33話 悪癖
三人は緊張した面持ちで猪介に注目した。
密閉された稽古場の空気が、じわじわと重みを増していく。
「とはいえ…私もあまり理解できていないので、すみません。」
猪介は手元の資料に視線を移し、会釈した。
「まず、総評としては悪くありません。プロデューサーとルミさん共に未経験者としては、上出来だと言っていただけました。」
「……未経験者としては…」
城は瞳を静かに揺らしたが、言葉はそこで途切れた。
「そして癖についてですが、私には説明が難しかったので…参考として、映像を用意しました。」
猪介が書類と共に抱えていたタブレットを開くと、三人はそれを覗き込む。
サムネイルにはルミが表示されている。
しかし、かなりの引きで撮られており、服装のシルエットから辛うじて推測できる程度だ。
「ルミさんのライブを観たことはありますか?」
城と良磨は首を横に振り、羊太郎だけが縦に大きく頷いた。
「今でこそソロですが、あにまるzooは元々五人組のユニットでした。当時の形式を受け継ぐためか…ルミさんはライブ中、他メンバーがいるように振る舞うことがあります。」
「あー!多いよね!!誰かに引っ張られたみたいによろけたりとか!」
羊太郎の同意に、城は「へぇ」と笑顔を浮かべる。
「はい。それを踏まえた上で、こちらをご覧…いや、よく聞いて下さい。」
再生が始まる。
ルミの手には竹ぼうきが握られていた。
落ち着かない様子で、舞台上をぐるぐると歩き回っている。
『ここからで…いいんですよね…?』
ぴたりと止まると、その場で小さく頷く。
『始めますね…!』
会場はしんと静まり返り、彼女は不安そうに舞台裏を覗き込むような仕草を見せた。
『始めますねー』
恐る恐る投げかけた彼女の言葉へ返答はなく、力なく肩を落とす。
しかし、すぐさま身を持ち直し、自分を鼓舞するかのように首を横に振った。
ツインテールが大袈裟に揺れるのを、慣れた手つきであしらうと客席へ向き直る。
『始めますねー!』
ルミの呼びかけに観客が応える。
その声に彼女はようやく安心し、竹ぼうきで床を撫でつける。
同時にイントロが流れ出し、客席から耳をつんざくような歓声が溢れた。
猪介が再生を止めると、羊太郎は身を乗り出した。
「セカンドシングルの時のやつ!!」
「はい。ルミさんのセリフ、三度同じものが続きました。」
「客の乗せ方みたいな話ですか?」
良磨があっけらかんと問いかけると、猪介は眉を顰め視線を逸らした。
「……いえ、違います。それぞれのセリフ、誰に向けてだと思いますか?」
「……誰に?」
城が首を傾げる。
「はいはーい!最初が独り言で、次が裏の人、最後が僕ら観客でしょ!」
「はい。」
楽しげに声を弾ませる羊太郎に対して、猪介は至って冷静に返答した。
しかしそこから発言が途切れ、張り詰めたような沈黙が続く。
三人が猪介の次の言葉を待っていると、彼は気まずそうにため息を吐いた。
「すみません、私が本当によくわかっていなくて…」
「全然っすよ!?」
「気にしないでください…!」
良磨と城のフォローの横から、羊太郎が割って入った。
「それでぇ、僕らの癖ってなんなのー?」
「…このルミさんのセリフ、読み方だけで誰に向けたかがわかるようになっています。」
「そうですね…」
「これを、演劇的には一人称、二人称…などと呼ぶらしいのですが…」
再び言葉が途切れてしまった猪介を、三人はじっと待った。
「城さんが…」
「へ?あっ!はい!」
「一人称でしか話せていないと、羊太郎さんは三人称に偏っている…だそうです。」
「そーいうことー!」
羊太郎は納得したように手を打ったが、良磨と城は緊張を保ったまま顔を見合わせた。
「良磨さんは全てできているにも関わらず、見せ場が作れていないとの事でした。」
「見せ場すか…んー…?」
「それで、」
猪介はしばらく一点を見つめ固まっていた。
やがて力なく肩を落とすと、三人に向き直った。
