第二十九話 嵐前の静寂にて
今回、ついにアズの過去の一部が明かされる事となります。次回から第2ゲーム直前まで幾つかのターニングポイントがあり、多くのキャラクター達が新たな進路を再設定する事になるので賑やかな回となるでしょう。ちなみに第29話は「らんぜんのしじまにて」と読みます。では第二十九話 嵐前の静寂にてを投稿します。
第二十九話 嵐前の静寂にて
自動小銃30挺。
対戦車ライフル5挺。
機関砲七門。
RPG20発。
積層強化プラスチック盾40個。
手榴弾135個。
感染症防護服46人分。
他武器弾薬etc。
保持しているだけでテロリスト容疑の無期懲役確実な品揃えに男達は感嘆の溜息を吐いていた。
もしもその光景を警察官僚が見たならば悪夢のような事態に震え上がったかもしれない。
日本転覆を狙うテロリストと目されても言い訳できないのは明白。
何を標的にしたいのかと目を疑うような重装備は戦争でも始めるのかと思わせるに違いない。
しかし、その装備は別にテロ目的でもなければ戦争に使用されるわけでもなかった。
用意された装備は【狩り】の為。
そう、たった一人の標的を叩く為に準備されたものだった。
「すまねぇな。無理難題を押し付けちまって・・・」
黒い羽織姿の六十代の男。
『我東大牙』
外国へ移民した日本人達の自衛組織から発展した【和僑】と呼ばれる組織の頭目。
外国勢力に色分けされながらも【日本様式】を受け継ぐ外国産の八九三。
その中でも日本へ近年入ってきた【大牙会】の事実上のトップが僅かに頭を下げ礼を尽くす。
相手は武器弾薬をズラリと並ぶ光景を実現した功労者。
「別に料金と約束さえ守ってもらえるなら構わないさ」
今は武器商人ハワード・ベイルと名乗っている三十代の白人オズ・マーチャーにだった。
「ああ、口座に今から振り込もう」
我東が頷いて傍らの男から差し出された小型端末の電子口座へタッチペンで入金手続きを踏んでいく。
「それで一つ疑問に思ってたんだが、こんな装備を使って何をしようって言うんだ? 少なくとも熊
や鹿を取ろうって話じゃないだろう?」
「はは、気になるか?」
我東が苦笑する。
「ああ、少なくとも取引相手がこれから破滅するのか生存するのかは重要だ。これからの取引にも関わるからな」
いつもよりも微妙に生真面目そうな顔でオズが訊く。
此処では生真面目な一流武器商人ハワードであるオズは神経質な面がある心配性な男という事になっている。
「心配する必要はねぇ。何もテロに走るわけでもなけりゃ、政府に殴りこみに行こうってわけでもねぇからな」
「戦争か?」
「・・・まぁ、戦争というよりは狩りだな」
「人間相手に使うには大げさな武装が幾つもある。もし良ければ小型で使い勝手のいい他の銃器に変える事もできるが・・・」
オズの言葉に我東が首を横に振った。
「いや、どうやら奴さんは軍隊規模でどうにかなるってな話だからな」
「その言い方からすると・・・」
「はは、それ以上の詮索は無しだぜ?」
「・・・ああ、とりあえず、これで取引は成立だ。もしも次があるなら、その時はまた」
「どうだかなぁ。これだけデカイ買い物しちまったから家の財布はスッカラカンだ。次は何年後になる事やら」
「その様子だと生き残る気はあるようだ」
「そりゃ、誰も死ぬ為に戦うわけじゃねぇさ」
「次がある事を祈ってる」
「じゃぁな。良い買い物だったぜ」
オズは端末で確かに口座へ代金が振り込まれている事を確認してその場を後にした。
「まさかこうも早く情報が引っかかるなんてな」
すっかり明るくなっている空を見上げながらオズは道端にある大手牛丼チェーンに入る。
大盛りを頼みながら眼鏡を外し、近頃の進展を順次頭の中で思い浮かべた。
【大牙会】という名前を掴んでからオズは徹底的に組織を洗った。
資金源や組織の立ち位置。
人員の名簿。
今までの活動歴。
海外での評価。
現地での評判。
