第1章 「敬天愛人」の虚妄と、真の絶望 ―― 比較なき這い上がり
人は、己の運命を選んでこの世に生を受けることはできない。
ある者は黄金の匙を口に含み、最上の絹の産着に包まれて、周囲の祝福という名の芳香の中で育つ。一方で、ある者は乾いた泥を噛み締め、隙間風が絶え間なく鳴り響くあばら家で、明日をも知れぬ命を繋ぐために生を受ける。この「生の不平等」という残酷な現実は、歴史を通じて数多の人間を絶望の淵へと追いやり、また同時に、極めて稀な非凡な者たちを奮起させる凄まじい原動力となってきた。
日本の歴史を紐解けば、維新の三傑の一人、薩摩の英雄・西郷隆盛の名が「敬天愛人」の精神と共に語り継がれている。鹿児島が生んだこの巨星は、下級士族という身分から身を起こし、誠実な努力で近代日本の礎を築いたとされる。
しかし、冷徹な史実の光を当てれば、西郷には「薩摩藩」という当時最強の組織的背景があった事実は無視できない。流刑地ですら元高官としての待遇を受け、複数の妻を娶る経済的余裕すらあった彼の背景は、真の「どん底」とは言い難い。
そもそも、薩摩藩の強大な軍事力を支えた財政再建は、琉球王国や奄美の農民らに対する極限までの搾取を土台として成し遂げられたものであった。「黒糖地獄」と称されるほどの苛烈な専売制を通じた凄惨な取り立ては、多くの島民を餓死と絶望に追い込んだ。島民が自死を選ぶほどの重税を強いて蓄えられた富が、明治維新の軍資金となったのである。維新の覇者となった後も、その犠牲に対する報恩が国家レベルで顧みられることはなかった。
こうした暗部を直視すれば、彼の説いた「敬天愛人」の精神も、その対象はあくまで「薩摩人」という内輪、あるいは武士階級に限定された偏頗的な思想に過ぎないと断じる批判的な視点も当然に存在する。
ゆえに、鹿児島県の伝統的な歴史教育のくびきから解き放たれ、情報を多角的に収集できる現代の若者の中には、西郷隆盛を真の「努力の象徴」や「偉人」としては評価しない意見も決して少なくない。彼の出自は、一時的に困窮していたとはいえ、あくまで支配階級の一員であり、文字通りゼロからの出発、あるいは絶望的なマイナスからの這い上がりではなかったのである。
また、平民から天下人に登り詰めた豊臣秀吉の立身出世にしても、戦国という下克上の熱狂が身分の流動性を極限まで高めていたこと、そして織田信長という時代を先駆ける天才に見出されたという、絶大な「機縁」と「幸運」を無視することはできない。彼らの背後には、常に何らかの「支え」や「救い」、あるいは時代の追い風が存在していた。
もし、この世に、一切の組織的庇護もなく、幸運の欠片も落ちていない、ただ「絶望」という名の焦土から這い上がった「真の努力の象徴」を求めるならば、我々はその視線を広大な中国大陸、かつての大明帝国へと向けるべきであろう。
そこには、父母兄弟を飢えで失い、住む家を追われ、三年に及ぶ托鉢放浪の中で泥水を啜り、文字通り「地の底」を這いずり回った男がいる。その名は朱元璋。後に一億の民を統べ、三百年続く帝国の礎を築いた太祖洪武帝である。
彼が直面した逆境は、現代の我々が想像しうる「不遇」という言葉では到底言い表せぬほどに苛烈であった。彼の人生は、今この瞬間に困難に直面し、自分の運命を呪いたくなるような人々にとって、最も残酷でありながら、最も眩い「希望の灯火」となるはずだ。




