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凪の淑女と年下王子は今日も見事にすれ違う

作者: Mel
掲載日:2026/04/19

「僕はこんな婚約、いつ解消したって構わないんだ。だって僕は……お前のことなんか大嫌いなんだから!」


 そう怒鳴り散らしたルクス様は。

 ひどく、悲しい顔をしていた。

 

 


 事の始まりはそれなりに遡るけれども――

 そうね。王家主催の花園会が、私たちにとっての転機だったかしら。

 

 春の爽やかな風が吹き抜ける王城内の庭園には国の有力貴族たちが集い、立食用のテーブルからはグラスを重ねる涼やかな音が響いている。

 私は彼らと緩やかに会釈を交わしつつ、隣で不機嫌そうに並び立つ婚約者へと微笑みかけた。


「麗らかな気候に恵まれましたね。見事に花の盛りを迎えておりますわ、ルクス様」

「年甲斐もなくはしゃぐな、みっともない。花など愛でても何ひとつ面白くないわ」


 齢十五を迎えたばかりのルクス様は、ふいと顔を逸らして吐き捨てた。

 どうやら今日もご機嫌斜めらしい。私と連れ立って歩くのがよほど気に食わないのか、いつもこんな調子だ。私の方が背が高いせいか視線が交わることも稀で、彼が何を想っているのか、未だによく分からないままでいる。

 

 ――そう。私は六つも年下であるこの婚約者様と、まったく上手くいっていなかった。

 

 顔を合わせれば棘のある言葉ばかりを投げつけてくるし、歩調を合わせるという発想がないのか、いつも独りで先を行ってしまう。

 とはいえ、六つも離れていれば子犬の相手をしているようなもの。いつものように表情ひとつ崩すことなく、穏やかに言葉を返す。


「ふふ、ルクス様は本当に素直じゃありませんね。そういう可愛らしいところも、私は大好きですよ」

「――っ、誰が子ども扱いしろと言った! そういう上から目線な態度ばかり取るから、お前は可愛げがないんだ!」


 顔を真っ赤にして怒鳴り散らすルクス様。陽光にきらめく髪が綿毛のようだわ、なんて思いながら適当になだめすかしていると、注目を集めてしまったのか、背後から花々の囁きに似た笑い声が漏れ聞こえてきた。


「まあ……お二人は相変わらず仲がよろしくないご様子だわ」

「本当に。ノワール様ったら、若く麗しい殿下のお隣に立つのですから、あのような地味な装いはおやめになればよろしいのに」


 扇で口元を隠して忍び笑いを漏らすのは、ルクス様に擦り寄ろうと目論む年若きお嬢さんたちだ。あわよくば婚約者の座を奪う心積もりなのか、顔を合わせればあからさまな嫌味ばかりぶつけてくる。

 無視をするのが大人の対応なのでしょうけれど。隣でルクス様が不快そうに眉をひそめる中、私はちょっとした悪戯心で彼女たちへと振り返った。


「あら、なんて瑞々しくて愛らしいお嬢さんたちなのかしら。ご忠告、痛み入りますわ。ですが……ルクス様は私の落ち着いた装いを好ましく思ってくださっているようですのよ。ねえ、ルクス様?」

「なっ……! ぼ、僕はそんなこと一言も……!」

「あら、違いましたか? ふふ、ルクス様は本当に照れ屋さんでいらっしゃること。……あなた方も、この花園にお邪魔できる機会なんてそうそうないのですから、お花を楽しまれてはいかが?」


 一切の動揺を見せない私に、令嬢たちは悔しげに顔を歪めて逃げ去っていく。「行き遅れが調子に乗って」という、飾り気のない罵倒だけを残して。

 失礼ね。私だって望んで行き遅れたわけではないわ。挙式の当日に、真実の愛を見つけたという花婿に逃げられただけよ。

 

 あの日は招待客をそのまま帰すわけにもいかなくて、急遽ただの晩餐会に切り替えただけなのだけれども。花嫁衣装のまま顔色ひとつ変えず、フルコースを全て平らげてみせたことで妙な評価を得てしまった。

