弟子の仕事はどこまでですか?~残された魔法陣と、消えた師匠の謎を追え!~
ミアは丘に沿って続く道を駆け上っていた。
今日は来客の予定があるが、師匠に対応させるのは少々不安だ。
「師匠、ただいま戻りました!」
扉を開けて、ミアは惨状に息を飲んだ。
床に書きかけの魔法陣があった。しかも、かなり乱れている。なぜこんなに線が乱れているんだろう。肩に猫でも飛びのった?
いや、うちに猫はいない。
おかしい。普段の生活はともかく、魔法陣の正確さだけは誰にも負けない師匠なのに。
ミアはとっさに、さっと部屋の中に目を走らせた。床に血の跡もないし、争った形跡もない。争った形跡がどんなものかはわからないけど、たぶん椅子が倒れていたり物が壊れていたりするんだろう。そういうのは特に見当たらない。
師匠の酒コレクションの棚もいつも通り乱雑に並んでいる。
その時ミアの鼻先に、ふわっといい香りが抜けて行った。
花のような、木の実のような。
「なんの匂いだろう。どこかで嗅いだことがあるような……?」
ミアはさらに異変がないか見て回る。調理場を覗き込んでギョッとした。
「うわ、床がびしょびしょ……。それに、裏口が開けっぱなしだし……」
誰かが暴れた?
いや、また師匠が足を引っかけて倒しただけかもしれない。その証拠に魔法のみずがめが、ふて寝でもしているように倒れたままだ。
水がなくなったら自分で汲んでくるのが彼の仕事だというのに。
「自分で起きられるでしょ」
ちょっとつついてやると、彼はすぐに起き上がった。だが、やっぱり拗ねているようで壁に向かってぷるぷるしている。
「師匠? どこにいるんですかー?」
家の周りをぐるりと巡ってみたものの、師匠の気配はどこにもない。
念のためもう一周しようかと思ったところで、ミアの目がそれをとらえた。
「うわ、まずい! お客さんが来ちゃう。薬は……まだできてない!」
丘のふもと、一本道をけばけばしい馬車がやってくるのが見えた。
なんてことだ、あの客はめちゃめちゃせっかちなのだ。
貴族のお使いだか何だかしらないが、横暴だし。
仕方ない。ここはミアが、師匠の代わりに大事な薬を仕上げるしかない。
必要なのはかゆみ止め。途中まではできている。
あとは魔法陣を描いて、薬に魔法を付与するだけだ。
迷っている暇はない。馬車が到着するまでに何とか魔法陣を書き上げるしかない。
十歳の時、師匠に弟子入りして早五年。
今のところ、ミアの魔法の成功率は半々だ。
間に合わなければ、客は紳士のステッキとやらを振り回し、大いに暴れるだろう。庇ってくれる師匠もいないのに!
ミアは急いで床をきれいにして、すうと息を吸い込み、自分の杖を手に取った。
震える手を何とかなだめ、集中して外側の円を書いていく。
必要なのは歪みのないきれいな円。
「きゅ、及第点かな……?」
たぶん、ギリギリ大丈夫。
もう一度深呼吸して、やることを確認していく。
「次は、魔法文字」
ここで一字でも間違えれば大惨事だ。
馬車のガタガタいう音はどんどん近づいてくる。
「落ち着け、落ち着け」
自分に言い聞かせて、細かい曲線を入れていく。
ドンドンドン!
やたらと激しいノックの音に動揺して、ビクッと肩を震わせてしまった。
おそるおそるみおろすと、魔法陣は何とか無事。
「はい、ただいま!」
返事だけして、最後の仕上げをしてしまう。
薬の瓶を中央に置き、呪文を唱える。
「其はまどろみの雫。騒めく肌に静寂を与えるもの。つつがなき眠りを与えるもの」
こうして薬に対して、「お前はかゆみどめじゃ!」と言い聞かせるのだ。
あとは魔法陣が青い光を放ち、瓶にその光が降り注げば完成だ。
緊張して見届けているさなか、二度目のノックが響いた。
薬は――完成だ!
「お、おまたせしましたー! 今お包みしますね」
「そのままでいい! 早く寄こせ!」
「はい、では、こちらになります!」
ここは逆らわず、代価を受け取って彼らが去るまで頭を下げて見送る。
「はあ、なんとかなった……?」
へたり込みたい気分だが、まだ解決していない。
師匠を探さなくてはならない。
「もう師匠ったら、こんなときにどこへ行ったの!?」
師匠が裏口から出て行ったことは確かだ。
表は一本道なのだから、そちらを通ったなら、必ずミアとすれ違ったはずなのだ。
それに、魔法陣のあとはまだ新しかった。
さらに言うならば――。
「師匠は仕事をギリギリに回すクセがある……。だけど、あそこまで書いて途中で放り投げるのはおかしい」
なぜ、師匠は魔法陣を書きかけて出かけてしまったのだろう。
水を汲みに行った?
いや、みずがめに命じれば済むことだ。
ミアはためしに、みずがめを杖でつついてみた。
「師匠がどこに行ったか知ってる?」
すると、みずがめはトコトコ歩き出した。のんびりしたペースにじれったくなるが、今は彼が頼りだ。
みずがめが向かう先は、やはり水辺のようである。
しばらく行くと、師匠の靴が片方転がっていた。
「ここで一度転んでる」
地面には尻と手をついた後がくっきり残っていた。
それに、部屋で嗅いだあの匂いも。
「これは……ジュニパーベリー? お酒の匂いだ。まさか、師匠!」
ミアはある考えに行きついて、みずがめを追い越し走り出した。
すると、ほどなく師匠が地面に倒れているのが見えた。
その近くには、小さな瓶がころがっていて、中身をこぼしてしまっている。
「やっぱり! ――師匠、仕事の途中で飲まないでって言ってるじゃないですか!」
師匠は魔法陣を描きながら酒を飲んだのだ。
しかもジン。アルコール度数の高いやつ! ストレートで飲めるほど酒に強くもないくせに!
それでも、疑問は残る。酔っぱらおうと目をつぶろうと、師匠が魔法陣を書き損ねることなどないのだ。今までがそうだった。師匠は魔法陣に関しては変態的な才能を持っている。
それなのにどうして……。
師匠の顔を覗き込んで、その謎はあっさり判明した。
「やだ。寝ながらしゃっくりしてる……」
ミアはげんなりと呟いた。
黙っていればイケメンで通るのに。なんて間抜けな顔だろう。
魔法陣が乱れたのは、しゃっくりが止まらなくなったせいだったのだ。そしてしゃっくりを止めるため、水を飲もうとしたのだろう。そのさい、みずがめを蹴飛ばした。
「師匠、もう、大変だったんですからね!」
「……ふはは、俺にかかればちょよいのよいよ」
「寝言ですか? 言えてませんけど」
杖でつついても、師匠は起きそうもない。
「もう! 置いてっちゃおうかな……」
そうしているうちに、トコトコ歩いてきた水がめがミアを追い出し、勝手に水辺に向かった。
どうやら、師匠を探してくれたわけではなさそうだった。
彼は彼の仕事をしただけ。
道端で泥酔している師匠を家に連れ帰るのは、果たして弟子の仕事だろうか。
ノーと言い切ってしまいたい。
ミアはしゃがみこんだまま、大きなため息をついた。
少しでも面白いと感じたら、
☆☆☆☆☆をすいーっとお願いします!いくつでも!
【ブックマークに追加】も励みになります。
【いいね】【感想】もお待ちしております!