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GIOGAME  作者: Anacletus
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第二十二話 滅びる世界の話をしよう

第二十二話 滅びる世界の話をしよう


羽田了子(はた・りょうこ)が思うにどんな悲劇が起こっても人間というのは腹も減れば眠くもなる。


幾ら嘆こうと空腹に耐えられる人間はいない。


幾ら泣こうと睡眠を取らない人間はいない。


【黒い隕石】騒動前夜の事を了子は今も覚えている。


世界中が核戦争に怯えながら次々に内戦や紛争を勃発させ、経済活動は崩壊し、犯罪・暴力・略奪・あらゆる悪徳が世を覆い尽くした。


そんな世界が滅ぶ夕暮れに一人小さなデジカメを持って隕石の衝突する瞬間の写真が取りたいと、誰もいない天文台に一人佇んでいたのは良い思い出だ。


いつの間にか気付けば新聞記者になっていた。


世界が滅ばなかった日から十数年。


あの学生だった頃から自分は未だ変わっていないと思う。


食べて眠って働いて、あの日の写真が取れれなかった悔しさを糧に、真実という景色を見る為の、事実というピースを積み重ね続けている。


「・・・・・・」


トボトボと私鉄から降りながら、了子は昨日までいた街の事を思い出す。


外字久重。


様々な事件にその姿の片鱗が見える男。


その生家がある街で結局了子は何も見つける事が出来なかった。


いや、何もというより、誰もと言うべきかもしれない。


街には確かに外字久重という人間の痕跡があった。


しかし、外字久重を知っている人間はいても【出会った人間】がいなかった。


ああ、あの出来の良い子の事かい。


そんな言葉は聞こえてくるが【家の子がそう聞いた】【隣の奥さんが言っていた】【確かあの地区の人が】という具合に調べれば調べる程・・・伝言ゲームが続いた。


生家が何処かを必死に調べた。


近隣に聞き込みもした。


しかし、街の一定区域に入ると情報はパッタリと途絶える。


確か、そこの右の左を、あれ?


そんな調子で街で聞き込みをした住人の誰も生家の場所を正確には把握していなかった。


それでも意地で街中を歩くも生家は見つからなかった。


住民ならば町役場で聞き込みをすればいいと出向いたものの、何故かそんな住所は存在していなかった。


そもそもそんな人間は記録上は存在していなかった。


痕跡という痕跡が無かった。


「・・・・・・」


やはり此処でも意図的に情報が消されているのかと落胆したのは言うまでもない。


しかし、人の記憶にまでそんな事が可能なのかと疑問にも思う。


確かに現在の科学技術ならば人間の記憶すらも干渉可能ではあるとされている。


ナノデバイス開発と同時に脳腫瘍の除去や認知症の改善の為の研究が成された。


海馬の強化技術などの分野では一定の成功が確認されているし、記憶そのものに完全ではないにしろ直接的な干渉が可能でもある。


しかし、街全体で不特定多数の人間にそんな事が可能なのかと問えば実際には不可能だろうし、出来たとしてもそんな大規模な事をしたならば痕跡が何一つ残っていないわけもない。


