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残された声のゆくえ~最後の声、届けます~送り人、趙はるかの記録~  作者: 「大和 尚羅夢」小花羅夢一生推し


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悪夢、繋いだ手、そして前へ進む独白

はるかの傷は、ゆっくりと、しかし確実に癒えつつあった。胸の傷跡は、手術の痕と、かすかな業痕のうっすらとした灰色が混ざり、新しい皮膚で覆われ始めている。動きにはまだぎこちなさが残り、重いものを持ったり、急に動いたりすると、鋭い疼きが走る。それでも、彼は、再び“送り人”としての仕事に、少しずつ戻り始めていた。

依頼は、大輔がより慎重に選んだ、ごく弱い“業”を対象としたものに限られていた。しかし、以前とは明らかにやり方が変わっていた。

はるかは、もはや一人で仕事に没頭しない。ことりが、必ず傍らにいた。彼女は、たまから学んだ基礎と、自身の目覚めた浄化の力を駆使し、はるかが共感に入る前に対象物を軽く浄化し、リスクを軽減する。そして、はるかが共感中、彼の表情や体のわずかな震えに目を光らせ、異常があればすぐに浄化の光をそっと当て、彼を現実へ引き戻す手助けをする。

最初はぎこちなかった二人の連携も、日を追うごとに、無言のうちに研ぎ澄まされていった。はるかが微かに眉をひそめれば、ことりは対象物から漂う“業”の質(悲哀か、怒りか、未練か)を瞬時に見極め、適切な浄化の“強さ”と“範囲”を調整する。はるかも、ことりの浄化のリズムを感じ取り、それに合わせて共感の深度を調節する。

ある時、はるかが、一枚の古い手紙の共感を終え、静かに目を開けた。ことりが、そっとタオルを差し出した。彼はそれを受け取り、額の汗を拭いながら、ふと口を開いた。

「……“浄化”の力、対象の“感情の色”によって、微妙に波長を変えるんだな」

それは、観察結果の淡々とした報告だった。褒め言葉でも、驚きの表現でもない。しかし、ことりの目が、ぱっと輝いた。彼女の努力と観察が、彼に“見られ”、そして“認識”されたのだ。

「うん!」ことりが嬉しそうにうなずく。「悲しい感じの時は、優しく包み込むように。怒っている感じの時は、少し強く、でも乱暴じゃなく、鎮めるように……たまさんが、そう教えてくれた」

“たま”の名が、自然にことりの口から出た。一瞬、空気がかすかに張りつめる。ことりは、慌てて口を押さえた。

しかし、はるかは、特に動揺した様子もなく、ごくわずかにうなずいただけだった。「……あいつは、そういう細かいところまで、考えていたんだ」

その言葉には、深い悲しみがにじんでいたが、以前のような、感情を完全に遮断するような虚ろさはなかった。ただ、事実を認め、受け止めている、静かな響きだった。

彼は、時折、ことりに、共感の“微調整”について、短い言葉で指示を出すようになった。

「浅く。表面だけ。」

「ここの“ひっかかり”に、集中するな。流れに任せろ。」

「今の、浄化、強すぎる。戻せ。」

ことりは、その一つ一つの指示を、真剣に聞き、実行する。ある日、彼女が、はるかの指示通りに浄化の力を微妙に弱めた時、対象のブローチから、これまで感じられなかった、かすかな“感謝”の気配が浮かび上がってきた。彼女は、思わず息をのんだ。

「……ほんとだ……優しく触れると、違う“声”が聞こえる……」

はるかは、彼女の驚いた顔を一瞥し、それから、うつむくようにして、ごく低い声で言った。

「……共感は、無理やり聞き取ることじゃない。相手が、聞いてほしい“声”を、待つ作業だ」

その言葉は、彼自身が、師父や、たまから、そして数えきれないほどの“業”との対話を通じて学び、苦しみながら体得してきたものだった。それを、今、ことりに伝えている。

ことりは、真剣な表情ではるかを見つめ、こくんと深くうなずいた。

「……うん。わかった」


日常生活も、かすかに、しかし確実に彩りを取り戻し始めていた。

ことりの料理の腕は、まだ“美味”と呼ぶには程遠いが、明らかに“殺人的”な領域からは脱却していた。焦げ目なしの目玉焼き。適度な固さのご飯。味噌汁の味付けも、まずくはなくなった。彼女は、はるかがご飯を一口多く食べたり、味噌汁を残さず飲んだりすると、こっそり、しかし確実に、小さな満足の笑みを浮かべる。

