第二十七話 君が誕生した日
投稿し始めてから早三か月。
結構な量を投稿している気がします。
今までGIOGAMEに出てくる主要男性キャラクター達には対応する女性キャラクターがいるのが常でした。男が一人出れば女も一人出るというような構図だったのですが、敵側であるターポーリンにはいませんでした。しかし、今回ターポーリンに対応する女性キャラクターが登場します。覚えている人いるでしょうか? 黒い封筒を渡された彼女です。
では、第二十七話「君が誕生した日」を投稿します。
第二十七話 君が誕生した日
最初から何処かデジャブを感じていた事をソラは覚えている。
接続領域の内扉。
そこに集まる大勢の人々。
宗教色の濃い衣装を身に纏う者がいる。
異国色の強い肌の色をした者がいる。
人種、宗教、国家、民族、肌、顔、全てがバラバラな人々。
たぶん、引っかかったのは研究所の事。
過去のソラにとって我が家と言えた唯一の場所。
そこにもあらゆる人間が働いていた。
一日に何回かお祈りをする人間がいた。
食事でいつも他の人と違う物を食べている人間がいた。
グランマ。
そう呼んだ人と二人の友。
昼食を中庭の大きな樹の下で取りながら話題にした事があった。
どうしてあの人はいつもお祈りをするのか。
どうしてあの人はいつも皆と違う物を食べるのか。
近頃は腰が痛いとクッションを持参して座っていたグランマは三人にこう言った。
『それはあなたがあなただからよ』
あなたがあなただから。
他の人の事を聞いているのに何故自分達の事を挙げるのか。
謎掛けでもされたのかと三人が三人で首を傾げると更に声は続けた。
『同じだったらつまらないわ。でも、あなたはあなたしかいない。それはこの大きな世界の中では価値も意味も無いものだけれど、あなた達があなた達だから私は尊いと思うの。もしも、あなたが私だったら、きっと私はあなた達を尊いとは思わないもの』
益々訳が分からない。
誤魔化されている気がしながらも納得できた。
自分が自分である事。
そこに価値も意味も無いと言いながら、それでも優しくしてくれる。
それは自分達が違うからなのだと。
人の数だけ答えがあるのだろう難しい問いにちゃんと答えをくれた。
その事が実は何よりも嬉しかったのだと後になって気付いた。
違う事を肯定する。
その努力こそが人を個人たらしめている。
そう学んだ・・・。
周りにいる大勢の人間。
今はただ競い合い命を掛けてGAMEに参加するだけの間柄。
それだけの事でさえ、実は相手を認めなければ成立はしない。
良いも悪いも無く。
他人と自分が違うと認める努力。
それこそが本当は生きていく上で必要なものだった。
それこそが生き残る鍵だった。
他者と己を比較するという事。
平等ではなく差がある事を前提とした認識。
冷静に見つめれば、参加者の誰もNDによって強化された身体能力を上回る人間はいない。
内在的な能力値はともかく身体能力で負ける事はない。
そう思えば心が軽くなった。
スタートの合図と共に押し寄せた蟲を踏むように疾走した時点でトップ集団の中にいた。
そのまま何もかもを押しのけて勝利を掴もうと思った。
そう出来ると思っていた。
けれども、悲鳴に体は動いてしまった。
昔の自分なら切り捨てられただろう悲鳴。
誰も彼も命の危険を承知で挑んでいるGAMEに自己責任なんて言葉は今更で。
見知った人間ではなくて、赤の他人で、善悪すら分からない。
過去のソラ・スクリプトゥーラなら見捨てて走り続けられたはずだった。
後悔よりも先に大丈夫なのかと不安になった。
己の利益の為に他者を犠牲にする事を厭わない自分。
そういう者であると自嘲しながらも、それは時と場合によっては自負にも成りえると、何かあった場合には非情に徹する事が出来る能力だと、そう思っていた。
なのに、体は動く。
それが過去の自分と今の自分の違いだった。
