第三十一話 交戦準備
いよいよ次回から第二GAMEの始まりです。本格的にwwwへと向かっていく日本と主人公達の周りの話ですが、様々な出会いがあります。
もう作品内で言及していますが、第二GAMEは第一とは対照的に空での話になるかと思われます。では第三十一話 交戦準備を投稿します。
第三十一話 交戦準備
探偵がいるから殺人事件が起こる、とは一面の真理を付いた言葉かもしれない。
人に構図が合せられる。
役者の為に舞台装置が仕立てられる。
殺人事件があるから探偵が必要なのではない。
探偵がいるから、殺人事件が必要とされるのだ。
この構図は往々にして様々なものに当て嵌まる。
一見して環境に対して必要な人材が宛がわれているように思えて、実は逆であるという事もよくある話・・・出来過ぎな物語には必ず修飾に隠された本音が存在する。
用意された出番。
活躍の場。
退場の間合い。
複雑に見えて実は単純な生き物である人間の扱いになれた者を裏世界では大概の場合フィクサーと呼ぶ。
「・・・アズ・トゥー・アズ」
羽田了子は確かにそう呟いた。
脚本家の一人を突き止めたからこその呟きだった。
了子もジャーナリストの端くれであり、その名は裏の道で聞いた事があった。
ヤクザの連合に殴り込みを掛けたとか。
海外マフィアの壊滅に一枚噛んでいたとか。
周辺諸国が作るブラックリストの一番目に名前があるとか。
その実態は誰も知らない。
ただ、事実として言える事があるとすれば、そういう人物が本当に存在しているという一点のみ。
経済界や政府関係者から名前が挙がるところを了子は確かに聞いた事がある。
民間では殆ど知られていない名であるものの、その名前を使って「猫探します」とか「浮気調査します」とか怪しい広告がこっそり週刊漫画雑誌の一番後ろ端に乗せられていたりもする。
世間というのは狭いもので、電話番号を辿れば、住所が案外簡単に割り出せて、しかも近かったりする事もある。
ネタとして持っていた情報の中に探していた情報の欠片があるなんて事はよくある話。
故に了子は自分がかなり本当の情報に近い位置にいると確信した。
もしも、怪しい広告の主が本物だったとしたら?
普通の諜報機関は絶対に気付いたりしないだろう。
全国紙の漫画雑誌の一番端にアジア中の国が警戒する存在が普通に広告を出していたりするなんて夢にも思わないだろう。
もし気付いたとしても軽く確認を取って「やっぱり違うかヤレヤレ」と早々に調査を投げ出すかもしれない。
事実と己の中の真実が噛み合わない時、人は物事を己の解釈で理解し勝手に納得する生き物なのだ。
「左、右、後、前、オールクリア・・・スニーキングミッション開始」
古びれたシャッター商店街の一角。
コソコソしながら外字久重と聖空の後を追っていた了子は二人から二十メートル程離れて尾行していた。
ちなみに台詞はただ雰囲気が欲しかっただけだったりする。
(まさか、外字久重があのアズ・トゥー・アズと関係を持ってたなんて・・・ちょっとしたネタのつもりで調べてて本物かなぁとか思ってた住所だったけど・・・たぶんホントにあのアズ・トゥー・アズが使ってる・・・少なくともテロリストと関係がある外字久重とあの住所が関係あるとすれば・・・信憑性は高い・・・)
二人が出かけるところに丁度出くわした了子の尾行術は完璧だった。
(それにしても、やっぱり聖空は外字久重と既知の間柄だった・・・でも、まさか一緒に住んでたりするのかしら?)
