第二十六話 贖罪
世の中にはどうしても頭を下げねばならない時があります。端的に言えば、それこそが日本人の本質を現しているとも言えるかもしれません。
人に頭を下げる行為が浸透している民族というのも世界には一つくらいしかないミステリーなのかもと思わなくもない今日この頃です。
徹夜明けの頭で失礼。
GAMEと時を同じくして陰謀が蠢き始め、誰もが選択し、決断を下し、道を進んでいきます。その先に何かがあると信じて。
第二十六話贖罪を投稿します。
第二十六話 贖罪
それは暑い日が続くクリスマスの前夜。
世界に未だ希望が満ち溢れていた頃の事。
家族と共にツリーを飾ってはこうでもないああでもないと納得がいくまで飾を弄り回していた。
数年に一度の大干ばつで牧場の経営は火の車。
大都市圏へ水の供給を名目に川は干上がり、草の一本も生えない土地は痩せ細っていた。
その年が牧場最後の年になると分かっていたからか。
父も母も最期のクリスマスに飛び切りのご馳走を用意していた。
陽気に笑いながら心配を掛けまいと求人雑誌を漁っていた。
地球温暖化の折。
皮膚癌が多発し始めていた土地で肌の弱かった妹が死んだのは前年。
失うものは家と命以外何も無かった。
それでも家族は支え合いながら生きていた。
懸命に生きていた。
そんないつもが崩壊したのは新しい年を迎えた日。
移民政策の失敗から低強度の内戦状態が続いていた地域で移民の暴動が起きた。
切欠は些細な喧嘩だったと後のニュースは語る。
しかし、そんなのは気休めにもならない。
英語と中国語で罵り合うのは母の母国と自分の祖国の人間。
誰が悪いのかなんて決まっている。
自分の家族を襲った暴徒だ。
暑い暑い日の事。
悪魔という名の人間は全てを奪い去っていった。
壊される玄関。
母の悲鳴。
銃声。
父の呻き声。
死んだ妹が残したお手製の飾は儚くツリーと共に砕け散った。
ふわふわと舞い散る羽毛。
中国語と英語が入り混じるグループの声。
金目のものを探せ。
終わったら行くぞ。
上玉じゃねぇか。
面倒だ殺せ。
死んでくれや。
バンバンバン。
見つかって、引きずり出され、男達が嗤う。
手が伸びてくる。
世界は回る。
希望という名の絶望が終わりも無く体を這いずった。
「―――」
下種が、そう吐き捨てた。
吐き捨てて、気付く。
傍らには数人の男達がいた。
あの下種な男達とは違う。
自分だけのチーム。
「どうかしましたか?」
一人起きていたのか。
未だ武装したままの男が一人。
蒼い瞳に白い肌。
あの男達と似て・・・しかし、まったく違う。
今年で三十後半になる男は嫁と娘がいるという。
名前は何だったか。
ぼんやりとした頭は思い出せない。
「何でもありません」
そう呟くだけで精一杯。
「コマンダー。我らは貴女の牙だ。しかし、牙を振るう貴女がその調子では困る」
「何でもないと言っているじゃないですか」
イラついた。
その声は何もかもを見透かしているようで。
「GIOに我が國から手を引かせる。貴女はその為、此処にいる」
「分かっています。いますから、だから今は・・・」
「貴女はもう訓練生ではない。貴女はもう人間ではない。貴女はもう女ではない。貴女はもう我が國の防衛を担う歯車だ。それを自覚するならば、どうか気を静めてください」
脳裏にフラッシュバックしていくのは光景だった。
何もかもが終わった後。
火を付けられた家。
助け出される自分。
施設に暮らし、里子に出され、蔑まれて家出し、軍に入り、機械のような人間のような曖昧なものとして磨かれていくだけの日々。
友は無く。
愛する者も出来ず。
ただの兵として精錬された己。
「・・・・・・」
すぅっと息をして整える。
いつもの自分を意識する。
「アマンダ。おはようございます」
ようやく。
まともに男の顔を見れた気がした。
「おはよう。サントン伍長」
「はい。落ち着かれましたか?」
「ええ、ありがとう」
「どういたしまして」
時計を確認する。
昨夜の第一GAMEからもう五時間が経過していた。
「伍長。昨日のGAMEに付いてまだ報告を聞いていませんでした。目が覚めたという事はもう大丈夫ですね?」
