第三十話 夢の国
物語は第二GAMEへと移行する過程で大きく加速します。
主要な組織が出揃い始めるのはもちろん多くの陰謀が主人公とヒロインの前に立ちはだかる予定です。
では第三十話 夢の国を投稿します。
第三十話 夢の国
遊園地。
それは夢のワンダーランド。
安っぽい装飾のメリーゴーラウンド。
無駄に揺れる海賊船。
回り続けるコーヒーカップ。
体に悪いジャンクフード。
甘ったるいソフトクリーム。
汚れ切ったからこそ美しい夕景。
そんな全てが渾然一体と化す場。
普通ならば子供達の笑顔と親子連れとバカップルで埋め尽くされているはずの世界。
そんな所に現在進行形で響くのは銃声だけだった。
一発目の銃声が響いた時、誰も逃げようとはしなかった。
しかし、マスクをして防弾ジャケットを着た自動小銃片手の男達が登場すればそうはいかない。
園内はパニックに陥った。
非難経路に押し寄せる客と運営側のアルバイト達。
幾人かのケガ人が出ただけで済んだのは奇跡。
しかし、それは実際には最初から予定されていた範囲内の出来事。
客達と運営者側の人員は誘導されて園内から締め出された。
男達の目的は客を人質にしてテロリスト紛いに何かを要求する事ではない。
男達はただ作戦遂行の妨げになるようなイレギュラーをフィールドから排除したに過ぎない。
男達にとっての問題はそれ以降。
完全に客達を締め出した所で各出入り口を完全に閉鎖できるか。
閉ざした扉を内側からも外側からも突破させない事が男達にとっての最優先事項だった。
遊園地中央広場。
巨大なアーケードの交わる十字路の中心。
今はぬいぐるみだのアイスだのが散乱する惨憺たる場。
設置されているベンチの上で一人不機嫌そうに座っているのは戦略兵器搭載型少女シャフだった。
彼女はどうしてこんな事になったのか思い出す。
今日のGAMEに参加する為、ソラをいびり倒してやろうと外字家へと向かう途中。
襲撃に会った。
第一波は五百メートル以上先からの遠距離狙撃。
第二波は車両で併走しながらの機関砲での銃撃。
第三波は逃げるルート上に隠蔽・仕掛けられた爆発物。
何に追われているかも定かではなく。
NDを使って応戦する前に圧倒的な火力によって追い立てられた。
まるで運命のように乗り捨ててあったバイクで移動し、追い詰められた先は遊園地。
最初こそ人気に紛れようと選択した場所だったが、全ては計算通りだったのか。
何もかもが目まぐるしく変わっていく内に園内で足止めされたシャフは身動きが取れなくなっていた。
一度園内から非難客に紛れて出ようとしたものの、やはり何処からかの狙撃が全てを遮った。
シャフの有するNDには簡易の防弾機構が存在しない。
ソラが常に傍らで待機させてあるCNT系の防弾機構は本来ならばオリジナルロットと呼ばれるシャフのNDにも付与されるはずだったが、シャフそのものの能力やNDの能力をフルに活用して圏域内部への侵入物体を解体するイートモードの使用が可能だった事もあって搭載されていなかった。
NDをフルに活用する形態の使用は普段禁じられている。
技術流出の恐れがある場合。
衆目に存在が明らかになる可能性がある場合も許可されない。
人目を気にする【連中】は決して表舞台に立つような真似はしない。
少なくとも組織単位で攻め立てられているシャフは情報漏洩を防ぐ名目でNDで使用できる能力を極端に制限された状態にあった。
だからと言って籠の鳥のように園内に閉じ込められた失態は言い訳できない。
もしもテラトーマが鹵獲されそうな事態にでもなれば、結果は見えている。
これだけ大規模な事件は連中でもかなり本気にならなければ隠蔽は不可能。
逃げられなければ【連中】から送られてくる指令は一つだろう。
NDとテラトーマの完全な破棄。
待っているのは全身のテラトーマを維持しているNDの消滅と病原体に内側から食い尽くされる未来。
日本という国を道連れに技術流出を防げとのお達しは想像の中だけで済むか怪しい。
(こういうの日本語で何て言うんだっけ・・・)
NDでの身体能力向上だけで組織的な追撃から逃れられる事はまず不可能。
全力でのND使用が制限されている今、シャフに出来るのはNDで周辺にある構造物に沿ってNDを撒布し相手の喉下まで届かせる事くらいだった。
狙撃地点が限られたアーケード内ならば相手の出方も見やすいかと思ってそこに陣取ったシャフだったが能力を警戒しているのか相手がそもそも近づいてこない。
シャフは狙撃手の位置くらいは掴んでいたが常に相手は五百メートル以上先の建造物に篭って出てこない。
どうにかしようとNDを伸ばしてもプログラムを実行するまでには時間が掛かる。
もしもテラトーマが使えたならば、即座に相手を病魔で犯して危機を脱していただろうがそれも無理な以上シャフに出来る事はほぼ尽きていた。