三人で食卓を囲むことも、少しずつ増えていた。大輔が、外で聞いてきたどうでもいい噂話や、くだらないギャグを、相変わらずの関西弁でまくし立てる。ことりは、最初は遠慮がちに笑っていたが、次第に、大きく笑い転げることもあった。その笑い声は、かつてのような無邪気で騒がしいものではない。どこか、大人びた、しかし芯から楽しんでいる、温かい笑い声だった。

はるかは、ほとんど相槌を打たない。黙って食べ続ける。しかし、大輔のあまりに間の抜けたギャグにことりがゲラゲラ笑い、むせて咳き込んでいる時、彼の口元が、ほんの一瞬、かすかに、引きつるような動きを見せた。それは、笑顔とは程遠い、筋肉の微細な痙攣に過ぎないかもしれない。しかし、ことりも大輔も、その一瞬の変化を見逃さなかった。二人は、目配せし、口には出さず、ただ、そっと心の中で、小さな拳を握りしめた。

夜、はるかが窓辺に立ち、外の闇を見つめている時間は、以前より確実に短くなっていた。彼は、本を読む(依頼に関連する古籍ではなく、何の変哲もない小説や雑誌)、あるいは、ことりが買ってきた観葉植物の水やりを、無言でこなすようになっていた。それは、彼が“生きる”という行為そのものに、再び、ほんのわずかでも意識を向け始めている証だった。

しかし、すべてが順調に進んでいるわけではなかった。傷は、目に見える肉体だけのものではなかった。


ある深夜、ことりは、金切り声のような悲鳴で目を覚ました。

彼女は、ベッドの上で飛び起き、息を荒げ、全身を震わせていた。額には冷や汗がべっとりとつき、胸は鼓動で高鳴っている。視界はぼやけ、耳鳴りがする。まだ、夢の中にいるような、現実と悪夢の境界が溶けかかった感覚。

夢の内容——いや、それは、夢というより、追体験だった。

あの、たまが光へと変わり、消えていく瞬間。金色に輝く光の粒。彼女の、あまりに美しく、悲しい笑顔。そして、はるかの、絶望に歪み、何も掴めずに虚空へ手を伸ばす姿。ことり自身が、その場に立ち尽くし、声も出せず、ただ見ているだけの無力な自分。その光景が、今回は、より鮮明に、より詳細に、そして、はるかとたまの感情までもが、直接的に流れ込んでくるような形で、彼女の脳裏に焼き付いていた。

彼女は、布団をぎゅっと握りしめ、声を押し殺して泣き始めた。嗚咽が、喉の奥でつかえ、苦しい。あの時、自分は何もできなかった。今、この夢の中でさえ、何もできない。ただ、繰り返し、繰り返し、あの喪失の瞬間を見せつけられるだけ。

彼女の部屋のドアの外、廊下で、かすかな足音が止まった。

はるかが、ことりの悲鳴で目を覚ましていた。彼は、ベッドに横たわったまま、暗闇の中、天井を見つめていた。心臓が、少しだけ速く打っている。ことりの悲鳴が、彼自身の胸の奥の、まだ癒えぬ傷に、鈍い共鳴を起こさせた。

彼は、ゆっくりと起き上がった。寝室を出、ことりの部屋の前まで来た。中から、かすかに、しかし激しく震える泣き声が漏れ聞こえる。それは、昼間の明るくしっかりしたことりからは、想像もできないほど、幼く、打ちのめされたような声だった。

彼は、ドアの前に立ったまま、動かなかった。数分間、ただ、彼女の泣き声を聞いていた。その声は、彼自身が湖で泣き叫んだ、あの夜の記憶を、かすかによみがえらせた。苦しみ。無力感。そして、誰かに、ただ傍にいてほしいという、あまりに切実な願い。

彼は、そっと、ドアノブに手をかけた。鍵はかかっていない。ゆっくりと、音を立てないようにドアを押し開けた。

部屋の中は、薄暗かった。カーテンの隙間から差し込む街路灯の光が、ことりのベッドの輪郭をぼんやりと浮かび上がらせている。彼女は、布団の中で丸まり、肩を激しく震わせていた。顔は枕に埋もれ、声を押し殺した嗚咽が、布地を通してかすかに響く。