ソラ・スクリプトゥーラではなく。
聖空。
今は何でも屋なんて仕事をする男の家に居候している少女。
あなたがあなたである事。
その理由。
過去のソラ・スクリプトゥーラと今の聖空の間にあるもの。
外字久重。
そのお人よしな青年ならば、きっとそうするだろうと、その人のように生きてみたいと、その人にそう見て欲しいと、妥協と打算と今の自分というまだ知らない何かが、うねりとなって体を突き動かした。
悲鳴の先で蟲に集られた人を見た。
【ダメ】
どうしてそんな言葉が出たのか。
未だ分からない。
【そんなのダメ】
でも、理由らしきモノなら己の中にあった。
【死んじゃ、ダメ!!】
そう、死んではいけない。
【あなたが誰なのか知らない! でも、こんなところで死んだらダメ!!】
死んでは何も為せはしない。
死んでは全てがお終いだ。
疲れ切って、それでも命を望んだ日。
せめて謝りたいと願った日。
あの日、あの人が言ってくれた言葉が己の中にはある。
お人よしにも程がある。
そんな人がくれた思いがある。
だから、助けなければいけない。
それを為す為の力と状況が揃っているならば、そうしない理由など無かった。
【死んだから苦しくもない。けど、嬉しくもない。でも、生きてたらまた笑う事くらいあるかもしれない。だから】
蟲を払って払ってその人の周囲に蟲が入ってこられないようにして傷を塞ぐ。
そして、また悲鳴。
遥か奥から聞こえてくる悲鳴。
勝たなければならない。
けれど、死んで欲しくもない。
偽善だというのは知っている。
それでも偽善すら言えなくなった人間に一体どれだけあの人は笑ってくれるだろう。
そんな心の声に自嘲して走った。
走って走って走って。
沢山の蟲の餌食になろうとしている人々を見た。
デジャブ。
あの黒い繭の中で見た光景。
助けられなかった人々の末路。
代償かと己に問い掛ければ、そうかもしれないとの声。
【―――】
そうだとしても救わず前へは進めない。
シャフトの最下層。
誰も彼もをシャフトの天井へと吊り上げる形で救出する。
蟲の数は多い。
下手にNDの活用方法を見せたくも無い。
結果はCNTを多彩に使うことでカバーした。
蟲達が入り込めない網をいたる場所に敷設して誘導。
悲鳴が上がる度にその場まで駆けた。
誰も彼も蟲の圧倒的な数に苦戦し、疲労していた。
全ての人間を安全地帯であるシャフト最上階まで運ぶ。
施設の中を巡り、蟲を退け、今にも死にそうな誰も彼もを拾って走った。
覚えていた顔を全員拾った時にはもう汗で体が濡れていた。
NDは強力無比でもそれを使う人間は疲労する。
疲労の度合いを減らし回復力は高められても、基礎部分が人間である以上、疲れないわけがなかった。
蟲達の行進は続く。
CNTを一部食い破る猛者も数匹いた。
集めた誰もを一斉に逃がす事は出来なかった。
囲まれ始めた周囲は蟲の壁と化していた。
誰もが息を呑んで諦め顔だった。
彼らの銃の弾は底を尽いていた。
蟲で密閉されたような空間で爆薬の類を使えば全滅は必至。
ならば、もうこの状況を打破できる力はNDの直接的な使用以外ない。
汗を握って、心の内で謝る。
また、迷惑を掛ける事になれば、きっとあの人は笑って赦してくれる。
その度に誰かではなく自分が傷つく選択をして前に進む。
だから、心の底から望んだ。
ただ、あの人の意思と思いを守っていける自分であるようにと。
NDを誘い凝集させようと、手を―――。
【おめでとう。ソラ】
脳裏に響く声に私の手が止まる。
「博士・・・・・・」
懐かしい声。
これで三度目の遺言。
【これは僕が揃えておいたプログラムの制限解除によって君に届く言葉だ】
「・・・・・・」
蟲はもうそこまで迫っている。
それでもその声を聞いた。
【もう一度言おう。おめでとう。この声は君が成長した時にこそ開かれる。その時、君は何歳だろうか? 君はまだあの時の君のままだろうか? 分からない。ただ、君が誰かを思いやり、救う時にこそ、この力は開示される】