「はい」
「では、口頭で構いません。昨日、一体何があったのか報告してください」
「はい。あれは自分が二階部分の通路へと侵入してからの事でした」
GIOに借り受けている一室。
窓の外からはブラインドを透かして朝日が昇っている。
伍長がゆっくりとあの時の状況を説明し始める。
その声はGAMEに負けたという負い目よりも、湖面を思わせる静謐さを湛えていた。
「自分は・・・通路の先で死を覚悟しました」
オーストラリアより柔らかな日差しの中、伍長の話が始まる。
*
朝日を浴びながら白人の男が一人朝食の準備をしていた。
オズ・マーチャー。
経歴という経歴を捨ててきた裏社会の事情通。
今はしがない武器商人からお米の国の諜報員にクラスチェンジ中のオズはフライパンが相棒だった。
「ベーコン・・・どうして日本はコレをベーコンと言い張るんだ?」
愚痴も程々に薄いベーコンをフライパンに敷いてカリカリに焼いて皿に盛る。
注ぎは卵をフライパンに二つ落とす。
ミルクは温め、レタスは千切ってオリーブオイルと塩だけで味付ける。
トースターからチンッとの音。
出てきたトーストにはピーナッツバターを片面にベッタリと。
数分で出来たご機嫌な朝食をテーブルに移してオズはそっと手を合わせた。
「イタダキマス」
近頃身に付いてしまった仕草だった。
日本人の不思議ではあったが、周囲に浮かないよう作法は常に学んでいる。
オズが指で壁の画面を指示するとネットに繋がれ画面に今日のトピックとニュースが羅列されていく。
インスタントなのに何故か上手いコーヒーを片手で持ちオズはニュース欄の海外を選択。
ベーコンを口にしてから目を細めて世界情勢を見つめる。
(第三世界は相変わらずの混沌。欧州はテロの巣窟。祖国はいつもの如く弱いもの虐め。問題は中国と露西亜か・・・)
お気に入りのサイトへと移動したオズがスレッドの一つを表示する。
そこには一つの画像が貼り付けられていた。
露西亜の主力戦車とそれに突撃していく兵隊の図だった。
【キタコレ!! ちょ、マジ?!】
【どー見てもガセ】
【どこがガセなんだよ? モノホンにしか見えん】
【そう見えるのは情弱だけ】
【また芳しいのが湧いてるな】
【ソース何処よ?】
【ソースソースソース】
【はい。やっぱりソースはコレ】
【誰がお好み焼きのソース写真張れとw】
【まだ草生やしてる奴絶滅してなかったんだ。もう爺だよね。そういう奴】
【これが本当だとしたら、一体どうなる?】
【いや、日本オワコン】
【オワコンとかまだ言う奴いたんだ。それこそオワコン】
【コテハンで気づけ】
【それよりSAGEろよ?】
【マジレスするけど、中国軍閥と露西亜じゃ勝負にならない。露西亜未だに国だから。ただでさえ海岸沿いのとこが落ち目になってる軍閥が一つ二つ戦いを挑んだところで・・・あとは分かるな?】
【とばっちりフラグ】
【日本が水資源の輸出を法律で制限してるから悪い。賠償!!とか言い出すんだろ?】
【分かります。戦後に日本がこっそり支援してたとか言い出すフラグですね】
【軍事板で誰かが言ってたが、審議中のジオネット法の拡大で昔のGAME設定みたいな管理戦争が始まるらしい】
【つーか、そこの共通見解はそれでも日本は勝てないなんだが】
【さすがに二十億とかドン引き】
【いや、あっちも爺しかいないから大丈夫じゃね?】
【戦術に差が無ければ、物を言うのは物量=人間の数】
【日本海側から来る船全部沈めればいいんじゃないの?】
【その船を沈める砲弾には限りがある】
【それ以前の問題。軍閥の一つが公式に未だ核弾頭配備中】
【無敵な盾船は?】
【亡国の何たら乙】
【何年前の話だよ】
【GIO中国が軍閥に支援してる。最新のミサイルに弾頭詰め替えれば発射準備完了】
【移民労働団体の幾つかに不穏な動き有りって移民板の連中が騒いでる】
【そうか。とうとう日本滅亡エンドか】
【その時、奇跡が起こった!】
【戦争になったらまず最初に沖縄と九州が主戦場。それ以前に日本海側の海洋発電プラントがやられたら南の方はアウトに近い。土建屋さんの近頃の仕事は旧いダム解体だからな。電力供給がどうしようもなく足りない】