街そのものに対する調査は外字久重の調査初期段階で殆ど完了していた。


何の変哲も無い山間の街。


交通の便が悪い以外に取り立てて何かあるわけでもない。


そんな場所に秘密という秘密は見つからなかった。


結局、再調査するしかないのだろう。


「・・・?」


都市部の駅まで戻ってきた途端に何か懐かしいような感慨に囚われる。


たった二日の宿泊だったはずだが、やはり賑やかな都市の方が性に合っているのかもしれない。


不意に端末に着信。


メールが一通届いていた。


開けてみる。


差出人は佐武戒十。


内容はしばらく署にはいないとの短い一文のみ。


「ふ~~、一人かぁ・・・」


こんな時こそ傍で話を聞いて欲しかった。


駅の雑踏から抜け出して、入り口で空を見上げる。


熱くなりそうな雲一つ無い快晴だった。



午後十一時五十二分。


佐武戒十は叫んでいた。


財閥令嬢誘拐事件。


犯人グループは中国人。


集められたチームは速やかに財閥のSP部隊と共に連携し事に当たれ。


それが佐武の知る事件のほぼ全てだった。


人質救出の顧問として招聘された佐武はいけ好かないテロリスト捜索本部の長である宮田と共に令嬢救出の作戦を立てた。


特定された中国人グループのアジトへと突入する五分前。


突如として周囲の電源が落ちた。


同時に電子機器の殆どが使用不能となった。


バッテリー駆動である大半の装備が使い物にならないという異常事態。


現場が混乱すると同時にまるで大寒波が到来したかのような急激な周辺気温の低下。


その段に至って佐武はデジャブを感じずにはいられなかった。


あの全ての元凶にも思えるテロリスト包囲事件。


その時の状況と雰囲気が似ていた。


嫌な予感。


当たって欲しくないものに限っては当たる勘がヤバイと叫んでいた。


そして、あの時以上の脅威が、来た。


黒い化け物。


頭上から降ってきたソレに次々薙ぎ倒されていく仲間達。


武装を使う間も無く吹き飛ばされるSP。


同士討ちを避ける為の躊躇が一瞬で情勢を決めてしまった。


五体の貌の無い化け物に蹂躙されていく男達が必死に翳した盾は紙切れ同然だった。


本部として使用している黒のバンがひっくり返され、何とか車体の下から這い出た時には全てが手遅れだった。


「!?」


未だ突入部隊の後方に残っていた同僚が立ち上がった時、後悔せずにはいられなかった。


声を掛けられた時、どうして働き盛りで奥さんと幼い娘がいる奴を選んだのか。


そいつが柔道有段者だったからか。


そいつがよく自分と共に現場へ行く男だったからか。


端末の履歴に一番多く名前があったからか。


解らない。


【松井ぃいいいいいいいいいいいい!!!!】


貌の無い化け物に拾った盾ごと突っ込んで行った。


多くの男達が倒れている仲間を建物や遮蔽物の背後へと引きずっていく。


五体の化け物の意識が逸れたからこそ出来た奇跡のような瞬間。


代償は、払われた。


【あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!】


化け物達が蕩けて同僚の全身を覆った。


目も耳も鼻も口も黒いものに犯されてゆく。


ようやく取り出した拳銃で最も同僚に近い化け物を撃つ。


しかし、火花すら散りはしない。


「松井しっかりしろおおおおおおおおおおおお。気をッ!! 気を確かに持てッッ!!! テメェの娘の誕生日プレゼントどうするつもりなんだよぉおおおおおおおおお!!!!」


【あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛】


その叫びすらゴボゴボと明確な音ではなくなっていく。


ただ、瞳だけが、必死に抵抗した末に拭われ今にも黒い粘液に覆われようとする瞳だけが、交差した。


頼むと。


たった一言を告げられた。


「ッッッッッ!!!! 総員ッッ、射撃体勢えええええええええええええええ!!!!! 狙撃班!!! 頭部を狙えぇええええええええええええ!!!!」


もはや無線も通じない。


ネットワークも遮断されている。


何処までも遠くに響くよう叫ぶ。


化け物の周りにはもう誰もいなかった。


グリンと化け物達の頭部が佐武に向く。


「テメェらぁあああああああああああ!!!! 撃ててえええええええええええ!!!!」


硝煙が立ち上る。


辺りを全て包み込むように。


激発し続ける弾丸の数は数百を超えて、それでも終わりなく夜空へと鳴り渡る。


だが、悪夢は終わらない。


「クソッッ!? 何なんだッッ!!!」


数百発の銃弾に傷つく様子もなく、ライフル弾すら当たった直後にポロポロと黒い表皮から零れ落ちていく。


「うッ?! が、な・・・に・・・・?!」


佐武がその場でグラリとよろめく。


その瞳には同僚達とSPが同じようにフラついて倒れていく様子が見えた。


強烈な吐き気、眩暈、頭痛。


(BC兵器?! 何か撒布さ―――)


急激に平衡感覚を失った佐武が倒れ臥すのを意地の二文字で堪え切る。


佐武を次ぎの獲物としたのか。


六体の内の一体が佐武の前へと歩いて来た。


思考が掻き乱されていく中、佐武は僅かに顔を上げる。


(!!)