 

 ――いかなる嵐にあっても揺るがない、静まり返った夜明け前の海のようだ、と。

 

 それから人は私を『凪の淑女』と呼び、ある者からは賞賛され、ある者からは揶揄されるようになっていた。


 ただ、この話はこれだけでは終わらなかった。相手がそれなりの立場の家の嫡男であり、薄く王家の血を引く御方だったことで、話が余計な尾を引いてしまったのだ。

 末端とは言え王族に連なる者の不祥事。事態を重く見た国王陛下からは謝罪され、新たな婚約者として紹介されたのが――まだ成人前のルクス殿下だった。


『継承権が低いとは言え、まさかルクス殿下をあてがっていただけるなんて……。でもさすがに、ノワールとは歳が離れ過ぎてはいませんか?』

『ふむ……。年頃の者はとっくに相手が決まっているし、王家としてもそれなりの体裁は整えたいのだろう。それに、まだ幼さの残る王子を支えるには「動じない女」が丁度良いと考えたのかもしれないな』


 そんな事を両親は言っていたけれど……。ご覧の通り、私たちの関係性は芳しくない。彼が成人の儀を終えて爵位を賜れば、私は彼の元へ輿入れすることになるというのに、果たしてこんな調子で夫婦として成り立つのかしら?


「……お前は本当に、顔色ひとつ変えないのだな。あんな嫌味を投げられても腹すら立てないのか」

「嫌ですわ、腹を立てるだなんて。小鳥の囀りだと思えば可愛らしいものではありませんか。それに――私ほどの年齢になると、そのような見苦しい振る舞いをする気力も湧きませんのよ」

「そういうところが婆臭いと言っているんだ!」


 吐き捨てるように言い残してルクス様は足早にその場を立ち去ってしまう。一人残された私はすぐに追いかける気にもなれず、静かに溜息を吐いた。


 ルクス様は今日もご機嫌斜めなまま一日を終えられた。でも、それも無理からぬこと。だって国王陛下は『詫び』のつもりなのでしょうけれど、わずか十五歳のルクス様にしてみれば、六歳も年上の行き遅れ令嬢を押し付けられたも同然なんですもの。王族に連なる者の不始末を拭うための道具とされては、私を疎ましく思うのも当然だ。


 憂鬱な気分を持て余していると、不意に近くの東屋から貴婦人たちの囁き声が風に乗って届いた。


「ねえ、聞きまして? 王都の外れの深い森に、何でも願いを叶えてくれる魔女が住んでいるんですって」

「異界から渡ってきた魔女だなんて、本当なのかしら……。随分と胡散臭い話ですわよねえ」


 魔女。ある日突然、異界から渡ってきて、森の深淵に住み着いたというその風変わりな存在の話は私も知っている。なんでもこの世界には存在し得ない、見たこともない不思議な力を操るのだとか。その力で山の形が変わってしまったり、降りやまない雨が続く村があるという噂も耳にした。

 

 ……そんな魔女が、なんでも願いを叶えてくれると言うの?

 それならば――ルクス様の本心を知ることだってできるのではないかしら?

 

 本当に私のことが嫌いなら、潔く身を引く覚悟はできている。国王陛下にルクス様の御心を伝えれば、この縁談もきっと再考してくださるに違いない。


 そうよ。ルクス様にはもっと相応しい令嬢が他にいくらでもいらっしゃるはずよ。

 ……あの、刺々しくも可愛らしい子犬のような姿を見られなくなるのは、少しばかり寂しいけれど。


 凪の淑女の仮面の下でそっと息を吐く。

 私は貴婦人たちの噂話に素知らぬ顔で耳を澄ませ続けた。


 *


 夜の静寂がすべてを塗り潰す頃。私は自室の窓辺で淡い月明かりを浴びながら、鏡に向かって座っていた。

 