【そもそも海路を押さえられたら貿易出来なくて死亡】
【太平洋側の航路は?】
【物が半分以上入ってこなくなるからどっちにしろ】
【そもそも自衛隊の空・海自って防衛に関しちゃ無敵じゃないのかよ】
【戦術核による海洋でのECM戦術とか中国的には実戦投入する予定だったからヤバイんじゃね?】
【無理だろ】
【初戦だけなら防衛に徹する我らが自衛隊には超有効。ま、その後は死ぬけど・・・】
民間レベルで情報が出回り始めている。
露西亜と中国軍閥の衝突は殆ど隠せていない。
オズが知る限り、もはや日本という国に待ったは無い。
本来ならば、ネット上でこんな不確かな情報が出ているような次期ではない。
今正に侵攻が開始されるかどうかの瀬戸際なのだ。
本来ならばもう集められる兵隊と兵器の数を把握し、国家予算に莫大な軍事費を計上していなければならないような時勢であるにも関わらず、日本人の殆どはそんな事にも気付いていない。
政府は情報を掴んでいるだろうが、未だに日米安保が有効で米軍が守ってくれるなんて幻想を抱いている。
何かと友好関係が広いオズの情報網には米軍の再編計画に極東からの離脱が含まれているなんて話がちらほらと引っかかり始めている。連動するようにアメリカの下院や上院でも与党野党関係なく超党派で米軍の日本撤退が議論されている。
(見せ掛けのカードで何処まで日本が釣れるか・・・)
極東の要衝として機能してきた日本という国に危機感を齎し、米国が併合すら視野に入れているというのはディープな軍事評論家辺りなら知っている事実だろう。
CIAの超法規的な活動は日本内部の脅威論を呷り、今現在も幾つかのプロジェクトが実際に進行している。
米軍の撤退という表側のカードは日本の気を引く為のもの。
日本の戦争突入は日本そのものを変質させる一助となるだろう。
冷え込んだ日米関係。
国連での主導権の凋落。
経済活動の停滞。
時代に著しく活力を奪われた米国にとって日本は目障りであると同時に必要不可欠な存在となった。
現在の米国政府は他国を虐めるのが数十年前より好きだ。
軍部やCIAが共に進めている計画の殆どは植民地政策の復活とも言えるものばかり。
その最も大きな獲物として選ばれたのが日本だというのは皮肉でも無ければ意外でもない。
対外的な脅威が高まり続け、日本という国が自身ではどうにもならなくなったところで恩を売る。
日本政府に米軍無くして日本の国土を守れないと思い知らせる。
それが出来ると思っているからこそ米国政府は米軍の日本撤退というカードを此処数年で表面化させてきた。
無論、脅威が実際に日本を覆い尽くし、軍閥に日本を取られる訳には行かない。
あくまで中国軍閥は危機感を煽る為の駒でしかない。
ならば、本国が何らかの『切り札』(ジョーカー)を伏せている事は十分に考えられる。
それが経済的なものか軍事的なものかは解らないが程なく・・・それが発動されるに足る状況に日本は陥っていく事だろう。
「・・・ん」
いつの間にか朝食は胃の中に消えていた。
隣の部屋のドアが開く音。
『ようやく帰ってきた・・・寝るか』
『うん・・・』
『虎を後で迎えに行かないとな・・・』
『うん・・・ふぁ・・・ん・・・』
朝帰りらしい。
バッタリと体が倒れ臥す音。
相変わらずの様子にオズはやれやれと溜息を吐く。
日本人は本当に危機感が足りない。
「【AS】の手下でさえ、あの有様か」
とりあえずは朝風呂にでも行くかとお風呂セットを用意する。
(ま、気楽に行くさ)
そろそろ目的の情報も入手できそうなところまで仕事は順調に推移している。
オズはこの仕事がいつまで続くのだろうかと、そう思いながらも・・・日本人の暢気さに中てられた生活をエンジョイする事とした。
*
朝の病院。
モソモソとパンを口にしていた佐武戒十は病院の寝台の柔らかさに慣れずソワソワしていた。
いつもなら自宅の堅いソファーか張り込みの車の中で夜を明かすのだから仕方ない。
(結局、何も出来なかったな・・・)