はるかは、無言でベッドの傍らに歩み寄り、腰を下ろした。ベッドの縁が、わずかに沈む。ことりの震えが、一瞬、強くなる。気づいているのだ。

彼は、何も言わない。ただ、そこに座っている。彼の目は、暗闇の中で、ことりの震える背中を見つめている。長い沈黙。彼女の泣き声だけが、小さな部屋に満ちている。

そして、はるかは、ゆっくりと手を伸ばした。彼女の布団から少しはみ出した、冷たく、震えている手に触れる。彼の指は、まだいつもより少し冷たい。しかし、ことりの手は、それ以上に氷のように冷たかった。

彼の手が触れた瞬間、ことりの体が、ぴくりと大きく震えた。彼女は、泣き声を止め、息をのんだ。しかし、手を引っ込めたりはしない。

はるかは、ためらうように、彼女の手を、そっと、自分の掌に包み込んだ。ぎゅっと握るわけでもない。ただ、包み、温めようとするような、かすかな接触だ。

その温もり——ほんのりとした、生身の体温——が、ことりの冷たい手のひらに伝わる。

次の瞬間、ことりが、その手を、逆にぎゅうっと強く握り返した。力いっぱいだった。まるで、今にも沈みそうな深淵から、唯一のロープにしがみつくように。彼女の握力は驚くほど強く、はるかの指の関節がきしむほどだった。

ことりは、顔を上げない。目を開けない。ただ、はるかの手を、必死に握りしめ、再び声を押し殺した泣き声を漏らす。でも、さっきまでの絶望的な嗚咽とは、少し違う。どこか、安堵が混ざっているように聞こえた。独りじゃない。誰かが、そばにいて、この冷たい手を握っていてくれる。

はるかは、その握られる手に、微かに力を込めて返した。それ以上は何もしない。ただ、座り、彼女の手を握り、彼女の泣き声が次第に細く、やがてかすかな啜り泣きに変わり、そして、深い、疲れ切った眠りへと落ちていくのを、感じているだけだ。

彼女の握る力が、ゆるゆると緩んでいった。呼吸が深く、規則的になる。彼女は、再び眠りに落ちた。しかし、彼女の手は、はるかの手から、離さなかった。無意識に、かすかに、しかし確かに、握りしめていた。

はるかは、そのままの姿勢で、長い時間、動かなかった。腕が痺れ、背中が痛んできた。それでも、彼は立ち上がらなかった。彼女の手の温もりと、わずかな震えを感じながら、ただ、暗闇の中に座り続けた。窓の外では、夜明け前の一番暗い時間が、静かに過ぎていった。


朝、ことりが目を覚ました時、まず感じたのは、右手の、確かな温もりと、重みだった。

彼女は、ぼんやりと目を開け、自分の手を見下ろした。彼女の手は、はるかの、大きく、骨ばった手に、しっかりと包まれていた。彼の手のひらは、暖かく、少し湿っている。彼女の手の甲には、彼の指の形が、かすかに白く跡づけられていた。

一瞬、ことりは理解できなかった。そして、昨夜の悪夢と、泣き声、そして、ドアが開く音、傍らに座る影、そっと握られた手の感触——全てが、一気によみがえってきた。

「……!」

彼女の顔が、一気に熱くなる。耳の先まで真っ赤に染まった。彼女は、飛び上がるようにして手を引っ込めようとした。しかし、はるかの手は、彼女が動いたのを感じて、自然に、しかしぱっと力を緩め、離した。

ことりは、ベッドから跳ね起き、はるかをちらりと見た。彼は、まだベッドの縁に座り、彼女を見つめ返している。表情は、相変わらず無表情に近い。しかし、目には、深い疲労と、ほんのわずかな、彼女には読み取れない感情が浮かんでいるようだった。

「ご、ごめんなさい!」ことりが、早口で言う。声がかすれている。「う、うなされちゃって……それで……その……」

彼女は、言葉に詰まった。何て言えばいいのかわからない。謝ること? 感謝すること? どちらも、あまりに重く、ぎこちない。

はるかは、無言でゆっくりと立ち上がった。背中をわずかに伸ばし、こわばった肩を回す。彼は、ことりに何も言わず、そっとうなずくと、部屋を静かに出ていった。ドアを閉める音も、ほとんどしなかった。