化け物の足はまだ完全には同化されていなかった。


履き潰したからと新しく新調した同僚の革靴が目に入った。


ゆらりと腕が佐武を掴み上げた。


視界には貌の無い頭部。


佐武に近づいた頭部から僅かに声がした。


【……佐武さん】


「ま、つ・・・い・・・」


僅かな希望を佐武が得る前に声が続ける。


【神の、下僕に】


「ッ・・・お・・・まえ・・・」


頭部から黒い表皮が解け、佐武の口内へと侵入しようとした時、世界が明滅した。


地面に放り出され、衝撃で咳き込む。


佐武の涙で滲む視界の中で未だ世界が明滅を繰り返していた。


ドシャリと佐武の前に何かが落ちてくる。


「ぅ、ぁ、あ、あ゛―――」


辛うじて動く手で擦った目が見たのは黒い泥に塗れた同僚の首だった。


ボッ。


そんな音と共に首が泥ごと赤熱し融け始める。


「うあ゛ッッ?!!」


ガチガチと歯の根が噛み合わず、佐武は己の意識が落ちていくのを感じた。


同僚が融ける炎に照らされた世界には黄金の光が舞う。


「―――――」


漆黒の外套を纏ったソレの姿が融け崩れる化け物達の傍にあった。


死を司る女神。


怖気が走る程に美しい哀しげな顔をした少女が手を胸に当てて黙祷していた。


【ごめんなさい】


そんな声がして佐武の意識が薄れていく。


次の瞬間にはもう女神の姿は幻の如く過ぎ去っていた。



「・・・・・・?」


意識が戻った頭はぼんやりとしていた。


不意に意識の底に張り付いた光景が瞬く。


必死に生き延びようとしていた友達になれるかもしれない少女。


愛しい人の友人。


黒い無貌の化け物。


爆破された天井。


落ちてくる壁。


「?!!」


朱憐はその場でガバッと跳ね起きた。


ゴッ。


そう頭蓋があまり立ててはいけない音を立てて。


「~~~~~~~~~~~~!??」


朱憐は自分がようやく透明なカプセルに入れられているのだと気付く。


病院などに普及している高濃度酸素カプセルだった。


腕にはカプセルの外から繋がれている点滴の管。


体に掛かっている白い布団の感触は覚えのあるもの。


カプセル越しに見覚えのある部屋の天井が見えて、そこが自分の家だと知る。


「大丈夫か!? 朱憐!!」


カプセルがゆっくりと開いた。


横を見れば父の姿。


その横で大勢の医療スタッフがこちらを見つめていた。


「おとう、さま?」


何も言わず、抱き締められた。


「あ・・・」


白いものが混じり始めている長い髭が少しくすぐったく感じて、朱憐が僅かに口元を緩める。


「ただいま、帰りました」


「あぁ・・・」


「すいませんがあまり強く抱き締められますと」


横に付いていたスタッフに諌められて、名残惜しそうにしながらも抱擁が解かれる。


「お父様。わたくしはどうやって此処に?」


その問いに僅か顔を顰めた海造はしばし沈黙してからこう言った。


「あの胡散臭い経歴の男だ」


「え?」


「少しは・・・使えると認めざるを得んな」


「あの、お父様?」


「お前を連れてきたのは無能な警察や家のSPではない。いつもお前が食事を作りに行っている男だ」


海造の言葉に朱憐が驚き、何かを噛み砕くようにして、瞳を閉じる。


「ひさしげ様・・・」


「ッ、様付けなど要らん! 要らん・・・が・・・いい。今は寝ていろ。後はこちらで全て済ませておく。話は体調が戻ってからだ」


朱憐が首を振る。


「今、聞いておきたいです。わたくしがどうして助かったのか。そうしないときっとわたくしは後悔します」


「朱憐・・・」


「お父様。わたくしは布深家の娘ですわ」


強い瞳の光に押されて海造が先に折れた。


「・・・今日の三時頃お前を連れてあの男が来た。警察と家のSP達の殆どがBC兵器らしき何かでやられたと報告を聞いて、一時絶望していた私の前にな」


海造が不機嫌そうに告げる。


「お前は無事だと。それ以外何も語らずあの男は去った。事後処理があるとか無いとか言っていたが詳細までは解らん」


「そう、ですか。ひさしげ様らしいです」


思わずその時の光景が想像出来て朱憐が微笑む。


「お前を襲ったらしき中国人共だが数名の死者を残して行方を眩ませた。警察が新たな部隊を送ったが、その時もうビルには影も形も無かったそうだ。あの男からも話は聞いていない」