頭目である我東の血筋から友好関係。
その他諸々を丹念に調べながら接触の機会を待っていた。
そんな時、入ってきた情報にオズは目を付けた。
大牙会が大量の武器を欲している。
狭い武器商人の情報網にはその手の話題がいつも多い。
どこどこの組織にこれだけ流したとか。
どこどこの組織にあの大物を入れてやったとか。
元武器商人であるオズにとってそれは大牙会と接触する千載一遇のチャンスだった。
オズは知り合いの武器商からの紹介で大牙会との接触に成功した。
その後はトントン拍子に話が進んでいった。
日本国内に持ち込める武器弾薬類には限りがある。
しかし、大牙会が望んでいた武器弾薬の類は皆大物ばかり。
普通の武器商人なら一世一代の大仕事と呼ぶべき取引だったが、オズはそもそもが米国の諜報機関の人間であり、米軍の伝手を使って密かに大牙会が望んだ品を全て揃える事が可能だった。
取引をする間にも大牙会の内部情報を仕入れ、着々と自分の知りたい情報へと近づいていたオズはついに己が追っていた兵器の情報を掴んだ。
テラトーマ。
日本語では奇形種。
オズが追っている内に知りえた情報では第三世界を滅ぼしかけたという情報まである兵器。
幾つもの情報を総合してオズはそれが病原菌の類。
しかも、人間に積まれた類のものというところまで突き止める事に成功していた。
人間に病原体を積んで兵器化する。
その発想自体は嘗ての米軍や米国内でもあった。
研究開発をしていた事実こそ隠蔽されているが、諜報機関の事件プロファイルには機密情報が満載であり、それを巡って幾つも事件が起こったという情報はオズの知りえる範疇のものだった。
何処の誰が実現したのかオズは未だに掴んでいなかったが、テラトーマと呼ばれる病原兵器を積まれた人間を探せばいいという具体的な目標が見えた時点でオズの仕事はほぼ半分以上終わっていた。
日本がそれなりに楽しくなりつつあったオズだったが、急に仕事の終わりが見えて郷愁にも似た感情を日本へ持つようになっていた事に自分でも驚いたのは記憶に新しい。
「結構楽しかったが、これで仕事も終わりか」
残る仕事はテラトーマの写真でも取る事くらい。
現物を奪取しろなんて事を命令された記憶は無いし、テラトーマが殺されていようが生きていようがその具体的な情報さえ掴んでしまえば仕事は終了。
少し手間を掛ければ大牙会から死体を回収して米軍辺りに本国へ空輸させる事も可能。
事実上オズの最後の仕事は盗聴盗撮くらいという事になる。
テラトーマの背後関係を洗おうかとも考えたが上からの指示を鑑みるにあまり深く首を突っ込めば薮蛇になる可能性もあり止めた。
平和な世界でご機嫌な生活を送れるならば、別に米国で暮らさなくとも日本に永住するという手もある。
日本の移民への風当たりは厳しいが、情報の偽造なんてお手の物であるオズからすれば障害には為り得ない。
その気になれば日本で武器商人をしてもいいし、米軍やCIA辺りに協力して小金を稼いで暮らしても良い。
もう本国での生活に未練なんて無いオズの脳裏には薔薇色の退職後生活が描かれていた。
(ま、悠々自適に日本で老後ってのも悪くないか。はは、オレもついにあの男の仲間入りかよ)
オズの脳裏には日本に初めて来た時に世話になった同じ仕事をしている黒人の声が甦った。
【居心地が良いと評判なのは君にもすぐ理解できるだろう】
(確かに居心地が良すぎてすぐアンタみたいに平和呆けしちまいそうだな)
にこやかな店員が大盛りの牛丼を持って来る。
目の前に置かれたそれをハフハフ言いながらオズはがっつき始めた。
*
「えーこちらに展示されていますのが世界で初めて開発に成功した日本が誇るモノポール磁石の現物で開発コード【左右】の右の方です。左の方は現在東京の国立博物館に展示されています」
博物館の中央。
技術先進国ジャパンをアピールするツアーガイドが外国人達を引き連れて巨大なショーケースに入った握り拳大の磁石の前で立ち止まっていた。
