【10】ドリルとお茶会
学園内で迷子になっていた私とドリルは、どうにか日が沈む前に初等部の校舎に辿りつくことができた。校舎が見えたときは、お互いにはしゃいで抱き合ってしまった。
困難な時間を共有したせいか、前ほどドリルへの苦手意識もなくなっていた。
廊下であったら挨拶くらいはするくらいの仲になった。妹の方が不思議そうにしていたけど。
幼いとはいえ道に迷って泣きべそかくような奴が『死神』だとも思えないし、ドリルはそれほど危険じゃなさそうだ。私はそう判断していた。
それから、二週間がすぎて。
放課後の教室に、ドリルが一人でやってきた。
みんなが注目する中、私の前に立つ。
「黄戸さん、アユムに何か用?」
すっと宗介が私を庇うように間に入る。
「えぇ、この前のお礼をしにきましたの」
一学期末にあったテストの件もある。私に何か言いにきたのだと宗介は警戒していたんだろう。
虚をつかれたような顔をしていた。
「この前って?」
「それは・・・・・・そう、今野くんに珍しいお菓子を分けてもらいましたの。それで今度はワタクシがご馳走してあげようと思ってきたのですわ」
迷子になったことをドリルは言いたくないようで、そんな風に誤魔化す。
私はそれがありがたかった。
何故なら、あの日の事を私は宗介に言ってない。
一人で歩き回って、道に迷ったなんて言ったら、怒られるのは確実だからだ。
宗介は自分がいないところで、私が無茶をするのを一番嫌う。
夏休みにそれは学習済みだった。
「黄戸さんが言ってること本当なの、アユム?」
「まぁね。この前宗介が休んでた日に、偶然黄戸さんと会ってさ。駄菓子に興味持ったみたいだから、いくつかあげたんだよ」
なんでドリルと私がお菓子をあげたりする仲になってるのか、宗介は不審に思っているようだった。
「別にお礼なんてよかったのに」
そう言った私に、いいえとドリルは首を横に振った。
「それではワタクシの気が済みませんの。今から時間はありまして? お茶に誘いたいのですけど。あれに負けないとっておきのものを用意しましたのよ」
「特に何も用事はないけど」
「なら、行きましょう。山吹くんもお暇なら、一緒にどうぞ」
ドリルは結構律儀な性格のようだ。
そこまで言われて、断る理由もないので私はその誘いを受けることにした。
すたすたとドリルが歩きだしたので、それに続く。
「どうする、宗介は行く?」
「はって、アユムは行くつもりなの?」
ぱちくりと宗介は目を瞬かせた。
宗介の困惑もわかる。
私はドリルをあまりよく思ってなかったからね。
それがいきなりこんな親しげだと、戸惑うのも無理はない。
「だって折角だし、わざわざ用意してくれたのに、無駄にしちゃわるいでしょ。行きたくないなら、宗介は先帰ってていいよ」
「俺も行く」
先に歩き出した私に遅れない様に、宗介は早足でついてきた。
案内されたのは、校内にあるサロンだった。
前世の小学校にはサロンなんてものはなかった。
なかよし広場とかいう、何もない遊べるスペースはあったけど、それと似たような感じだろうか。
そんな風に思いながらサロンに足を踏み入れて、想像が間違っていたことを私は知った。
テーブルクロスのかけられたテーブル。
その上にはお菓子。
執事っぽい人たちが脇に構えていて、給仕している。
みんなそこでおしゃべりしたり、お絵かきしたり。勉強したり。
優雅という言葉がピッタリだった。
そこに混じる私は、まさに白鳥の群れの中に混じるアヒルの子だ。
サロンの中には私たちの他に、上級生と思われる子が二組くらいしかいなかったけれど、皆興味津々の目で見てくる。
居心地の悪い思いをしながら、奥の特等席と思われる場所に案内される。
そこには仕切りがあり、個室のような空間になっていた。
ドリルがアレをと指示すると、横に控えていた執事がかしこまりましたと礼をして紅茶を持ってくる。
「ありがとうございます」
礼を言って、紅茶に砂糖を入れようとしたら、ドリルにとめられた。
「最初はそのまま飲んでごらんなさい。これはワタクシが用意したものなのだけど、特別なフレーバーなの」
本来紅茶には砂糖を入れる派なので、えーっと思ったが素直に従う。
