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残された声のゆくえ~最後の声、届けます~送り人、趙はるかの記録~  作者: 「大和 尚羅夢」小花羅夢一生推し


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新たな夜明け・墓参りと、頑張った証

はるかが退院してから、三ヶ月が過ぎた。

春の終わりから初夏へと移り変わる季節。街路樹の緑は、日増しに濃く、力強くなっていた。「七星堂」の日常も、あの地獄のような決戦からゆっくりと、しかし確実に回復し、新たな、しかしどこか深みを増したリズムを取り戻しつつあった。

はるかの体は、完全に元通りというわけではなかった。胸から右半身にかけての、あの複雑に絡み合った深灰色の業痕は、今も彼の体の一部として刻まれていた。時折、特に気圧の変化や疲労が溜まった時、かすかな疼きが走る。また、内側に封じた“重荷”の影響か、時折、かすかな幻聴のようなもの——墨の残滓のささやきか、あるいは、それに付随する無数の“業”の記憶の囁きか——が、耳の奥で聞こえることがあった。

しかし、彼は、それらと共存する方法を、少しずつ学び始めていた。疼きが来れば、深く呼吸を整え、意識を一点に集中させる。幻聴が聞こえれば、それは“内側の房客の騒音”だと冷静に認識し、過剰に反応しない。毎日、決まった時間に、自身の霊力を巡らせ、内側の“封印”の状態を確認し、緩みがあれば修復する。それは、一生続く、静かで孤独な戦いだった。でも、彼はもう、それに押しつぶされそうになることはなかった。それは、彼が生き、たまを愛し、ことりや大輔と共にあるための、避けられない代償として、受け入れていた。

彼は、再び“送り人”としての仕事に戻っていた。効率は以前より落ちていたかもしれない。共感の深度を、無意識にセーブしている節もあった。しかし、その代わりに、かつてないほどの確かさと静かな強さが、彼の仕事には宿っていた。彼は、もう、対象の感情に流されることも、自ら深く傷つくこともない。必要な距離を保ち、必要なだけ共感し、丁寧に、確実に、“声”を送り届ける。それは、傷ついたプロフェッショナルの、ある種の完成形だった。

ことりの成長は、目を見張るものがあった。二十歳を過ぎ、彼女の“浄化補佐及び特殊コミュニケーション”としての力量は、揺るぎないものになっていた。はるかの共感をサポートする技術はますます洗練され、独自の直感と民俗知識を駆使したアプローチは、複雑なケースを鮮やかに解決することも多かった。彼女の浄化の力は、あの決戦以来、さらに純度とコントロール性を増していた。力そのものは増大したが、むやみに放出することはなく、必要最小限で、最大の効果を発揮するようになっていた。

二人の連携は、言葉を介さない、完璧な阿吽の呼吸に近づいていた。はるかが微かに眉を動かせば、ことりは対象の“業”の質を見極め、適切な浄化の波長を選ぶ。ことりがわずかに息を詰めれば、はるかは共感の深度を調節する。それは、長い時間と、幾多の生死を共にした者にしか生まれ得ない、深い信頼に基づく協働だった。

大輔は、相変わらずの大黒柱だった。彼の関西弁と、相変わらずくだらないギャグは、事務所の変わらぬBGM。しかし、その目は、はるかとことりの確かな成長と、お互いを支え合う姿を見るたびに、どこか誇らしげで、満足げに輝いていた。「おい、はるか、ことり、今日の仕事、ようやったな! さすがうちの子らや!」そんな調子だ。彼は、表立ってはあまり口出ししないが、はるかの体調の微妙な変化や、ことりの無理のないように、そっとサポートを入れていた。父親として、守護者として、彼の存在そのものが、この新たな日常の、確かな土台となっていた。


たまの命日が、再び巡ってきた。

去年の命日は、雪が降る、冷たく静かな日だった。今年は、五月の晴れ渡った、穏やかな春日和だ。空はどこまでも青く、柔らかな風が、新緑の匂いを運んでくる。墓所の木々も、鮮やかな緑の葉を茂らせ、小鳥のさえずりが心地よく響いていた。