 手元にはおまじないの触媒となる銀のボウル。そこで緩やかに波打つ水面をぼんやりと見つめる。

 庭園で耳にした出所不明の噂話を真に受けて、怪しげな儀式に興じるなんて。二十を過ぎてなお少女のような真似事をする自分自身に、嫌気が差してしまいそうになる。


「……もう、そんな年でもないくせにね」


 低く独りごちながら、私は手順通りに指先で水面を静かに揺らした。

 ――しばらく待ってみても、何も起こらない。

 思わずフッと鼻で笑ってしまう。


 本当に、我ながら馬鹿げた真似をしたものね。そう自嘲を漏らしながら指先を水から離した、その瞬間。ボウルから立ち昇った紫色の煙が鏡の中に歪な輪郭を描き始めた。甘ったるい香りが鼻腔を突き、水面が生き物のように波打つ。


『……あらあ、私を呼び出すなんて。この世界にも見どころのある子がいるじゃない?』


 鏡の中から響いたのは妖艶な響きを帯びた女の声。紫の煙が晴れた鏡面には、異界の意匠を凝らした部屋に座る、年齢不詳な美しい魔女の姿があった。

 彼女は退屈そうに頬杖をつきながら、値踏みするように私を眺めている。


「貴女が……森の魔女様、ですか?」

『そ。運がいいわね、お嬢さん。ちょうど暇を持て余していたところよ。それで……私に何のご用かしら?』


 私は高鳴る胸を抑えて冷静さを装いながら、事の経緯を説明した。

 

 六つも年下である婚約者、ルクス様のこと。

 顔を合わせれば暴言を投げつけられ、関係が良好とはとても言い難いこと。

 婚約に至った経緯を鑑みて、身を引く覚悟があること。

 ただ最後にどうしても――彼の本心が知りたかったこと。

 

 一通り話し終えると、魔女は「へえ」と面白そうに口角を上げた。


『いいわよ。貴女の知りたいことが分かるように……明日の一日だけ、この王国全体を特別な魔法で包んであげる』

「特別な魔法、ですか? それはその……害などは、ないのでしょうか」

『いやあね。そんな無粋なこと、この私がするはずないじゃない? 安心なさいな。明日が過ぎてしまえば、みんなの記憶からも消え失せるはずよ』

「そ、そうなのですね。ありがとうございます。それでは……魔女様にお支払いする対価は……」


 失礼に当たらぬよう言葉を選んでいると、不意に鏡の中の魔女の姿が酷く乱れた。紫の煙が激しく渦巻き、彼女の視線が背後へと向けられる。


『……あらやだ。ちょっと、通信が混線するから、そっちはあんたが相手しておいてよ』


 魔女は誰かに向かって投げやりに命じると、鏡の向こうで「ワン」という犬の鳴き声が聞こえたような気がしたが、すぐに雑音にかき消された。


『ごめんなさいね。どうやら今夜は珍しく客足が重なる日みたいだわ。……さあ、約束よ。明日、お嬢さんは知りたい真実を目にすることでしょう。楽しみにしていてね』


 魔女が妖しく微笑む。

 それを最後に意識は急激に薄れていき、私は吸い込まれるように闇へと落ちていった。

 

 *


 ちゅんちゅんと。小鳥たちののどかな囀りに誘われ、私はゆっくりとまぶたを持ち上げた。

 視界に飛び込んできたのは、見慣れた自室の天井。昨日の夜、鏡を通じて魔女と交信した記憶は鮮明に残っているというのに、いったいいつ眠り込んでしまったのかしら……?

