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残された声のゆくえ~最後の声、届けます~送り人、趙はるかの記録~  作者: 「大和 尚羅夢」小花羅夢一生推し


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血脈、業、そして守りの誓い

第二十六章 血脈、業、そして守りの誓い


ことりの身世が明らかになって以来、「七星堂」には、ほんのわずかながら、新たな緊張感が加わっていた。大輔は、かつてないほど警戒を強め、ことりの外出を極力制限し、自らもかつての情報網を総動員して、ことりの一族「浄明」を滅ぼしたとされる「業食い」たちの動向を探り始めた。はるかも、無言ながら、ことりの周囲に対する感覚を、以前より研ぎ澄ませているようだった。彼の目は、相変わらず深い悲しみをたたえているが、ことりが視界から消えると、無意識に探すような一瞥を投げかけることがあった。

ことり自身は、戸惑いと覚醒の入り混じった複雑な心境だった。自分に流れる血、その力、そしてそのために滅ぼされた一族。それは重すぎる現実だった。でも、大輔の、ぎこちないながらも確かな守る姿勢。はるかの、少しずつだが確実に戻りつつある“気配”。そして、何より、たまが彼女に託してくれた知識と、あの小さな御守り。それらが、彼女を押しつぶすのではなく、支える礎となっていた。

彼女は、たまから教わった結界術と浄化の技法を、毎夜、こっそりと練習していた。最初はうまくいかなかった呼吸法や霊力の巡らせ方も、少しずつ、体に馴染んできていた。彼女の浄化の力は、以前より確かにコントロールしやすくなり、範囲も広がっていた。それは、自らの運命を受け入れ、そして、守りたいもののためにその力を使おうとする、彼女自身の覚悟の表れでもあった。

そのような、かすかな希望と、重い緊張が入り混じったある夜、襲撃は起こった。


深夜、ことりが自室で結界の練習を終え、ほっと一息ついた瞬間だった。

部屋の空気が、みるみると重く、冷たくなっていく。窓の外から差し込む街路灯の光が、不気味に歪み、揺らめく。そして、かすかに、腐敗した花と、錆びた鉄の混ざったような、悪臭が漂い始めた。

ことりは、すぐに異変を感知した。背筋が凍りつく。これは、普通の“業”の気配ではない。より濃厚で、より悪意に満ち、そして、どうしようもなく穢れた感触がする。そして、その悪意が、彼女自身を、強く、強く引きつけているのを感じた。まるで、蜜に群がるハチのように、彼女の“浄化”の力そのものに、飢え、惹かれているかのようだ。

「……っ!」

彼女は、飛び起き、ドアへと駆け寄ろうとした。たまから教わった、最も基礎的な防御結界を張ろうと、指を動かす。

その時、部屋の壁——それは外界に面した壁ではなかった——から、漆黒の、粘り気のある影が、にじみ出るようにして現れた。影は、みるみると大きくなり、不気味にうごめきながら、人間の形——いや、かつて人間だったものが、無理やり歪められ、獣のように四つんばいになったような、気味の悪い形へと変化していく。頭部には、目らしきものが三つ、不規則に開いており、それぞれが違う方向を向き、狂ったようにきょろきょろと動いている。口は裂け、そこからは、声にならないうめき声と、先程の悪臭が噴き出している。

“業”に深く汚染され、理性を失った霊体。否、もはや“霊体”と呼べるかどうかも怪しい、穢れそのものの塊だった。

ことりの張ろうとした結界が、その影の放つ穢れのオーラに触れると、ぱちぱちと火花を散らし、脆くも崩れた。彼女の力が、逆に刺激となり、影をさらに狂暴にさせたようだ。

「ぎゃああああ——!!!」

影が、耳をつんざくような、非人間的な咆哮を上げ、ことりめがけて突進してきた。

「ことり!!」

階下から、大輔の怒鳴り声と、階段を駆け上がる足音。ほぼ同時に、隣室のドアが勢いよく開き、はるかが飛び出してきた。彼は、寝間着のままだったが、目は完全に覚めており、その虚ろさは一瞬で消え、鋭い戦意に変わっていた。彼の右手の業痕が、暗紅色に不気味に光る。

