【97】私の願い
兄の部屋がぐにゃりと歪んで、最初の真っ白な空間にもどる。
「アユムの願いを、ボクに教えて?」
期待するような目で、ツキが尋ねてきた。
「その前に一ついいかな」
「何?」
ちょいちょいと手招きすると、ツキがふわりと飛びながら近寄ってきた。
マシロに似たその顔にちょっと躊躇したけれど、思い切り拳を前に突き出す。
けど後ろに飛ぶことで、避けられてしまった。
「危っぶないな! いくらボクでも痛いよ!」
「痛いようにしようと思ったの! 人をもてあそぶようなことをして、一発殴らなきゃ気がすまないっ!」
宙に浮かぶツキに対してそんな事を言えば、きょとんとした顔になった。
それから、腹を抱えて笑い出す。
「ははっ、やっぱりアユムって面白いね! ボクが好きになっただけのことはある」
「あんたに好かれたくなんてない!」
「マシロがアユムを好きなら、ボクもアユムが好きってことだよ。マシロの記憶も気持ちも、ボクはちゃんと持ってるからね」
ぐっと拳を握って叫べばそんなことを言って、ついっとツキは私の側に寄ってくる。
「アユムがボクを選んでくれるなんて、本当に思ってなかったんだよ?」
マシロと同じ顔でツキが呟いて、頬に触れてくる。
その動作がマシロと同じで、とっさに手を払った。
「私はマシロを選んだんであって、あんたを選んだわけじゃない!」
「同じことだよ。ボクの一部でも好きになってくれる人に出会えた」
ツキとマシロは違う。
そう思うのに、噛み締めるように口にするツキが、マシロと被って見えた。
「マシロがボクの全てではないけど、マシロはボクの一部なんだ。人の中に相反する考えが同時に存在できるように、ボクの中にマシロが存在してる。マシロは人が好きだというボクの心。世界を壊そうとしてる今のボクには必要なかったから、切り離した部分でもあるんだけどね」
否定された事が悲しいというように、ツキが瞳を翳らせる。
そんな顔をされてしまうと自分が酷い事を言ったような気分になった。
「マシロがどうして扉の向こうに行きたがってたか、知ってる?」
ツキがそんな事を尋ねてくる。
紅緒がかなえようとしていた、マシロの願い。
どうしてマシロが扉の向こうへ行きたがっていたのかを、私は知らなかった。
「人を好きでいることに疲れたんだよ。本体であるボクに、自分を消して貰おうと思ってた。自分じゃ死ぬこともマシロはできないからね。人を好きなボクの心でさえ死を望むようなそんな有様だったんだ」
この世界を愛するのも、もう限界だった。
そう、苦しげな表情でツキは言う。
「マシロが――死にたがってたってこと?」
「そうだよ」
まさかと思って口にすれば、ツキは肯定する。
「まぁアユムと出会ってからは、死にたい気持ちより、アユムの側にいたいって欲求が強くなっちゃったんだけどね。こんな気持ち初めてで、戸惑ったよ。誰かに執着することなんて無かったんだ」
マシロの事を自分のことのように、ツキは語る。
その出来事がまるで宝物だというように、興奮した口調で。
「最初アユムとマシロを引き合わせたのは、その体のフォローをさせるためだったんだけどね。これは予想が付かなかったよ」
この世界の『今野アユム』は本来男だ。
けれど、私は元の世界だけでなくこちらの世界でも、体は生物学上女だった。
ただし周りは誰も私を女だと気づかない。
『男として認識される』呪いのような力が私には働いていた。
「そういえば、どうしてこんなややこしい事したの? 普通に男だったら、もうちょっと混乱せずに済んだ……かもしれないのに」
「これには複雑な事情があってね。イレギュラーが重なった結果なんだよ」
ツキもこんな風にするつもりはなかったんだと言うように呟く。
「創造主のボクだけど、この世界を何でも好き勝手にいじることはしないんだ。それだと自由すぎて面白くないから、ルールをつくってる」
扉を開けた者以外の願いを叶えてはいけない。
この世界に元々ない存在を、作り出してはいけない。
むやみやたらに、この世界を改変してはいけない。
創造主である自分にも、ツキはそういうルールを作っているようだった。
あちらの世界から誰かを連れてくるためには、この世界で死ぬ運命にある人間と、存在を置き換える必要があったらしい。