(・・・四面楚歌、だったかしら・・・)
キュルキュルと音がしてシャフが顔を上げる。
いつの間にか正面から近づいてきていたのは小さなリモコンと薄型の画面が備え付けてあるラジコンの車体だった。
お粗末な改造で作られたらしいソレがシャフの目の前で止まる。
「・・・・・・」
NDで検査するものの爆発物は感知されず。
マイクとスピーカーとカメラが付いているだけのありふれた黒い画面にシャフの顔が映る。
己の顔にシャフは思わず皮肉げに笑んだ。
その顔はいつだったか見た事のある表情。
グランマの死に衝撃を受けてから初めて見た鏡に映った自分。
「・・・・・・」
備え付けのリモコンを取り、シャフが画面の電源を入れる。
映ったのは何処か暗い部屋。
そして椅子に座る一人の男。
シャフは何処かで見た事のある顔に一瞬だけ脳裏を探ったがすぐに諦める。
己は瑣末な出来事を記憶しているような性格でないと気付いたからだった。
【まさか、お嬢ちゃんみたいな歳の子をこうやって囲む事になるとはなぁ】
「アンタ誰?」
至極当然の疑問をシャフが口にする。
【大牙会頭領。我東大牙ってもんだ】
「・・・ああ、そういえば運ばせたかしら」
【思い出してくれたかい? そう、お嬢ちゃんを運んだ運び屋だ】
「料金なら定額で支払ったはずだけど?」
【そうなんだがな。何せ組のもんの命の駄賃がまだなもんで、ちょっと取り立てさせてもらうぜ】
「命まで取った記憶は無いわ」
【ほほぅ? だが、お前さんを運んだ組のもんが二人程この間干からびた姿で見つかったんだが? いや、どうしてかな『すっかりんな事を忘れちまってた部下が幾人かいてな』慌てて確認を取ったらこれだ】
綺麗に朽ち果てた人間の写真が一枚表示される。
「・・・・・・」
【だんまりかい?】
「殺したかと聞かれればイエスとは答えない。けれど、ノーと言っても証拠は出せない」
【なら、誰がウチのもんを殺した?】
「知らない」
シャフは内心で黒い顔のある化け物を思い出す。
仕事がしやすいようにと移動の証拠を消して歩かれた可能性は高い。
しかし、それを悟られるような発言は【連中】の存在を示唆しているとも取られ、即座にNDを崩壊させられるかもしれず、知らないで通すしかなかった。
【なら、この間ウチの若いもんが血反吐を吐いて倒れた件はどうだ?】
「それなら、アタシよ。別件で巻き込ませてもらったわ。死んでるような事はないはずだけど」
大牙が溜息を吐く。
【テラトーマさんよ。随分と調べさせてもらったぜ? アンタの力は確かに凄い。殆ど反則だろ。だがな】
大牙の瞳に光が灯る。
【それで退いたってんじゃ大牙会の名折れだ。売られた喧嘩は買うぜ?】
「日本で死ぬまで刑務所に入るとしても? こんな騒ぎを起こした以上、もう組織はお終いでしょ」
【無論、考え無しじゃねぇさ。少なくとも組織の今後は考えてある。お前さんの情報そのものがオレ達の切り札だ】
「何ですって?」
【考えても見ろ。オレ達が捕まったら裁判に掛けられるのは必死。だが、日本政府はお前さんみたいなもんが日本の内部に侵入していたなんて事実を認めると思うか?】
「政府を強請る気?」
【司法取引と言ってくれ。日本の諜報機関にしてもアンタの具体的な情報は欲しがるだろう。この事件が闇に葬られる為にはオレ達の口裏合わせは必須だ】
「しかも、民間人に死人は出してない?」
【その通り。更に言えばアンタとのやり取りも含めて情報の全てはネット上に隠してる最中だ。オレ達の発言をどれだけ情報操作しようと現在戦争まっしぐらな日本政府が火消しにまで手が回るとは思えねぇ。つまり・・・此処にオレ達がアンタを此処に誘き出した時点で作戦は半分以上成功したも同然なわけだ】
「ただのテロリストの妄言で済ませられないわけね・・・」
【状況はオレ達にとって圧倒的有利だ。世間からしてみれば何故テロが起こったのか理由は知りたいはずだよな? その理由そのものが国家の安全に関わるとなりゃ政府だってオレ達を無碍にはしねぇ】
「その提案を政府は呑まざるを得ない。だから、此処で小娘一人殺しても構わない?」
【アンタの死がそもそも公にされるかどうかは未知数だが、少なくとも大量殺戮兵器とは言われんだろう】
「そして時間稼ぎは警察待ちと」
【ご名答。アンタがもしもオレ達を突破しても次は警察を突破しなきゃならん。もし、アンタがその力で病原体を撒こうとするなら、その時点でオレ達は園内全てを焼却、爆破する】
「用意周到な事で・・・感心するわ。自分達ごと葬ろうなんて随分と殊勝な心がけじゃない」
【アンタの日本での行動から推測するに自分の存在を公にしたくないはずだ。もしもこの状況でそれを望むならアンタの道は二つ。自決か日本を巻き込んで自滅するか】