私の網膜に映るのは初めて見るプログラムの名前。
NO.08“The Shepherd”
【文字通り、導く者の名を冠したこの力はこの世界に存在する脳を抱く生物の九割以上を管理する世界最強の洗脳プログラムだ。脳内活動の生命維持と運動機能を完全掌握し、そこに幾つもの作用と改変を加える。使い方によっては脳の容量増大、脳細胞そのものを増殖する事すら可能な代物だ】
僅かに驚く。
【このプログラムは人の意思を捻じ曲げられない。人の思いも操作できない。だが、【SE】の広範囲化プログラムと同時に使用するなら、人類を思いのままに動かし命を司るだろう】
優しい声。
【君は人を思いやる事を知った。救いたいと願った。だから、これは【連中】ではなく君にこそ相応しい。ただ、己の為に他者を救え。その偽善の責任と結果を背負うのならば、この力は国家や宗教を超える第三の強制力として人類と君の未来を照らすだろう】
その恐ろしい内容すらきっとその人にとっては私と話すだけの理由に過ぎない。
【長くなった。今日はここでお開きにしよう。君が今日も笑顔である事を祈っている】
そうして声が途切れた。
私の頬に熱いものが伝う。
自分が今笑っているのだと知る。
悲鳴と怒号と理不尽な世界を呪う声。
蟲に埋め尽くされていく世界にも未だ光がある。
私はたった一つの言葉を口にする。
それはプログラムを開始するキーワード。
網膜に映された一文。
「かく・・・あれかし」
どうか、この世界が悲鳴ではなく、怒号ではなく、理不尽に嘆く声ではなく、ただの喜びの声で満たされますように。
それが願い。
何処にでもある陳腐で小さな、でも・・・確かに誰もが一度は祈るだろう細やかな願いだった。
*
「あの時、自分は確かに死を覚悟した。死に掛けて助けられながら、それでもこれ以上の幸運は無いだろうと。最後の祈りの時間を貰えた事を・・・彼女に感謝したのです」
部屋の中で誰もが伍長の話を聞いていた。
「蟲に押し潰されそうになった誰もが死に怯えながらも同じ気持ちだったはずです。あの状況下では彼女すら何も出来ないだろうと助け乞う者は誰もいなかったのですから」
己を指揮する女を前にして伍長の声は続ける。
「しかし、自分の瞳に蟲が喰らい付こうとした時、蟲は止まりました」
「止まった?」
「完全に死んだかのように。そして、動き出した時には波が引くように後退していた」
誰もが信じられないような目で伍長を見るものの、隊員の誰もがあの光景を見た後では嘘とも言えなかった。
「それから彼女はおもむろに歩いて、こちらを伺っていた蟲・・・あの大きな蜘蛛に近づいて、頭を撫でました」
「―――文字通りの意味で?」
「はい。そして、自分達に振り向いて【ケガ人はこちらに】と。誰もその奇跡を目の前にして何も言えませんでした。ただ、嫌悪も多くの感情の置き去りして、その場の誰の体も反射的に動いた。彼女に付いていく事が生き残る道だと確信した・・・いえ、そんな事すら考えていなかったかもしれない。ただ、彼女が【正しい】のだと分かってしまったから、というのが本当のところなのかもしれません」
全ての報告を終えた伍長に隊長アマンダ・フェイ・カーペンターは何も言わなかった。
もしも、その報告が通常時の任務で吐かれた言葉ならば、即刻本国への帰還命令を出していただろうとアマンダは思うものの、あの光景を見た後ではやはり何も言う気にはなれなかった。
「後日、詳細な報告書を提出してもらう事になると思います」
「はい」
「今夜に備えコンディションを調整しておくように。私はこれからに外出します。全員通常待機。午後五時に合流した後、今夜のGAMEに対しての策を練ります。各自、幾つか案を考えておいてください。では、解散」