だからツキは、死ぬ予定の人間に自分の力を注いで存在を確保するつもりだった。
けれどそこで一つ目のイレギュラーが起きた。
ツキが狙っていた、死ぬ予定の人間が死ななかったのだ。
その上、その人間を庇った『今野アユム』に、ツキの力が入り込んでしまった。
しかもアユムは完全には死んでいなかったため、その存在が中途半端に残ってしまったらしい。
ツキによれば、本来存在を入れ替えるというのは、元の世界から体ごとひっぱってきて、こちらの世界の人間の立場や設定だけをひっつける事のようだ。
連れてこられた人間は、元の世界の見た目や肉体を引き継いだまま、『今野アユム』の設定や環境を使える。本来はそういう予定だったのだとツキは告げる。
連れてこられたのが、男の子なら問題はなかった。
けど、私は女だった。
「それじゃやっぱり大変だろうから、性別を無理やり男に書き換えようとは思ったんだ。そんな事をしたら、神様に気づかれて殺されちゃう可能性はあったんだけどね。でも、できなかった。僅かに残ってた『今野アユム』の存在を君は取り込んでいて、すでに男だったんだ」
「? どういうこと?」
首をかしげる私に、ツキは溜息を付く。
「君は男でもあり女でもあったってこと」
「……私の体、ちゃんと女だけど?」
金的なあれは一切付いてないし、胸も小さいけどちゃんと女だ。
それを主張すれば、ツキはふるふると首を横に振った。
「今はその性別を選択してるだけだよ。強制的に男にできそうになかったから、女の子と恋愛すれば男になるように、細工はしておいたんだ。攻略しなきゃって思ってたみたいだし、『今野アユム』の影響もあるようだったから、すぐに男になると思ってたんだよね」
誤算だったとツキは呟く。
つまりは、女の子の攻略対象を定めて恋愛していれば、私は男になっていたらしい。
体が男に変化する時までの一時しのぎとして、ツキは『周りに男として認識される力』を私に与えたようだ。
「けど君は女の子よりも、男である宗介に魅かれてた。だから体の性別は女のままで、とうとう中等部に上がってきちゃったんだ」
それで急遽、フォローができそうなマシロとあわせることを決めたんだとツキは口にして、くるりとその場で一回転する。
その姿が揺らいで、女装姿のマシロによく似た容貌が、お団子頭の若い女性になる。
「学園の七不思議、声楽部の先生。彼女に化けて、音楽室にいたマシロとアユムを引き合わせたのはボクだ」
にっとツキは悪戯っぽく笑う。
マシロとの出会いはツキによって仕組まれていたということらしい。
「マシロはこのことを知ってたの?」
「いや全く知らないよ。ちなみにマシロはボクが学園長と同一人物ってことも知らないんだ」
私の質問にツキは答えて、元の姿に戻る。
どうやらツキは一方的に、マシロの考えや情報を得ることができるけれど、マシロはそうではないようだ。
つーっとツキが私との距離を詰めてくる。
赤い瞳の奥は、どこか楽しげに揺れていて、それでいて甘い。
不機嫌に睨みつける私の唇を、細い指がそっと撫でる。
男のマシロとは違う、女の子の指だ。
「アユムの唇って柔らかいよね。女の子って感じがする。これも全部今は宗介のためじゃなくて、ボクのための変化だと思うと嬉しくなるよ」
女の子の声でうっとりと口にして、感嘆の溜息をツキは付く。
「きっとね、ボクは誰かにこの世界を肯定してもらいたかったんだ。けどアユムは、この世界どころかボクまで受け入れてくれて。好きになってくれた。それだけでこんな満たされた気持ちになれるなんて、知らなかったんだ」
私が好きになってくれたという、ただそれだけで、とても幸せそうにツキは微笑む。
世界を作り上げるような力を持っているくせに、こんな小さな事で。
「……私はマシロは好きだけど、あなたは嫌いだよ」
「それでいいよ。全部を好きになってもらおうなんて、ずうずうしいにも程があるからね」
そこははっきり言っておかなくちゃ。
そう思って告げれば、まるで全てを知っている賢者みたいに、達観した様子でツキは口にした。
「さぁ、もうお喋りはこれくらいにしようか。アユム、願いを言って?」
甘い口調でツキが尋ねてくる。