「―――そう」


朱憐がそっと目を瞑る。


一筋、涙が流れ、海造が慌てた。


「ど、どこか痛いのか!?」


「いえ、少し緊張が解れて・・・」


「そ、そうか。なら、これでもう本当に休んでくれ。私も疲れた・・・」


六十を過ぎた海造の目には未だ力が宿っている。


疲れた等とは誰の前でも口にしない父親が自分の為にそんな言葉を吐いたなら朱憐は頷くしかなかった。


(わたくしは結局あの子を・・・)


救えなかった。


あの未来があったかもしれない少女を見捨ててしまった。


そんな己への失望と悔恨の中、久重と常に一緒のソラは大丈夫だったのだろうかと不安が更に襲ってくる。


「では」


スタッフが再びカプセルを戻そうとスイッチに手を掛ける。


「あの、最後に一つだけ」


「何だ?」


「ひさしげ様の隣に女の子がいたと思うのですけど、大丈夫でしたか?」


「あ・・・ああ、あの男が連れていた子達か?」


「達?」


「お前が仲良くしているとは部下達から聞いている。片方はお前の病状を詳細に伝えてくれた。もう片方はしきりにお前の事を心配していたが」


朱憐が二人の少女、漆黒と小豆色の外套を思い浮かべる。


「黒と小豆色の外套の子ですか?」


「いや、黒い外套に褐色のトレンチコートだったと思うが?」


「!!」


体に思わず力が入った。


「ど、どうした!?」


「いえ、何でもありません。何でも・・・」


朱憐がグッと泣きたいのを我慢する。


「後で、回復したらお礼に行かせてください。お父様」


「ん、いや、しかし」


「・・・・・・」


「・・・・・・好きにしなさい」


折れた海造は頷いた。


再びカプセルが閉ざされる。


眠気に襲われた朱憐はただただ内心で呟いていた。


良かったと。


本当に良かったと。


何度も何度も、閉ざされなかった少女の未来を、朱憐は喜び、胸を震わせた。



融け崩れた化け物を後にしてソラがビルへと駆け出していく。


後には倒れた警察官とSP達だけが横たわっていた。


後数分で新たな警察の部隊が到着するだろうという現場で似つかわしくない香りが立ち込める。


それは紅茶の香りだった。


倒れ臥した者達の間を場違いな香りを纏いながら歩く者が一人。


その手には小さな魔法瓶が一つ。


道端の電灯のポールに背を預けて、男が瓶の蓋を開けた。


男の姿が湯気に曇る。


顔に付いた水滴を払って、未だ道端で融けている化け物達と酷似した姿の男は紅茶を蓋に注ぐ。


化け物達と同じ質感でありながら、男には化け物達と明確に違う点が一つだけあった。


男には顔があった。


目も鼻も耳も口も存在していた。


細い目にシニカルな笑みを浮かべる口元。


尖った耳に横から見れば三日月にも見えるような高い鼻。


そんな異常が倒れ臥した男達の間でお茶を楽しみ始める。


「?」


暗がりから出てくる客に気付き、男が振り返った。


「アンタ・・・何?」


シャフが警戒心も露骨に男を睨み付ける。


「何と聞かれれば答えもしよう。世界平和を憎む簒奪者」


「?!」


シャフが己の周囲に展開していたNDの警戒レベルを引き上げた。


「そう気負わないでくれたまえよ。これでも私は平和主義者だ。君の言う【連中】の良心と自称するくらいには優しい方だからね」


「化け物が死んだら化け物の親玉が出てきたみたいに見えるわよ?」


皮肉げなシャフの言葉に男は紅茶を飲みつつ微笑した。


「親玉というところはそう違っていないな。私は情報管理の職にあるし、融けてるこいつらは私の作品だからね」


男が今は消し炭になりつつある化け物達の残骸を見た。


(大香炉の開発者?!)