ぞろぞろと各自が元いた場所に戻っていくのを確認して、アマンダは部屋を後にした。
GIOの日本支社から車で移動する。
盗聴や監視の目が無いか気になったが、この日本においてGIOから完全に逃れる事は不可能だと半ば割り切れば、そう大した問題でもなかった。
日本の道は狭い。
だが、容易には渋滞にならない。
防衛庁の官舎まで来るのに三十五分。
何の狂いも無く時間通りに着いた。
巨大なマンション。
その玄関先から出てきた五十代の男とゴルフバックを乗せて再び車を走らせる。
男の背は小さい。
風貌は軍人というよりはデスクワークをしていそうなサラリーマンの類だ。
弛んでこそいないものの、体は平凡。
丸顔の男のスーツ姿はどう見ても古典的な日本人像を反映している。
「丘田さん。お久しぶりです」
「ええ、君も元気そうで何よりです。アマンダ君」
「はい」
柔和な声。
その声が時に部隊の人間を震え上がらせる逸材だとは誰も分からないだろう。
丘田英俊。
陸上自衛隊幹部の一人にして二千年代初頭に生まれた日本発の諜報機関への出向組。
日本には第二次大戦後これと言って諜報機関が存在していなかった。
しかし、世界的な情報戦争の時代が到来して間もない200×年、時の総理が危機感を感じ、情報機関を創設、アメリカのCIAへ人員を出向し訓練、幾つかのマニュアルを導入して、内閣府も諮問機関を設置した。
インテリジェンス活動の開始は2010年以降。
それから組織は少しずつ拡充され、今では日本内部の主要産業からカウンターインテリジェンスを一手に引き受ける立場へ収まっている。
日本そのものが二千年代初頭まで諜報機関を持っていなかった事は比較的知られていない事実だ。
そして、それで何の問題も無くやっていたというのも驚きだろう。
世界中でナショナリズムが勃興し始めた時代。
日本は諜報活動という一点において殆ど無防備だった事になる。
それでも尚まったく問題なくやっていたという事実が日本の豊かさと繁栄の証左だったかもしれない。
そして、その日本が本気で諜報機関を作ったという事実が各国に与えた衝撃も想像が付く。
各国にとって日本は先進技術の牽引役であり、新たな産業を興す為の起点でもあった。
対外的には技術者の引き抜きで産業を興していたとは言うものの、その当時の状況を鑑みれば、諜報活動によって技術流出が頻繁に起こっていたのは事実であり、何よりも手っ取り早かったはずだ。
しかし、日本からの技術や人材の流出が幾つかの法案で止められ、諜報機関の設立で産業スパイや外国資本に厳しい目が向けられるようになれば状況は一変する。
その後の日本が辿った外交での強硬路線はそのまま『小さく静かなる戦争』(リトル・サイレント・ウォー)へと繋がっていくが、その後押しをしたのは間違いなく、その諜報機関だ。
section16。
日本語では【第十六機関】。
最も日本語ではちゃんと別名があるらしいが、誰も本当の名前で呼んではいない。
いつの間にか組織に定着していた名前が知らない間に使用されていたというという話だ。
何故、十六なのかと過去に聞いた事もあったが、色々と複雑な事情があるらしく、答えは要領を得なかったと記憶している。
少なくとも外国人であり、研修生として留学していたアマンダ・フェイ・カーペンターには意味不明だったし、言葉が拙かったからちゃんと教えられても理解できなかっただろう。
小娘として扱われた過去はそう遠い日の話ではない。
そして、未だにそういう扱いなのだろう事は何となく察していた。
「アマンダ君。君も大変ですね」
丘田の声はやはり優しい。
「いえ、仕事ですから」
教師が生徒を諭すように。
「それで今日は何の用でしょうか? 電話では話せない事だと伺いましたが?」
「マスター・丘田とあろう人が分からないと?」
「はは、そう言われてもこれが性分なもので」
丘田がゴソゴソと懐を漁ると私に膝の上にポンとUSBメモリを置いた。