「これが、無意識の決定的な癖らしいのです。しかし…解決策を用意できていないんです。私が理解できておらず…すみません。」
「え、ルミちゃんたちはなんて?」
「…とにかく数をこなせと」
猪介が目を逸らすと、羊太郎は声を上げて笑った。
「めちゃ体育会系〜!!」
「ま、感覚の問題なら数以外ないっすよね!」
「…そうだね、とりあえず俺は自覚しなきゃ。」
「練習中の風景はなるべく撮影して、フィードバックを共有しますので…」
稽古場の空気はふっと軽くなった。
だが、その中で一人、城は重たげなまつ毛を下げ、思い悩んでいた。
猪介がその様子を注意深く観察していると、彼はどこか遠くを見つめたまま話し始めた。
「…きっと、俺に気を使うから良磨さんは主張できないんだと思います。」
「え!?いや!全くそんなこと!!」
「でもそういうことだよね!良磨ごめんねー」
「無意識とはいえ悪癖は直さないと、未経験としては…じゃだめだ…」
城の声色はいつも通りの優しさを保っていた。
その反面、言い聞かせるような口調が、やけに圧を感じさせる。
初めて見る城の態度に、良磨は困惑した。
羊太郎が横から大袈裟に励まそうとしたが、城は軽く感謝を述べ受け流す。
動揺する二人に反して、猪介は妙な納得感が芽生えていた。
城のこの態度は、初めて会った日と重なっている。
「城さ——」
猪介が声をかけようとすると、羊太郎が飛び上がり「よし!!」と大声を出した。
「そう来なくっちゃ!!」
「え?」
良磨が疑問符を浮かべると、羊太郎はニッっと微笑む。
「僕らプロだし!こんな事じゃ止まれないよ!!」
城はきょとんと脱力し、あわあわと動き始めた。
「へ?あ、そういうことじゃ…いや、そういうことかも?」
「そういうことでしょ!よし!じゃあ良磨と猪介はこっち!」
羊太郎が二人をグッと引き寄せ、壁際に立たせた。
「どうしました?」
「なんだ?」
「目閉じて!僕らが声かけるから、呼ばれたと思ったら手上げて!」
「わ…なるほど…」
良磨と猪介は目を見合わせた後、静かに目を閉じる。
数秒置かずに呼びかけが始まったが、あまり手応えは良くない。
「疑問形にすれば伝わりやすいのかなぁ??」
「でも、それだと台本が崩れちゃうかもしれない…」
いまいち感覚を掴めないまま、時間だけが過ぎていく。
全員に疲れの色が見え始め、一旦休憩を挟むことになった。
「猪介ぜんっぜん反応しないじゃん!」
「全部自分に向けてるようにも、違うようにも聞こえるんすよ」
「声だけだとやっぱむずいっすね、動きとかつければ…」
良磨が困ったように口角を引きつらせると、城は静かに呟いた。
「ルミさんは声だけでわかったから…」
「まぁすぐ直るものでもないよね!!ルミちゃん目指して頑張ろー!キャラ固めもやんないとだしー!」
「そっかキャラ…王子様かぁ……」
城は力なく吐き出すと、良磨が背中を摩った。
「なんでー??王子様ぴったりじゃーん」
「俺ってそんな、リーダーとかそういう感じじゃないし…」
「そういえばリーダー決めてなかったっすね、勝手に城だと思ってたわ」
「ええ?!」
驚いて後ずさる城を見て、羊太郎は呆れ気味に笑った。
「僕も城だと思ってたよ」
「ないない!ない!!」
「えー??でもさぁ…」
羊太郎が小首を傾げ、人差し指で頬を叩いた。
「ほらぁ、役柄ってよりは…役割じゃないかなぁ?」
「へ?どういうこと?」
「うーん…王子様って言ってもさ、城が言うリーダー!って感じのキビキビ系もいるけど、こう…象徴?みたいなのもいるじゃん?」
「象徴…??」
城が繰り返すと、羊太郎は大きく息を吸い込んだ。
すると猪介が、片手を二人の間に差し込んだ。
「わっ」
「びっくりするじゃん!」
「すみません。解釈の話は、録音いたします。」
羊太郎が不服そうに顔を歪めたが、猪介は構わず録音準備を続ける。
準備が整い、無言で発言を促された羊太郎は得意げに微笑んだ。