はるか、ことり、大輔の三人は、たまの墓前に立った。はるかが、まず、墓石の周りに生えた雑草を丁寧に取り除き、埃を払った。それから、彼が持ってきた一輪の白い百合を、花立てにそっと挿した。たまが特に好きだった花というわけではない。ただ、はるかが、清楚で、どこか寂しげなその花が、彼女に似ているような気がして、選んだのだ。

彼は、墓石の前に立ち、静かに手を合わせ、目を閉じた。数秒間、ただ、風の音と小鳥の声を聞いていた。そして、ゆっくりと目を開け、墓石の文字を見つめながら、ごく自然に、話しかけるように口を開いた。

「……たま。また、一年経った」

声は、低く、静かだが、よく通る。

「相変わらず、“送り人”、やってる。依頼は、そこそこ来る。ちょっと、忙しい」

彼は、一瞬、言葉を切る。風が、彼の前髪を揺らす。

「ことりと、一緒にだ。あの娘……今じゃ、俺より、値切り交渉がうまくなった。大輔のせいだ」

その時、はるかの胸のあたりで、かすかに、重いものが、うごめくような感覚があった。内側の“房客”だ。彼は、ごくわずかに眉をひそめ、すぐに平静な表情に戻す。

「……体の中に、“同居人”が、増えた。ちょっと……うるさい時もある。でも……まあ、何とかなってる」

彼の目が、遠くの空を見つめる。雲が、ゆっくりと流れていく。

「たまに……お前の夢を見る。泣くことは……あんまりなくなった。でも、お前のことを思い出すと……ここが、少し……詰まる」

彼は、そっと、自分の左胸のあたり——心臓の上に、手を当てた。

「……でも、いい。大丈夫だ」

彼は、再び墓石を見つめ、口元を、ほんのり、しかし確かに緩めた。それは、深い悲しみを湛えているが、同時に、どこか穏やかで、確かな決意に満ちた表情だった。

「お前の分まで……歩いていく。この、うるさくて、めんどくさくて……そして、どこか温かい世界と一緒に」

そう言うと、彼は深く一礼し、少し下がった。彼の隣に立つことりに、そっとうなずいた。

ことりは、はるかの横顔を一瞥し、それから一歩前に出た。彼女は、自分が持ってきた小さな箱(手作りの、少し形のいびつな和三盆の砂糖菓子が入っている)を、墓石の前に置いた。そして、はるかと同じように手を合わせ、目を閉じて一礼する。そして、目を開け、真剣な表情で、墓石に語りかけた。

「たまさん。こんにちは。ことりです」

彼女の声は、明るく、はっきりとしている。

「はるかは、私が預かります。相変わらず、何も言わないバカですし、業痕が疼くと不機嫌になりますし、好き嫌いも直りませんし……」

彼女は、わざとらしくため息をつく。しかし、その目は優しく、確かな意志に満ちていた。

「でも、大丈夫。私のやり方で、ちゃんと見ておきますから」

彼女は、深く息を吸い込み、にっこりと微笑んだ。

「だから、どうか、ご安心ください」

彼女も一礼し、大輔の方へ戻った。

最後に、大輔が前に出た。彼は、手を合わせるでもなく、ただ、墓石の横に立ち、その表面を、ごく軽く、ぽん、ぽんと二度、叩いた。まるで、久しぶりに会った旧友の肩を叩くような感じだ。

「たまさん……見てるか?」

彼の関西弁は、深い感慨に満ちていた。彼は、振り返り、はるかとことりの、並んで立つ姿を見つめた。はるかは、相変わらず無表情に近いが、背筋はまっすぐで、目はしっかりと前を見ている。ことりは、彼の横に立ち、どこか誇らしげに胸を張っている。