「【今】の君が知りたそうなことは全てその中にあります。ですが、一つだけお願いを聞いてもらってもいいでしょうか? アマンダ君」
「・・・何ですか?」
「GAME参加者に付いて知りたいのですが、どうにもガードが固くて。参加者である君に三人の人間をマークしてもらいたいんです」
「それだけでいいと?」
「ええ、それだけです。それ以外に何もこちらからの要望はありません」
「・・・その三人の素性は?」
「これです」
車の窓に薄く情報が表示される。
外からは見えないだろうし、特殊な機材でも観測できないよう細工された画像は少しだけ見えにくかった。
「一人は外字久重という青年。もう一人は聖空という少女。最後の一人は通称【AS】と言われています」
少しだけ驚く。
少女の顔は忘れたくても忘れられない。
それは数時間前、奇跡のような『何か』を行った少女だった。
顔には出さず最後の方にだけ視線を向ける。
「【AS】・・・あのフィクサーの?」
「ええ、第十六機関的にはあまり関わりたくない【あの】フィクサーです」
「・・・前の二人は手下ですか?」
「そんなものです。こちらとしては早めに情報を掴んでおきたいところですが、何分近頃は忙しい。人手も足りないし、世界中に部隊が散らばっていますから、どうやってもGIOのセキュリティーが突破できない。という事で繋がりのある君に白羽の矢が立ったと理解してください」
「忙しいのは露西亜と中国軍閥のせいですか?」
「はい。まだ実際にはこちらに被害があったわけではありませんが、後半年以内には・・・日本もお終いですかねぇ」
「不謹慎ですよ」
「いやはや」
丘田が笑う。
本当にこれが日本の諜報機関で一二を争うオブザーバーかと疑いたくなる。
「それでどうしますか?」
「引き受けます」
「即答してよろしいのですか?」
「ここでNOと言えるなら、軍人はしてません。少なくとも我が国の現状を打破する為には・・・あのGAMEに勝つしかない」
「もしも、国を出る事になったら僕の所で雇いましょう。日雇いですが、日給二万は堅いですし、保険も利きます」
「そうなったら、復讐しに来ますから」
「はは、僕は直接手を出したりしませんよ?」
「・・・裏工作はするんですよね?」
「ええ、勿論」
しれっと本気でするのだろう事は丘田の下で学んでいれば分かった。
「では、お願いも聞いてもらった事ですし、少しサービスしましょう」
車の窓に更なる画像が表示される。
「これは・・・・・・」
「今回、我々が近頃情報を集めている組織の末端構成員です」
そこには白いスーツ姿の男と青いパーカー姿の少年。
それから黒い顔のある怪物が映っていた。
「彼らは国も宗教も民族も関係無い組織の一員です。そして、唯一分かっているのは彼らが我々の部隊とかち合えば、我々が確実に負けるという一点。もし、見かけたら逃げるのをお勧めします」
「第十六機関の部隊が負ける?」
思わず振り向くと丘田はニコリとした。
「ええ、というか。もう一回彼らの一人に我々の部隊が負けました」
「・・・・・・」
知っている限り、丘田の抱える部隊は米軍の特殊部隊と良い勝負ができる。
その部隊が個人に負けるというのはかなり可能性が低かった。
それこそ旧い映画に出てくる伝説のコックでも無い限り個人で戦うのは死を意味する。
「そろそろですね。あまり近くまで行っては目を付けられるでしょう。此処で下ろしてください」
霞ヶ関近くの小道脇に寄せる。
「これはお土産です。何かと日本には重火器が持ち込めなくて大変でしょう。できれば、使ってみてください」
後部座席のゴルフバックを指して丘田が微笑んだ。
「相変わらず滅茶苦茶ですね。マスター・丘田」
「別に法に触れるようなものは積んでいません。合法ですよ?」
それを最後にスタスタ何も持たず丘田はその場を後にした。
「・・・・・・・・」