 もしかしたらすべては都合のよい夢だったのかもしれない。そう自嘲しながら、私は身支度を整えて廊下へと足を踏み出した。


「――あら、お嬢様。やっとお目覚めですか。仕事が立て込んでおりますので、御用は手短に願います」


 廊下ですれ違ったのは顔馴染みのメイド。彼女は普段の親愛に満ちた態度が嘘のように冷ややかな視線を私へ向けるや、挨拶もそこそこに通り過ぎていった。

 戸惑いを抱えたまま食堂へ向かうと、さらなる異変が待ち受けていた。家にいても領地経営にかまけてばかりで私には無関心を貫いていた父が、私の顔を見るなり勢いよく立ち上がり、こちらへ駆け寄ってきたのだ。


「おお、私の愛しいノワール! 今日も太陽のように輝いて美しいね。さあ、一緒に朝食を摂ろう。何か欲しいものはあるかい?」

「え、あ……いえ、結構ですわ」

「なんと奥ゆかしい。さすがは我が家の至宝だ」


 過剰なまでの甘やかしと、これまでに受けたこともない賛辞。父の口から飛び出る猫なで声を聞くにつれ、背筋にぞわぞわと悪寒が走る。

 追い打ちをかけるように、私以上におっとりとした性格の持ち主である母がピシャリと扇を打ち鳴らした。


「ノワール、何を呑気にしているの。貴女は捨てられた女なのだから、殿下に縋り付いてでも嫁いでもらわないと困るのよ。まったく……二十を過ぎてまだ実家に居座るなんて、みっともないったらありゃしない……」


 慈愛に満ちていたはずの母から放たれた、あまりにも無慈悲な言葉。両親のあまりの豹変ぶりに頭が追いつかない。

 

 ――もしかして。これが、昨夜の魔女が口にした魔法の正体だというのかしら?

 だとしたら、いったいどんな効果が周囲の人間に及んでいるというの?

 

 害はない。明日にはみんなの記憶も無くなる。

 そして「今日一日だけ」という言葉だけを信じて、私はルクス様とのお茶会に臨むべく王宮へと馬車を走らせた。異常事態には違いないけれど、殿下との約束を反故にするなんてあってはならないことだからだ。


 それに、ひょっとしたらおかしくなったのは私の家だけかもしれない。

 ……なんて、そんな甘い期待は着いて早々に打ち砕かれた。

 昨日、庭園で私を小馬鹿にしてきた令嬢たちと鉢合わせた途端、彼女たちは瞳を輝かせて満面の笑みを浮かべたからだ。


「まあ、ノワール様! 本日のお召し物も大変素晴らしいですわ!」

「ええ、本当に! 落ち着いた大人の魅力に溢れていて、あのルクス殿下の隣を歩くのにこれほど相応しい方はおりません!」


 陶酔しきった様子で賛辞を並べ立てる彼女たちを前に、私は目眩にも似た感覚に襲われる。

 纏わりつく彼女たちから逃れるように辿り着いたのは、王宮の薔薇園。その中央に佇む東屋でティーカップを弄んでいたルクス様が、私の足音に気付いて顔を上げた。


「……なんだ、その間抜けな顔は。朝から不愉快極まりない」


 端正な顔を歪め、心底疎ましそうに私を睨みつけるルクス様。――ああ、よかった。そのあたりの強い言葉も、冷たい眼差しも。周りの人がことごとくおかしくなってしまったこの世界において、彼だけはどこまでもいつも通りだ。

 悲しいかな、変わらぬ彼を目の当たりにして、私は無意識のうちに安堵の溜息を漏らしていた。

 

「ご機嫌麗しゅう、ルクス様。ふふ、お変わりないようで安心いたしましたわ」

「……何が安心だ。お前のような可愛げのない女の顔など、一分一秒たりとも見たくもないと言っているんだ」


 そうそう、このいつものやりとりこそが私と彼との日常の風景。噛みついてくる子犬のような振る舞いは、思わず頭を撫でて愛でたくなるほどの愛らしさすらある。

 突き放すような言葉を柳に風と受け流し、私はいつもの『凪の淑女』としての微笑を深める。――と、その瞬間、いつもよりも鋭く輝くルクス様の紅の瞳が、驚愕に大きく見開かれた。