ことりは、その場にぽつんと立ち、握られていた右手を、そっと胸に当てた。そこには、まだ、はるかの手のひらの、かすかな温もりが残っていた。そして、彼女自身の、速すぎる鼓動。

その日一日、二人の間には、微妙な気まずい空気が流れた。目が合うと、すぐにそらす。必要最低限の会話だけ。ことりは、朝食の準備中、フライパンを落としそうになり、はるかは、コーヒーカップに砂糖を入れ忘れた(彼は普段、砂糖を入れない)。

でも、何かが、確実に変わっていた。以前のような、はるかを気遣い、遠巻きに見守るだけの距離感ではなかった。昨夜、あの暗闇の中で、手を握り合った、あまりにも生々しい“接触”が、二人の間に、目に見えない、しかし確かな繋がりを作り出していた。それは、恋愛感情とも、家族の情とも少し違う。同じ深い傷を負い、同じ喪失を抱え、それでもなんとか前に進もうとしている者同士の、共犯者的な絆——そんなものに近かった。

大輔は、朝食の席で、二人のぎこちない様子を一瞥し、鼻の頭をこすりながら、何も言わずに関西弁の雑談を始めた。彼は、空気を読むのがうまい男だった。今、無理に話題にすることは、二人にとって負担でしかないことを、よくわかっていた。


その夜、はるかは、再び窓辺に立っていた。外は、深い静寂に包まれている。左手で、無意識に、右手の手のひらを、ゆっくりとこすっていた。昨夜、ことりがぎゅっと握りしめた、あの感触。彼女の冷たさ。震え。そして、最後に、ほんのりと伝わってきた、安堵の眠りにつく温もり。

彼は、窓ガラスに映る、自分自身のぼんやりとした影を見つめた。痩せこけ、目の下に隈があり、右肩から胸にかけて醜い業痕が刻まれた、みすぼらしい男の影。

彼は、ごく低い声で、独り言のように呟いた。声は、窓ガラスに吸い込まれ、外には漏れない。

「……たま……」

その名前を口にするだけで、胸の奥が、鋭く疼いた。あの穴は、まだ塞がっていない。彼女の笑い声。彼女の涙。彼女の、最後の微笑み。全てが、鮮明に、痛みと共によみがえる。

「……やっぱり……笑って……生きていくなんて……できそうにない」

彼は、そっと胸の、傷跡のあたりに手を当てた。皮膚の下で、心臓が、鈍く、重く打っている。

「ここは……相変わらず……ぽっかり空いて……風が通り抜けていくな……」

彼は、目を閉じた。深いため息が、白い息となって、冷たい窓ガラスにゆらりと広がる。

その時、階下のキッチンから、ことりと大輔の声がかすかに聞こえてきた。夕食の片付けについての、些細な言い争いだ。ことりが「パパ、それ洗い方間違ってる!」と言い、大輔が「うるさいな、これでええねん!」と関西弁で返す。ぶつかり合うような会話。でも、そこには、確かな“生活”の雑音があった。

はるかは、目を開け、そちらを一瞥した。そして、再び、窓の外の闇を見つめながら、続ける。

「……でも……」

彼の声は、かすかに、しかし確実に、ほんのわずかながら、柔らかさを帯びていた。

「……こっちの“音”が……ほんの少し……聞こえるようになってきた」

「一歩……だけ……前に……進める……気がする」

彼は、深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。白い息が、窓ガラスに、小さな曇りを作る。

「……これで……いいのか……な……」

質問は、窓に映る自分自身へでも、もういない彼女へでも、あるいは、このまま歩みを進めていく未来へ向けられたものだった。答えは、まだない。ただ、彼は、再び、静かな夜の帳に包まれた自室へと戻り、ベッドに横たわった。右手のひらには、ことりの握りしめた、かすかな感覚が、まだ、ほんのりと残っていた。

窓の外では、星一つない、深く冷たい夜が、いつまでも続いているようだった。でも、その闇の底から、ほんのわずかな、かすかな光——それは、新しい一日の始まりを告げる光でも、心のうちに灯り始めた小さな灯りでもあるような——が、東の空の果てに、忍び寄り始めている気がした。

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