「アタシが自殺するような人間に見えるかしら?」
【・・・真実が分かるなら、逃がしてやってもいい】
「ここまでしておいて? 随分とお優しい事ね」
【少なくともアンタが下っ端なのは分かってる。だが、アンタの背後関係は未だに分からねぇ。喧嘩を売ったのがアンタだったとしても、責任はアンタの背後に取らせる。それがオレ達の筋だ】
「・・・・・・」
八方塞だった。
シャフは【連中】に言及した時点で死ぬ。
かと言ってNDの能力をフルで使わずには囲いを突破できない。
しかし、NDの能力は衆目に晒せないという理由で封じられている。
話してみてシャフに分かったのは画面の中の男に嘘は通じないだろうという事だけ。
つまり、シャフの生き残る道は絶対に死ぬだろう【連中】からの自爆コード待ち以外での選択肢になる。
可能性が最も高いのは警察の突入時。
少なくとも園内に仕掛けられた爆薬で人死にを躊躇って隙が出来るかもしれない。
だが、そうなるまでにどれだけの時間が掛かるか分からない。
【連中】が警官隊の突入を自爆の期限と見る可能性は十分にある。
とすれば、残された選択肢は一つだけ。
囲いの強引な突破のみ。
どれだけの爆薬を仕掛けたのか分からなくとも、NDの基本性能を相手が把握しているとはシャフには思えない。
オリジナルロットの基本性能ならば半死・重症程度ならばどうにかなる。
脳が完全な状態で重要臓器が三分の一も残っていれば再生は可能。
シャフにとっての問題はNDの増殖に必要な構造材ぐらい。
それも園内に囲い込まれてから撒布していたNDの働きで幾分か用意できていた。
(使えるのは身体能力向上とNDによる微細な作業構築と解体・・・後は・・・)
シャフは現在登録されているプログラムの中で使えるものを探す。
しかし、【連中】からのプロテクトの掛けられていない使用可能なプログラムには碌なものが残っていなかった。
「とりあえず、アタシはアンタ達を『通常手段で半殺し』にするわ。爆発させたいならどうぞご自由に。アタシが死ぬのを願いながら先に死んでて。その程度でアタシが殺せると思うのなら、ね?」
【はは、そう来るか。確かに組のもんに大義も無く死ねってのは気が退ける】
大牙が唇を吊り上げた。
テラトーマによる大規模な病原体撒布が行われるという前提で爆薬を仕掛けた側からすれば、通常手段で戦うと宣言されれば、自分達ごと巻き込んで爆破するのは躊躇われる。更に自分達の爆薬が相手を確実に道連れに出来るかどうか未知数ならば、ボタンを押すか躊躇わないわけがない。そして、ダメ押しに相手から「殺さない」と言われれば、生死の駆け引きなんて人は倦厭する。
「生死の駆け引きに持ち込んだのはアンタ達よ」
【違いない。が、それを素直に信じてやるほどお人よしじゃねぇな】
「半殺しで済ますと宣言するアタシと死ぬかも分からないのに道連れとなる事を選ぶか。アタシにボコボコにされて生きる事を選ぶか。ま、好きにすればいいわ」
言い捨ててシャフはNDで画面の回路を焼き切った。
「はぁ・・・」
アーケード越しに空を見上げる。
強がってみたものの、現状は何一つとして変わっていない。
狙撃で殺される可能性は大きい。
警察が使うようなライフルでの狙撃にならばシャフは殆ど無敵と言える。
しかし、相手が軍用の対物ライフルか対戦車ライフルなら話は違う。
貫通力、破壊力、更に超遠距離からの高精度精密狙撃は防弾機構無くして防げない。
辛うじて出来るのは遮蔽物で遮るか逸らすか。
それにしても弾丸の種類によっては貫通があり得る。
実用的なプログラムが実装されていないシャフのオリジナルロットでは対応が後手に回らざるを得ない。
(まだ、こんなところで死ぬわけにはいかないのよ)
シャフが立ち上がる。
「ソラ・・・アンタから全て奪い尽くすまで・・・アタシは・・・」
ダァアアアアアアアアアアアアアアン。
一発の銃声が『遅れて』やってくる。
シャフの胸元には大穴が開いていた。
*
画面の先。
胸に大穴を開けた少女を見て大牙の顔が強張った。
「おい!? 誰が撃った!!」
マイクに向かって叫んだが配置している狙撃手達はいずれも否定を返してくる。
「くそが!? どうなってやがるッッ!!」
【こちらブラボー!! 標的の様子がおかしい!!】
『何だと!?』
再び画面を食い入るように見た大牙は少女の姿に『ノイズ』が走るのを目にして状況を悟った。
『各自警戒!! 今の『映像』は囮だ!!!』
大牙の声と同時、無線の一つが何の前触れも無く途絶した。
『チャーリー!? どうした!! 応答しろい!!』
しかし、大牙の声に反応は返ってこない。
『狙撃手が狙われるぞ!!! 各自、現在位置から一時退避!! 体勢を立て直して発見に全力を尽くせ!!! チャーリーの状態を視認した者はすぐに報告を寄越せ!』
