19話 管理
「ではここに署名を」
「はい。」
何度経験しても、酉脇城がいるというのは落ち着かないらしく、多くの社員が代わる代わる様子を見にきていた。
居心地の悪そうな城をそのままに、猪介は平然と業務をこなす。
「レッスンなどの日取りは未定ですが、何かありますか?」
「その…顔合わせは…」
「すみません、そちらも現在調整中です。」
「そ、そうですか…」
城は安心したかのように肩を落とす。
「あ、正式な移籍日はいつになりますか…?今日?」
「…酉脇さん、契約書の内容を検めてください。」
「へ?す、すみません…」
城はきちんと読み込んだつもりだった契約書に、再度目を通す。
「…?」
「…移籍の文言はありませんよね?」
「え、ああ!?確かに!?!?」
「酉脇さんは蒼凛舎から出向していただくような形になります。つまり当社に籍を置くわけではありません。」
「俺、てっきりここでお世話になるものだと…」
猪介は身を縮め肩を落とす城に目もくれず、独り言のように呟いた。
「…会社変わらない方が、履歴書書く時楽でいいんじゃないすか」
「えぇ?そんな」
くすくすと笑う城とは対照的に、猪介は無表情のままに机に広がっていた書類を揃えていた。
彼の几帳面な手捌きを満足そうに眺めながら、城は呟く。
「まぁ…お世話になることには変わりないか…」
「そすね。」
名残惜しそうな視線を向ける城。猪介は彼にかける言葉を考えていた。
「でも、その」
「?」
「今日から谷口マネージャー…ですよね?」
「そうなりますね。」
城は「んー」と小さく唸ると小首を傾げる。
人間らしい仕草のはずだが、無機質な程に整った彼の容姿だとロボットのように感じられた。
「なんすか?」
「なんて呼ぼうかな…って…無難にマネージャーですかね?」
「ああ、お好きにどうぞ。名前は猪介って言うんで認識できればあだ名でもなんでもいいです。」
「えー?呼び捨てとかにしちゃいますよ」
城はゆっくり猪介を覗き込んだ。ほんの少しの恐れを孕んだ固い笑みだったが、猪介は気にすることなく微笑み返した。
「どうぞ」
「え……い、猪介?」
言葉尻に小さく敬称を付け加えようとした城を遮り、猪介は「はい」と短く返事した。
「え゛ぇえ?!いいんですか!?」
精巧に作られたマネキンのような彼から出た声とは思えない、踏み潰したような声を猪介は思わず鼻で笑った。
「いいんですよ、好きにして。」
確かに柔らかくなった声色に、城は安心か戸惑いのような視線を揺らす。
「あはは……じゃあ…猪介さんで」
そう言うと耳を紅潮させ、ぎゅっと目を閉じた。
「はい。それじゃあ呼び方も定まりましたし、今日はこんなところで…」
猪介が書類を手に立ち上がると、城は慌ててそれに続いた。
ありがとうございました。と丁寧に頭を下げ、Curtain Riseを後にする彼に対し、猪介は「お疲れ様でした、城さん」と声をかけて送り出した。
記入してもらった書類を提出しようと、猪介は事務室に向かう。
すると正面から山本が早歩きで迫り「谷口」と短く声をかけた。
「これ」
と手渡された書類には『マニュアル』の文言が見て取れる。
「なんすかこれ」
「電話対応マニュアル」
「は?今更?」
「いや、今度の…え、まさか聞いてねぇの?」
山本は困ったように腰に手を置くと、とにかく行こうと事務室まで連れ立った。
「酉脇城がモデル引退ってなるとさ、大問題になるわけよ。」
「はぁ、平井先輩も似たようなこと言ってました。」
「一旦一般には伏せて企業関係者に今週末告知すんの」
「…問い合わせはうちで対応しろってことですか?」
「察し良くて助かるけど、ちょい結論早いわ」
「はい」
「企業関係は蒼凛舎が引き受けるんだと、まぁ他言語話者が多いから当然だな。」
猪介は目的階へと移りつつあるライトの光を目で追っていた。
「んで、その間に俺ら元蒼凛舎メンバーで一般対応のお勉強。」