内心の動揺を表に出さなかったが、シャフは背中に流れる冷や汗を止めらなかった。


「随分な大物が出てきたじゃない。何が目的? アタシはあいつから信託を受けて此処にいる。監視任務は続行中でその任の責任者はターポーリンから動いてない」


「そうだ。確かに監視任務はあの道化の任だろう。でも、今回の件はそちらとは別件だ」


「別件?」


「大陸を中心に情報管理をしているからね。君達の支援をしに来たわけだ」


「支援ですって?」


「他の管轄における環境に被害が出ないよう状況の保守管理をする。それが我々の仕事でね」


男の笑みにイラッと来たシャフがNDで病原体の準備をしながら睨む。


「それってアタシ達の任務に首を突っ込むって事?」


「そう怒らないでくれたまえよ。どちらかと言えば君達の方が新参者だ」


「どういう事」


「前々からこちらが活動していた地域で君達が働いているという事だよ。ちなみに君達の件では色々とサポートもさせてもらった」


「アタシは知らないわよ」


「アジア圏での情報操作は永続的に行っている。我々は君達のような下っ端が働きやすくなるよう下地・環境を整えるのが仕事だ。それ自体は君達に直接的に関わってやっている事ではないから、君達が知らないのも無理はない。ま、君達の中で知っているのはあの道化くらいだろうが」


(ターポーリンの奴・・・)


シャフが後で問い詰めなければと臍を噛む。


「日本の警察に喧嘩売るのが仕事だって言うのかしら?」


「君が監視する人間達の周辺環境保全は優先事項になっているから致し方ない」


「優先事項?」


「そう。君の監視する【D1】所有者であるソラ・スクリプトゥーラは誘拐された財閥令嬢と関係が深い」


「誘拐・・・何の話?」


「おや? 知らないのか? 布深家の令嬢が誘拐されたのだよ。それでわざわざ出向いてきたのだが」


「【大香炉】を投入しておいて何の戯言かしら」


「一応、セーフティーは掛けておいたのだがね。目標である令嬢以外は全て通常通りの排除と増殖、記憶の抹消。令嬢を捕獲したらそこら辺に置いておくように設定してある」


男を睨み付けていたシャフだったが、周囲に展開していたNDが大勢の足音を拾って路地裏に踵を返した。


「せいぜい狙撃手に気を付けるといいわ」


「ああ、それなら心配ない。全部処置済みだよ」


「!!」


路地裏に転がっていた空き缶を思い切り蹴り付けてシャフは道の奥へと消えていった。


警察の増援がその場に到着すると周囲が一気に慌しくなり始める。


しかし、その場からまだ男は動いていなかった。


魔法瓶から紅茶を最後まで注いでゆっくりと味わっていく。


その間にも倒れこんでいる警察とSP達が近くまでサイレンとランプ無しで来た救急車に運び去られていく。


男は魔法瓶から紅茶が一滴も出なくなった頃、ようやくその場からノソノソと歩き出した。


緊迫した空気に多くの警察官が配備されている場で男は明らかに浮いている。


だが、誰も男を見ていない。


その場の誰もが、異様な化け物が真横を通り過ぎていっても平静だった。


「帰ろうか。また明日からあちらだ」


男の声に暗闇の中から大香炉が二体現れると付き従った。


その様子はまるでよく躾けられた犬と主のようにも見える。


「さぁて、【ADET】への謝礼に幾ら包むか」


【【………】】


無言の大香炉達からの返答は無い。


しかし、その表皮のNDが蠢いた気がして男が嗤う。


「・・・・・・解っているよ」


【【………】】


「あの男が描いた道ならば、もはやそれは運命、いや天命だ」


【【………】】


「悪魔に笑われるのは我々だけでもあるまいさ」


男と化け物が二体、道を普通に歩いて場を離れた後、警察官達の一人が空の魔法瓶を発見するも、仄かな温もりと紅茶の香りが残る魔法瓶の謎が解ける事は永久に無かった。



アズ・トゥー・アズ。


そう呼ばれる女が一人巨大なレンズ風車の下に立っていた。


大規模洋上発電プラント。


日本の浮体技術や太陽電池技術、あらゆる発電に関する技術の粋を集めた夢の発電所。


三十年程前から原発の代替として普及し始め、今では日本の総電力の半分以上を水力と共に二分している日本の心臓部。


その連結された巨大な浮体の集合体上でアズは棒アイスを舐めていた。


「・・・・・・」


どうやって冷たいアイスを持ち込んだのかと疑問に思うような場所で暗闇に沈んだ水平線を眺めている背中は哀愁と言うには聊か風情の足りない様子でグッタリと待っている時間の長さに比例し、(しな)びている。


