湖都ラクウルの広場の夜 後
愚か者の体を飲み込んで通り過ぎますと、私の尾は上手い具合に魂をするりと引き抜きました。灰色に汚れた魂がゆらゆらと、私の尾で揺れています。あまり素敵ではありませんが、まあ仕方がないでしょう。残った愚か者の体はばたんと地に寝そべりました。
私の恩人を貶めていたのがいけないのです。ついでに、愚かだったのもいけないのです。人の世が傾きますと、私どもの方でもよくないことが起こるのです。そんなものなのです。ですから人の方は人の方で、よく治めてもらわないとなかなか困るのです。
ともかく上手くいきました。私はしっかりと決まりを果たしましたし、よくない王も御覧のとおり。
「ほら、よく見るとよいのです。こうなればさすがにお解かりでしょう。この魂の色の濁っていることといったら。私が見たどのような人のものより汚いのです。そう、私たちを捕まえておぞましいことをする狩人だって、白く輝いておりますのに、これは光っていないのですよ。ついでに屍も御覧になればよろしいでしょう。呪いは刺した腕にあるのです」
ぽかんと大口あけて私を見ている、恩人の騎士と居残っていた人々に向けて、私は言いました。
恩人は慌てて私の手の下にある体を引き立てて、右の腕を皆の前へと晒しました。きゃあ、だかなんだか、耳障りな声があちこちで上がりました。私も身震いしてしまいます。
愚か者の腕には先の王の血で、真っ黒な手形が残っているのです。おお、おぞましい。これぞ王殺しの確かな印です。ようやく分かったのか、人々は愚か者を口々に罵り呪い除けを始めました。けれど恩人だけは黙って、じいっと男の屍を見下ろしています。
ついでに踏んでやってはいるのですけれど、もっと痛くしてやるべきだったでしょうか? 私は痛いのも痛くするのも好きではないのですが、やられたらやりかえすというのが人の決まりとも聞きます。それだと少々物足りないようにも思えます。見ていると、恩人は私を見つめ返しました。昔と同じ綺麗な顔です。ちょっと汚れてはおりますが、伺える気高さは相変わらずです。狩人になっていなくてなによりです。
「隣の町に七歳になる子供が一人だけいます。彼は優れた王となることでしょう」
せっかくだから教えてあげることにしました。こうなると、大小雌雄様々な人たちはまるで私を王のように拝みはじめるから不思議です。先程までびくびくしていたではありませんか。知っているのですよ。私は王ではなく黒蜥蜴なのです。
私たちのようなものを崇めたり蔑めたり、人は忙しい生き物です。理解できません。けれども、蔑められるのは腹立たしいですが、狩人のように捕まえるよりはかなり良いので許してあげましょう。崇められるのも悪い気はしません。
さて長居をしました。もう月が消えてしまいそうです。朝がやってくるのです。私のような夜のものは向こうに戻らないと大変なことになります。
少々慌てて尾を揺らす私に、昔に見た白い手が差し出されました。光っています。
「お前の目は返すよ」
手の上には輝く金の大粒が乗っかっています。ああ懐かしい。それは確かに私の右目です。
「でも、それは礼ですので」
「私も礼がしたいんだが、私は目を刳り貫くわけにはいかないから」
傷だらけで痩せた恩人は、けれどあの夜と同じように笑って言いました。傷だらけで痩せてはおりますが、やはり見目のよい騎士です。外見もそうですが魂が美しいのです。ですから神はあなたを愛してくださっているのです。あなたの王もそうでした。ああそうだ、あなたの王は大層徳の高い方でしたので、亡くなってなお王でらっしゃいます。あなたをこちらで待ってらっしゃるのです。あなたは王のご自慢の騎士なのだそうです。
呪われているだなどと、甚だしい勘違いです。私たちでも分かるといいますのに。人は鈍すぎます。
「なんの礼でしょう」
けれども、はて。私、礼をされるようなことはやっておりません。名前を呼ばれたので昔の礼をしに、約束どおりに来ただけなのです。それが私どもの決まりですので。
人の決まりなのでしょうか。私が分からないままに聞き返しますと、恩人は一層はっきりと笑いました。傷が開きそうで私は少し心配です。どうやら、人は弱い生き物ですからね。神と王の加護があるとはいえ。
「お前は私の疑いを晴らし、仇までとってくれたのだよ。だから、その礼だよ」
どうしてもと仰いますし、断る決まりも私にはないのです。私はありがたく、長いこと別れていた右の目を返していただきました。本当は王が恩人を尋ねるときにご一緒して、と思っていたのですが、早いのはよいことです。
元通りに戻すと、ああ、やはり安心します。いつもどおりとはよいものです。
「ああ、よく見えます。世界が広くなったようですよ」
広々した世界の端が、赤くなっているのが見えました。私は身震いしました。今でも朝が近くなると、あのトラバサミのときのことを思い出してしまうのです。
危うく光が見える、というところで私は失礼して、恩人の影に飛び込みました。そこから先は朝の来ない、私どもの世界です。
いやはや危ないところでした。ただ焦げつくだけでもとんでもなく嫌な話ですが、このような愚か者の魂と一緒に消えるなんて、まったく御免です。
それでは私は死者の国にご挨拶に伺いましょう。この自慢の尾に似合わないくすんだ魂を、どうにかしてもらわなければ。
ある魔法使いの占いによれば――
「サウフーリの境森、空より来たり大樫の根に触れる夜の眷属、王をも喰らう禍の種なり」と。
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