本職の諜報員から見れば馬鹿みたいな尾行だったかもしれない。
が、了子はありとあらゆる追跡方法を駆使して対象を追う事に掛けては天才的な力を発揮する。
事実を追い求める執念はそこら辺にいる諜報機関のスパイ程度では比較にもならない。
ネタを追う時、良子はマニュアルで出来るスパイ活動なんて軽く超越した追跡行動を行える稀有な才能の持ち主と言えた。
(外字久重と聖空の関係・・・同居?・・・つまり・・・ロリコン!! あ、あんな可愛い子に一体毎日何してるって言うの!? こ、これは・・・まさか最高の犯罪者ネタになる予感!? 【記者は見た!! 闇のフィクサー、手下はロリコン男!?】)
くだらない事を考えながらも、了子の頭の中では高速で事実と事実が組み替えられ、パズルのピースが当て嵌められ、答えが導き出されていく。
尾行の最初の頃はこの暑い中あんまり動いて欲しくないなぁとか考えていた良子だったが、その二人の行き先が完全に定まった時点で脳内では今まで手に入れたネタをフルに使って推測を立てていた。
外字久重という男。
何でも屋。
消された経歴。
テロリストとの関係。
聖空、外字久重と関係のある少女。
テロリスト包囲事件の際の声。
教会での動揺。
闇の天才フィクサー、アズ・トゥー・アズ。
(何でも屋の仕事を誰が斡旋していたのか。それがアズ・トゥー・アズだとして・・・外字久重と親しげな聖空は庇護下にあるの? ダメ、確定には情報が足りない。でも、そんなに外れてはないはず・・・)
路地へと入っていった二人を了子は追った。
細心の注意を払って僅かに路地裏を覗く。
(事務所に入っていった。アズ・トゥー・アズがいるかもしれない!? と、盗聴器盗聴器・・・それと集音マイクと発信機、周辺端末に侵入して録音機能の開放もしないと・・・ああ、後は・・・)
微妙に犯罪チックな追跡用プログラムを端末で立ち上げる了子が路地裏に踏み入れようとした時だった。
ポンポンと肩を叩かれる。
「あぁ、すいません。今、忙しいんです。警察ならコレを・・今取材中なんですから静かにお願いします。もしも、ここで取材を妨害されるなら、後で然るべき抗議が行くと思いますので」
了子が後ろで振り向きもせず名刺を渡す。
その名刺には【友達】の中に佐武戒十とのツーショット写真が仕込まれていた。
かなり問題になりそうな名刺だったが、生憎と受け取った人間は警察ではなかった。
再び肩が叩かれる。
「だ・か・ら!! 今、取材で忙しいんです!!! 闇のフィクサーと手下のロリコン男とロリ一名を補足できるかどうかの瀬戸際なんです!! あんまりしつこいと大手に【近頃の警察】とか寄稿しちゃいますよ!!!」
しかし、肩は更に叩かれる。
「しつこい!? しつこ過ぎです!? 訴えられるレベルで!!」
ようやく了子が振り返る。
「――――あ、あぁ、そう言えばそろそろ戒十さんとお食事の時間だったっけ。すいません。お騒がせして。それじゃ私はこれで・・・」
そのままその場を後にしようとした了子の肩をガシッと二つの手が捉えた。
「悪いが、ちょっと話を聞かせてもらおうか」
「ロリ・・・・・・」
半眼の久重とソラがジットリとした視線で了子を見つめた。
了子の尾行は追う事に掛けては一流だが、偽装に関しては三流だった。
*
大規模な遊園地でのテロがニュースになっている頃、日本の最も南に位置する県で日本の未来を左右する会合が行われていた。
「それで今回の件はどこまで本気なのかって【BOSS】から訊くよう言われてるんだけど。米さんとしちゃあどうなのよ?」
沖縄と言えば南国。
南国と言えばトロピカル。
トロピカルのイメージとしては原色過多というのが相場だろう。
そんな原色過多な男が一人、グリーンの制服に身を包んだ勲章過多な六十代の米国人に絡んでいた。
その光景をもしも米軍のMPが見たなら卒倒したかもしれない。
