宿屋と人身売買
1
「何て読むんだ?」
「藍の宿、だ。ボケっとしてないで行くぞ。部屋は早い者勝ちだからな」
「宿屋に泊まるのって初めて! 楽しみ!」
このトナカの街――いや、トナカの街に限らず、だが……基本的に街は中心部から放射線状に建物が並び、中心に行くに連れて栄えていくとか。
今、俺達がいるのはこの街のほぼ中心部にある宿。名前は「藍の宿」というらしい。サクラ曰く、この街じゃ一番お勧めの宿だとか何とか。俺もモモコも宿の良し悪しなんて分からないので、サクラに任せっきりである。
この街の店はほとんどが石造りで、この宿もご他聞に漏れず石造り。しかも3階建てだ。他の店や民家と比べて、横幅も高さも比べ物にならないくらい大きい。
「3人なんだが」
「はい、3名様ですね」
背の高いカウンターにドカッと組んだ両腕を腕を乗せ、受付のお姉さんにサクラが部屋を取る作業をしてくれている。
俺とモモコはおのぼりさん宜しく宿をキョロキョロと見渡すのに忙しい。
ロビーは赤い絨毯が敷かれている。天井にはシャンデリア。充分に炎の魔力を含んだ魔石は電球のような使い方が出来るらしい。不思議そうにシャンデリアを眺めていた俺にモモコが教えてくれた。なるほど、サキの村で見た噴水も魔石の力を使って動かしていたんだな。ただそういった魔石は値が張るらしく、一般の人が日常的に使うのは金銭的にキツいとも言っていた。どうやってその魔石を作るんだろうか。
カウンターを正面に見て左手に木製の両開きのドアがある。ドアの前には小さい立て看板が立っており、何が書かれているのかモモコに聞くと「レストランだね、朝食はこちらでどうぞ、だって」との事。レストラン会場まで設けられているのか。俺のいた世界のホテルとそんなに変わらないな。
カウンターに向かって右手側には階段がある。2階から3階が部屋になってるのかな?
「悪い、面倒なことになった」
モモコと二人でキョロキョロしていると、サクラが申し訳なさそうに俺達の元に歩いてくる。
「部屋が空いて無いらしい。あーいや、空いてない事は無いんだが……」
悟った。俺はアニメの鈍感系難聴系主人公ではないのだ。モモコは頭の上に「?」が浮いている。無視する。
「3人部屋なら空いてるんだろう?」
「まぁ……そうだ」
やっぱり。サクラはバツが悪そうに後頭部を掻いている。モモコは未だに「?」のままだ。
「どうするよ。別の宿を探すか?」
「うーん……正直、この宿は気に入ったからちょっと残念だな」
別の宿……しかし街を歩いた感じ、これ以上の大きい建物は見つからなかった。もしかしたら他の宿も一杯なのかもしれない。かといって3人部屋……いや、3人部屋が問題なのではなく、俺以外に女が2人いる、というのが問題だ。俺だって健康な男子、美人(しかし粗暴)な子と可愛い(しかしちょっとアホ)と一緒の部屋というのは、なんというかその、困る。
俺とサクラはお互いに腕を組んで唸った。
しかしモモコはとんでもない事を口にする。
「え? なんで別の宿にするの? 3人部屋が空いてるんでしょ? っていうか別々に泊まるつもりだったの?」
「……」
「……」
コイツ、初めから3人部屋で泊まるつもりだったのか?
「いやモモコ、いいのか? 俺と一緒って事だぞ?」
「駄目なの? どうして?」
「だって、その、俺、男だぞ」
「男……ああ! もしかしてハル君、あたしに手ぇ出すつもりなの?」
ニヤニヤ笑う顔が可愛い。じゃなくて!
「そんなつもりは無い! 無い……けど、ほら、何があるか分からないじゃないか」
それを聞いてうーん、と腕を組んで唸るモモコだが、すぐにその腕を解くとパッと笑顔になり
「手ぇ出したらぶっ殺すから!」
と、俺が考えられる限り最大級に大きな釘を刺された。だって洒落になってないもんコレ。
2
部屋は俺の世界のホテルとそんなには変わらない様だった。トイレは魔石で水洗式、シャワーもバスタブも完備されている。炎の魔石と水の魔石でも使ってお湯を出すのだろう。木製の冷蔵庫らしきものもある。これも水の魔石なのかな?