こちらの願いが何かわかっていて、それを楽しみに待ち望んでいるというような雰囲気で。
ツキの思い通りになるのが嫌だと思ったけれど、言わないと始まらない。
マシロを私が嫌いになる。
そうマシロは言っていたけれど。
つまりはマシロの本体であるツキが、この世界に私を連れてきた張本人で。
それに対してマシロは罪悪感を抱いていたんだろう。
自分で私を連れ込んで、その上帰れなくしようとしてる。
そんな風に考えたに違いない。
ツキの中に、マシロである部分も、認めたくはないけど確かにあるような気はした。
時折私を見つめる瞳が、マシロのように甘く揺れるからわかる。
マシロと付き合っていくなら、ツキを切り離すことはできないんだろう。
まぁ、どんな人にだって欠点はある。
欠点を我慢できるかできないかが、その人と付き合っていく上で重要なことだと思う。
帰ったらマシロをしからなきゃ。
こんな欠点くらいで、マシロを嫌いになると思われていたことが腹立たしかった。
愛情を疑われていたかのような気持ちになる。
「うわっ。創造主であるボクを欠点扱い!? アユムって本当、怖いもの知らずだよね」
ツキが非難するような声を上げたけれど、事実なんだからしかたない。
人の心を勝手に読むこの礼儀知らずっぷり。
マシロは済まなさそうに恥らうのに、それすらもない。
勝手に人をこの世界に連れてきて、振り回して。
こんなヤツを好きになれそうにはないけど、やっぱりマシロは好きだ。
それはそれ、これはこれ。
「ツキ、マシロを人間にして」
口にすれば、その言葉を待っていたかのようにツキは微笑む。
「いいよ。愛するアユムが望んでくれるなら」
面白がるような赤い瞳の中に、私を慈しむような色が滲む。
ツキは手を取って口づけてきて。
「また扉の外で会おうね、アユム」
その言葉を最後に、目の前が真っ白にはじけた。
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ゆっくり目を開ける。
どうやらここは学園の丘の上らしい。
振り返ればそこに扉はなくて、マシロが立っていた。
「アユム!」
ぎゅっと勢いよく抱きつかれる。
「ぼくが人間になることを望んでくれて嬉しい……嫌われてないと思っていいか?」
「当たり前でしょ。マシロってば心配症すぎるよ。マシロがツキの一部だって、何だって私はちゃんとマシロが好きだから」
よしよしと安心させるように背中を撫でると、マシロが潤んだような目でこっちを見つめてきた。
「アユム、大好きだ」
花がほころぶように、マシロが笑う。
とくんと胸が高鳴る。
やっぱりマシロは綺麗だ。
「不思議だな。アユムがここにいて、ぼくを見てくれてるってだけで。この世界が素敵なものに思える」
ぎゅっとマシロが私の手をとって、指を絡めてくる。
いきなりギャルゲーの世界にきて、戸惑うことばかりで。
でもそんな私の側に、マシロがいてくれた。
事情を全部知った上で、本当は管理者側だから私に関わらない方がいいのに、側にいてくれて。
知らない内に私を助けて、支えてくれていた。
この変な世界に巻き込んだのがマシロの本体って思うと、複雑な気分ではあるけれど。
いつだって見守ってくれて、好きだって私に手を伸ばしてくれたから、ここまで頑張ってこれたと思う。
元の世界にだってまだ愛着はあるけれど、それよりもこの世界が私は好きだ。
大切な友達もいっぱいいるし、いつの間にかここでの日々が楽しくなっている自分がいた。
理留とお茶を飲んだり、宗介のご飯を食べたり。ただマシロと部屋でゲームして、みんなでくだらないことで笑い合って。
そんな日常の時間が、こんなにも大切になっていた。
まだまだ色々問題は山積みで、きっとこの先も苦労するけれど。
いつだって私を支えてくれるマシロが側にいるなら。
きっと何があったって、今までのように乗り越えていける。
「私、この世界にきてよかったよ!」
そう言って笑えば。
マシロも嬉しそうに微笑み返してくれた。
マシロ恋愛&宗介友情END、完結です。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
次回から宗介編となります。ダイジェスト風味でスピード早く成長していく感じです。