あの誘拐事件から二日。
事件前後数時間の記憶が曖昧になる何らかのBC兵器の後遺症が佐武の顔を顰め面にする。
頭痛が治まってくるのに一日も掛かった。
佐武はあの場にいた他の隊員と同じく事情聴取を受けていたが、未だ詳しい事件の顛末は知らされていない。
知らされたのは人質にされていた令嬢がとある筋の人間に救出されたという話と他の部隊が踏み込んだ時には現場に死体しか残っていなかったという事だけ。
残りの犯人達を捜索しているというが、その逮捕という話は佐武の耳には聞こえてこない。
佐武が覚えている限り、その記憶は誘拐犯達が潜んでいるビルへと向かう車の中で途切れている。
(面子も面目も立ちゃしねぇ。それ以前に無能の烙印を押されても文句も言えんか)
水でモソモソしたパンを無理やり胃に流し込んで一息付いた佐武が病室の外を見上げる。
数人が住まう病室の窓際。
空は晴れ上がっている。
夏というのに珍しく気温が低い。
適度に湿った風が窓の外から病室内部を吹き抜けていく。
「・・・クソが」
力ない呟きに自嘲すら漏れて、佐武が横になろうとした時だった。
「か~~いとさ~~ん!!」
バッと窓とは反対側のカーテンが開けられる。
「・・・何だ了子?」
「うわ?! テンション低?! それ以前にいきなり来たんですから驚くとか大声だったんだから怒るとかしない戒十さんはもう戒十さんじゃないやい!」
「お前はオレに何を求めてんだ?」
「無論、ネタですが何か?」
「聞いたオレが馬鹿だったよ。ああ、ホントにな」
佐武がグッタリと寝台に横たわった。
「・・・相当まいってるみたいですね。戒十さん」
「まぁな」
横の椅子に腰掛けて了子が己の懐から手帳を取り出す。
「でも・・・良かったです」
今まで賑やかだったのが嘘のようにポツリと了子が呟く。
「何が良かったんだ? 悪い事づくめじゃねぇかよ」
「それでも・・・そうだとしても・・・戒十さん・・・死なないで・・・良かった」
「馬鹿か。オレが簡単に死ぬような人間か?」
了子が顔を伏せる。
「佐武さん。自分がどうやって運ばれてきたか分かってますか?」
「知らねぇな」
「意識不明でした。他の皆さんも同じです。でも、面会謝絶で当分は会えないって警察の人に言われて・・・意識が戻ったって聞いて安心して・・・私・・・」
僅かに目元を拭った了子に佐武が気まずい様子で視線を逸らす。
「悪りぃ・・・」
「いえ。とにかく戒十さんが生きててくれて私は凄~~く安心したのは確かです。戒十さんがいなかったら私は何処からネタを探せばいいのか分かりませんから」
「おいおい。勘弁してくれよ」
無理やりに笑みを作った了子に合わせた戒十はそのぎこちなくも思いやりを湛えた心遣いに感謝する。
「それで此処まで来れたのはどうしてだ?」
「同僚の方が特別に通してくれました」
「顔見知りってのは厄介だな」
「いいじゃないですか。それで下っ端の戒十さんに入ってきてないと情報も分かるんですから」
「教えてくれるか?」
「はい」
了子が頷いてパラッと手帳を捲る。
「私が知りえた限りの事をお教えします。まず事件の概要から」
了子が一つずつ事実を列挙していく。
前半部分は殆ど戒十が知る情報と大差は無かった。
それでも個人のライターがたった一日でそこまで調べるのは至難の業に近かったが、佐武が知りたいのはその先。
「此処からは佐武さんが知らないことだと思います。症状の事は聞きました。まだ記憶は戻りませんか?」
「ああ、何か紙やすりでも掛けられたみてぇに記憶がごっそり削れてやがる」
「分かりました。続けます。ですけど、ここから先は事実と推察がありますから注意してください」
「分かってる」
佐武が頷く。
そもそも警察の誰一人として本当のところは分からないらしいと意識が戻った佐武に同僚が零していた。
それでも警察の視点以外から何かが判明する事は多々ある。
注視する佐武に了子が話し始める。
「三日前の午後十一時五十一分。ビルから突然の爆発音と煙が上がり、突然現場と本部の通信が途絶。突如としてビル周辺の電源が落ちました。更に異常気象なのか近頃設備更新されたAMeDASがビル周辺で一時的にマイナス八度って凄まじい寒気を観測してます。これはたぶんまだ警察も掴んでません」