生温い潮風、穏やかな潮騒、風車の回る音。


不意にアズが視界に海とは違うものを捉えた。


それは少しずつ大きな輪郭を浮き上がらせる。


それは巨大な漁船だった。


船は速度を落とし、アズのいる浮体にゆっくりと接岸していく。


本来ならば不審船が近づくだけで海上保安庁やらスクランブルした戦闘機やらが飛んで来てもおかしくない場所にその船は何の躊躇も無く近づいているという事になる。


監視機構やらレーダーは正常に作動している。


プラントの管理者も真面目に仕事をしている。


それでもその船は見つかっていなかった。


見回りの警備員だけが今日は不意に舞い込んだ母危篤との知らせに慌てて走り、シフトをいきなり代わってくれと言われた友人は本部からいきなり届いた時刻表を確認して三時間は寝ていられるとご就寝だろうが、そんな事は社会人ならよくある話で済むだろう。


致命的な三時間の間に何かが密かに運び込まれ、何かが密かに取引されたのだとしても、それは見つかっていないし、電子情報上では存在していないのだから、問題はない。


接岸した大型漁船から出てきた男が一人アズの下へと歩いてきた。


でっぷりと油の乗った体は着ているスーツをはち切れんばかりに膨張させている。


鼻の赤い五十代の男がニコリとアズを見て笑った。


「おヒさしぶり」


イントネーションにはおかしな訛りがあった。


「品は?」


アズの質問に男が頷く。


「金を一トン。白金を百キロ。レアアース一式を二トン。爆薬はTNT一トン。弾薬は四百キロ。重火器は指定されたのをデータから再現シたよ。爆薬モだけど、本当にあんな時代遅レでいいの?」


「戦争がしたいわけじゃないからね」


「今なら最新の銃も飛行機も戦車も安くすルよ?」


「GIOからの横流し品だからって手を付け過ぎじゃないかい?」


「はは、ソれ面白い冗談よ。コれ自前よ。銃も飛行機も戦車もヨ」


アズが男の様子に苦笑する。


「ま、いいよ。それが君のでもGIOのでもね。銃に関しては前々から頼んでたのを前倒しさせたんだから、報酬は弾むよ」


「銃ともカく。金属数日で用意スる。大変大変ダた」


男が腹を揺すって胸を張る。


「どうせ軍閥が閉鎖した鉱山とかで人死に出して掘ってたものだろうに。戦争前の軍資金だろう? 買い手はGIOだったけど軍閥間の摩擦で売りたくても売れなかった代物だ。違うかい?」