影は、ことりにまであと数メートル。その腐臭と悪意が、ことりの喉を締め付ける。

はるかが、ことりの前に滑り込むようにして立ちはだかった。彼は、何の武器も持っていない。ただ、両手を前に掲げ、自分自身を盾とするしかない。彼の共感能力が、この穢れた存在に触れることの危険性は、彼自身が一番よくわかっている。それでも、彼は動かなかった。

影の爪——漆黒のオーラで形作られた、鋭い鉤爪——が、はるかの胸元めがけて振り下ろされる。

はるかは、ぎりぎりで体をひねり、爪をかわそうとする。しかし、影の動きは予想以上に速く、変幻自在だ。かわしたつもりの爪の軌道が、突然ねじれ、はるかの左胸——心臓のわずかに上を、えぐるようにかすめた。

ずぶっ!

鈍い、肉を裂く音。

はるかの体が、一瞬、空中に浮く。彼の目が見開かれる。痛みというより、衝撃で、息が止まった。左胸から、温かい液体が噴き出す。それは、血の色ですらなく、血と、黒いオーラと、彼自身の業痕から漏れる暗い光が混ざり合った、不気味な色をしていた。彼は、その場に崩れ落ち、背中を床に打ちつける。咳き込み、鮮血を口から吐く。左胸の傷からは、黒い煙のようなものと共に、さらなる血が涌き出ている。彼の全身の業痕が、一斉に激しく脈打ち、閃光を放つ。彼が内に封じ込めていた“業”が、この外傷と、穢れの侵入によって、暴走の危機に瀕している。

「趙さん!!」

ことりの悲鳴。彼女は、はるかが倒れ、血の海に横たわるのを見た。彼の目は、苦悶に歪み、もう焦点が合っていない。

その時、大輔が部屋に飛び込んできた。彼の手には、霊力を込めた金属バット。彼は、一瞥ではるかの重傷を見て取り、顔を強く歪ませるが、攻撃を止めない。影が、はるかを倒した勢いで次の標的——ことりへと向き直ろうとした瞬間、大輔が渾身の力を込めてバットを振るった。

「この穢れったれがぁ——っ!!」

バットが、影の側面を強打する。鈍い衝撃音。影は、うめき声を上げ、よろめく。しかし、その傷は浅い。むしろ、大輔の攻撃が、影の注意を完全に引きつけた。

影の三つの目が、一斉に大輔に向けられる。そして、より大きな咆哮を上げ、今度は大輔に襲いかかろうとする。

ことりは、その光景を、ぼうっと見つめていた。はるかが倒れ、血を流している。大輔が必死に戦っている。全てが、遅すぎる。全てが、無力だ。彼女の練習した結界など、なんの役にも立たなかった。彼女の浄化の力は、逆に敵を呼び寄せただけだ。

(だめ……また……)

(私のせいで……趙さんが……パパまで……)

(たまさん……私……何も……)

絶望が、彼女の心を、冷たく、暗く覆い尽くそうとする。

その時、彼女の視界の端に、倒れたはるかの、わずかに動く指が入った。彼は、まだ意識があるのか。あるいは、無意識の痙攣か。彼の指が、床の上で、かすかに、震えながら、彼女の方を、必死に指さしているように見えた。

その一瞬の動きが、ことりの、凍りつきかけた思考と感情を、一気に点火した。

(だめ……!)

(ここで……立ち止まって……だめだ!)

(私が……動かなきゃ!)