「何? そいつは・・・」
佐武の脳裏に浮かんだものを正確に了子が読み取る。
「はい。あのテロリスト包囲事件の時と同じです」
「どうなってやがる。最近のテロリストや誘拐犯は天気や電気系統でも操れる超能力者か何かなのか?」
了子が笑った。
「それだったら凄いネタなんですけどね。一応、これに対応した科学技術全般を漁ってみたんですけ
ど、電気系統を一瞬でダウンさせるなんてそれこそ軍事用の装備が要りますし、凄い電磁波が観測されてないとおかしい話です。
けど、周辺のそういうのが分かりそうな観測機器がある施設を当たっても電磁波の観測はありませんでした。更に大容量の電源が周辺にあったって話もありませんでした。
仮に軍事用のECMが発動していたら物理的に電子機器が焼け付くはずですが、そういう痕跡も皆無。つまり」
「あの場所にはそれ以外の電子機器を妨害する方法が存在した」
「はい。さすがに気象を変更するような装備は最先端の技術でも殆ど不可能って見解が出てますから、本当に不可解ですけど。電子機器を一瞬で落とす方法はECM以外にも幾つかあります。それがどういう方法で行われたか特定できればあるいは・・・」
佐武が苦い顔をする。
「科捜研に頼んだところでどうにかなるわけ・・・無いか」
「あそこも最先端の科学技術は持ってるんですけどね。如何せん頭が固いというか」
「同感だ。それでその後どうなった?」
「あ、はい。午前一時七分。周辺に追加の特殊部隊を集結。九分、電源の落ちた一帯に突入。十二分、現場で倒れている部隊を発見。同十二分、ビルに突入。十七分、ビル内部を制圧。一部火災が発生していましたが、それは部隊が屋上の防火装置を手動で使って消し止めました。その後、捜索活動を行いましたが人質は発見されず、発見されたのは犯人が逃走経路に使った地下トンネルでした。しかも、しっかりと爆破で封鎖してあったらしいです」
「おいおい。警察が無能と謗られて腹が立たないなんてどうすればいいんだ?」
「事実を重く受け止めればいいんじゃないですかね? それとも遺憾の意でも表明してみますか?」
「はぁ・・・それで周辺を封鎖して更に捜索活動を続けたが人質は見つからなかったと」
「はい。それどころか第三者が人質を救出したそうです。その経緯を知りたがった警察に対して財閥側は【無能な警察に話す事は何も無い】と突っぱねてます。あくまで財閥の関係者が偶然に発見して救出したとだけ」
「事件は闇から闇へ・・・か」
「詳しい現場検証が大規模に行われてますけど、今のところ死体以外に事件の解決に必要な証拠品は発見できていません。ただ」
「ただ?」
「その・・・残ってた死体がかなりアレで、現場にも妙な痕跡が残っていたって話があって」
「それは初耳だな。どういう事だ?」
「はい。屋上のスプリンクラーを手動で操作しようとして部隊が・・・皮膚を完全に失ってドロドロの脂肪を滴らせた死体を発見したとか・・・」
「火傷か?」
了子が僅かに言い淀んだ。
「いえ、ですから、皮膚が完全に全身から消え去ってたと」
「生皮でも剥いだってのか?」
「詳しい事はまだ分かりませんが本当に言った通りの意味で『無い』そうです。更に骨格とか筋肉とかが人間なのか疑うような状態になってたとか何とか。それと妙な痕跡に付いてですが、十か所以上確認されてます。それも佐武さん達が倒れていた場所にもあったって話です」
「どう妙なんだ?」
「はい。超高温で融かして消し炭にした跡らしいです」
「・・・何をだ?」
「・・・たぶん人間を」
「―――オレが倒れてたところでそんなもんがあったって言うのか・・・」
息を呑んだ佐武が愕然と呟く。
「はい」
「・・・オレはその犯人にまんまと記憶を奪われたわけだ」
佐武が拳を握り締めた。