沖縄米軍の最高司令官。
アラン・カーペンター。
五十七歳。
極東有事の際には最前線で戦う事となる男の頬をウリウリと人差し指で突くなんて、神が許しても海兵隊が許すはずはない。
ラテン系の黒い肌に赤い髪の男。
目に悪そうな赤いスーツに赤いネクタイをした痩身の三十代。
『BAI・AR』
【ADET】と呼ばれる裏組織の幹部はスーツから覗く鋼色の義手の指で司令官に無礼を働きまくっていた。
「ミスターBAI・AR」
「あーら。喋れたのね」
「私は大統領閣下から直々に貴方達へ便宜を図るよう言われているが、だからと言って無礼を働かれて無条件に許せる牧師や聖人のような心根はしていない」
まったく動じる事なく釘を刺すアランにBAI・ARが「もう冗談じゃない♪」と自分の席に戻った。
「で、だ。司令官・・・その男が【人道海廊】の鍵ですか?」
「あぁ、そうだ。ミスター布深。残念な事にそれが事実だ」
味気ないパイプ椅子と粗末な簡易テーブルが置かれた廃屋の中。
米軍の特殊部隊が周辺に一ダース程潜んでいる世界の中央で、グレースーツ姿の布深家当主『布深海造』が呆れたように白いものが混じり始めている髭を撫でた。
海造が眼鏡越しにBAI・ARを睨んで品定めする。
「そんなに見られてもあたしの守備範囲は+-10歳よ」
六十四歳。
未だ衰えを知らない痩身の海造はふざけたラテン男を前にして怒るでもなくタバコを咥える。
「それでこの計画には何人米国の中枢が関わっている?」
ズバリを訊く海造にアランが首を横に振った。
「我々はあくまで大統領命令により動いている。そういった事に関しては発言する立場にない」
「日本を手に入れたいアメリカがこうして日本を救う計画に参加する。何処の誰が何の為に貴方の上を動かしたのか知りたい。いきなり接触を持ってきただけではなく、こちらの情報をかなり掴まれていた。出所を探ろうと思うのは当然の流れだと思うが?」
海造の言葉に司令官が何やら苦労人な溜息を吐く。
「今のステイツが活力を失っているのは事実だ。強い祖国を再び再建する為の生贄を探しているのも認めよう。しかし、我が軍はあくまで【大統領の下】にある」
「その言葉は信じていいのだな?」
「神に誓って」
海造は自分が脳裏で幾つか想定していた内の【最も話がややこしい場合】の対応を取る。
「なら、一つだけ答えてもらおう。【大統領の下に付いていない方】はどれだけいる?」
アランが僅かに目を細めた。
すでに情報を握られていたのか。
鎌を掛けられているだけなのか。
それは分からないとしても嘘を吐くのは得策ではないとアランは事実だけを告げる。
「約、半々だ。これ以上は言えない」
海造が事前に調べていた情報とほぼ同じ結果に一応は納得する。
「了解した。では、現状の確認に入ろうか」
海造が己の椅子の横にあるトランクを開けてテーブルの上に日本近海の地図を広げる。
「今回の計画、日本政府の最終目標は中国との新しい関係の構築にある。その為の餌として日本政府・・・正確には外務省と内閣官房長官『安藤正明』氏が我々布深商事を中核に据えて、この計画を立ち上げた。急な話だったが、実際には最初からあった計画を始動させたというのが正しい」
「へぇ~~。あの官房長官って結構なやり手なのね?」
オネェ口調のBAI・ARを無視しつつ海造が続ける。
「この計画はそもそもが十年後を目処にして行われるはずのものだった。今現在、中国と日本の貿易は停滞している。それはあの『小さく静かなる戦争』(リトル・サイレント・ウォー)後の日本が外交姿勢を強気に転換した証左とも言えるだろう。だが、そのせいで中国との交易は激減・・・現在は中国との取引は貿易額の4%に過ぎない」
「あの戦争以来中国製品見なくなったもんねぇ」
BAI・ARが懐かしそうに嗤う。
