30話 改善
稽古場の中央に佇んでいた城は、一歩踏み出すと静かに顔を上げる。
蛍光灯の明かりを照り返した髪がきらりと流れると、緩く結ばれていた口が静かに開いた。
「忘れてた…」
その余韻の消えないうちに、良磨が城の横に並ぶ。
靴の踵を気にするような素振りで、爪先で床を何度か叩いた。
「俺も」
城は良磨に静かに微笑むと、良磨はニッと口角を上げ笑い返す。
「振ってきたねぇー!」
慌ただしく駆けてきた羊太郎は、両手で傘を開くような素振りを見せる。
「…そうだね。」
城は目を逸らし呟いた。
二人をじっと観察した羊太郎は眉間に皺を寄せる。
「ちゃんと傘持ってきた…?」
「…ない」
「俺も」
二人の返事に羊太郎が地団駄を踏み、叫んだ。
「昨日言ったじゃん!!!」
手を叩く音が響く。
三人の動きがピタッと止まり、ルミに注目すると彼女は満足そうに頷いた。
「うん、良くなった!」
明るい笑みに皆が安堵の息を吐くと、ルミは三人を座らせる。
「城さんはやっぱり演出力がありますよね、一言でも空気を作れる。ここは強いです!」
「あ、ありがとうございます…」
「良磨さんはセリフの読み方が自然!多分反応しやすかったんじゃないかな?」
ルミの問いかけに城は静かに頷いたが、良磨はいまいち理解していないようだった。
「羊太郎くんも流れを読めてますね!しっかり自分の見せ場も作れてる!」
「やったー!ありがとうございますっ!」
「うんうん!じゃあみんなからも聞いちゃおうかな?何かないですか?!」
「なにか…」
城が天を仰ぐと、横から羊太郎が身を乗り出した。
「はいはーい!これぇ、あっ、ト書き読んでもいいですかー?」
「あ、そこね!いいよ!」
「これさっきの昨日言ったじゃんのセリフの前、ここ『ガクッと力が抜ける』になってるんだけど、僕これできなくて…!」
ルミはその言葉を聞き、目を輝かせた。
「そこは羊太郎くんのいいところでもあるんだよ!」
「いいところ?」
「さっきの流れを読むにも繋がります。結論から言うと『ガクッと力が抜ける』までのテンションを作れてないんです!」
ルミの生き生きとした表情を、三人は不思議そうに覗き込んだ。
「城さんの入りが静かだったのは多分…『前日に言われていたのに傘を忘れた』後ろめたさ、ですよね?」
城がコクコクと頷くとルミはニヤリと笑い「ですよね!」と返した。
「この後ろめたさを感じ取って、それに合わせると『ガクッと力が抜ける』まで怒りのボルテージを上げられないんです!」
城と羊太郎がなるほど…と感心する。
ルミはますます勢いづき、前のめりに続けた。
「でも地団駄って形でしっかり感情を表してて、セリフがツッコミとして成立してる!ここは素直に上手いです!」
「えー!ありがとうございますっ!」
羊太郎が大袈裟にリアクションすると、城が台本を見つめながら呟いた。
「ト書きが絶対…ではないんですね?」
ルミは笑顔で頷き、良磨に視線を向けた。
「伏線とかじゃなければ大丈夫です!例えば良磨さんの足元を気にする仕草、アドリブですよね?」
「そっすね」
良磨の返答に城と羊太郎は「えっ」と驚いた。
「ト書きでは確か『腰に手を当てて』だったかな?」
良磨が「はい」と短く返すと、城は感心した様子で頷いた。
「これすごく効いてて…!靴を整える仕草があると今どこにいるか、それが一瞬で伝わるんです!!」
ルミは心底楽しそうに台本を指差した。
「台本には場所が書いてない。でも登場人物はどこかにいる!それが動きに乗るってすごく役に入り込めてるってことですよ!」
良磨は城の尊敬の眼差しを気まずそうに躱し、ルミに向き合った。
「でも、俺前に出られなかったんすよね」
「え!それもわかりますか!?」
ルミは身を跳ねさせ、目を輝かせる。
「いや、わかるっていうか…城が見てるのが空なら、それより先が外じゃないっすか?なんかすげぇ後ろでやってたなって」
「すごい!すごい!猪介くん!すごいよ!!!」
「あ、はい。」
興奮気味のルミを、猪介は冷たい一言で一蹴する。
しかしルミはトーンダウンするどころか、さらに熱を上げた。
「これ、立ち位置が横並びになるように設計された台本なんです。だから最初の城さんの立ち位置がみんなの立ち位置になる。」