「……ノワール、お前、その顔……」


 震える声と共に、彼は椅子を蹴る勢いで立ち上がった。大股で歩み寄る彼の手が私の頬へと伸ばされる。震える指先は砂上の城に触れるかのようにひどく慎重で――……優しいものだった。


「……ルクス様? どうされました?」


 やっぱり、彼にも魔法の効果が及んでしまっているのではないかしら。お体に障りはないかしら。

 普段の彼とはどこか異なる様相に私もまた戸惑いを隠せないでいると、必死に何かを伝えようとしていた彼の唇が、かすかに歪んだ。


「お前のその顔を見ていると、反吐が出る。本当に、どこまでも惨めな女だな」


 ――一瞬、息の吐き方を忘れてしまった。

 

 目の前のルクス様は、今にも泣き出しそうなほど悲痛な眼差しで私を見つめている。それなのに。耳に届く声音はいつも以上に冷たいもので、その言葉は刃のように鋭い。


「お前のその、薄気味悪い笑い方が大嫌いだ」

「馬鹿にされていると気付いているくせに、強がる姿も見苦しくて仕方がない」

「あの女たちの華やかさを少しは見習ったらどうなんだ? 僕に恥をかかせないでくれ」


 私は立ち尽くしたまま、言葉を失っていた。

 だってもしも、これこそが魔女の魔法が示す『真実』の世界なのだとしたら。

 私の想像していた世界なのだとしたら。

 

「……ルクス様はずっと、私のことをそのように思っていらっしゃったのですね」


 震える声で紡いだ問いに、彼はじっと私を見据え、やがて大きく頷いた。


「ああ、そうだ。お前のあの無様な挙式を覚えているか。花婿に逃げられたお前の姿は、吐き気がするほど滑稽だった」

「そういえば、ルクス様も名代として参列してくださいましたね。あんな見苦しい姿を目にしてどうして、私との婚約に同意されたのですか」

「そんなもの、父上に頼み込まれたから仕方なくに決まってるだろう。僕はこんな婚約、いつ解消したって構わないんだ。だって僕は……お前のことなんか大嫌いなんだから!」


 ――ああ。そうでしたのね。

 あなたは、私のことをそんなにも……。


 すとん、と胸の奥で何かが落ちる音がする。

 張り詰めていた心の糸がぷつりと切れ、私の意識は、底の見えない闇の中へと吸い込まれていった。

 

 *


 ちゅんちゅんと。小鳥たちののどかな囀りに誘われ、私はゆっくりとまぶたを持ち上げた。

 意識を浮上させれば、そこは見慣れた自室のベッドの上。どうやって帰路についたのか記憶は曖昧なままだけれど、私は弾かれたように起き上がり、確認を急ぐべく屋敷の中を巡った。


 廊下ですれ違った使用人たちは柔らかな笑みで会釈を返し、父は領地経営の書類に没頭してこちらに顔を向けようともしない。そして母はいつものように優雅に茶を傾け、「そんなに慌ててどうしたの、ノワール」と穏やかに声を掛けてくれた。


 どうやら、あの歪な世界の一日は幕を閉じ、私にとっての日常が戻ってきたらしい。

 そう、何もかもが元通りで。真実を知った今となっては不思議なほどに心は凪いでいた。

 ――あるいは、すべてを受け入れる覚悟が決まったからかもしれない。


 それならばこれからどう過ごそうかと自室で昨日の出来事を反芻していると。扉が震えるほどの大きなノック音が響いた。


「――ノワール! 頼む、開けてくれ!」


 静寂を切り裂くような、焦りを帯びた声。使用人たちの慌てふためく制止の声がその後を追うように続く。急いで扉を開くと、そこには肩を揺らし、顔を強張らせたルクス様の姿があった。


「ルクス様……? 先触れもなく、いかなるご用向きでしょうか」

「ノワール……! 僕が子どもだったばかりに、お前を傷つけてしまって……本当に、すまなかった!」


 深々と頭を垂れる彼の姿に驚いて、私は思わず言葉を失った。その意を問う間もなく、彼は一歩踏み込んでくる。


「昨日のことだ。本意ではなかったとは言え、僕はお前を傷つけてしまった。昨日だけじゃない。これまでだって、ずっと……」


 昨日の記憶は、魔女の言葉が真実ならば誰も覚えていないはず。それなのにルクス様だけはどうして覚えているのだろう?