「更に妙なのはそんな痕跡を残せる装備が未だ持ち運ぶには不便だという事です。何らかの薬品や爆薬の類を使った痕跡が無いというのも気になります。人間を熱量だけで綺麗に融かす尽くすなんて普通の軍事品では考えられません。人間は数百度で燃やしても骨が残りますから千度どころかそれ以上の火力が無いとああいう痕跡にはならないそうです・・・」
「見てきたみたいだな?」
「ちょっと隠し撮りで」
「ま、それはいい。で、だ。気になったんだが昔から人間が偶然に発火して死傷した事件って無かったか?」
「それも調べてみたんですけど、今回のは度が過ぎてます。自然現象なんてもので片づけられないのは明らかです。数分で人体を融かすなんて考えられません」
「さすがにそう上手く手口は解らんか」
「それに十人以上の人間を短時間で融かし尽くす何か・・・そんなものが日本にあると考えるだけでも荒唐無稽なのは解りますよね?」
了子が自分で言っておきながら納得のいかない顔をする。
「だが、お前はそれがあると確信してる。いや、何かしらの核心を知ってやがるのか?」
「――――――戒十さんは人の心が分かる魔法使いか何かなんですか?」
了子が驚き、佐武が笑う。
「刑事の勘だ」
「外字久重。それから外字と一緒にいる金髪の女の子・・・聖空」
「それがお前が近頃追ってるネタか?」
「はい。彼は何かを知っている。そして、その子が鍵だと私の心が言ってます」
「それは記者の勘か?」
「・・・この間は話しませんでしたけど、一瞬だけあのテロリスト包囲事件の現場で、あの全裸の男が吹き飛んできた暗闇の中に外字久重の顔を見た気がしたんです」
「ああ?! テメェは何でそんな重要な事隠してやがったッッ?!」
佐武が思わず怒鳴った。
「ひゃ!? そ、そんなに怒らない下さいよ。わ、私だって自分の記憶に自信が無かったから・・・」
「自信が無かったらネタとして追い求めてたりしないよな? ああん?」
「う・・・追ってましたけど・・・」
白状した了子がしょんぼりする。
「で、何か分かったのか?」
「それがあんまり・・・ただ、外字久重という男はかなり厄介ですよ。電子情報が極端に少なくて、しかも過去の情報がいまいちハッキリしません。それにいつも昼は留守がちで夜は夜でいない事が多い。色々調べようとしたら周辺の警察のパトロールが厳しくて・・・張り込もうとしたら職質されるし、盗聴器やカメラ仕掛けたら何でかいつも壊れてるし、踏んだり蹴ったりで・・・何でも警察の人が言うには付近に財閥を持つ家が幾つも存在してるらしくて・・・あ」
「何だ?」
「ああ、どうして気付かなかったのよ私!!!」
「お、おい?」
「戒十さん。誘拐されたのは布深家の令嬢なんですよね?」
「お、おう。一人娘で名前が布深朱憐・・・だったか?」
「外字久重の家から三キロぐらいの場所に布深家があります!!」
「何ぃ!?」
了子が己の端末を取り出して地図を呼び出す。
「外字久重のアパートが此処。そして、今回誘拐された令嬢の家が此処。偶然だと思いますか?」
端末から呼び出された地図を見て佐武が唸る。
「普通なら偶然で片付けるが、こんな偶然があるのか?」
「戒十さん。これから私・・・外字久重に会ってきます」
「おい。何も今から行かなくても」
了子が立ち上がる。
「退院する時はメールください。退院祝いに何かご馳走しますから。それじゃ!」
了子が早足で病室を出て行く。
「・・・相変わらず台風みたいな奴だな」
昔から変わらない良子に苦笑して佐武が病院の外を見つめていると三分で了子の車が病院の前を通り過ぎて行った。
「あいつのおかげで調子は戻ってやがるが・・・それにしてもキツイな・・・オレももう年か・・・」
人が殺されたというのにそれを記憶にすら留められなかった己の不甲斐なさに打ちのめされ、それでも佐武は事件に付いて思いを巡らせる。
すでに定年が決まっている身で何処までやれるかは分からない。
だが、テロリスト包囲事件も今回の誘拐事件も自分が未だ警察に留まっている内にケリを付けたいという刑事としての絶対的な感情が佐武の心に芽生えた瞬間だった。
病室に風が吹く。
日が昇り始めたからか暑い風だった。
その病室に再びの来客。
「佐武さん・・・」
振り向いた佐武が見たのは三十台の女性とまだ十歳にならないであろう少女。