その姿を見送って車を出した。
午後、少しだけゴルフバックの中身を覗いた。
入っていたのは一本の杖。
握りの付いた外見上はまったく普通の金属杖。
確かに外見上は合法だろう。
えらく値の張って硬度30を越える超軽量の合金の塊が武器と言えないならば、だったが・・・。
*
元気な産声。
スヤスヤと眠る顔。
新しい産着に包まれる姿。
優しそうな看護師に抱かれ、ミルクを与えられる。
オムツを替えてと泣いてはあやして欲しいとねだる。
そんな光景に微笑みが浮かぶ。
全てが画像越しだとしても。
己以外の全てが闇に閉ざされているとしても。
其処は暗い場所だった。
暗闇と己と画像以外には何も無い。
凍えるような冷たさが忍び寄り、背筋を犯して熱へと変わる。
変化。
そう、よく分からない専門用語を使う白衣の男達は言った。
背中の肌から侵入し、脊髄へと侵蝕し、脳幹に到達し、心臓を回り、血液に乗って、細胞に住み着き、少しずつ少しずつ繋がっていく。
ゴポリと口から冷たい何かが込み上げて床にビチャビチャと落ちる。
幾度目になるかもしれない拒絶反応。
【・・・・・・・・・・・・】
素晴らしい。
そんな大勢の声がした。
喜びにも似たものを湛えて、多くの声が脳裏に反響していく。
最終ステージに移行したぞ。
これならば生体融合実験の再始動すら視野に。
博士に完結できなかった研究を我々の手で。
新たな種には新たなカテゴリーが与えられる。
運用を誰に任せる。
やはり、メンテナンスにおいて優れたのは奴しかいまい。
さっそく機材を運び出せ。
送り先は日本だ。
ははは、博士これでようやくあなたを我々は。
【・・・・・・・・・・・・】
口からドバッと今までのものとは違うものが吐き出される。
今度はとても多い。
何度も何度も何度も何度も私の口から何かが吐き出されていく。
体はバラバラになりそうだった。
心はドロドロになりそうだった。
熱を帯びた冷たい体・・・いや、躯体。
そう説明された事を思い出す。
ギチギチと何かが繋がっていく。
ミチミチと躯体の隅々まで繋がっていく。
全身が床を吸い上げていた。
頭に装着されたものも消えていく。
画像が・・・途切れて・・・私に触れる全てが私の中に吸い上げられては口から吐き出されていく。
【――――――】
今だ。
投下しろ。
プログラム通りに行えば最小限の負担で済むはずだ。
やれ。
【――――――】
もう要らない。
そんなものは要らない。
何も欲しくない。
吸い上げさせないで欲しい。
けれど、そんな事は言えない。
言いたくたって言えない。
あの子は元気なのだから。
あの子の代償こそが私なのだから。
世界はいつまで経っても暗いまま。
けれど、あの子の世界は明るかった。
私が知るどんな世界よりも明るかった。
将来、どんな子に育つだろう。
明日を夢見てくれるだろうか。
私に似て騙されたりしないだろうか。
昨日を後悔ばかりしないだろうか。
一人で生きていけるだろうか。
勉強はできるだろうか。
友達が沢山出来て欲しい。
愛する人を見つけて欲しい。
出来うるならば、善き人生を歩んで欲しい。
人並みな幸せを送って欲しい。
どうする事も出来ない荒波に負けないで欲しい。
私に出来なかった事に、負けてしまった事に、打ち勝って欲しい。
でも、本当の本当に望むのは・・・生きて、生きて生きて、生きて生きて生きて、最後まで生きて欲しい。
【―――――――】
願いを込めて、私は啼く。
上から降ってくる何かを吸い上げながら。
自分の周辺にある全てを吸い上げながら。
口から零れた何かを吸い上げながら。
私の中で私以外の何かが繋がっていく。
私の体が私以外の何かで埋められていく。
取捨選択された何かが残り、後の何かが零されていく。
私に必要なものが残り、私に必要ではないものが吐き出されていく。
繰り返し、繰り返し、繰り返し、永遠に巡り続ける。