ただ……ただ、俺が知っているホテルと違う所は……
「すげーデカいベッドが一個……か」
俺は思わず誰ともなしに一人ごちる。
目の前にはキングサイズより大きいベッドが一つ、この部屋の主の様に鎮座なされていた。
「確かにこれなら3人寝れるな……寝れるが……」
ベッドで飛び跳ねてはしゃいでいるモモコを恨めしそうに睨んでサクラもぽつりと呟いた、
確かに寝れる。十分に寝れる大きさだ。
しかし、だからといって「じゃあ3人並んで寝ましょう」とはならない、出来ない。
サクラも俺も、モモコの気迫に負けてこの部屋に決めてしまった。
「頭痛くなってきた。夜に考えようぜ……」
俺の肩をポンと叩いて部屋を後にしようとするサクラの後を俺も追った。
部屋には確認の為に入っただけだ。それが住んだらまた街に繰り出す。
「いつまではしゃいでんだコラァ!」
「はい! すいませんでした!」
機嫌の悪いサクラ、上機嫌なモモコ、憂鬱な俺の3人は再び街に繰り出す。
ちなみに部屋代は「この宿にするならあたしが払う!」ということでモモコが払ってくれた。
何故か俺がサクラに蹴られた。
3
宿を出ると、いつの間にか日は傾いていた。時刻は17時30分。今から飯を食いに酒場に行くんだっけ? そう考えると途端に腹がすいてきた。今日は朝から何も食べてないもんな。
ふと周りが騒がしい事に気付く。宿の傍、街の最中心部にあたる所に何やら人だかりができているのだ。
「サクラ、あれ何だ?」
「ああ、あれは奴隷売買だな」
咥え煙草のサクラは何だそんなこと、と言わんばかりに答えた。
「ど……奴隷!? 人身売買ってことか!?」
「お……おう、そうだが……お前の所では無かったのか?」
法治国家の日本で人身売買なんかあるわけがない。いや、もしかしたらどこかで秘密裏に行われているのかもしれないが――それにしたってこんな街のど真ん中で堂々と人身売買なんて事は絶対に無い。
「無かった。そんな事が許されるのか?」
「許されるも何も、奴隷には志願した奴しかなれぇし、買って奴隷を持っても手続きはあるし、何か月かに一回は奴隷の状態を報告する義務はあるし……ちゃんと「商売」として成り立ってるからなぁ」
……あれ? 俺の知ってる人身売買と違う。
「奴隷って死ぬまで自分の代わりに働かせたり、その、暴力振るったりとか……」
「あー、昔はそんな事もあったらしいけどな、今はそんな事有り得ねぇよ。自分の代わりに働かせるのは合法だが無茶な働かせ方をすんのは違法だし、強姦紛いの事をするのも違法だ。ちゃんとした理由がありゃ奴隷から監督役に報告して奴隷契約を解除する事も出来るしな」
なんか、思ったよりクリーンだ。
「大体は金持ちが自分の財力を自慢するための道具だぜ。あとは子を授かれない夫婦が自分たちの子供として買ったり……まぁとにかく一般の人間にはあんまり縁の無い話だな」
「なるほどね……あれ、モモコ?」
「輪に入っていったぞ」
あのチビ助、本当にいつの間にか居なくなりやがる。しかしちょうどいいな、俺もちょっと見てみよう。
集まっているのは50人ほどだろうか。老若男女、輪を作るように様々な人が集まっていてかなり賑わっている。
「おー2人とも来たんだね」
「勝手に離れて行くなよな……」
モモコは鮮やかな赤い髪だから意外と探すのは簡単だった。
「ちょうど今から始まるみたい」
ほらあれ、と指差された先に見えるのは大きな馬車だった。あの中に奴隷が入っているのだろうか。
「大変お待たせいたしました! それでは只今より奴隷販売を行います!」
場所の傍の商人らしき男がそう高らかに宣言すると、途端に周りから歓声や怒号が飛び交う。その熱気に思わず首が縮んでしまった自分が情けない。
「まずはこちら! 人間の女性、12歳です!」
じゅ、じゅうにさい……
馬車から現れたのは黒髪の可愛らしい少女だった。
彼女の着ている唐草色の長いワンピースは、首本やスカート部分に小さな白いフリルがあしらわれていて、街の人達が来ている服よりも良い物に見える。顔には微かに笑みを浮かべ、ぺこりと周りを取り囲む人間たちに頭を下げた。
「なんか、奴隷っていうよりは良い所のお嬢様みたいだな」