ドリルは小学校二年生にして紅茶のフレーバーにこだわりがあるらしい。
言われた通りに一口飲むと、花の風味がふわっと鼻にのぼってきて、胸がすっとする感じがした。
「なんか、すっとする感じ。何これ」
「でしょう? リラックス効果があるハーブを少し加えてありますの」
にこりとドリルが笑う。
もしかして、少し緊張した私を気遣って入れてくれたんだろうか。
いやそんな風に考えるのは都合が良すぎる気がする。
このフレーバーを自慢したかっただけだろう。
でも美味しかったので、もう一杯貰うことにする。
ドリルはそれが嬉しかったのか、自ら紅茶を注いでくれた。
このサロンという小休憩ができるスペースは、初等部内にいくつかあるらしい。
けれど私が今いるサロンは特別で、本来ならば『エトワール』のメンバーしか入れないということだった。
「ワタクシが特別に招いているから入れるのであって、本来は庶民立ち入り禁止の場所なのですわ」
だから感謝しなさいというように、ドリルは言う。
「エトワールってなに?」
そもそもがわからない私が尋ねると、そんなことも知らなかったのかという顔をされた。
「エトワールは学園に選ばれた、特別な生徒のことですの」
『エトワール』は、学園から与えられる特権みたいなものらしい。
その選定基準は家柄だったり、成績だったりと様々だけど、何か目に留まるようなモノを持っている人たちなのだという。
初等部から『エトワール』の子たちは、家柄のよい子たちが多いのだとドリルは説明してくれた。
ドリルは自分の胸に手をあてるようにして、セーラのタイの真ん中についている、星の飾りを指差す。
「これがエトワールの証ですのよ」
そういえば、ドリルの妹の留花奈も同じ位置に星をつけていた。ファッションかなと思って気にはしていなかったけど。
「そういえば、今日は妹の方はいないんだね」
「毎週金曜日に、留花奈はバレエのレッスンですの」
妹の留花奈のことを思い出したついでにたずねたら、今日は習い事の日のようだった。
そういえば、前にドリルとあったのも金曜日だった。
留花奈がいないときを狙って、私を誘ったのだろう。
いつも一緒にいるとりまきたちも、今日は用事があるからと遠慮してもらったのだという。
「黄戸さんはバレエ習ってないの?」
「えぇ。留花奈は体を動かすのが得意なのですが、ワタクシはあまり得意ではないのです。そんな事よりも、どうですかそのアップルパイは」
「凄くおいしい!」
間髪いれずに答えると、そうでしょうそうでしょうとドリルは頷く。
「このアップルパイは、老舗のパン屋が作っているものなんですけど、人気があってなかなか手に入らない貴重なものなんですのよ。いつも予約待ちで、今回だって注文してから二週間も掛かったのですわ」
もしかして、私にわざわざ食べさせるために予約してくれたんだろうか。
甘いのに後味はさっぱりで、シナモンの風味がいい。
いくらでもいけてしまいそうだ。
「大好物なのに、ボクに分けてくれてよかったの?」
「だからこそ、食べてもらいたかったのです。あの時の駄菓子は、ワタクシにとってこれくらいの価値があったのですから」
そこまで口にして、ドリルが変な顔になる。
「ワタクシ、あなたにアップルパイが大好物だといいましたっけ?」
しまった。
あれはドリルが歌っていたから知ったことで、本人から直接きいたわけではなかったんだった。
「美味しそうに食べるから、好物なのかなって思っただけだよ!」
「ワタクシ、まだ一口も食べてませんけど」
墓穴を掘った。
ドリルはこっちの反応を見るのに夢中だったのか、まだアップルパイに手をつけてなかったのだ。
「黄戸さんがアップルパイ好きだって、誰かから聞いたの?」
「ワタクシ、甘いものなら何でも食べるので、アップルパイが一番好きだと知っているのは家族くらいなのですけど」
やばい詰んだ。変な汗が出てくる。
ドリルだけじゃなく、黙ってアップルパイを堪能していた宗介も、こっちを見ていた。
思い当たることがあったんだろう。ドリルの顔がまさにりんごのように赤くなっていく。
「あなたまさか・・・・・・あれを聞いていたのですか?」