「白金。つまりプラチナを用いて作成された【左右】ですが、現在の時価総額で約二十一億円分の白金が使用されました。見て分かる通りとても綺麗ですね。これこそが現在の日本産業を下支えする先進技術の一つであり、世界中で使われるようになった最先端デバイスを作成するのに欠かせないものなのです」
ぞろぞろと歩いてきた外国人観光客達が「ワーオ」とのリアクション。
「近年は白金の需要が高まって値上がりしている事から日本政府はこのモノポール磁石を白金を使わずに製作する研究に対して補助金を出しており、今現在も研究が進められています。量子コンピューターなどにも使われている技術であり、日本を代表するモノポール磁石技術ですが、その道は前途多難でした」
ガイドが熱を込めて語り始める。
「当時、まだ理論段階だったモノポール磁石に関する論文は毎年のように出されていましたが、その殆どが理論に欠陥を持ち、様々な点で不十分なものばかりでした。
スピントロニクスの発展に伴い多くのデバイスが開発されましたが、幻でしかなかったモノポール磁石の生成が発展の最後の壁となって立ちはだかっていたのです。
多くの学者が匙を投げたモノポール磁石の作成でしたが、とある一人の女性科学者がモノポール磁石について画期的な論文を出しました。それがそこのプレートに書かれている十三人の科学者の一人。亜頭小夏教授なのです」
ババンとガイドがプレートを指差した。
「亜頭教授は一時期ノーベル賞候補にまで上がった人物なのですが、その人物像を知る手掛かりはあまりに少ない人としても有名です。亜頭教授本人が人見知りで写真や自分の記録を残す事を極端に嫌っていた傾向にあり、更には論文の発表すら助手に任せ切りという人だった為と言われています。事実、教授の写真は悉く紛失しており、今現在残っていません」
ツカツカとガイドが観光客達の前に立つ。
「教授は日本政府が立ち上げた総合学術機関である天雨機関の創設時に教授職を辞職しました。席を天雨機関に移した後、その解体と同時にGIO設立の立役者としても活躍した経緯があるのですが、それはあまり知られていません」
ガイドがキリッとした顔で外国人達にドヤ顔をした。
「その後、GIOにしばらく在籍していたという事ですが、数年後に失踪しており、今現在は死亡されたものとして処理されています。ですが、実際には生死不明であり、未だ生きて研究を続けているという噂もあります。その生死も噂の真偽も定かではありませんが、そういった事情から日本の陰謀論者の間では彼女は伝説の科学者として名高く、何かしらのヤバイ研究を行って何らかの組織に拉致あるいは消されたのだと主張する人もいます」
グッとガイドが拳を握る。
「正にミステリー!! 正にSF!! 世界を変えた偉大な女性科学者が謎の失踪を遂げるというのはロマン以外の何だというのでしょう!! そういった筋の小説家の方やノンフィクション作家さん達が日夜彼女の情報を漁っているという事実は彼女の人気の高さを表しています!! こういった裏話は普通のガイドはしないのですが」
ギュピーンとガイドが己の服に付いている小さなバッチを客達に見せ付けた。
「私はミステリーとSFをこよなく愛する愛好家の一人として今も教授が何処かで怪しげな科学技術に手を染めているに違いないと思っています!!」
全てを語り終えたガイドが清々しい顔でニッコリ笑い・・・スタスタその場から歩き出していく。
「では、次の場所へ行きますので皆さん逸れないで付いてきてくださ~~い」
【は~~い】
ゾロゾロと旅行団体が博物館の出口へと向かっていった。
「随分と脚色されてんじゃないかい? アズ」
「人見知りだったんじゃなくて体が弱かったから面倒な事は全部助手に任せてただけなんだけどね」
団体客が去った後。
その場に残った二人の女が互いにニヤリと笑った。