大輔の口元に、大きく、しかしどこか涙ぐんだような、心からの笑みが浮かんだ。

「……はるかも……ことりも……」

彼は、もう一度、二人を見つめ、ゆっくりと言葉を続ける。

「……よう、頑張ったな。ほんまに」

その言葉には、この一年以上、二人が乗り越えてきた全ての苦しみ、悲しみ、そして、それでも前を向いて歩み出した、その強さへの、深い称賛と、無条件の愛情が込められていた。

風が、再び優しく吹き抜ける。百合の花が、かすかに揺れる。三人は、しばらく、静かな時間を共有した。悲しみは、まだ完全には消えていない。たまの不在は、これからも、ずっと胸の奥に穴を空け続けるだろう。

でも、少なくとも今、この青空の下で、彼らは、その悲しみを抱えながらも、確かに生きていること、そして、お互いを支え合いながら、前へ進んでいることを、あの子に、静かに報告できた。それは、何よりの供養だったかもしれない。


帰りの電車は、夕方の柔らかな光に包まれ、ゆっくりと都心へ向かっていた。車内は、退勤ラッシュ前の、比較的空いた時間帯だった。

ことりは、窓際の席に座り、外を流れる街並みをぼんやりと眺めていた。一日の緊張と、深い感慨からくる疲労が、じわじわと体に広がってくる。温かい日差しが、窓から差し込み、彼女の顔を優しく照らす。瞼が、次第に重くなっていく。

彼女の頭が、かすかに、前へ、そして横へ、ゆらりと傾く。

その時、隣に座っていたはるかが、そっと手を伸ばした。彼は、ことりの頭を、ごく自然に、自分の肩の方へ、そっと導くように動かした。乱暴な動きではない。ただ、彼女が窓ガラスに頭をぶつけたり、変な姿勢で寝て首を痛めたりしないように、という配慮だった。

ことりの頭が、はるかの肩に、ごく自然に寄りかかる。彼女は、微かにうめき声のようなものを漏らすが、目は開かない。深い眠りに落ちている。

はるかは、彼女の寝顔を一瞥し、それから、再び前方を見つめた。表情は変わらない。しかし、彼の肩に預けられた、ことりのほんのりとした重みと温もりを、確かに感じている。

向かい側の席に座る大輔が、その光景を目にし、ほっこりとした笑みを浮かべた。彼は、何も言わず、そっと窓の外へと目をやった。電車が高架を走り、遠くに広がる街並みと、夕焼けに染まり始めた空が、ゆっくりと流れていく。

電車は、ガタン、ゴトンと、規則的なリズムで走り続ける。車内アナウンスが、かすかに響く。他の乗客の話し声。全てが、ありふれた、日常のざわめきだ。

はるかは、目を閉じ、ことりの寝息と、電車の振動、そして、自身の胸の奥で静かにうごめく、重い“何か”を、同時に感じていた。苦しみは消えない。戦いは続く。でも、今、この瞬間、隣で眠る少女の温もりと、向かいで寛ぐ男の存在が、彼の内側の冷たさと闇を、ほんの少しだけ、確かに和らげている。

電車は、夕闇の始まる街を、確かなスピードで進んでいく。行き先は、騒がしく、煩わしく、そして、どこか温かい、あの小さな事務所のある街角だ。これからも、無数の“声”との出会いと別れ、些細な喧嘩と笑い、業痕の疼きと、ことりのうるさいおしゃべりが、待ち受けている。

はるかは、そっと目を開けた。窓に映る、ことりの寝顔と、彼自身の、やつれたが確かな目が、かすかに重なって見える。

(たま……)

(お前の分まで……生きてみせる)

(この、うるさい日常を、抱きしめてな)

彼は、ごくわずかに、しかし確かに、口元を緩めた。それは、笑顔と呼べるほど明るいものではない。しかし、深い悲しみと静かな決意、そして、かすかな希望が混ざり合った、彼だけの表情だった。

電車は、夕焼けに染まる線路を、これからも続く、長い長い日常へと、ゆっくりと、しかし確実に、走り続けていく。

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