「お頭・・・姿を見失った以上、我々のアドバンテージが悉く覆される可能性が。此処は退避を」
大牙の横で各隊に指示を出し終えたスーツ姿の男が画面越しに胸に大穴を開けた少女を見ながら進言する。
「伊佐。悪りぃがよ。一度始めた喧嘩は最後までやる主義だ」
「ですが、姿が見えないという事は何らかの偽装・・・恐らく光学迷彩のような能力を持っている可能性があります」
「六種類のセンサーを掻い潜って此処まで来るってのか?」
「いえ、ですが足りない目を組員の視認で補っている以上、こちらの目を掻い潜られる可能性はあります」
「・・・ま、確かにホログラフたぁ思ってもみなかったな」
画面には未だ少女の幻影が写っていた。
【こちらチャーリー!!!】
「「!?」」
二人がその声に振り返る。
無数の画面と電子機器で埋め尽くされた壁のスピーカーから途絶した声が響く。
『無事か!?』
マイクを掴んで思わず叫んだ大牙だったが、その返答が返ってくるより先に今度は別の声が飛び込んでくる。
【こちらホテル!!! エコーが倒れているぞ!? 敵は西に向かって移動中】
【こちらゴルフ!! ブラボーが倒れているぞ!? 敵はゲートに向けて進行中】
銃声。
【こちらデルタ?! 助けてくれ!? 今襲われてる!!】
【こちらエコー!!? 何なんだ!? う、うあああああああああああああああああああああ】
通信の途絶と復活。
【こちらアルファ!? 何が起こっているの本部!! 本部!!!】
【まさか敵の欺瞞情報!? 各自!! これより通信を途絶し、各々の判断で動かれたし!!!】
悲鳴と苦悶の声。
【お頭あああああああああ!!!!!】
【こちらデルタ!! 現在応戦中救援を求む!!!】
【ひ、ひぎいいいいいいいいいいいいいいいいい?!!!!】
【騙されるな!? デルタはもうすでに倒されているぞ!? 視認した!!!】
【騙されるんじゃねぇ!!!! 全部偽の連絡だ!! 標的はもう外側に移動し始めた!! 各自!!! 園内と外を隔てる出入り口を当たれ!!! 守りを固めねぇと突破されるぞ!!!】
無数に飛び交う声に己の声が混じっている事を知って大牙が唸る。
「あいつ!? この短期間でどうやってウチの無線に割り込んだんだ!? しかも、無線内容まで把握してやがる!? 指揮系統をまず絶ちにきやがった!? クソッ!? これじゃ囲いが崩れる!? 伊佐!! オレはこれから現場に向かう!!! お前は指揮系統の混乱を収めろ!!!」
「ですが!? お頭!!」
「テメェの子分ばっかりに働かせてたんじゃ立つ背がねぇ。後は任せたぜ?」
大牙が唇の端を吊り上げて笑う。
「了解・・・しやした。存分にお働きを!!!!」
「あぁ、あのお嬢ちゃんに一発ブチかまして来るぜ」
大牙が隣の扉を開いて大型のバンの中から飛び出していく。
扉を閉めた伊佐は現状を回復しようと大声で組員達を怒鳴りつけ始めた。
*
【こちらデルタ!! 敵は五番通路を東に向けて逃走中!!!】
【こちらブラボー!!! 現在応戦中!!!】
【こちらチャーリー!!! 東じゃない!! 騙されるな?! 西だ!!!】
幾通りものパターンで音声を合成し無線に流し込みながらシャフは右往左往する男達を眺めていた。
外側の警察無線を拾った限り、警察の突入は近い。
内部の様子を伺っていた警察も園内の慌しさは認識している。
混乱に乗じて警官隊を突入させる手はずは整っていると見て間違いなくシャフはそろそろかと機を見計らっていた。
NDによる簡易のホログラフ投影。
碌な使い道の無いプログラムだったが混乱を引き起こす引き金としては十分だった。
(これだけ動揺してれば・・・)
シャフはふら付く足を前に進める。
外套の左肩が二センチほど抉れていた。
最初の一撃。
誰が撃ったか定かではなかったがシャフは狙撃を避ける事に成功していた。
最初からホログラフを撃たせる事は織り込み済みだったものの、準備が終わる寸前での狙撃はハッキリ言って危機一髪。
それでも賭けに勝ったシャフは未だ初弾で左肩を撃ち抜かれただけで後は無傷。
それに比べ相手は混乱の極みにある。
連携の取れていない兵隊などただの烏合の衆である以上、シャフの敵ではない。
(ホログラフの一斉起動まで後十五秒・・・)
園内に広げていたNDが一斉にシャフのホログラフを映し出し走る姿を結実させた。
それと同時にシャフも走り出す。
よく見れば偽者と分かる映像も混乱している兵隊には本物に見える。
撹乱は成功し、陽動で殆どの戦力は外側へと意識を向けている。
残る関門は時間とルート上の敵掃討のみ。
全方位から狙い撃たれる心配が無いなら最短ルートで外へ向かってもリスクは最小限。
次々に園内で銃声が上がる。