二階の展示室の一角。
ガラス張りの休憩所の長椅子に並んで座ったのはアズトゥーアズともう一人。
白髪でスーツ姿の老女だった。
「久しぶりに呼び出したと思ったら・・・自分の功績を誰かに自慢したくなる程、耄碌したのかい?」
老女が歳に似合わずゲラゲラと下品な笑みを浮かべる。
「まだまだ耄碌って歳じゃないさ」
「ふん。歳取らないからって粋がってると足元すくわれるよ」
「はは、君に言われちゃ僕もそろそろロートルと自称しないといけないかな」
立ち上がり後ろの販売機から缶コーヒーを買って老女に渡し、アズは紅茶を開けた。
しばらく二人の液体を啜る音だけが空間に響く。
言葉にならない感慨を共有し終えた二人は同時にゴミ箱へ缶を投げ入れる。
「で、近頃は古巣のGAMEにご執心なアンタがアタシに何の用だい?」
「君に聞きたい事がある」
「裏社会の情報なら幾らでも持ってる人間に手に入らない情報なんてアタシが持ってるように見えるかい?」
「見えるね。特に僕みたいな人間を妄念染みた行動でマークしてた嘗ての公安屈指の女傑なら僕より詳しいんじゃないかい? 僕の嘗ての友人達の行方とか」
「・・・そんな昔の話は忘れちまったね。そもそもそんな事を知ってどうしようってんだい」
「そろそろ世界が動き出す。僕らは嘗て、そんな時の為に研究をしてた。次期が来たって事だよ」
老女がアズの言葉に目を細めて、懐から取り出したシナモンスティックを一本咥えた。
「アンタがそう言うからには・・・まぁ、そうなんだろう。けど、何が起こるって言うのかまずは聞かせてもらおうか」
「露西亜と中国の衝突は始まりに過ぎない。これから起きる一連の事件も世界の命運を掛けたものには違いけど、あくまで長いスパンで見ればの話だ。問題はWWWに端を発して今まで大人しかった僕の友人達が行動を開始するところにある」
「天雨ってGAMEで名前を出したそうじゃないか。あれもそんな行動の一部じゃないのかい?」
「あれは成り行きに過ぎないよ。まぁ、誰かが連絡を取ってくる可能性も考慮してはいるけどね」
「それでアンタは何を心配してるんだい?」
「wwwには再起動の為のカードがあって、数人の人員がそれを管理してるって知ってるかい?」
「唐突じゃないか。どういう事なのかサッパリ話が見えないよ」
「あれは世界で数人に再起動の為の鍵がある。けど、それは数人以上が集まって初めて機能する代物だ。無論、wwwが止まるとか一斉にSPOFするとか在り得ないし、あれはプライベートキーの再発行に関しての話なんだけど・・・僕達の扱ってるモノは性質が違ってね。世界の動向に直結する」
「ほほう?」
「僕達はあの当時から誰が一番最後まで残るか分からない事を前提に【SYSTEM】を構築した。それ故に誰もが単独で再起動する事が出来る仕様になってる」
「システム、システムねぇ。ロクなもんじゃない臭いがするけど、そのシステムってのは何なんだい?」
アズがしばらく黙り込んだ。
「・・・この世界が【滅ばなかった事を約束する力】ってところかな」
「―――何だって?」
「最先端科学の産物であるNDやモノポール磁石、異端科学の結晶たる不老技術。そんなものは所詮・・・全部オマケに過ぎないって事だよ」
老女が唖然としてアズを見る。
「アンタ・・・一体何の話を・・・」
「今世紀最高の科学的進展はとある粒子の発見だと僕は思ってる」
アズが立ち上がって窓際に寄ると空を見上げる。
「天雨機関は確かに世界最高の研究施設だった。現実にあの機関発の先端技術は今この世界の多くの分野を席巻してる。でも、あの機関が生み出した本当の意味での最高傑作は間違いなく【SYSTEM】だけだ」
老女がアズの様子に息を呑んだ。
それはアズと長い付き合いの老女も初めて見る表情だった。
「運命論者は世界が破滅するならば、それは必然だと言うだろう。けど、僕らはそれを善しとしなかった」