「松井の・・・奥さん・・・」
幽鬼のように綺麗な笑みで佐武の同僚である松井の妻、優江がポツリと呟いた。
「どうして主人を連れて行ったんですか?」
「―――――――」
そのたった一言で何もかもが繋がっていく。
僅かに記憶に残った叫びと未だ病院内にいる仲間が一人欠けているという事実。
頭の中で噛み合わなかったパズルが嵌り始める。
(ああ、そうか。オレが引っかかってたのは・・・)
佐武は寝台から降りて、土下座する。
数分後、フルーツの汁に顔を塗れさせながら、佐武は泣いた。
心の中だけで。
それしか今は不器用な佐武に出来る供養は無かった。
*
ようやく明け始めた空は未だ白んでいる。
誰かの足音。
不意の出来事に白いスーツ姿で歩く青年ターポーリンは辺りを見回した。
印象の薄い顔には僅かな驚きが滲む。
「・・・まさかとは思いましたが」
今は閉鎖されている日本の鉱山の数は多い。
採掘し尽された後、捨てられるように眠っている小さな鉱山の名残は未だ多く存在する。
鬱蒼と木々が茂る山の奥。
もう誰も知らない山道の先。
ターポーリンはポッカリと空いている崩れ掛けた坑を前にして背後の茂みから出てきた少年に溜息を吐いた。
「よく此処まで来られたものです」
青いパーカーに半ズボンの少年メリッサだった。
その体には草がこれでもかとばかりに付着している。
ターポーリンの白いスーツは沁み一つ無い。
対照的な二人だったがメリッサはいつもの調子とは何処か違う。
「怖い先輩に鍛えられたもので」
僅かな緊張を押し隠しながらメリッサは自分の上司に相対した。
「怖い先輩とは心外です。これでも後輩には優しく接してきたつもりですが」
メリッサが己の服を手で払った。
「此処は待機場所ではありませんよ?」
「先輩が【連中】を出し抜く為に何を探していたのか。僕が知らないと思いますか?」
メリッサがターポーリンの背後の坑を見つめた。
「やっぱり最初から何処にあるか知ってたんですね。先輩」
「・・・ええ」
ターポーリンは穏やかな顔でシレっと頷いた。
「そもそも博士が選んだ候補地は私がリストアップしたものですから。ほんの一部とはいえ開発にも携わった・・・見つける裏技の一つや二つぐらいは」
「博士に教えてもらっていた?」
「その通り。教授された知識の内です」
メリッサが目を細める。
「一帯で【連中】の監視機構が根こそぎ外れたのもソレの力ですか?」
「無論、これの光量子通信網、ネットワークが我々の通信を検知した結果です」
「でも、僕はまだ死んでいません。先輩も」
クスクスとターポーリンが笑う。
「我々のNDのフィードバック情報は確かに【連中】の支配下に置かれています。同時にそれが止められれば即死なのは今も変わりません。ですが、そもそもは【連中】も博士が作ったものをただ使っているに過ぎない」
メリッサはターポーリンの言葉に己に未だ希望を見出す。
「まさか、NDの制御を?」
「はい。支配域のND全てのフィードバック情報をコントロール下に置く。これは基本能力の一部と考えてください」
「【連中】がどうして独自規格でNDの量産に踏み切れないのか。ようやく分かりました・・・」
「何の為に光量子通信網がコレに実装されたのかと言えば、どんな環境下でもコレを支える膨大なフィードバック情報が受け取れて活動を妨げられないように・・・というのが【連中】の考えでしょう。しかし、実際にそれは一部の目的でしかない。コレを支えるネットワークは基本的に【連中】が思い描くものよりもずっと先を行っています」
メリッサが頭を掻いた。
「全て・・・博士の掌の上ですか?」
ターポーリンは苦く笑う。
「科学者の端くれとして大変遺憾ですが、今現在も彼は世界最高の科学者にしてマッドサイエンティストです。後、実質三十年は博士のNDを越えるものは出てこないでしょう。ですが、コレを越えるシステムは一世紀掛けても作れるかどうか・・・・・・」
羨望と感嘆と嫉妬。
ターポーリンが見せる多くの感情が複雑に入り混じった表情にメリッサは初めて上司の素顔を見た気がした。