敵が仕掛けに気付くまで一分も無いかもしれないが、その一分を全力疾走に費やせば囲いは突破する事ができるとシャフは確信していた。
「!?」
百メートルを六秒で駆け抜け、息切れもせずに走り続けたシャフだったが、曲がり角を曲がった瞬間、咄嗟に反対側の脇道へと身を投げ出していた。
キュガガガガガガガガガガガガガ。
そんな音と共にシャフが通り過ぎた場所を何かが穿つ。
堅いコンクリート製の構造物が一瞬にして抉れていく。
「!?」
シャフが唇を噛む。
道が十メートルはあるだろう建物で行き止まりになっていた。
そのまま上に逃れようとして気付く。
上に出れば格好の狙撃の的だった。
もしも、相手が一人でも狙撃手を連れているならば、絶対に建物の上を狙える位置に待機させている。
「随分と面白い得物じゃない!!」
『土建はシノギの一環だからなぁ。お嬢ちゃんにゃ此処で付き合ってもらうぜ』
シャフは抉れたコンクリの壁に突き刺さるソレを見て嗤う。
コンクリを抉り突き刺さっているのは釘だった。
大牙からの射撃が止む。
その背後には数人の気配。
「どうやって位置を特定したのかしら?」
『なぁに・・・そう大した話でもねぇさ。よく考えてみただけだ。どうしてベンチでずっとホログラフを維持し続けてたのかってな』
内心でシャフが舌打ちする。
『よく考えりゃ分かる。たぶんNDの類なんだろうが、そんな無意味にホログラフなんて維持させてるわけがねぇ。つまり、理由があったんだ。その理由は何か? 言うまでもねぇ』
ガッチャガッチャと機械が擦れ合う音がシャフのいる路地へと近づいていく。
『あの場でホログラフを維持してたのはもう自分は此処にはいないと印象付ける為、つまりホログラフの影に堂々と隠れてたわけだ。後は通信を撹乱してウチのもんが右往左往しながら配置を換えてくれるのを待ってりゃいいって寸法だ。あの場所から最短の逃走経路を考えりゃ馬鹿でも道は分からぁな』
「ヤクザって計算出来たのね。驚きだわ」
シャフの皮肉に大牙が笑う。
「はは、今は経済ヤクザが主流だからな。それとオレ達はヤクザじゃねぇ。和僑だ」
「ああ、そう」
大牙が角を曲がりシャフを捉えた。
その体に巻かれているバンドが何を固定しているのか知ってシャフが呆れた眼差しで大牙を見つめる。
「釘撃ち機の化け物ってところかしら」
大牙が両手で持っていたのは機関砲とも見紛う巨大な砲身と一抱えもありそうな弾倉(クギの束)、更にその後ろに付いているボンベという・・・シュール過ぎる得物だった。
「昔から何かと銃の規制が厳しい国で生きてきたもんだからよぉ。法には引っかからんもんを現地の奴に頼んだらこんなの出してきてなぁ。今じゃ抗争なんかは【ガスガン(コレ)】が手放せなくなっちまった。安上がりだろう?」
シャフがNDで瞬時に得物へと細工を始めるものの大牙は撃たなかった。
「これが最後だ。大人しく後ろの連中の事を吐くなら悪いようにはしねぇ」
「そういうのは追い詰めてから言えば?」
シャフが壁に向かって跳躍した。
しかし、それでも大牙は撃たなかった。
そのままシャフが園内の建物の上を渡っていく。
散発的に銃声が上がった。
「・・・おい。一っ走り本部まで行って標的の位置の確認取って来い。確認が取れたらプランCの手はず通り警察に事実を伝えて、他の連中の武装解除を優先しろ」
「へい!! お頭」
大牙よりも数メートル後方で待機していた男達の一人が走り出していく。
シャフに逃げられたというのに大牙はまったく動じていなかった。
「お頭!? 大丈夫ですかい!?」
男達は今にも駆け寄りたい衝動に駆られながらも動けず、その場で大牙へと声を掛ける。
「ああ、心配いらねぇよ。値が張っただけある。さすがに軍事用のNDを易々突破する程じゃねぇらしい。テメェらはまだドンパチやってる連中に声掛けて投降の準備でもしとけ。オレはこれから一人で追う」
「で、ですが!?」
ゴトンとベルトの金具を外され繋がれていた得物が地面に落下する。
「クソ高ぇNDは生憎と一本だけだ。それも後せいぜい二十分持つかどうか。心配は要らん。オレが誰だか忘れたか?」
「「「「へ、へい!! ご武運を!!!!」」」」
後ろ手にNDが入っていたアンプルを放り投げて大牙がシャフが今までいた場所まで来ると左の壁を裏拳で殴り飛ばした。
その手応えは無い。
ノイズが奔る。
壁には人が一人通れるだけの立て穴が開いていた。
その先に見えるのは店舗の裏口へと続く通路と開けっ放しの扉。
その真下にはマンホールの蓋が転がっている。
「ぬぅん!!!!」
大牙が己が入るには小さい縦穴に拳を叩き込んだ。
穴が爆砕し広がる。
「そういやぁ・・・子供の頃は夕方までよく鬼ごっこなんてしてたもんだ」
懐かしくなった大牙はそろそろ暮れ始めている空を見上げる。