何もかもをただ冷静に見つめる科学者の顔。
「だからこそ、僕らは己の手でこの世界を救済する為の力を作り上げたんだ」
老女が振り向いたアズに一筋の冷や汗を流した。
「世界を・・・救済するだって?」
博物館の外に風が吹き、すでに入道雲が空を覆い始めていた。
「僕達の意図しない使われ方で意図しなかったイレギュラーに【SYSTEM】は一度発動した事がある」
雨の気配に博物館から人々が去っていく。
「あの人類が滅びるはずだった日にね」
「?!」
人気が無くなった休憩所で老女は今自分が何を知ろうとしているのかと僅か臆病になる。
「織拿。君はきっと僕達の最高の研究成果は僕自身だと思ってるんじゃないかい?」
老女は何故か目の前の歳取らぬ怪物が悲しげな顔をしていると感じた。
「それが本当だったなら僕はきっと今も研究室に篭って好きな研究をしてたかもしれない」
ポツポツと窓の外には雨が降り始め、やがて大降りになっていく。
「でも、現実は違う。僕は【SYSTEM】を最後まで管理できるよう用意された保険に過ぎない」
「保険・・・アンタがそのシステムとやらを守る為の駒だって言うのかい?」
老女は己の背中に流れる冷や汗を感じながらも慎重にアズの言葉を吟味する。
「君は今こう思ってる。僕以上にヤバイものがこの世界に存在するのか? 残念な話だけど、僕なんかよりヤバイものがこの世界には存在する。断言しよう。僕に使われた技術なんてアレに比べれば児戯に等しい」
「もったいぶるじゃないか。それが本当だとしてアンタの言うシステムとやらはどんな代物だって言うんだい」
土砂降りの雨の中。
アズは老女の隣に座った。
その耳元でそっと何事かを囁き始める。
しばらくして老女の顔は見る見る強張っていった。
「・・・そんなSF話に付き合えって言うのかい? まったく・・・耄碌して呆けた方が幸せかもしれないねぇ」
再び共に並んだ二人はもう互いを見ない。
「もしも・・・アンタの言うそのシステムが再起動されたらどうなる?」
「再起動した者の意図にもよるよ。けど、再び人類は滅亡の危機に陥る可能性がある」
「今更だろうに。地域によってはもう滅亡したと言えるところもあるじゃないか。国際政治欄でも読んでみたらどうだい?」
「人類がこのまま衰退して消え去るならそれでも構わないよ。でも、それは時間が解決する淘汰の問題だ。でも、その間に流れが変わる可能性はある。その可能性を摘むかもしれない戦争は回避したいけど、回避方法は少なくとも個人が選択するべき問題じゃない」
「再起動させてやればいいじゃないか。アンタの与太話が本当ならシステムとやらは戦争を止められるんだろう? 何処に問題があるって言うんだい」
「WWWは人々が己の手で回避するべき問題だ。僕はそう思ってるし、それが出来ると信じるよ。もし、そう出来ないなら人類はシステムなんてものに世界の命運を頼り切って生きていかなきゃならなくなる。そんな人類はどっちにしろ文明を衰退させ滅亡すると僕は結論する」
老女がアズの瞳を覗き込んで、大きな溜息を吐く。
「随分とアンタ変わったねぇ。昔は自分の目に見えて理解できるモノしか信じなかったアンタが今更人の可能性なんて曖昧なものを信じるだって?」
「リスクヘッジの手法を変えただけだ。あの【黒い隕石】(ブラックメテオ)は人類が己の手でどうこうできるものじゃなかった。けど、これから起こるだろう戦争は違う。戦争が起こるのは人々の欲望の結果だ。なら、それを止めるのもきっとそれを止めたいと願う人々の希望のはずさ。それを無視するやり方を僕は認めない」
「もしも、その綺麗事で止められなければ?」
老女の最もな言葉にアズは笑う
「その時は最後まで抗うよ。例え運命を前にして跪く事になるとしても・・・」
老女が立ち上がる。