「それでこれからどうするつもりですか。先輩」
「それこそ君は誰に付くつもりですか?」
「・・・あなたに【連中】を倒せるとは思えない。でも、【連中】にあなたが負けるとも思えない」
「ならば、黙って見ていると?」
「僕は僕の道を行きます」
「これから何が起こるのか聞きたいですか?」
「いえ、遠慮します。少なくとも聞きたいとも思わないし、察しも付きますから」
「もしも付いて来るなら、一矢報いるのは可能になりますよ?」
「自分の力で生きていない僕達が自分の力で生き方だけは決められる。僕が初めて仕事をした時、そう教えてくれたのはあなたですよ。先輩」
「では、何故ここまで?」
「博士の仕組んだスケジュールを知りたかっただけです」
ターポーリンはその言葉に内心の驚きを隠した。
「ソラとあの男が戦い始めてから【連中】の様子が慌しくなった。それは少なくともただソレが消えたからではない。問題はスケジュールが【連中】の思っているよりもっと短いスパンだという事、そうでしょう?」
「そこまで知っていて、この力が欲しいとは思いませんか?」
メリッサが笑う。
その表情にターポーリンは少年が己が知っているよりもずっと早く大人になりつつあるのだと知った。
「僕は【蜜蜂】・・・世界平和を約束する人殺し」
拳が握られる。
「いつか【連中】も【ITEND】も【この生き方】すら振り払って、必ず僕は―――――――」
一瞬、山間を渡る風が声を浚っていく。
それでも何を言っているのかターポーリンには解った。
「それが・・・君の本心ですか?」
今までの笑いも無い透明な表情で男は少年に尋ねる。
「翼が無くても、羽が消えても、人殺ししかできずとも、地を這って、その先へ」
少年の脳裏に己を殺そうとした少女の顔が浮かぶ。
もう見る事の無いだろう笑顔が未だ過去の景色の中に焼きついていた。
「それが僕に唯一出来る事ですから」
「その呪縛を解く力を見過ごす事になるかもしれませんよ?」
「方法に拘る必要は認めません。でも、此処で貴方に付いても破滅する以外の未来が見えない。それもいいかなぁって思いますけど、やっぱり僕は・・・先輩にも【連中】にも付けません」
「敵でも味方でもないと?」
「はい」
青年が笑みを浮かべた。
「いいでしょう」
「?」
「今日、此処で誰にも出会わなかった。そういう事にしておきます」
「・・・通常待機に戻ります」
そう言ってメリッサが元来た道へと戻っていく。
その気配が完全に途絶えてから白いスーツ姿の青年は一人残された感触に頭を掻く。
「・・・はは・・・案外自分で思うよりも寂しがり屋なのかもしれません」
自嘲して青年は未だ背後に存在する坑へと向き合った。
「やっと此処まで来た。何もかもこれからです」
一人呟いて、片手を掲げる。
その掌の上にゆっくりと白銀の何かが堆積し形を為していく。
完全に姿を現したのは【ITEND】の塊。
オリジナルロットに最も近い【連中】の生み出した一つの成果。
白銀の玉から煙が吐き出され始める。
煙は少しずつ坑へと流れ込んでいく。
微振動。
周辺一帯の地面が震え始めた。
青年の顔に今までとは違う禍々しい笑みが浮き始める。
「まさか、五千キロ以上とはやはり博士あなたは天才だ」
振動が続く中、坑の中へと青年は歩き出す。
「仮初めとはいえ、その所有者となるのですから名前くらいは付けましょう」
暗い暗い坑の中。
「無限に力を生み出す悪魔がいるのなら、そうですね。終末の喇叭を鳴らす天使がいてもいい・・・【SE・Fragment4】・・・いえ【Angel0】それがお前の新しい名前です」
最後の声と共に青年の姿は闇に呑まれた。
(彼女が笑う悪魔と契約したならば私は怒る天使に身を捧げましょう)
その日、天使が生まれた。
知る者も祝福する者も無く。
ただ、破滅を呼ぶ天使が明星と闇の狭間に・・・生まれた。
生まれる事と死にゆく事は同じだ。
それでも人は死んだ日よりも生まれた日を多く祝う。
優しさが君を包んでも、愛された事を君は知らない。
第二十七話「君が誕生した日」
祝福の代価を災いに変えて、願いはようやく現実となる。