 それに、こんなにも素直なルクス様を私は知らない。戸惑う私の心を見透かしたように、彼は拳を握りしめた。


「……私のことを疎ましく思っていらしたのではないのですか?」

「そんなわけがあるか! 僕は――」


 言い淀み、唇を噛むルクス様。私は、その様子をわずかな悪戯心を込めて見つめる。

 あのどこかおかしな世界のからくりに、ある種の確信を抱いていたから。


「……ルクス様は、本当に素直ではありませんね」

「う、うるさい。お前にだけは言われたくない」


 ふふ、と自然に笑みが零れ落ちる。私はいつもの『凪の淑女』としての微笑を湛えると、そっと手を伸ばし、私よりもわずかに低い位置にある彼の頭を優しく撫でた。


「大丈夫ですよ。ルクス様のお気持ちは、よく理解できましたから」

「――っ、だからそういうところが! ……いや、まあいい。お前の気持ちも、昨日、嫌というほどわかったからな」


 私の気持ち? 小首を傾げる私に対し、彼はいつものように払いのけることなく私の手を力強く掴み取った。


「いいか、一度しか言わないから、その頭に叩き込んでおけ。……お前が好きだ。あの不名誉な晩餐会でのお前の気丈な姿に、僕は強く惹かれたんだ。それなのに……浅慮な女どもに馬鹿にされるのが我慢ならなくて、澄ました顔で僕のことまで受け流すお前に腹を立てて、子どもじみた態度ばかり取ってしまった。本当に……すまなかった」


 これまで見たこともない殊勝な告白に、返すべき言葉が見つからない。

 ――本当は、心のどこかで気づいていたのだ。

 彼の不器用な言葉の端々に滲む幼い恋情も、拗ねたような苛立ちも、必死に背伸びをしようとするその背中も。


 その姿を愛おしいと想いながらも、子犬のように扱うことでしか接することができなかった。だってルクス様はまだお若いから。いつまた心変わりがあるか、周囲の思惑でいつまた捨てられるか、分からなかったから。

 それならば。未来あるこの方の枷になるくらいならば。私から身を引くべきではないか、と。そう嘯くことで心の安寧を図ろうとした。

 

 けれど昨日、あの痛烈な拒絶を受け取ったとき。私はようやく、彼の本音を知ることができたのだ。

 それだけでも十分だったのに。

 こんなにも真っ直ぐな愛の言葉を、まさか彼の口から直接聞けるなんて――

 

「お前のことが、本当に好きなんだ。……だからもう、泣かないでくれ」

「嫌ですわ。私は泣いてなど」

「いいや、泣いている。少なくとも昨日のお前はずっと泣いていた。……恥を忍んで白状するが、僕は、森に住むという魔女に相談したんだ。お前との接し方が分からなくて、どうすれば良いのかと……」


 ルクス様の言葉が、次第に尻窄みになっていく。驚きに目を見開く私に気づくと、彼はその白い肌を首筋まで鮮やかな朱色に染め上げた。


「だって、お前がいつまでも僕を子ども扱いするからいけないんだ! それにお前は何を言われても平然としているから……つい、言葉を荒らげて気を引こうとしてしまった。お前は父に逆らえず、義理で僕に付き合ってるのではないか。僕なんて必要ないのではないか。……不安で、仕方がなかったんだ」


 ――そういえば。魔女と対話している最中、他にも客が訪れたと言っていた。それがまさかルクス様だったなんて。

 私の余裕ぶった態度が、彼を怪しげな魔女に頼らざるを得ないほどに追い詰めてしまっていた。その事実に申し訳なさを覚えてしまう。


「その……ルクス様は、どのような魔法を授かったのですか?」

「……相手の、本当の姿が見える目にしてもらった。お前のその澄ました顔の裏側を、どうしても確かめておきたくて。おかげでお前に会うまでの間、宮廷内の連中のどす黒い腹の内を散々見せつけられる羽目になったよ」