彼女の内側で、何かが、はじけるように沸き上がった。

今まで感じたことのない、温かく、そして強大な力が、彼女の丹田から、一気に全身を駆け巡る。それは、たまから教わった、制御された霊力の流れとは、全く次元の違うものだった。より根源的で、より純粋で、そして、彼女自身の血そのものから涌き出してくるような力だった。

「あ……あああああ———!!!」

ことりは、思わず声を上げた。その声は、悲鳴でも、怒りでもなかった。覚醒の叫びだった。

彼女の全身から、柔らかく、しかし圧倒的に清らかな白い光が、爆発的に放たれた。それは、閃光のように眩しいものではなく、深い夜に静かに灯る満月の光のように、部屋全体を、優しく、しかし確実に包み込んでいく。光は、物を焼くことも、壊すこともない。ただ、そこにある全ての“穢れ”を、洗い流し、浄化し、癒やす。

その光に照らされ、狂暴にうごめいていた影が、突然、動きを止めた。

影の表面を覆っていた漆黒のオーラが、みるみると白い光に洗われ、剥がれ落ちていく。まるで、長年の汚れが漂白剤に触れて落ちるように。影は、苦痛に体をよじり、うめき声を上げる。しかし、そのうめき声も、次第に、狂暴さを失い、ただの悲しみに満ちた呻きへと変わっていく。

黒いオーラが完全に剥がれ落ちると、そこには、二つの、かすかに光る人影が現れていた。それは、若い男女だった。二人は、互いに寄り添い、抱き合うようにして立っている。彼らの顔は、悲しみに曇り、しかし、ことりの放つ白い光を見つめるその目には、深い安堵と、愛おしさが満ちていた。

ことりは、息をのんだ。その男女の顔——彼らは、彼女がこれまでに見たことのない、しかし、どこか懐かしい顔立ちをしていた。

光の中、女性の方が、口をわずかに開いた。声は、かすかで、風のように揺らめくが、ことりの心に、直接、響いてくる。

「……あの子……ごめんね……ひとりぼっちに……して……」

その言葉に、ことりの涙が、一気に溢れた。なぜだか、わからない。でも、この人たちが、誰なのか、彼女の心が、叫んでいる。

男性が、続ける。その声も、優しく、そして深く疲れている。

「私たち……“浄明”の……最後の生き残り……あなたの……本当の親だ……」

ことりの体が、激しく震える。本当の……親……

「昔……私たちの血の力を……奪おうとする“業食い”どもに……一族は滅ぼされた……」

女性の声が、苦痛に震える。

「私たちは……お前だけは……と……逃がした……剣崎に……託した……」

“業食い”。大輔が恐れていたもの。一族を滅ぼした敵。そして、この両親の残留思念が、長い年月、その“業食い”の穢れた術法に捕らえられ、汚染され、歪められ、ついには自分たちの娘を攻撃する凶器と化していたのだ。

「この……穢れた思いが……お前を傷つけようとして……本当に……ごめん……」

男性が、深くうつむく。彼らの体は、白い光の中で、さらに透き通っていく。ことりの浄化の光が、彼らにまとわりついた最後の穢れと、長い苦しみを、静かに解きほぐしている。

ことりは、震える声で、必死に言葉を紡いだ。

「ちがう……ひとりじゃ……ないよ……」

彼女は、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、倒れたはるかと、必死に結界を張って二人を守ろうとする大輔の方を一瞥する。

「パパが……いる……趙さんが……いる……」

「たまさんも……いた……」

「私……幸せ……ほんとうに……幸せだった……」

彼女の言葉に、光の中の両親の表情が、一瞬、緩んだ。悲しみの中に、かすかな、しかし確かな笑みが浮かぶ。

そして、二人は、ゆっくりと、大輔とはるかの方へ、顔を向けた。そして、そっと、深々と頭を下げた。

「ありがとう……ございます……」

二人の声が、重なる。

「この子を……よろしく……お願いします……」

その礼が終わると、二人の体は、完全に光へと変わった。そして、その光は、無数の温かい光の粒となり、ことりの放つ浄化の光と混ざり合い、ゆっくりと、彼女の体の中へと、吸い込まれていった。