「現在までに居場所が割れてるのは五人。その内の二人はアンタとあの男だ。後の八人は行方不明だが、数年前までの痕跡は幾つか発見してる。生憎と資料はアタシの頭ん中にしかない。もしも情報が必要になったら呼び出しておくれ。これがアタシに出来るアンタへの最大限の譲歩だ」
そのまま立ち去っていく老女の背中にアズは声を掛けなかった。
ただ、その背中にアズはゆっくりと頭を下げる。
誰もいない廊下から老女の背中が消えても、しばらく頭は下げられたままだった。
雨も小ぶりになった頃、博物館の駐車場から一台のハイヤーが公道へと出る。
その後部座席で老女は一人どこか愉快そうな笑みを湛えていた。
「随分とご機嫌なようですね」
六十代の男性運転手がバックミラーを覗いて軽く驚いた様子で言う。
「ん? ああ、久しぶりに会った奴が随分と丸くなっててね。何と言うか人間らしくなってたもんだから」
「貴女がそう仰るという事はその人はとても危ない方だったのでしょうか?」
「はは、冗談は止しとくれ。危ないなんて形容詞が合うような奴じゃない」
運転手が脂汗を浮かべる。
「と言うと?」
「日本どころか世界だって滅ぼせる悪魔みたいな奴だ」
「それはまた・・・何処かの独裁者みたいですね」
「独裁者が核を撃ったって、あの女以上じゃない」
「それはまた随分と評価なさっておいでで」
「ま、無駄口はここまでにしておこう。それより公安の連中には話を通しておいたんだろうね?」
「はい。OBからの善意を無碍には出来ないと不満そうに対応して頂きました」
「くく、そうかい。なら、良かった。あの無能な馬鹿共にもう少し世間の荒波って奴を教える機会があって。これがたぶん・・・アタシの最後の仕事だ」
「織拿様。日本はこの戦争を生き残る事が出来るのでしょうか」
運転手が僅かに視線を俯けた。
「心配かい?」
「ええ・・・その・・・この間・・・娘が無事出産しまして・・・」
「ほう? そりゃめでたい」
「出来るなら幸せな時代に生きて欲しいと・・・そう願っています」
男に落ちた影を笑い飛ばすように老女は唇の端を吊り上げる。
「心配するだけ無駄だよ。戦争をしていようと世界が滅亡しようと人間は幸せを手放せない。どんな時代のどんな国にも笑顔がずっと消えた事なんて無いんだ。幸せな時代なんて考えはドブに捨てな。アンタがアンタの手で娘さんを幸せにしてやるんだ。家族を守るのに時代なんて関係ないだろう?」
「・・・・・・はい」
運転手が敬服するように僅か帽子を下げる。
「さあ、まずは霞ヶ関参りと行こうかい。あのブチ殺されても文句の言えない無能官僚共と糞の役にも立たない雛政治家共の尻に火を付けなきゃ」
「さすがです」
「当たり前だろうに。アタシを誰だと思ってるんだい? 定年になったとはいえ公安の鬼女、経済界屈指の名門【佐宝家】の長女にして、裏社会の馬鹿共を震え上がらせた稀代の策士様だよ?」
「本当にさすがです」
そのままハイヤーは東京へと向かった。
その日、各省庁の重役達と政治家達は慌てる事となる。
嘗て『小さく静かなる戦争』(リトル・サイレント・ウォー)下の日本において猛威を振るった公安の鬼女。
今現在ですら政治・経済界に莫大な影響力を及ぼす名家の女傑。
佐宝織拿の来訪に首相官邸すら慌しくなった。
米軍が海上事前集積船部隊(MPS)を動かしたのは織拿の来訪から二日目。
戦時突入を睨んだ米軍の準備は着々と進められていた。
そんな最中、警察は未曾有のテロに戦慄する事となる。
佐宝織拿が首相官邸に来訪して一時間四十五分後。
和僑系組織大牙会による遊園地占拠事件が発生。
中国においても軍事行動とも思われる動きが確認された。
それと期を同じくして東京でも新たな事件が発生。
関東地域において「未知のウィルス」そう呼ぶしかない代物までもが猛威を振るい始めていた。
敵を取れ。
仇を取れ。
急かされる猟犬は遊園を駆ける。
時を同じくして、動き出す者達がいた。
第三十話「夢の国」
醒めたならば、既に其処は現実。