「レアメタルを初めとする鉱物資源の殆どを現在日本は【海底熱水鉱床】からの採掘と欧米やオーストラリアからの輸入に頼っている。日本にとって中国は今も主要な貿易国ではあるものの【重要視しなくとも良くなった】というのが現状だろう。そして、そんな状態のまま日本はここ数十年を乗り越えてきた」
「ついでに水資源も止めてきたわけね♪」
「そうだ。日本は国益の為にあの戦争以降、水資源の輸出規制をしているが、それは外交上のカードとして温存しておく事を時の政府首脳が決めたからだ」
「そして、そのカードを切る時が来ちゃったと。まぁ、大変♪」
BAI・ARがテーブルの上に放置していた飲み掛けのペットボトルをグビグビ呷る。
「水資源はカードの一枚に過ぎない。我々の目標が新しい関係の構築というのはあくまで【中国に恵む日本】の図を世界にアピールする最良の方法がソレだからだ」
地図の上に海造が線を引く。
「既成事実として中国が我々からの支援を受け入れたにも関わらず侵攻を開始したという構図が我々には必要になる。我々は人道支援を【戦争中であろうと】継続するルートの確保を任務とする」
「よく考えたわよね~~確かに日本一国なら負ける戦争も国際的な悪者を倒す戦争ならどうにかなる。ふふ、二枚舌三枚舌で多くの国を正義の戦いに駆り立てるなんて素敵な考え♪」
BAI・ARがニヤリと笑った。
日本の各港から中国各地の港まで幾つかの線は貿易航路。
嘗ての日本と中国の貿易最盛期に繁栄していた船の道。
「現在の国連を日本が主導しているのは知っての通り。あの【黒い隕石】事件以降、世界中の国々を日本は支援している。我々が立ち直らせた国は実に七十カ国以上。アジア周辺諸国にはここ十数年でかなりの投資もしてきた。その日本を見捨てる事が【正義であろうはずがない】と我々は各国に知らしめねばならない。中国軍閥連合の【人道支援を続けているにも関わらず戦闘行為を続けようとする悪逆非道な行い】はすぐさま広報が広めてくれるだろう」
「人道支援してたのに攻撃されちゃった~~あぁ~~誰か~~助ぁ~~す~~け~~て~~ってなわけね」
「無論、各国への褒美はすでに用意されている。向こう三十年分、水の濾過技術を無償で開放する用意がある」
「今や重要機密となった大量濾過技術をタダとか。砂が多い国は欲しがるでしょうねぇ」
BAI・ARが肩を竦めた。
「これからの百年で最も必要になる技術が無為に失われるのを待つならば、この世界に未来など無い」
「たかだか島国の癖に」
海造がBAI・ARの呟きに反応する事もなく地図の上に四文字を書き殴る。
「日本の価値を知らしめる為の計画。それこそが【人道海廊】・・・日本政府が推進する人道支援物資輸送プロジェクトだ」
「そして、あたし達の出番と。軍閥の派閥間抗争の隙を付いて連中を唆し、密かに軍閥への水の供給を始めるわけね? ま、GIOからすれば、軍閥の戦争する理由が消えるんだから痛手でしょうね」
BAI・ARがシナを作る。
「知っていたか・・・随分と耳が良いと見える」
「当然♪ GIOとも取引があったりなかったりするし」
「ほう?」
「あ、でも今回はこちら側に付くわよ? こっちはこっちでGIOと利益が相反するから」
今まで黙っていたアランがBAI・ARの不用意な発言に汗を浮かべた。
「ミスターBAI・AR。誤解を与えるような発言は慎んでもらいたい。我々はあくまで日本に付いているという事を忘れないで欲しい。ミスター布深。彼の発言は事実だろうがあまり警戒しないでくれ。今回の件で彼らの支援無しにこの計画は失敗する可能性がある」
「本当にそれだけの力があるのか?」
海造の言葉にアランが頷く。
「日本からの貿易船の殆どは中国の税関で不自由な思いをする。GIOの管理下にある戦時の軍閥では人道支援なんてものは結束を乱すとお断りだろう。が、【ADET】ならば話は違う」
「まぁね。一応、近頃は香港や上海、重慶辺りでもドンパチやってるし」