「そ、それで……私が泣いていたというのですか?」

「そうだ。子どものように両手で顔を覆って、わんわんと泣きじゃくっていた。魔法のせいか知らんが謝りたくても思ってもいない罵倒が口から勝手に出てくるし……お前を前にすると、どうしてこうも上手くいかないんだ」


 不満げに唇を尖らせ、彼はぶっきらぼうに言葉を繋いだ。


「お前は、隠しすぎなんだ。でもようやくお前の心に触れられた気がする。もう二度とお前を泣かせるような真似はしないと誓うから……どうか、僕の隣にいて欲しい」


 どこかぶっきらぼうな口ぶりながらも、私を繋ぎ止めるその手には少しの隙間もない。

 私は愛おしさに目を細め、少しの逡巡の後、彼の掌を自分の頬へと導いた。


「では……これからは、もう少しだけ分かりやすく想いを伝えていただけませんか?」

「……努力はする。だからお前も、適当に聞き流したりするな。お前からしたら僕のことなど幼稚な子どもにしか見えなかったことだろうが……僕とは、真剣に向き合って欲しい」

「そうですね。……努力いたしますわ」


 くすくすと笑みを零すと、彼は困ったように頬を膨らませた。その拗ねた表情も、必死な眼差しも、どうしようもなく愛おしい。

 

 ――魔女様、本当にありがとうございました。

 私の王子様は、私が思っていた以上に私を深く想ってくださっていました。

 

 すべてがあべこべになる歪な世界で、あんなにも熱烈に私を否定してくれたのですもの。その愛の裏返しに応えるためにも、もう、彼の前で心を無理やり鎮めるのはおしまいにしましょう。

 

 いつまでも子犬扱いをして、彼のプライドを傷つけるのももう卒業。

 不器用ながらも私に歩み寄ってくれた彼との未来のために、心と心を通わせる努力を改めて始めてみましょうか。

 

 ね? ルクス様――

 

 

 *

 

 

 王都の喧騒から遠く離れた、深い森。鬱蒼と茂る古木に抱かれた魔女の館では、立ち昇る湯気の向こう側でひとりの女が優雅にティーカップを傾けていた。


「……大人ぶったお嬢さんと、捻くれたガキんちょ。どうなることかと思ったけど、ま、私の手にかかればこんなもんよ」


 花々の咲き誇る庭園で。手を握りながら語り合う二人の影を映していた水晶が役目を終えたように光を失う。

 魔女は愉快そうに目を細め、机を挟んで座る巨大な犬――使い魔へと視線を投げた。


「それにしても、ツンデレなんて流行らないわよねぇ。あんたもそう思わない?」


 お互いに憎からず想い合っていたというのに。傷つくことを恐れた淑女は相手を対等に扱おうとせず、父王に直訴してまで彼女を婚約者に据えた王子は、プライドが邪魔をして愛の言葉も囁けなかった。

 魔女の力を借りなければすれ違ったままだったなんて。なんとも手のかかるふたりだ。


「いくら年が離れてるからって、過剰にガキ扱いするのもどうかと思うけどな? ……ま、面と向かって話し合うのが一番ってこった」


 どうやら王子に肩入れしていたらしい使い魔も、器用に肩をすくめてみせた。


 どちらからともなく忍び笑いが漏れる。 

 二人の笑い声が、静かな森の中へと溶けていった。

 

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― 新着の感想 ―
 ルクスさん、思った以上に苦労が絶えぬ人間関係の様ですねえ。吐き気がするほどの思い云々は、どうもシンジツノアイがどうたらの世迷い言で捨てた輩への怒りや、泣いてるやら自棄起こしたやらな表情になった後に食…
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