【29】夏休みと言えば海ですわよね!
高等部二年になった春。
私は着実に紫苑との距離を縮めていた。
元の世界で亡くなってしまった親友の乃絵にそっくりな女の子。
彼女は乃絵じゃなくて、『その扉の向こう側』に出てくる攻略キャラの一人、紫苑だ。
それはわかっているのだけれど、一緒にいればいるほど、その違いどころか共通点ばかりが目に付いて本人じゃないかと思えてくる。
乃絵ちゃんの面影ばかりを追って、今の紫苑を傷つけるのはよくない。
でもやっぱり重ねてしまう。
なら、どっちも好きで大切な親友ということでいいじゃないかと私は考えることにした。
それ以来、押せ押せとばかりに遊びに積極的に誘ったりして、うまいことアプローチは進んでいた。
「それでね、紫苑ちゃんと夏になったら海へ行く約束したんだ!」
夜、テレビをつけたままの居間で、アイスを食べながらこの夏休みの計画を語る。
もうすぐ夏休みということもあって、私のテンションは高かった。
「へぇ? そうなんだ。アユム泳げないのにどうしてそんなに乗り気なの?」
宗介が私に質問してくる。
少し冷たいような口調なのが気にかかったけれど、紫苑がオッケーしてくれたことが嬉しくてさほど気にならなかった。
「乃絵ちゃんね、ずっと海に行きたがってたんだ。泳いでみたいんだって言って。海って雑菌だらけだから、駄目って言われてたんだよ。もしかして紫苑ちゃんもそうじゃないかなって思ってたら、案の定そうだったんだ」
けれど、こっちの紫苑は乃絵ちゃんよりも丈夫だ。
病弱というよりは虚弱。
すでに病気は完治していて、体力のないためよく熱を出す程度だった。
もしかしたら、一緒に海に行けるんじゃないか。
乃絵ちゃんと約束して、行けなかった海に。
別人ということはわかっているけれど、やっぱりどこかで重ねていて。
喜ぶ顔がみたいなと、思ってしまう。
「さすがに上半身裸は抵抗あるから、上にパーカーを羽織って海には入るよ! 紫苑ちゃんが行ってくれるっていうのに、海に入らないなんてできないからね!」
「へぇ……」
今から楽しみだ。
うきうきしながらそんな事を考えていたら、テーブルを挟んで向こう側に座っていた宗介が、横に腰を下ろした。
コトンと音を鳴らして、テーブルにアイスのカップを置く。
それから宗介は、すすっと私の方へ上半身を寄せてきた。
「そこまでして、相馬さんと海に行きたいんだ?」
「うんまぁね……って、宗介。近いんだけど」
思わず体を引く。
宗介の顔から表情が消えてることに今気付いた。
何故か宗介が怒っている……!
けど、どうして怒っているのかわからなくて混乱する。
「心配しなくても、海で危ない事しないよ?」
「そんなの当たり前でしょ。ねぇ、相馬さんと海って二人っきりで?」
私の言葉に、宗介が淡々とした声で聞いてくる。
「いや、倒れたら怖いし、紫苑ちゃんのお母さんも一緒だよ?」
「そっか。というかさアユム。相馬さんと遊びに行きたいのはわかるんだけど、アユムは一応男の子ってことを忘れてるんじゃないかな。女の子と二人っきりで海なんて、勘違いされちゃうよ?」
宗介に言われてはっとする。
紫苑と仲良くなれたのが嬉しくて、つい女の子同士の気分でいた。
「確かにそうかも……でも、お母さんもいるし」
「そういう問題じゃないよ。アユムが相馬さんの立場になって考えてみて。仲良くなった男の子が二人っきりで海に行かないって誘ってるんだよ? どう思う?」
言いよどめば、宗介がさらに質問を被せてくる。
そんな状況が前世になかったとは言え、かなり大胆なお誘いだということは理解できた。
「水着ってさ、下着と面積は変わらないよ? それをオッケーするってことは、アユムにそれを見せていいって思ってるってことだよね。それくらいは好意を抱かれちゃってるってこと、ちゃんと自覚したほうがいいよ」
確かに宗介の言う通りだ。
男の人の前でアレを着るのは勇気がいる。
「つまり、紫苑ちゃんは私になら水着を見せていいと思ってくれてるってことだよね。そこまで仲良くなれたんだ……」
つい嬉しくなってしみじみすれば、ぐいっと肩を押されてソファーに押し倒された。
「えっ? 宗介?」
「言いたいのはそういうことじゃない。アユムの恋人は俺だよね。一番の親友だって俺のはずなのに、紫苑紫苑って……」
戸惑いの声をあげれば、宗助が眉を寄せて唇を噛み締める。
その表情は思いっきり拗ねていた。
「もしかして……宗介、紫苑ちゃんにヤキモチを妬いてる?」
まさかと思って口に出せば、宗介の眉間のシワが深くなる。
「……そうだよ」
格好悪いと思っているのか、少し視線を逸らして宗介が口にする。