「はは、若返る心地ってのはこういうのを言うのかもな・・・」
店舗裏へと歩き出した大牙はマンホールの上まで来ると身を細めるようにして水音のする地下へと向かった。
*
シャフは巨大な横穴を予め読み込んでいたマップを確認しながら只管に走っていた。
日本の上下水道の整備率は高い。
大都市圏ならば人が通れるような幅の地下埋設型の水路は多い。
だからと言って全ての水路が通れるわけではないが、NDの加護によって水没していようが、ガスが発生していようがシャフに通れない道は無かった。
遊園地はモノによっては大量の水が必要となる。
その莫大な水の供給を行っている水路は現在運営側が水の供給を止めているのか殆ど水が通っていなかった。
各アトラクションへと枝分かれするように整備された水路は逆に辿れば巨大な水路へと合流する。
シャフは真っ暗な水路を物ともせず大きくなる道に安堵しながら付近で最も安全な出入り口を探していた。
(レプリカの残量が少ない・・・何処かで補給しないと・・・)
通常、シャフやソラが使っている【ITEND】は都市部の構造物からその大元となる材料を調達する。
二人のオリジナルロットと呼ばれるNDの最も優れた点は大本であるコアと呼ばれるND個体群が消耗しないというところにある。
コアのND個体群は基本的に己の補修と他の実働する個体群を複製する事のみに特化されている。
つまり、本来ならば使い捨てで高価なNDをエネルギーと原料さえあれば幾らでも複製できる事がオリジナルロットを特別たらしめている要因に他ならない。
複製は基本的に役目を終えると同時に崩壊するようプログラミングされている。
その為、使い終わったND個体群は再び使い回される事が無い。
故に、その複製を使い切ってしまえば、NDの全ての能力は残されたコアだけで処理するしかなくなる。
しかし、それは本末転倒。
コアは一定以上磨耗した場合、修復が不可能になる。
それと同時にNDの複製能力も低下していく。
シャフは複数のホログラフの為に準備していたND個体群の殆どを使い切ってしまっていた。
だが、だからと言ってコアを使って力を低下させれば後が無い。
何処かで時間を掛けて複製を行うべきだったが、状況がそれをシャフに許してはくれなかった。
「後は何処で地上に―――」
パキンと何かが引っかかり弾ける音。
シャフが少ないレプリカを全て使って全身の対衝撃防御体勢を取った。
爆発。
水路に爆風が吹き荒れる。
「―――トラップ!? 読まれてッ!? ッッ!?」
シャフが片膝を付く。
巧妙に足元の水の中に隠されていたのは原始的な糸が切れると同時に手榴弾のピンが抜ける類のトラップ。
(左ふくらはぎに裂傷が七箇所・・・回復に・・・十四分・・・ダメ・・・今ので居場所を知られたわ・・・このまま水路を走り続けるのも危険過ぎる・・・)
シャフは己がどんどん追い詰められていっている事を自覚して唇を噛んだ。
(・・・此処から無理やり地上まで出る? ダメ・・・すぐに包囲されてお終い・・・更に能力が制限されたら対処できなくなる・・・)
ザザザザ。
「ッッッ!? まずい!? あいつら!!!!」
水音にシャフは顔を引き攣らせ、一体何をされているのか即座に理解する。
水攻め。
水路に再び水を満たして酸素を奪う。
警察が突入して水が止められるまで放水が続けば水死体になる可能性は高い。
そのままでいれば激流に流されて更に何処かに仕掛けられたトラップにぶち当たる可能性もある。
どちらにしろケガを負っているシャフは圧倒的不利な状況に立たされていた。
「戻るしか・・・無いってわけね・・・」
NDが少ない今、無駄な体力の消耗は死に直結する。
幾らNDの加護があるとはいえ、酸素無しに一日中水路の中で身を隠すなんて不可能に近い。
「よう。お嬢ちゃん」
「―――」
シャフが振り返る。
「一緒に自殺でもしに来たなら遠慮してくれない?」
「水の放流で此処が満たされるまで約五分。まだ勢いは弱めだが、タイムリミットは近けぇぞ?」
「・・・・・・一つ聞いていいかしら?」
「何だ?」
「どうしてここまでするの。所詮、下っ端でしょ。死んだのもせいぜい二人。倒れた奴だって半年もすれば直る。リスクとリターンが見合わないわ」
「なら、お嬢ちゃんに一つ聞きてぇ。お嬢ちゃんは自分の大事な家族が殺されたらどうする?」
「家族はいないわ。そして、組織と家族を一緒にするような人間なんて、アタシの人生にはいなかった」
「そりゃ哀しいねぇ」
「悲しい?」
大牙が拳で胸を叩き胸を張る。
「あぁ、自分の死を悼んでくれる人がいる。人間てのはそれだけで結構幸せなもんなんだぜ?」
「・・・・・・」
シャフは僅かに目を細める。