「中国での税関と流通経路の問題は政府よりも民間。更に言えば彼らのような組織が最も適任なのです。ミスター布深」
アランの言葉に布深は半ば本気で懐疑的な視線をBAI・ARへ向けた。
「日本製の水を中国に与える如雨露。それが米軍から齎されるとは思わなかったが・・・本当に信じるに値するのか・・・我々には判断する材料が無い」
BAI・ARが初めて真面目な顔を作った。
「こう見えてもウチの【BOSS】は日本での生活が気に入ってる方よ。それこそ日本が無くなるのは困るって常々あたし達に言ってるわ」
「・・・何故、この計画に何の見返りも無く協力する? 米国との間に密約でも設けたか?」
アランが口を挟もうとするとBAI・ARが獰猛な笑みを浮かべる。
「冗談!? あたしは米軍なんて千回裏切っても足りない人間よ。この腕吹っ飛ばされた恨みは早々忘れられるもんじゃないわ」
「それなら、益々信用できないと思うが?」
「言ったでしょ? 【BOSS】が日本を気に入ってるって。あたしも好きよ、この国。主に下半身的な意味でだけど。それはともかくとして見返りならあるから心配しなくてもいいわ」
「どういう事だ?」
「中国での名声やコネ作りに慈善活動は最適って事よ。進出してるって言わなかった? ま、NPO法人を装って活動する事になるだろうけど、裏の連中ならすぐに何処が何をしているか気付くでしょうね。
それを踏まえて、物資の護衛・保管を一手に引き受け、GIOの目を盗んで確実に流通させる。そんな神業を披露したら軍閥連中や無数にある幇の覚えもめでたくなる。
あたし達にとってはこの仕事そのものが見返りってわけ。無論、ちょろまかすような事が無いよう管理は徹底するわよ。何なら何人か外務省の奴を中国支部で働かせてもいい」
海造はジッとBAI・ARを見つめた。
一歩も退かないラテン男の目に海造が見る限り嘘は無かった。
「・・・外務省とウチの社から数人ずつ受け入れてもらおうか」
「護衛も任せて♪ 絶対死なせないで帰国させてあげるわ」
「期待しておこう。では、詳細を詰めようか」
三人の男はそれぞれに胸の中で思惑を秘めながら日本の行く末を決めていく。
「この計画がただの人道支援で終わる事を切に願う・・・」
最後に何が残っているのか誰にも分からない争い。
最後の大戦を前にして準備は着々と進められていた。
*
不自然に黄色い髪の少女が一人黙々とスピーチの原稿を呼んでいた。
夏場にはお似合いのノースリーブから見える肌には無数の縫った痕が凄惨なまでに刻まれている。
GIO日本支社ビル屋上。
ソーラーパネルを設置した空中庭園の一角。
日差しを遮る瓜の茂みの下でGIO特務筆頭を名乗る『亞咲』は次のGAMEへの下準備を余念無く行っていた
「・・・・・・?」
集中が不意に途切れ、亞咲が顔を上げる。
すると亞咲よりも年下に見える七歳程の少年がいた。
「あぁ、もうそんな時間ですか?」
少年が頷いた。
「それじゃ、この辺でお終いにしておきましょう」
亞咲が原稿を置いたまま立ち上がる。
少年が頭を下げて亞咲に付き従った。
二人は設置されているエレベーターへと乗り、声紋と指紋と網膜の確認を行う。
「サイドルームへ」
亞咲のオーダーにボタンを押すまでもなくエレベーターが稼動した。
GIOの通常業務を行う社員達も使っているエレベーターは本来ならば存在しない階へと到達する。
通常のボタンの脇に設置された小さな画面にはEHという表示。
ドアが開く。
白い通路が広がっている。
二人がエレベーターから出た後、通常稼動へと戻ったのか、エレベーターはそのまま下の階へと降りていった。
スタスタと歩き出した二人の前にある扉が次々に開かれていく。
一つの扉に付き、一つの確認が行われ、十項目の確認が終了した時点で二人はようやく住処へと付いた。
