すーぱーふっく
てんてれれれえってってて。
ここはとある学校。この物語の主人公、芦屋マサムネ(以下マサムネ)はモテたかった。
「俺さ! モテたいんだよ!」
全力で叫ぶぐらいにはモテたかった。それを聞いていた俺は全くあほらしくて聞いていられないと思い机に肘をついて大仰に溜息をつく。
「あー! そういうのやめろって! 俺の事馬鹿にしてんだろ!」
「当たり前だろう?」
俺が立ち上がるとマサムネはまるで借りて来た猫のように大人しくなる。これは単純に背の高さによる威圧にビビっているのだ。
「くっ、くそっ、卑怯だぞ! お前ばっかり背が高くなって」
「マサムネが低いんだ」
マサムネの身長は約150センチ、高校生としては少し低いか。俺は170センチある。
「いやあ、友を見下げ果てねばならないとは残念だなあ」
「畜生! 覚えてろ!」
走り去るマサムネ。
「……俺は怒ってるんだぞ」
その背を見ながら拳を握る。ジェンダーがどうの性差がどうのと五月蠅い今の時代、高校の制服に男女の区別は無い。男子がスカートを履くこともあれば女子がズボンを履くこともある。
「俺だって女なんだからな」
あいつ、何がモテたいだ、俺だけじゃ不満なのかよ。
校舎の片隅にある雑多に物が置かれた部室。そこには演劇部部員である総勢二名が座って文化祭でやる劇の台本を読んでいた。
「……なんかさ、ありきたりじゃね?」
そして台本を書きもしないくせに文句だけは超一流のあほが俺に文句を言ってきやがる。
「お前なあ、ありきたりってのはつまり王道ってことだよ。わかるか? 王道」
「いや、王道って言うか、これってあり来たりじゃん。だってこれあれだろ。俺ちゃんが実は女で主人公のこと好きでラブラブチュッチュ的な」
「そうだが?」
「ほらありきたりー!」
この野郎、腹立つなオイ。
「もう俺そういうの二百万回は読んで来たって。先が読めちゃうようじゃ駄目だろ。それにもっと人数増やそうぜ。登場人物二人じゃん」
「演劇部の幽霊部員どもを引っ張ってこれるならそれでいいぞ。現状役を演じてくれる奴が俺とお前しかいないんだから仕方ないだろ」
我らが演劇部はそのほとんどが幽霊部員だ。裏方に関しては三人ほどやってくれる奴がいるので問題ないが、劇に出るように言うとそれなら辞めるとあっさり言われたので土下座して謝ったこともある。懐かしき思い出だ。
「もうさ、幽霊部員なんて良いじゃん。そこらからスカウトしようぜ」
「誰がやってくれるんだ? お前友達いるのか?」
「モチよ。百万人いるね」
俺達はクラスが違うのでクラスでどんなかは知らない。つまりこれが本当か嘘かはわからない。まあ期待するだけ無駄だろう。
「ま、お前が誰か連れて来てくれるなら喜んで台本は改稿してやるよ。俺だってもっと大人数出せる脚本を書きたいのはやまやまだしな」
「おー、言ったな。すぐ連れて来てやるからな!」
そう言うと奴は部室を飛び出して行った。とりあえず俺は……、そうだな。使えそうな小道具でも探すか。
と、思ったのにすぐに再び扉が開かれる。
「忘れてた! その前にその台本変えよう!」
「えー」
「さっきも言ったけどありきたりな冒頭は変えようぜ。実は女でしたなんてもう古いだろ」
「馬鹿言えよ。こういうのが受けるんだ。いいか? これはフックなんだよ」
「フック?」
「物語上のフック、要は見ている連中に興味を惹かせるんだ。お前は百万回だか二百万回だか見たかもしれないがな、それって結局それだけそういう作品があるし、そういう需要があるってことなんだよ。この要素を入れるだけで人が食い付くなら入れ得だろ?」
そもそも創作においてはまず興味を持ってもらうのが第一で、などと臭い創作論を語ってしまおうか。今日はちょっと、長くなるぜ?