【あ゛、あ゛あ゛、あ゛あ゛あ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛
あ゛!!!!!!!!!!!】
ゴボゴボと私は啼く。
私の中から溢れ出す全てを吐き出しながら。
私に必要なものを吸い上げながら。
終わりが来る事を願って。
ただ、それしか出来なかった。
それしか、出来る事なんてなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――。
何秒、何分、何時間、何日、何年、何十年。
何もかもに終わりが来る頃。
私は立ち上がる。
遥か天井。
ガラガラと崩れていく壁。
零れ始める光。
私を遮る物全てが消え去っていく。
いつぶりかも分からない外へ。
光差す方へ。
跳ぶ。
空の中に出たと思えば、勢いを失い私は地面に落ちていく。
そして、彼を見つけた。
白いスーツを着て、大きな白いシーツを一枚携えた彼を。
【おめでとうございます。これで貴女は我々の一員だ】
脳裏に響く声。
【被検体第8343号】
私と同じような何かである彼が曖昧な笑みを浮かべる。
【8343(ヤサシサ)ですか。これは面白い偶然だ】
ズドンと地面に落ちた私の上にシーツが掛けられる。
【これから貴女に名前を授けなければなりません】
彼はあの日と同じように手を差し出した。
【・・・名前・・・】
ゆっくりと立ち上がる。
【はい。それが昔々に彼と我々の間で為された約束ですから。この力に連なる者には新たな名前を。そして、名乗るべき名には己を規定する形容が必要だ】
よく分からないという顔をした私に彼は苦笑する。
【まぁ、ただのゴッコ遊びです。この力を生み出した彼は世界平和の為にこの力を使おうとしていた。だから、我々は彼の望んだ世界平和と己の為にこの力を使わなければならない。そういう話です】
彼が私を抱き抱え、
【世界平和を望む逃亡者がいたり、世界平和を約束する人殺しがいたり、世界平和を憎む簒奪者がいたり、世界平和を造るサラリーマンがいたりする。だから、貴方もどんな風に自分を形容するか頭の片隅で考えておいてください】
歩き出す。
もはや人とは思えない私の重さに屈する事もなく。
【何か名前に付いて要望はありますか】
【・・・私の願いを・・・叶えてくれて・・・ありがとう・・・】
【契約を履行しただけに過ぎません】
【・・・それでも・・・叶わないはずだった願い・・・ですから】
【叶わない願い・・・なら、差し詰め空から振ってきた貴女はPie in the skyと言ったところですか】
【パイ・イン・ザ・スカイ?】
【叶わない願い事という意味です】
私の中でカチリと何かが嵌った気がした。
【どうかしましたか?】
【きっと、私の願いはまだ沢山あります。でも、それが叶うかどうかは分かりません。だから・・・もしも私の分まであの子が願いを遂げられるなら・・・私は『叶わない願い事』(パイ・イン・ザ・スカイ)で構わない】
少しだけ驚いた彼は「はは」と笑う。
その笑みは何故か嬉しそうだった。
【なら、願掛けでもしますか? 貴女が何と名乗ろうと誰も文句なんて言いはしません】
私は・・・頷いて、不意に襲ってくる眠気に身を預けていく。
【今は眠る事です。目が覚め、地獄が始まるまで・・・】
世界が暗くなっていく。
【これから貴女の人生に何一つ幸運など訪れないのでしょうから】
暑い砂漠には風が吹き始めた。
【おやすみなさい・・・『叶わない願い事』(パイ・イン・ザ・スカイ)】
吹き上げられる砂の嵐が陽光を閉ざしていく。
瞳を閉じても、躯体はもう冷たくなかった。
いてもいなくても迷惑なもの。
あってもなくても構わないもの。
拝んでも恨んでも届かないもの。
従っても逆らっても結果は変わらず。
第二十八話「まつろわぬ者達」
移ろっても定められても人は自由である。