城は肩を跳ねさせたが、ルミは気にせず続けた。
「指摘するつもりなかったんですけど言っちゃいますね!!舞台は広々使いましょう!もったいないから!!!」
「ご、ごめんなさい」
城が身を縮めると、ルミは慌てて首を振った。
「ちが!これは仕方ないんですよ!本物の舞台なら城さんは前に出たと思います!照明があるから!でも稽古場じゃイメージしにくいですし!!」
ルミが慌ただしく身を上下させていると稽古場のドアが開いた。
「ルミ」
うねりのある黒髪に長身の美人が静かに呼びかけると、ルミはゆっくりと振り向く。
「い、育美ちゃん…」
「時間。」
「も、もうちょっと…」
「時間!!!」
育美の一喝にルミは眉を下げ、悲しげに俯いた。
「谷口!あんたもぼーっと突っ立ってんじゃないわよ!」
猪介は強く背を叩かれると、視線を逸らしつつも謝罪した。
「すみません、切るタイミングが掴めなくて。」
「マネージャーでしょ!時間管理が仕事!!!ルミ!行くわよ!!」
「ええー!待って待って!!」
「仕事は待ってくんないのよ!!!」
彼女らのやり取りを城たちは呆然と見つめる。
育美はツカツカと歩み寄りルミの腕を掴むと、無理矢理立たせた。
「わー!鬼!鬼ー!!」
「うっさいわね!!か――」
「噛みつきますか?」
猪介の一言に育美は目を見開き、歯を食いしばった。
「すみません、引き継ぎだけお願いします。」
猪介が冷静に告げると、ルミは名残惜しそうに彼を見つめた。
「大体の動きとかはできると思うから…猪介くん、この台本の素わかるよね?それやってほしいな」
「承知いたしました。」
ルミは「お疲れ様でしたー!」の一言を残して引きずられていく。
それに猪介と城たちも「お疲れ様でした」と返した。
静かになった稽古場に残された面々はそれぞれ顔を見合わせる。
「なぁんかすごかったね、育美さん?ルミちゃんのマネージャーさんだよね?」
「はい、あにまるzooの元メンバーでもあります。私にとっても皆さんにとっても大先輩です。」
猪介の言葉に羊太郎は目を丸くした。
「そーなんだ!通りで美人さんなわけだ!」
「そっすね。んじゃあ…すみません、ここからは私が引き継ぎますが…期待しないでください…」
「いやいや、マネージャーなのに…ありがとうございます」
良磨が軽い口ぶりで言うと猪介は会釈で返した。
「この台本、元はエチュード……即興劇なんです。傘を忘れた人と持っている人の前提で進める物です。」
三人は真剣に聞き入ると、猪介は臆する様子なく続けた。
「傘を持っていない人はこの場に残りたい、持っている人は一緒に行きたい。即興でこの応酬をしてもらいます。」
「勝負ってこと?」
羊太郎が聞くと猪介は少し考えた。
「そう考えたほうが飲み込みやすいかもしれません。」
「ふぅん」
羊太郎は納得した様子で台本を置いた。
「普段は役割を入れ替えるのですが…とりあえずは今のまま進めましょう。」
「わかりました。」
良磨と城も台本を置き、体勢を整えた。
「勝負…としても勝ち負けではありません。とりあえず、先程指摘いただいた動きや立ち位置の意識を組み込めたらいいかなと…」
「はい!」
羊太郎の返事に対して、城は不安そうに両手で頬を押さえた。
「で、できるかな…」
「一言目が誰とかも決まってないんすよね?」
「はい、即興なので。あ、私は指摘などはうまくできないので撮影しますね。後ほど改善点などをお伝えします。」
猪介は黙々とビデオカメラを設置し始める。
羊太郎は部屋の中をぐるぐる歩き回り、何かを考えていた。
城は不思議そうにその様子を見つめる。
「どうしたの?」
「立ち位置も自由なんでしょー?僕ここ!」
「わ、そ、そうか…」
「んじゃあ俺ここ」
良磨が意気揚々と立ち位置を見つけると、城は慌ててその横に並んだ。
「じゃ、じゃあ、俺ここにしようかな…」
良磨はおずおずと言う城の背を軽く叩いた。
「…ではよろしいですかね?開始と終了の合図は先程までと同じで手を打ちます。」
猪介は三人が身構えるのを一瞥し、録画を開始する。
「話が停滞したら止めますので、とりあえずは好きなように動いてください。」
緊張感の漂う稽古場に、冷たく手を打つ音が響いた。




