた。
「しーっ、何を驚くことがあるっすか。おれが変身能力を使えることはアユムも知ってるはずっすよ?」
確かにそれは知っていたけれど。
人限定だと思っていた。
そんな風に黒い翼を生やすことができるなんて、想像できるはずがない。
「じゃあ、行くっすよ」
私を抱えてクロエは飛び立って。
そうして着いたのは、非常階段だった。
踊り場で翼をしまって、私を下ろす。
「宗介が望むことって何?」
「……思春期の少年の口からはなかなか言えないっすからね。実際見てもらったほうが早いかと思うっす」
単刀直入に尋ねれば、クロエはにやっと笑う。
誰がどう見たって、何かたくらんでいる顔。
これから起こることを想像して、わくわくしていると言った様子だ。
「アユムには少々刺激が強すぎるかもっすけど、覚悟はいいっすか?」
「――うん」
最後の確認を取られて、ごくりと唾を飲みながら頷く。
「くくっ、いい返事っすね!」
楽しくてしかたないというように、クロエは笑って。
ここからは静かにと忠告して後に、902号室の扉をノックした。
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★高等部2年 秋
●原作ギャルゲーとの違い
1)特になし
●ルートA(マシロ編)との違い(84話相当)
1)マシロの事情をアユムに話すのが、マシロ自身ではなくクロエになっている。
2)クロエが黒い翼をアユムにこの時点で披露している。
3)アユムが二日目の夜に902号室を訪れる理由が、少し違っている。