背後の扉が閉まり、最後の扉の内側へと蒼く透き通った液体が溢れ出していく。
完全に空気が抜かれ、水没した。
常人なら普通溺れているだろう最中で二人は淡々と歩き出す。
二人の靴に付いた簡易の磁石が床に仕込まれた磁石と引き寄せ合い、二人をその液体の中で泳がせずに歩く事を可能にする。
最後の扉が開かれ、二人が我が家の中へ戻った。
やはりそこにも液体が満たされている。
【亞咲姉さん。お疲れ様】
【姉様。お疲れ様です】
【姉貴。お疲れ】
【待ってましたよ】
扉の中には広大な空間が広がっていて幾つものカプセルが壁際に備え付けられていた。
その無数に敷き詰められたカプセルの中にいる者もいれば、亞咲や少年と同じ洋服姿のまま、防水性の端末を弄っている者もいる。
ほぼ全員が三十代前半から十代だった。
声の伝達は誰もが骨振動を利用した小型の埋め込み式イヤホンを使っている。
声そのものは合成であるものの男女それぞれに幾つかのパターンが用意されていて、声そのものだけで大概は誰か判別が付く。
思考を読み取り言語化する技術は日々進歩しており、各自がそれぞれに持つ端末が個人の様々なパターンを蒐集して、その時の状況や体の状態、液体中の喉の発音、脳波など多くの要素から最適な言葉を選び出す為、日常会話程度は殆ど支障なく伝わっている。
肺に満たされた液体から酸素が供給されている為、常人ならば息苦しくて数時間が限界かもしれないが、亞咲のような【遺伝子組み換え生物】の類にはまったく問題とはならない。
【では、第五班の召集を】
ゾロゾロと亞咲と少年の前に十数人の男女が集まってくる。
総員で数百人規模のカプセルがある事を思えば、その程度の人数は極少数に過ぎなかった。
【後、七時間三十四分五十六秒で第二GAMEの開始となります。現在、第七班が特務と共に環境の調整を行っています。東シナ海の空域はこれで数時間とはいえ我々の領域となるでしょう。自衛隊及び米軍基地へのハッキングは第八班が担当しています。三沢を中心として第三期エシュロンの妨害、沖縄一帯を中心としたGPS信号の偽装。どれも順調です。しかし、一つ情報が引っかかりました】
集まった男女十数人の端末に一つの画像が転送された。
【中国と台湾の基地に動きがあります。どうやら情報が流れているようで最新のパトリオットが密かに沿岸配備されているという情報が掛かりました。これは由々しき事態です。客に対してもそうですが、何よりもGAME参加者の無駄な死亡は頂けません。今後の支障となりますから】
衛星写真が数枚端末に転送される。
【第五班の任務は中国と台湾に在中の部隊と連携した中国・台湾の沿岸部に陣取ったパトリオット部隊への破壊工作及び事故の偽装工作です。作戦は現地部隊の指揮下で行って下さい。今回の作戦は隠密性よりも早さ重視です。時間がありません。第五班は輸送機内で各自最終調整を済ませておく事。出来れば開始時刻後までには作戦を終了させるよう心がけて下さい。タイムリミットは参加者のテイクオフまで。その後は各自で撤収し帰還。以上です】
非常にアバウトな命令を下した亞咲がそのまま解散命令を出した。
ゾロゾロと誰もが亞咲に頭を下げてが白い扉へと向かっていく。
【・・・調整槽に入って三時間休みます。会長にはウチの人員に死人が出る以外では起さないようにと言っておいて下さい】
少年がコクリと頷いて、第五班に紛れて扉の先に消えた。
【ふぅ・・・】
無数に並んだ調整槽の奥の奥。
最奥部の一角にある仰々しい寝台が一つ存在する。
他とは明らかに違う真紅の台の上に亞咲が横たわる。
すると、寝台が沈み込み、その上に天井から蓋が降りてくる。
まるで石棺そのもの。
古のファラオでも眠っているのかという悪趣味なオブジェの中で亞咲が目を閉じる。
ガコンと完全に蓋がされた。
(脇役も楽じゃないと・・・CEO・・・貴女ならばそう言うのでしょうか?)