「あれって何のこと?」
あからさまに私が目をそらすと、椅子から立ち上がって詰め寄られる。
「あれっていったらあれです。しらばっくれても無駄です! あんなに前からいたなら、どうしてもっと早く声をかけてくれなかったのですか!」
「何の事だかわからない♪」
「わかってるじゃありませんかっ!」
ついドリルが歌っていた音程が、口から出ていた。
駄目だな、なんかからかいたくなってしまう。
いけないとはわかってるんだけど、ドリルって結構いじられキャラなんだよね。
「えっと、何があったの二人とも。俺ついていけてないんだけど」
蚊帳の外だった宗介がドリルに尋ねてくる。
ドリルは少し悩んだようすだったけど、こほんと咳払いして元の席に着いた。
「この前、高等部の売店に向かうときに、ワタクシ歌を歌っていましたの。それを今野くんがこそこそ隠れて聞いていたのですわ」
ほっぺを膨らまして抗議するように、ドリルが私を睨む。
「邪魔するのも悪いかなって。自由を楽しんでるみたいだったし」
「だとしてもです。アップルパイの歌を歌った時から、ワタクシの前に姿を現すまでずっとついてきていたのでしょう? 何の目的があってそんなことをしていたのですか!」
これは誤魔化せないなと悟った私は、事の経緯を宗介とドリルに語った。
「そういう事でしたの。全く人騒がせな迷子ですわね」
確かにその通りだけど、同じ迷子だったドリルに言われると釈然としない。
ちなみに歌の件は他言無用、時々駄菓子を献上するという条件で、ドリルはしかたありませんわねとあっさり許してくれた。
お菓子に目がないというか、ドリルは案外単純だ。
噛むと飴玉からガムになる駄菓子をあげるといったら、目を輝かせていた。
一方単純じゃないのが宗介だったりする。
駄菓子ごときで懐柔されてはくれない。
「アユムまた迷子になったんだね? あんなに俺がいないときは一人で歩き回らないでってお願いしたのに」
怖い怖い怖い。
うっすら笑いながら口にしてるけど、宗介の目が全く笑ってない。
部屋の温度が下がった気がするよ!
別に迷子になるつもりもなかったし、大丈夫だと思ったんだよ。
毎回宗介を付き合わせるのも悪いかなって思ったし、それに宗介がいると怪しいところとか行こうとしたら止めるんだもの。
その先に『扉』がある可能性もあるし、チャンスだと思ったんだよ。
「たしかに今野くんは迷子になってましたけど、山吹くん過保護じゃありませんこと? 学園にきてからもう半年も経つのですよ?」
怒られている私を見て、ドリルが助け舟を出してくれた。
いや違うな。この顔はただ単に、不思議に思って質問してみましたって顔だ。
宗介を庇って事故にあって、私が一度記憶喪失になった経緯を、ドリルは知らないからそう見えるんだろう。
「アユムは目を離すと何をするかわからないんです」
きっぱりと宗介は言い放つ。
あまり会う事のないドリルから見て、宗介が過保護に見えるってことは、他の人たちからもそう見えてる可能性が高いんだよな。
この状態はあまりよくない傾向かもしれない。
宗介って皆と喋りはするんだけど、私以外にはまだ壁を作ってる気がするんだよね。
宗介に構われるのは嫌いじゃないんだけどなぁ。
そんなことを考えていると、ドリルが妙な目で私を見ていることに気づいた。
同情、哀れみ。
近いけど、少し違う。
仲間を見つけて、わかるよその気持ちといいたげな顔だ。
もしかしてドリル、私と宗介の関係を、自分と妹の関係に重ねてるんじゃないだろうか。
「金曜なら、留花奈もいないですし、時折来ても構いませんわよ。一人だとお菓子が余ってしかたないですし、あなた以外は通さないようにしておきます。色々大変だと思いますけど、お互い頑張りましょう」
帰るとき宗介に聞こえない声でそう言って、ドリルがポンと肩を叩いてきた。
こっちを気遣ってくれているのがわかる。
ドリルは案外いい奴なのだが、少し勘違いが暴走するタイプと見た。
お土産に残りのアップルパイを持たせてくれる優しさが、何だか切ない。
同士を見るような優しい瞳に送られて、私は宗介とサロンを後にしたのだった。