「紫苑ちゃんは女の子だから、恋愛対象にはならないよ?」
「わかってるよ。でも面白くないんだ。アユムが嬉しそうだから、我慢してたけどもう限界」
言えば、見つめてくる宗介の目が私を求めるように潤んでいた。
「アユムが俺以外を見て、幸せそうな顔するのは……腹の底がもやもやするんだ。あんな目で、俺以外を見ないでよ」
「あんな目ってどんな目のこと……?」
宗介の手が頬に触れてくる。
高校に入ってますます骨ばった宗介の手は、自分の手とは違う感触を伝えてきてドキドキとしてしまう。
「愛しくてしかたないって顔。相馬さんがそこにいるだけで、幸せだって顔。あれはアユムの知ってる乃絵ちゃんじゃないんだよ?」
「わかってる」
言われなくても、何度も自分に言い聞かせたことだった。
口にすれば、宗介が溜息を吐く。
「わかってないよ。だってアユム、彼女に対する態度が最初から慣れ慣れしかったし、名前呼ばれるたびに嬉しそうにする」
「それは……まぁ確かに乃絵ちゃんと似てるから、馴れ馴れしくはなったけど。ちゃんと別人だって今はわかってるよ」
責めるような宗介に、視線を逸らして口にする。
「俺は相馬さんをアユムがどう思ってたっていいんだ。ただ……」
そこで一旦躊躇するように、言いよどむ。
「何、宗介。言ってよ」
「ちゃんと……俺ににも構ってほしい」
促せば顔を赤くして宗介が口にして、思わずきょとんとしてしまう。
「ははっ、あはは!」
「笑わないでよ」
思わず笑いが漏れれば、宗介は恥ずかしそうな仏頂面になる。
「大丈夫だよ、宗介。ちゃんとボクの一番は宗介だから」
ソファーに寝そべる形になってる私の上にいる宗介に手を伸ばす。
情けない顔が可愛くてしかたなかった。
ぎゅっと抱きしめて、宗介の重みを感じる。
「もしかして、ずっとそんな事思ってたの?」
「……格好悪くて、心が狭いやつだってことはわかってるんだ。乃絵さんのことをアユムが大切に思ってることは話を聞いてわかったし、俺に向ける好きとは違うからいいかなって思ってたんだけど。アユム、相馬さんに夢中で放課後も図書館に行っちゃうし、俺がいるのに相馬さんの話ばかりするから」
宗介の言葉は肯定と一緒だった。
全く宗介はしかたないなぁと思う。
それと同時に、愛されてるなぁと思って満たされた気分になる。
私も大概、宗介に毒されてる。
そんなことを思った。
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「この席、いいですこと?」
「うんいいよ」
図書館横の談話室。
私と紫苑が放課後よくいるこの場所に、夏の始め頃から理留が通ってくるようになった。
談話室では本を持ち込み、お茶やお菓子を食べてもよく、お喋りもしていいことになっている。
ほとんど人が来ない上にお茶も飲めるので、紫苑は図書館よりも実はこの場所にいることの方が多い。
談話室には円形のテーブルがいくつかあるけれど、私はいつも紫苑の前に座っていた。
そうしていると、本を読んでいるフリをしながら紫苑の表情を見ることができるから。
理留は、そんな私と紫苑の間に座る。
ここ最近、理留は恋愛小説にはまっているらしい。
図書館で本を借りては、私や紫苑と一緒にこの場所で本を読むことが増えた。
「そういえば相馬さん、この本面白かったですわ! 主人公がまさか月に行ってしまうなんて予想もしませんでした」
「吸血鬼ものだと思って私も油断していたんだ。その手があったのかと思った」
紫苑は人見知りだけれど、理留とはわりとすぐに打ち解けた。
理留は意外と読書家で、紫苑と本の趣味が合うみたいだ。
これいいですわよねとか、他にオススメありますかとか。
好きな本の話題について話せることが紫苑は嬉しいらしく、理留と話している時はとても楽しそうに見える。
紫苑が誰かと楽しそうにしているのを見てると、幸せな気分になる。
こういう風に友達ができることを、きっと紫苑は望んでいたし――乃絵ちゃんも望んでいたから。
重ねるのはよくないなと意識の片隅で思いながらも、感情の部分は止めようにも止められない。
「ところで、もうすぐ夏休みですわね。夏と言ったら海、そう思いませんこと?」
唐突に理留が前の話題と全く関係ないことを言って、私と紫苑に目を向けた。
「そうだね。山もいいけど、海はいいよね」
話題に頷けば、キラリと理留の目が光る。
「ですわよね、海いいですわよね! 夏は海しかありませんわよね!」
立ち上がった理留が、身を乗り出して私達二人に同意を確認してくる。
「あ、あぁ」