「人間の命が重いなんてのは当たり前だ。だが、その重さを背負える人間となると少ねぇ。それが血の繋がってない他人なら尚更だ。だが、だからこそ、オレ達は互いの命の価値って奴で繋がってるんだよ」
「命の・・・価値?」
「オレの命が何処かの鉄砲弾に取られたら、オレの可愛い子分がそいつをブチ殺しに行くだろう。オレもオレの組のもんが殺されたら、そいつをブチ殺しに行くと決めてる」
「ご大層な理屈ね」
「オレ達にとって組織は経済的な寄り代だってだけじゃねぇのさ。旧いかもしれんが、これが祖国を離れて理不尽の中で団結してきたオレ達の生き様に他ならねぇ」
シャフは己の足がどれだけ動くか確認する。
全力で使えて一回。
一撃でケリを付けて来た道を戻らなければ待っているのは死のみ。
「・・・アタシはアンタ達みたいな連中の気持ちは分からないし、分かろうとも思わない。人の価値観や生き方なんてものを知ろうと思わないし、興味も無い」
「なら、どんな理屈で、どんな感情で、アンタは生きてる?」
シャフが拳を握って大牙に構え、怒りとも苦しみとも付かない表情で睨み付ける。
「アタシは『海を渡る風』(シャフ)・・・何者にも束縛されず、何者からも自由な風・・・アタシの往く道を塞ごうとする輩がいるならアタシは全力を持って排除するだけよ」
大牙も拳を構えるもののシャフとは違って表情は穏やかに笑みすら湛えている。
「自由・・・か・・・若けぇなぁ」
苦笑に近い自嘲だった。
「オレもアンタくらいの頃は自由って奴が好きだった。だが、アンタとは一つだけ違うところがある」
「?」
「オレは少なくとも楽しかったぜ? それがただの若さに任せただけの迸りだったにしろな。だが・・・アンタはちっとも楽しそうには見えねぇ。自由って奴を語るには顔が少し堅過ぎじゃねぇのかい?」
「――――」
思ってもみなかった事を指摘されてシャフが固まる。
「さぁ、そろそろ本気でやらねぇと時間が無ぇみてぇだ」
足元の水嵩が増していた。
後どれくらいで完全に水路が水没するかも分からない状況で喋っている余裕はもう無かった。
「「・・・・・・・・・」」
二人が同時に動こうとした―――矢先だった。
轟音が突如として通路に響き、闇が打ち砕かれた。
急激に水嵩が激増し、シャフが真上から降ってくる光に向かって跳んだ。
「おい、ま―――」
腰まで上がった水嵩が激流と化し、足を掬われた大牙が流される。
(!!!)
光へと手を伸ばしたシャフの手が取られ、一気に引き上げられた。
むに。
そんな感触。
何に顔を埋めているのかも分からずシャフが暴れようとするが、前に急な加速がシャフを黙らせる。
「!!?」
瞬時に明るくなった世界は夕暮れ。
その中でシャフは己の姿が見えない事に気付いて驚きの声を上げる。
「光学迷彩!? 誰!!!」
しかし、その声も虚しく。
見えない何者かに抱かれながらシャフは壮絶なスピードで移動し都市の上空を駆け抜けていく。
下で大規模な警察車両の群れを発見したシャフは遠ざかっていく遊園地をただ見つめる事しかできなかった。
数分後。
シャフは都市の外れにある山中に降り立っていた。
誰もいない峠にある小さな駐車スペースと併設された公園。
都市部を一望できる高台に馴染みの顔を見つけてシャフは直後に全てを悟った。
ゆっくりと丁寧に下ろされたシャフの前に白いスーツ姿の青年ターポーリンがやってくる。
「何とか間に合ったようで」
自分を見下ろす曖昧な印象の男にいつもならば皮肉の一つも返しているはずだったがシャフは何も言わなかった。
「さぁ、終わった事ですし、何か食べに行きませんか?」
「はぁ・・・」
ターポーリンの言葉にシャフが脱力する。
「おや、お疲れ気味ですか?」
「今まで溺れ死にしそうだったからかもね」
「これでも気を使ったつもりですが」
「何処に気を使ったのか是非教えてくれると助かるわ。元管理者さん」
「服は乾いたでしょう?」
脛に蹴りでも入れてやろうかと思ったシャフだったが助けられた手前自制が働いた。
「話は聞いている通りです。新しい任務に付いたのでメリッサに全権を譲渡しました」
「・・・一体そいつは誰なのよ」
シャフが未だに姿を消している己を助けた存在に視線を向ける。
僅かに屈折した光が空間の中に歪な人型を形成していた。
「これから私が管理する事になった新しい人材です。ああ、試験は終わったのでもう迷彩は解いていいですよ」
ジワリと空間に色が滲む。
次の瞬間には其処に一人の女が佇んでいた。
「・・・・・・」
黒いライダースーツ状の衣装を着込んだ女は腰まで届く長い黒髪に巨大な黒いリボンを一つという奇妙な姿で妙に表情が乏しかった。
「誰?」
「パイと名乗るそうです」
「パイ?」
「はい。正しくは食べる方のパイと」
何かトンチンカンな会話をしながらシャフがライダースーツの女パイを睨む。
「試験て?」
