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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

雨上がりの君

作者: Zin君
掲載日:2026/06/19

 「ねえ、この後どうする?」

 「そうだなあ。……誰もいない、どこか遠くに行こうよ」


 僕の問いに、幼馴染の彼女は笑ってそう答えた。空を見上げ、遠くを眺めるような視線。ぼんやりとしていて、まっすぐなあの目。高校生の、気まずくて疎遠になっていた時期。教室で突然誘ってきたあの日。久しぶりに公園で遊んだあの夕方。ブランコに座りながら駄弁っていた僕らの何気ない会話。笑顔の君は夕陽に照らされて朱く、そして影を纏い輝いていた。あの瞬間、僕は恋をした。鼻を掠める君の匂いは甘く蕩けていた。君の声が脳を撫でた。君の指から足先まで、動作ひとつひとつに見惚れていた。

 あの時の僕は、君の答えに何て返したら良いのか分からなかった。まさかどこかに行くなんて、ましてや誰もいないところなんて。明日はまた学校があるのに。家に帰れば家族がいるのに。ただでさえ暗い時間に帰ると親に怒られるのに。そんな不良みたいなこと、考えたことも無かった。そんな考えが君の口から出たことも信じられなかった。


 「……ふふ、なんでもない。明日も学校あるもんね。教室で声かけちゃったから噂になってるかも」


 彼女はそう言ってブランコから飛び降り、荷物を手に取る。こちらに振り向きながら目を細め口を開く。


 「ほら、何してんの。早く帰るよ。それとも、置いて行かれたいのかな」

 「ちょ、ちょっと待って。行く、行くから待ってよっ」


 あの日、僕は初めて恋を自覚した。初めて君を特別だと思った。これからもずっと君と一緒に居るんだと願った。今まで、一緒にいた君が視界に映らない日は無かった。何気ない日常。ありふれた日々。そのどれにも君の姿があった。だけど、特別とは感じなかった。雨上がりの公園で君を見た、あの日までは。


 





 

 そして、僕の初恋は終わった。

 彼女は死んだ。

 次の日の朝、彼女の家の前には多くの警察車両と救急車が止まっていた。野次馬が囲む中、玄関先を覗き見ると、大きな血溜まりが見えた。彼女のものだって、僕はすぐに分かった。なんでだろう。現実味が無いのに、何故かそれだけ明確に分かった。その日は家に戻ってベッドに潜り込んだ。何もできず、ただ泣き喚いた。親の声にも応えずただ世界を閉ざした。

 後になって知った。彼女を殺したのは再婚した義父だった。母の前では良い父親を演じ、彼女には日常的な暴力を振るっていたらしい。彼女は母親の幸せを奪いたくなかった。だから黙っていた。しかし、その光景を母に見られたあの日、義父は勢い余って母娘どちらも殺してしまった。そしてそのまま通報、自首という流れだったそうな。あの日の、彼女の問いは、この現実から逃げたかった心の表れだったのではないか。きっとそうだ。そう思ってしまったから、また泣いた。恥も外聞もなくただ叫んだ。あの日、君の手を引いてどこかへ駆け出していれば。君に向き合い抱きしめていれば。未来は変わっていたのではないか。僕の心は後悔で埋まっていた。だから、家を出た。君との思い出から離れたかった。君を救えなかった後悔に縛られたくなかった。大学進学を機に家を出て一人暮らしをする、良い理由とも思った。君の面影という呪縛を嫌った。僕はどうしようもなく、自分勝手で、傲慢だ。




 

 「……戻って、来たよ。久しぶりだね……」


 あの日からどのくらい経っただろうか。とっくに成人して、働いて、日々が過ぎ去って。恋愛をしようとするたび、君がちらついた。女性と話すことにさえ抵抗を覚えるようになって。僕を気遣ってくれた女性もいた。だけど、どうしても君の顔が浮かんだ。そして君は言うんだ。「私を置いていかないで」って。夢でも君を見る。あの日と変わらない笑顔で、君が倒れている。甘く、僕を魅了したその笑みで、血溜まりに沈んでいる。あの日までの君のことを思い返す。君が長袖ばかりを好んで着ていたのはいつからだったろうか。そのときから君は傷ついていたのだろうか。僕の前に現れる君は、いつも笑顔だった。家を出た日からを思い出しても、君の影は必ずどこかにある。君のことを忘れた事なんて一度もなかった。だからこうして、君の墓前に立っていられる。君に塗り潰された僕の日々は、どこかおかしくなってしまった。いや、元からおかしかったのかもしれない。何度も忘れようと思った。何度も何度も君を頭から追い出したかった。でも、できなかった。僕の心は君に雁字搦めに縛られていた。

 今でも君に惚れたあの日の夕方を思い出す。今もなお、あの朝の血溜まりを思い出す。玄関が血で染まっていたのは、君が逃げ出そうとしていたからではないか。君の問いかけは、逃げたかった君の本心であったのではないか。君への想いと、あの日の後悔が渦を巻いて頭を駆け巡る。ずっと考えていた。あの日の答えを。ずっと考えていた。あの日の正解を。この思いが正しいとは思わない。この感情が正常とも思えない。だけど、こうせずにはいられない。僕の心が許さない。この気持ちを止められることはかなわない。だから、この日のために準備をした。この日のためだけに整えた。

 まず、仕事を辞めた。迷惑が掛からないよう引継ぎをしっかりした。私物もきれいに撤去した。次に、家を引き払った。この地に戻るにあたり、あの家はもう必要ない。加えて、人間関係を清算した。友人知人には挨拶を済ませた。親には泣かれたが僕の覚悟を悟って見送ってくれた。いい家族だった。今からでも引き返したい。




 でも、手は止まらない。雨に濡れた地面に鞄を置き、指輪を取り出す。君に似合う真っ赤なガーネットの指輪さ。

 









 ナイフを出す。すぐに君の所に行けるよう、よく研いできたよ。












 そして、遺書を出す。君と共に、どこへでも行けるようにしておいたよ。












 最期に、君に告げよう。あの日から溜め込んだ思いを。一番伝えたいこの言葉を、僕は口にしよう。笑顔で、嘘の無い、この想い全てを。




 










 「僕と結婚、してください」

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