「…外部を雇うじゃだめなんすかね」
「下手な受け答えされたら困るだろ」
酉脇城と蒼凛舎の印象は直結している。仕方がないのだろう。
開くドアから身を滑らせ目的地へ足を進める。
「企業の方で出た問い合わせと回答が後でメールされてくるってさ」
「いっそネットフォームとかじゃだめなんすか」
「怠惰だなぁ、そんなん十分持たずにサーバー落ちだろ」
「そっすかねぇ」
猪介は呟きながら、平井に見せられたブログの文字列を思い出す。
確かに五万字の問い合わせが来たら困る。と、少しシュールに感じた。
乾いた笑みを浮かべながら事務室の扉を開く。
相変わらず各々が業務に取り組んでおり、挨拶もそこそこに猪介は部長へ書類を提出した。
山本は一仕事終えた猪介を笑顔で迎え入れると、オフィスの隅に設置された簡易面談室に導いた。
「ま、頑張ろうぜ。」
冊子の中身は何ら当たり障りのない電話対応、クレーム対応のマニュアルだった。
しかし後半に向かうにつれて、酉脇城の百科事典のように変化していく。
「…何年までどこのアンバサダーやってたとか…これいるんすか?」
猪介が訝しげに尋ねると山本はグッと眉を顰め、口を固く結ぶ。
数秒そのまま唸っていた彼は大きく息を吸い込み「いる。」と言い切った。
「ほら、あの人のファンって…なんつーか評論家気取り?が多いから。このくらいのこと即答できないと『お前じゃ話にならない』とか激昂しそうだろ?」
「あぁ…」
やけにストンと落ちた答えに、満足感すら覚えつつ冊子と向き合った。
「めんどくせぇよな」とぼやく山本を無視し、暗記ではなくとも索引をつければ良いだろう…と静かに攻略を組み立て始める。
「あ!そうだ。谷口すまん!一番大事なこと忘れてた!」
「は?なんすか?」
「酉脇城!連絡しとけ!」
「連絡…」
猪介は復唱しつつ、スマートフォンを取り出す。
「蒼凛舎以外の仕事関係者、特にクライアントからの連絡は一切対応するな!って!」
「…本人と客が連絡取ってる可能性があるんすか?過保護なのか何なのかわかんないっすね」
「……んー…範囲が違うってか」
「範囲?」
「……金魚育てるのにもさ。ちっちぇえ水槽で育てるより、でっけぇ池掘って育てた方が長生きしそうだろ?」
「…場合によるんじゃないっすかね」
「池つってもあれな!超高級ろ過層完備の…温室にあるような外敵も来ないやつな!」
「…外敵が来るから困ってんじゃ…」
「あはは!来んのは客!『金魚だ〜』って純粋に眺めにくる客なら歓待する。ただ…池の中手突っ込んで掻き回すようなやつはつまみ出すんだよ!」
楽しそうに手を叩く山本を、猪介は気味の悪いものとして眺めていた。
「…」
「まぁ、つまりさ。」
山本は笑みを浮かべたまま身を屈め、低い声で続ける。
「引退伝達以降、本人へ連絡を寄越した不届者は徹底的に洗い出して、それ相応の対応をすんだってよ。」
反応のない猪介を見つめた後、ふっ!と吹き出し肩を叩く。
「あー!楽しみだよなぁ…馬鹿が一網打尽だぜ?」
不敵に笑む山本の瞳の奥は濁りきっていた。
Curtain Riseの根源ヴィエルジュは傍若無人。蒼凛舎は厳か。
この印象は今も昔も変わらない。
…しかし猪介はCurtain Riseに来た数年間で学んだことがある。
ヴィエルジュメンバーは傍若無人に振る舞っても、躓く者があれば駆け寄る情がある。
対して、蒼凛舎メンバーは非常に気位が高く。独特の仲間意識がある。躓く者を笑い、救いを求めた手を叩き落とす。
どちらも一長一短だ。と考えた猪介は
「何もないといいっすね、とりあえず連絡してきます。」
と面談室を後にする。
城の連絡先を開き、一度頭を整理する。
そう言えば蒼凛舎メンバーに共通する癖があった。
––下らない例え話をする。
いつか機会があれば城に話すのも面白いだろう。猪介は通話ボタンを押した。