眠り姫の如く。
意識を手放し、亞咲は奈落の底へと落ちていく。
その最中、夢のような、曖昧な世界を彼女は見た。
*
『ママ・・・』
『僕はそういう類の人間じゃないよ』
『私はどうして人間じゃないの?』
『そう望まれたからさ』
『どうして?』
『君は人間の可能性を追求する為に人間以外として生まれてきたんだ』
『可能性の追求?』
『そう、人間の可能性の追求。別にマッドサイエンティストを自称するわけじゃないけど、そろそろそういう時代になってきたって事かな』
『分からない・・・』
『今はまだ分からなくていい。君が大きくなったら分かる事だ』
『大人になれる?』
『無論。クローンが短命なんてのは克服出来る程度の話だよ』
『ママ、凄い?』
『自慢はしないけど、君達を造ったからね』
『いつか・・・ママみたいになれる?』
『それは無理かな。君は僕じゃない。それに君の大本は頭の悪い人間だった』
『・・・・・・』
『怒らないで欲しいな。少なくとも頭は悪いがとても僕より人間らしい奴だったんだから』
『人間らしい?』
『ああ、馬鹿に恋したくらいだからね。馬鹿が馬鹿だったせいで死んだけど』
『・・・馬鹿って?』
『いつも缶コーヒーもらってるだろう?』
『あの人が馬鹿?』
『そう、馬鹿』
『・・・ママはあの人が好き?』
『研究者としては尊敬するけど、経営者や人間としては好きになれないかな』
『パパ・・・って呼んじゃダメ?』
『あの馬鹿に泣かれてもいいならいいんじゃない?』
『なら、何て呼べばいい?』
『・・・役職で呼んだら?』
『会長・・・CEO』
『役職で呼んでくれた方がしっくりくるみたいだ。それにしても呼び名が代表取締役でも社長でもないセンスだけはそっくりというか何というか・・・』
『?』
『君が気にする事じゃない【East Bloomer】』
『その名前嫌い・・・』
『どうして?』
『東の失敗作って・・・』
『なら、新しい名前をあげてもいいけど』
『可愛いのがいい』
『それじゃ・・・東・・・亜細亜・・・東亜・・・咲く・・・亞咲、なんてどうかな?』
『亞咲・・・?』
『アジアに咲く大輪。意訳で随分と女性らしい意味合いになる』
『うん。それがいい』
『人に何かを貰う時は?』
『あ・・・ありがとう・・・ございます。マ―――CEO』
『どういたしまして。亞咲』
クスリと笑って、彼女は頬を緩ませる。
それはいつだったか。
初めて世界の見方が変わった日の事。
己の名前すら見方や捉え方一つで別物になるという事実を知った。
この世に確かなものなど何も無い。
それは良い意味でも悪い意味でもそうだ。
だからこそ、彼女は己を変えた。
その名前に相応しい女になろうと。
己の母親にすら頼りにされる人間になろうと。
【CEO・・・・・・】
少女は夢を見た。
それはとても哀しい夢だった。
とても不確かで、とても温かな・・・・・・・・・。
第二のGAMEが始まる。
新たな夜が来る。
何もかもを呑み込む夜が。
空を見上げて彼らは祈る。
もはや備えの時期は終わった。
第三十二話「宵越しの宴」
その酒が不味いのは何故か。