ことりは、その光の粒が、胸の奥深くに染み込んでいくのを感じた。温かい。悲しい。そして、どこか、とても軽い。長い間、彼らを縛りつけていた穢れと苦痛から、解放された安らぎが、彼女にも伝わってくる。

同時に、彼女の内側で、力が確実に増大していくのを感じた。それは、彼女自身の力と、両親が最後に遺した、浄化の本質とも言える純粋な“想い”が融合した、新たな力だった。重い。責任の重さを痛感するほどの重さだ。でも、それを、しっかりと支え、前に進むための力でもあった。

部屋の光が、次第に収まっていく。穢れの気配は、完全に消えていた。床に倒れたはるかの周りの血も、黒いオーラの汚れは消え、普通の(しかし大量の)鮮血となっていた。はるかは、まだ意識を失っているが、呼吸はかすかに続いている。傷口から血が流れ出る勢いも、ことりの光に触れて、ほんの少しではあるが、緩やかになっているように見えた。

大輔は、結界を解き、息を切らしながらはるかの元へ駆け寄った。彼は、はるかの傷口を素早く確認し、顔を強く歪ませる。

「……くそ……深い……でも……心臓は……かすってるだけ……みたいや……」

彼は、慌てて止血の処置を始めると同時に、ことりの方を振り返った。彼女は、まだその場に立ち、ぼんやりと自分の手のひらを見つめていた。彼女の体からは、まだかすかに白い光の残滓が漂っている。

大輔の目に、複雑な表情がよぎる。驚き、心配、そして、避けられない運命への諦めに似た感情。

「……あの霊体……ことりの……本当の親か……」

彼の関西弁は、重く、疲れ切っている。

「やっぱり……その力……目をつけられる運命からは……逃れられへんかったんやな……」

その言葉に、ことりは、ゆっくりと顔を上げた。彼女の目は、涙で腫れ、まだ赤い。しかし、その奥に灯る光は、確固たる決意に満ちていた。もはや、迷いや恐怖の色は微塵もない。

「パパ」ことりの声は、少し嗄れているが、しっかりと響く。「怖くない」

大輔は、きょとんとした表情で彼女を見つめる。

ことりは、続ける。

「たまさんが、力のコントロールの仕方、教えてくれた。それに……」

彼女は、そっと、倒れたはるかの方へ歩み寄り、その傍らにひざまずいた。そして、彼の、冷たくなりかけた、血に濡れていない方の手を、そっと自分の両手で包み込んだ。彼女の手から、かすかな温もりと、浄化の光の名残が、はるかの体に染み渡っていくように感じられた。

彼女は、はるかの苦悶に歪んだ寝顔を見つめながら、しかし、その言葉は、大輔に向けられ、そして、自分自身への誓いのように、静かに、しかし力強く宣言した。

「今度は……私が、彼を守る」

「パパも、『七星堂』も、たまさんが命かけて守ったこの世界も……」

彼女は、深く息を吸い込み、目を閉じる。そして、開ける。その瞳には、たまが最期に見せた、あの深い覚悟に似た輝きが、静かに、しかし確かに燃えていた。

「——これが、私の、“理”だから」

部屋には、重い沈黙が流れた。ただ、はるかの浅い呼吸音と、遠くで聞こえる救急車のサイレン(大輔が駆け込む前に既に通報していた)の音だけが響く。

大輔は、ことりの、あまりに凛とした側顔をじっと見つめていた。そして、ゆっくりと、深くうなずいた。彼の目尻が、かすかに熱くなったが、彼はこらえた。父親は、娘の成長を、ただ、静かに見守るしかない時がある。

夜明け前の薄明かりが、壊れた窓から差し込み、血と戦いの跡に満ちた部屋を、かすかに照らし始めていた。長く暗い夜は、まだ終わっていない。しかし、この部屋で、一人の少女が、確かな覚悟をもって、新たな夜明けに立ち向かう姿勢を、固く定めた瞬間だった。

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