そして私は喚ぶ。
――すぐそこまで、業火が迫っていた。
主たるあの方を敵方の剣よりかばい、傷口からかなりの血が失われていた。
敵方は、牙を剥いたかつての友好国。決して、敵対しているわけではなかった。突然の裏切り、それは理由はわからない。
けれど、わかっていることがひとつ。
――このままではあの方の御身が危ない。あの方が、自らの命を失う前に。
だから、私は迷わずにその方法をとる。
「我はサマナー、我は呼ぶもの。我は我が命を賭して呼ぶ」
私は召喚術師。召喚術師は、生涯に一度きりだけ命を懸けて、願いを叶えてくれるものを呼ぶことができる。文字通り、命を天秤にかけるから、かなり強いものを呼べる。自分の命と引き換えに、私を術の発動の呪を唱え始めた。
「――代償は我が命」
傷口をさらに切り、血が流れでるのを促し、唱える。
「――代償は我が魂」
髪を切り、床へ捨て、唱える。
「――代償は限りある時間」
最後に、魔力をありったけ放出し、唱える。
「――来たれ、我が願いに応えるもの!我が願いは、国王と国の守護を!」
私は、生まれつき強い魔力をもっていた。
だから、持ちうるすべてを賭した。魂、命、自分に与えられた生きる時間、生きるはずだったこの先の限られた時間を。
『応えよう』
強い風が吹き荒れる。
『汝の魂に』
風が、私を囲う。
『己よりも他者を思う、汝の心の清さに』
光が生じる。ほとばしる。
『我は光、我は風、我は天空』
――ああ、私は。私が呼んだものは。
『我は空の覇者、天神』
――ああ、我が君。これでこの国は――
ひとりの若い女がいた。若い女は小さな、けれど歴史ある古い国の君主だった。しかしあるとき、長年の友好国が牙をむいたのだ。かつての友好国は敵対国と手を結んでしまった。なぜ、そうなったのかは君主たる女にはわからない。
女は突然のことにも取り乱さずに、見事に戦への布陣を整えた。けれど友好国が寝返った敵対国は大国、力及ばず滅亡の足音はすぐそこまで迫っていた。生き残った民たちとともに籠城し、最期まで戦いを貫くはずだった。皆、大国とはいえ若い国に蹂躙され吸収されてまで生き残るつもりはなかった。歴史ある古国の民としての矜持があったからだ。
「皆、すまない」
ついに城に火が放たれ、王の間に集まったのは女と、数少ない生き残った民。女は大切な側近の男にかばわれ、いまここに立っていた。いつも側に立っていた大切な存在は、いまはいない。
――もうすぐ、お前のもとへいこう、サマナー。
そして……いままさに、皆同時に暁の国へ旅たとうとしていた。
「死出への旅が心安らかであることを祖の魂に祈って。――乾杯」
君主たる女の掛け声に、皆持った杯を掲げた。
――その時だった。
地が激しく揺れた。その激しさから、女以外皆手にした杯を落とした。振動はしばらく続き、やがて止まった。何だと、何が起こったのかと皆は落ち着きをなくし始めた。
『待たれよ』
空気が、変わる。王の間は一気に神聖な気配に包まれた。
その声は、直接皆の心に語りかけてきた。皆が慌て周囲をもう一度見渡すが、誰もいない。
『我は光、我は風、我は天空』
謎の声の名乗りを聞いて、女は顔が青ざめていくのを感じた。全身の血の気が引いて行く。手は震え、杯を落とした。
――サマナー、おまえは。まさか……!
『我は空の覇者、天神』
――ああ、サマナー。おまえというやつは……
周囲が希望に満ちてゆくなか、女はただ一人、嘆き悲しんだ。もう手にすら届かないところへ消えた大切な存在を想って。
吟遊詩人は語る。古国ウィランジェは君主を想うひとりの術師によって救われたと。術師は命と魂までかけて、天空の神の王を呼んだ。ただ、魂は輪廻に入れず、王たる神を喚んだ対価により失われた。残されたのは神の奇跡のみ。神の奇跡に救われた国は繁栄し、今も続く。
しかし、吟遊詩人は知らない。女の腹には術師との間に生まれた命が宿っていたことを。魂は消えたけれど、確かに存在した足跡を残したのだと。