「うん……どうしたの、理留そんなに興奮して」
その迫力に紫苑も私も、思わず二人して押されてしまう。
「実は、ワタクシの別荘にプライベートビーチがあるのです。なので二人をぜひぜひ招待したいのですわ!」
「いいの? ちょうど紫苑と、海に行く約束してたんだ!」
食いつけば理留はもちろんですともと、胸を張った。
その顔には、まるで作戦の成功を喜ぶような得意げな表情がある。
理留の誘いは、渡りに船だった。
タイミングいいなぁと思いながら、同時に疑問が浮かぶ。
「でも珍しいね、理留泳げないのに海に行こうって誘ってくるなんて」
「っ!? 何でワタクシが泳げないのを知って!?」
その疑問を口にすれば理留が後ずさり、ガタッと椅子が音を立てた。
「あっ、やっぱりまだ泳げないんだ? ほら、初等部の二年の時に迷子になった時、歌ってたでしょ。夏休みハワイの海に行ったけど、実は泳げないのを知られるのが嫌で腹痛のフリしてたら、楽しみにしてた食事が全部お粥に……」
「わーわー! 何を言ってるのですかアユム。そんな事実はありませんことよ!」
慌てて理留が私の口を押さえにかかった。
騒がしいと紫苑に叱られて、理留はしゅんとしたように席に座る。
「こほん。とにかく、これで三人で海へ行くことは決定ですわね」
「いいのか……私まで行って」
誤魔化すような咳払いの後で理留がそう口にすれば、紫苑が呟く。
私なんかが行ったら迷惑だろうにと思っている様子が窺えた。
「いいから誘ったのですわ。それに泳げないのを知っている二人なら……ワタクシも泳ぐ練習ができますし」
もしかして、泳ぐ練習がしたかったから誘ったんだろうか。
ふとそんなことを思ったけれど、理留は直前まで泳げない事を隠したがっていた。
何だか変な感じがする。
「そうそう、アユム。ついでですから、仁科くんも誘ってきていいですわよ。男一人では肩身が狭いでしょうし」
そこまで最初から用意された台詞のように理留が口にして、そこでピンとくる。
「……理留、もしかして宗介にボクたちを海に誘って欲しいって頼まれた?」
「な、なななんでそこで仁科くんが出てくるんですの! 全然全く無関係ですわ!」
理留は本当にわかりやすい。
ふいっと視線をあさっての方向へ向けるその顔には、マズイどうしようバレちゃったと書かれているようなものだ。
「そう言えば、理留がここに来たのも不自然だよね。図書館で本を借りた時は、エトワールの専用サロンで読んでたのに。どうしてわざわざ談話室に来たの?」
「さ、サロンまで待ちきれないほどに、この恋愛小説が面白すぎたのですわ!」
ゆっくりと問い詰めるような口調でそう言えば、理留の声が上ずる。
「ふーん」
理留はだらだらと冷や汗を垂らしている。
なんとなく、事情は読めた。
私が紫苑との時間を大切にしたいと思っていることを、宗介はわかっている。
だから、私が図書館に行くのをどんなに不満に思っていても止めはしない。
昔から宗介は、私が危険なことをしない限りは、自由にさせてくれる。
私にどうして欲しいとか、してほしくないとか。
思っていることを伝えるようになったのは、本当にごく最近のことで。
昔から宗介は内に溜め込む傾向があった。
最近では、紫苑と放課後一緒に過ごすのは週三回くらいにしている。
宗介が自分との時間を作ってほしいと、わがままを言ってくれたので、平日の残り二回は宗介と過ごす。
そうは言っても、家に帰ればいつだって宗介には会えるし、ただ一緒にいるだけなのだけれど。
紫苑と私が二人っきりっていうのは、面白くなかったんだろう。
理留を使って、二人っきりにさせないようにしようと考えたに違いない。
私が紫苑と二人だけで海に行こうとしてることを、理留にさりげなく伝え。
理留から海に誘うように、仕向けたんだろうなという事が手に取るようにわかった。
まったく……宗介ときたら。
ちゃんと宗介が一番だよって言ったのに。
「まぁいいけどね」
本当に嫉妬深いというか――可愛いことをしてくる。
呆れるというよりも、しかたないなと思ってしまって、くすっと笑いが漏れた。
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★高等部2年春―夏
●原作ギャルゲーとの違い
1)特になし。
●ルートA(マシロ編)との違い(78話―83話相当)
1)紫苑の好感度がマシロ編より高い。
2)本編には書かれていないけれど、従兄妹のシズルちゃんは学園に入学している。
3)マシロ編ではマシロと夏休みに海へ行っているが、理留と紫苑、そして宗介と行く計画になっている。