「彼女の性能試験です。ちなみに【連中】特性のND構築プログラムと飛行用のスーツ。それから幾分かのジェット燃料しか使っていません」
「つまり、新兵器のテストでアタシの救出をさせたって事かしら?」
「ええ、何か不満でも?」
「あれだけ派手な事をして【連中】が黙ってると思う?」
「偽装は完璧ですから心配要りません。テロリストの爆薬が偶然にも爆発して穴が一つ開いただけ、ですから」
「あの地下水路から地表まで何メートルあると思ってるの? そもそもどうやったらあんなのをNDで開けられるのか是非知りたいわね」
「いえ、NDで外装を製造した小型のバンカーバスターです。目新しいものは無いかと」
「了解。これからGAMEに向かうわ」
自分に知らされない事実や真実など山の如く。
常の通りかとシャフは早々に【新人】への興味を失った。
「その前に一端メリッサと合流しましょう。色々と話さなくてはならない事が増えました」
「どういう事?」
「普通の和僑程度が我々の情報網を掻い潜ってアレだけの準備が出来ると思いますか?」
「・・・誰か黒幕がいるってわけ?」
「今回の件で【連中】が慌しくなりました。どうやら予期せぬイレギュラーという事らしいですが・・・」
「イレギュラー?」
シャフが和僑のトップなのだろう男の顔を思い出す。
そんな裏があるようには見えなかったが、何が真実かは往々にして分からない。
「そう言えば、あの飛びたい症候群の馬鹿はどうしたわけ?」
「仮にも自分の管理者を悪し様に言うのは頂けませんが」
「それで?」
不機嫌なシャフに溜息を吐いてヤレヤレと肩を竦めたターポーリンは都市部へと視線を向けた。
「状況管理の為に警察と園内へのシステムハックをお願いしています。地下水路ではグッドタイミングでしたよ。そろそろ引き上げて合流地点へ向かっている頃でしょう」
「ああ、そう。足は?」
自分で聞いておきながら、更に不機嫌になったシャフが「その先にタクシーを待たせてあります」と言われた傍からターポーリンとパイを置いて歩き出す。
その背中を苦笑気味に見つめていたターポーリンは己の横でシャフの背中を見ているパイに気付いた。
「どうかしましたか彼女が?」
「その・・・可愛らしい子ですね」
パイの一言にターポーリンが固まる。
「お話からして、もっと感情の無いような人達だと思っていました・・・」
思わずターポーリンが噴出した。
「ふ、ふふ、ははは、いや、まさか・・・あのシャフが「可愛らしい」とは・・・ふふ・・・確かに彼女は我々の中では最も可愛らしいかもしれないですね」
「?」
パイがターポーリンの意図を掴みかねて首を傾げた。
「能力こそ我々の中では世界規模の影響力を持ちますが、その内実はただの子供です。いえ、ただの子供だからこそ、あそこまでの能力を与えられたと言えるかもしれない」
「どういう、事ですか?」
「我々の開発者達はそれぞれ癖の強い人間ばかりですが、自分の研究の管理は徹底的です。だから、管理し易い【素材】を選んでいるのは想像に難くない。性格はともかく管理しやすい人間だからこそあれだけの能力を与えておける。と・・・まぁ、そういう話です」
パイが複雑そうな顔をした。
「そろそろ行きましょう。あの「可愛らしい風」が怒り出さないウチに」
二人はもう沈みつつある夕日を背に歩き出した。
その日、奇妙な三人を乗せたタクシーの運転手は冗談交じりにこう後ろへ言葉を投げ掛けた。
旦那さん・・・奥さんが若くて羨ましいね。
家の古女房とは大違いだ。
お嬢ちゃんも優しそうなお兄さんで嬉しいだろう。
次の日から風をこじらせた運転手は一週間以上通院を余儀無くされた。
運転手が都市部で流行り始めたウィルスに掛かったと大騒ぎして家族から顰蹙を買ったのは自業自得としか言いようが無かった。
*
峠を下っていくタクシーを見つめる視線が二つ。
【あれが【連中】の実働部隊・・・随分と欲張った仕様じゃないか。是非、解体してみたい】
【父様。【復古】の活動時刻まで後二時間を切りました。あちらが仕掛けたモノは全て除去が完了。いつでも行けます】
【GIOに我々の凱旋を知らせなさい。朋友達は未だ到達せず。されど、先遣たるわたしが到着したと】
【はい】
【・・・アズ・・・君はまだ・・・こんな国を守ろうとしているのか・・・】
視線の一つがゆっくりと空を見上げた。
*
その日、GIO会長の下に一通のメールが届く事になる。
差出人の署名は個人ではなく一つの団体。
天雨機関。
それは人々に降り注ぐ慈雨の名を冠した組織が再び日本へ集結するという知らせだった。
善は害し、悪は救う。
何が正義で何が不義か。
棺桶で眠る者は知っている。
この世に確かなものなど何も無い。
第三十一話「交戦準備」
そも戦いに良し悪しは無かった。