「さ、さぁ? 何の話ヨ」


「これ以上は突っ込まないでおくけど・・・銃の出来は?」


「上々よ。あナたの注文。旧いトいうより骨董品よ。データ探スの苦労したよ。本職ダた人に前々カら頼デたケど、納入今日てナッて凄イ急がセた」


「本職? まぁ、確かに既製品よりそっちじゃ旧い密造品を扱う人間が多そうだけど」


「違うヨ。本場ノ会社で試作品作テた人。今時珍シい本物のガンスマスよ」


「ガンスミス」


「そう。それそレ。久しブりに古い銃ノ仕事で面白カたて」


「期待しておくよ」


ニコニコしながら男が小さな端末を差し出す。


それにアズが指でサインして金額を振り込む。


「コレからもゴ愛顧よ」


「また会う事があれば、ね」


「予定通リ。港に下ロして行くカラ」


男が船に戻ると大型漁船はまるで正規の日本の船の如く近くの港へと航路を取った。


「これで準備は整った・・・けど、これからが大変かな」


今まで片手に持っていたアイスの棒をぽいっと海に投げてアズが伸びをした。


「地球温暖化で人類滅亡か・・・懐かしい話だ。まったく・・・」


アズは若い頃、しきりに世間で言われていたエコという言葉を思い出す。


誰もが信じていて、誰もが実感していなかった。


異常気象が増え出して初めて日本人はその人類が地球環境を変化させたという事実を受け入れた。


永遠の暖冬。


雹が降った春節。


地獄の常夏。


乾き過ぎた晩秋。


多くの人間が実感を覚え始めて、やっと世界は動き出したのだ。


しかし、対抗策として打ち出したエコが地球環境という途方も無い規模の話では何の成果も上げないと人々が理解したのもまた早かった。


先進諸国は後進国に義務を受け入れさせる事が出来ず。


後進国は先進国に義務を押し付け続ける事が出来なかった。


結果はもう回復の限界点を過ぎて半ばという事実。


地球環境は今後百年で大干ばつを多発させ、砂漠化した多くの土地から水を奪うだろう。


人間の行う焼け石に水の規制と先進的な環境技術も根本的な解決には至らない。


水資源の奪い合いは激化し、北と南、東と西、大陸と島国、そんな全ての国々を分断する。


渇いた地域から難民が大量に発生し、多くの国で格差と貧困と人口の極大化を招く。


問題は平和な国にこそ飛び火する。


水資源の確保名目に軍備は増強され、それを撃退する為に軍備は増強され、それでも核無き世界には無限のテロの連鎖と消耗戦という選択肢しか無い。


水の濾過技術と豊富な水資源において先手を取る日本は大陸側からの脅威が去る事はまずないだろうし、南方からの伝染病や大陸からの不法移民撃退で騒々しくなるのは目に見えている。


援助や支援という力は実際に世界を動かす。


しかし、幾ら援助しても大陸や他国の全てに行き渡る事は無い。


支援という自己防衛手段も最後には他国からの憎悪の対象になり得る。


持たざる国と持つ国の狭間は果てしなく遠い。


中国軍閥の侵攻は一時的に阻止出来ても不可避だろう。


日本内部にいる移民で戦闘の出来る年齢の中間層を殆ど動員しても億という単位での侵攻には太刀打ち出来ない。


航空戦力、海上戦力の質がどれ程に悪かろうと圧倒的な量の前には屈さざるを得ない。


最後の手段である核を軍閥がある程度使ってでも日本を手に入れたいと考えた場合、中国の主流は決定的に道を違える。


「難儀な事だよ。本当に・・・」


戦争と歴史が繰り返すものだとしても、第三次世界大戦は人類最後の戦争になる可能性が高い。


その主戦場が中東でもヨーロッパでもアフリカでもなく、この極東アジアだとすれば・・・笑うしかないだろう。


もう世界にはヒトラーも東条英機もスターリンもムッソリーニもいないのだ。


戦後はたぶん罪を被る独裁者も無く。


罪を裁く戦勝国すら残らない。


そんな最後の戦争は滅びの引き金。


日本という国の崩壊後、莫大な環境技術の喪失と共に緩やかに滅亡の影が人類に降り、環境の変化に人類の殆どは対応する術も無く消えていくに違いない。


まさに楽園か箱舟でも作るしか道は無くなる。


一部の人間は生き残れても世界という人の生み出す社会基盤は滅ぶ。


WWW(ワールド・ウォーター・ウォー)は人類がこれからの数百年で滅亡するか否かを占う一戦になるとアズには確信出来ていた。


「人類の未来、この一戦にありとか・・・久重なら何て言うか・・・」


ただの誇大妄想と笑うか大変だなと肩を竦めるか。


たぶん、そんなところだろうなとアズは苦笑する。


「時期が来た・・・そういう事なんだろうね・・・」


未来を背負って、女は歩き出す。


誇大妄想の滅亡を止め、好きな男のいる国を守る為に。


最後の審判の日すら神に取引を持ちかけるだろう女の戦いはまだ始まったばかりだった。

青年の周りに彼女らは集う。

朧げに見える空の導を目指す如く。

笑う者。

悩む者。

敬う者。

適う者。

第二十三話「昼の月」

手を伸ばして触れ合えば、そこに差は無く。

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