「ある意味、特別階級だからねー」
「俺のイメージじゃ首に鎖着けてボロボロの布切れみたいな服を着せられて絶望の表情を浮かべてるもんかと……」
「あはははは! それ何年前の話? 奴隷っていっても大切な商品だしね。かなり良い待遇で迎えられてるよ。奴隷達は基本的には奴隷屋に一箇所に集められて暮らしながら自分が売られるのを待つんだけど、こうやってたまに他の街に繰り出して出張販売するんだ」
「なるほどね……ん? あの子はいくらで買えるんだ?」
「んふ、買うの?」
「その気持ち悪い笑い方やめろよ……買わないよ、ただ気になっただけ」
「んーそれは見てれば分かるよ」
「……以上が彼女でございます!」
商人が彼女の生い立ちやら性格やら人柄なんかを一通り説明し終わった頃、彼の説明を聞き入っていた周りの人間がにわかにざわめいた。
「さぁまずは50万から始めましょう!」
「60!」
「80!」
「110だ!」
「120出す!」
途端、方々から様々な数字が飛び出す。これはオークションか。
あまりの勢いに気圧されつつも、事の成り行きに目と耳が離せない。
「よろしいですか? よろしいですね? ではこちらの御仁が落札! おめでとうございます!」
しばらく白熱した値段合戦が続き、ついに彼女が競り落とされた。落札したのは人の良さそうな老人で、人の輪の中心に立って今しがた自分の落札した奴隷と握手を交わしている。ちなみに彼女の値段は480万。高いのか安いのかよく分からない。
「まぁ、あんな感じで競っていくんだね」
「売れないって事もあるのか?」
「あるある。でもそういう子達はまた奴隷屋に戻るんだ」
「なるほどね……」
納得はした。したが――釈然としない。
老人に買われた彼女は本当に望んで奴隷と堕ちたんだろうか。老人と握手としていたとき、彼女は笑っていた。しかしあの笑顔は本当の笑顔なんだろうか。これから彼女は幸せになれるんだろうか。
この世界では普通の事なのだろう。しかし俺の世界では――俺の知っている世界ではこんな事は有り得なかったから、こんなにモヤモヤとしているのだろうか。
よほど深刻な顔をしていたのか、モモコがふっと俺の顔を覗き込んできた。
「優しいね、ハル君は。でも……」
そう言って俺の右肩にポンと手を乗せ――
「いっ……! 痛……!!」
ギリギリとその手が俺の肩の肉に、骨に食い込んだ。
モモコの紅い大きな瞳が不気味に光り、上目遣いに俺の目を貫いている。
こんな小さな体なのに、俺が見下ろしているのに、まるで「見下ろしている」という感覚が無い。むしろ俺なんかより何mも大きな巨人に見下ろされている様な気持ち悪い感覚に、俄かに嘔吐感を覚える。
「でも、何もしないなら同情しないで。「あの子は幸せなんだ」と、そう思って」
ふっと右肩が軽くなる。咄嗟の出来事に頭の整理が追い付かない。
モモコは俺の隣を歩き抜け、人の輪を離れて行った。
サクラがそれを追うが、途中で俺の方を振り向き、やれやれと首を横に数回振ってから手招きする。
ようやく俺は「呼吸をしないと苦しくて死ぬ」という事を思い出し、空になった肺に思いっきり酸素を取り込んで吐き出した。
フラフラとサクラの元に歩いて行くと、いきなりサクラは俺に肩組をしてケケケと笑い始めた。
「どんな能天気そうな奴に見えてもよ、人には色々あんだ。悪気があったわけじゃねーだろうさ」
うん、モモコに悪気があったわけじゃないのは、なんとなく分かる。
ただ――怖かった。あんな明るいモモコが、あんな暗い目をするなんて。想像もしなかった。
「モモコにゃ後できつーく言っておいてやる。だからーその、なんだ、気ぃ落とすな。な?」
「……ありがとう」
「今日の晩飯はオゴってやるからよ、好きなだけ飲めや」
サクラは優しいな、なんて言えなかった。言ったらまたケツキックだ。
俺はサクラの事もモモコの事も、何も知らない。
この世界で一番親しいのがこの2人だ。
だから――
だから、もっと2人の事を知りたい。
もっと2人の事を教えて欲しい。
意外と自分は強かだな、なんて思って苦笑しつつ、俺とサクラは肩を組みながら酒場へと向かった。