「あー、待った待った。それなら俺も良いフックがあるんだ」
「……なんだよ。せっかくこれから長々と語ってやろうと思ったのに。まあでもお前がそこまで言うなら興味はあるな。ぜひ話してみてくれ」
「んー、話すって言うより見せるって方があれかな」
「ん? ああ、まあ劇だしな。身振り手振りで興味を惹く方が確かにいいか。よし、見せてみろ」
「おっけ」
その言葉と同時に奴は既に拳を振りかぶっていた。気付いた時には小道具の山に吹き飛ばされていて俺は何が起こったのかわからなかった。脇腹の痛みと吹き飛ばされた方向、何より拳を振りぬいた状態でこっちを呆然と見つめているそいつを見てようやく何が起こったのか理解したんだ。
フックってそのことじゃねえから。
「お、お前なあ……」
「わ、悪い。まさかそんな吹っ飛ぶなんて……」
「……劇なんてやってる場合じゃねえぞ」
「え?」
「お前なら世界……、獲れるぜ。チャンピオンになって、それでもやりたきゃ戻って来い。最高のフックで客の心を掴むんだろ?」
「……ああ!」
スタジオにはインタビューを行うどこかの局のアナウンサーと今を時めくボクシング世界チャンプが座っている。アナウンサーはこれまで流れたVTRを見てどこか唖然としているようだ。
「えー、皆さんにも再現VTRを見て頂いたわけですが。実は私も初めて見まして……。高校生の頃は演劇をやってらっしゃったんですか? 何だか意外ですね」
「そうですか? 今でも演劇に戻りたい気持ちはあるぐらいなんですけどね。チャンピオンにもなりましたし、元ボクシング世界チャンピオンが出る舞台なんてめちゃくちゃ興味惹かれるでしょう? 今度連絡しなきゃなあ」
「あ、この時のお友達の方はまだ演劇をなさってるんですか?」
「ええ。そうなんですよ。あいつが舞台に出るって話聞く度に羨ましくて、ボクシングの試合ではその嫉妬を相手にぶつけてましたね」
「はえー」
今まで奴は真面目にボクシング一筋に打ち込んでいてテレビにもろくに出ていなかったからなあ。まさかこんな奴だとは思わなかっただろう。俺も未だに連絡が来る度に本当に同一人物かと疑ってしまう。
「因みに先ほどのVTR では文化祭の前でしたけど、文化祭はどうなったんです?」
「もちろんやりましたよ。エキストラもいっぱい雇ってさっき出てた俺ちゃんが恋の障害になる連中をバッタバッタとなぎ倒していくんです」
「そ、それってまさか」
「もちろんこのフックで!」
世界チャンプの得意技は神速のフックだ。あれを喰らったことがある身としては……、対戦相手には同情せざるを得ない。
「あ、そうだ! どんな感じだったか見せてあげますよ。凄かったんですよ、リアリティのある殺陣だって評判になって」
それはそうだ。リアリティと言うかリアルだったからな。俺は勿論、あいつが連れて来た運動部の面々も含め死屍累々、最後まで粘っていた空手部のやつは骨が折れていて見舞いにも言ったぐらいだ。まあ本人は久々に強いやつと戦えて嬉しかったと言っていたので多分あれでよかったんだろう。
「こう、最初はあっちからサッカー部のやつが来て、それをこう」
「あ、ちょ、危な!」
「それでこっちからも来て」
「うわ! カメラマンさん逃げて」
映像が乱れる。音声からはスタジオが阿鼻叫喚の地獄絵図になっていることが容易に想像がついた。何せ高校の頃にそんなシーンを見たことがあるからな。
「でね、この空手部のやつが強くて、凄いんですよ正拳突きとか」
「そっち行ったぞ!」
「なんか持ってこい! 縛り上げろ」
「一旦CM入りまーす!」
「えー、何でさ。今からいいと」
てんてれれれえってってて。
CMに入ったのを見て俺はスマホを取り出す。どうやら生放送らしいしスタジオの皆を助けてやらねば。まあ普通放送中はスマホ持ってないだろうし連絡つかないだろうけど。
電話のコール音が空しく鳴り響く、と思ったら。
「おー! 良い所に電話してくれたな。もしかして見てたのか?」
なぜ持ってる。怖いなこいつ、常識なさ過ぎて。
「ああ、見てたよ。テレビ出演おめでとう、チャンピオン」
「これで俺も有名人だな。それでさ、そろそろ演劇に戻ろうかと思って。ほら今なら元世界チャンピオンって肩書が最高のフックだろ? しかも俺の得意技もフックだし最高じゃん」
俺は少し悩んだ、ふりをした。
「……お前の世間の評価知ってるか?」
「いや? 知らない」
「だろうな。……お前は圧倒的な強さで圧倒間にチャンピオンになった、今やこの国の誇りってやつだ。お前の背中を見てボクシングを志してる奴もいる」
「……そうなのか」
まあでっち上げだが。
「俺はそういう奴らからお前を取り上げることは出来ないよ。いつか負ける日が来たら、その時はこっちに来いよ。歓迎するぜ」
「……ああ! その時はよろしくな」
「そろそろCM明けるだろ。この後もしっかりやれよ」
「ああ。また時間空いたらどっか食べに行こうぜ」
「奢ってくれよチャンピオン」
電話を切る。俺の電話が助けになったのかは知らないがCM明けのスタジオは先程の騒動を感じさせない落ち着きようだった。ここからは奴のボクシングの戦績を振り返って行くらしい。
映像を見ていると改めて実感するその強さ。相手が反応も出来ない神速のフック。恐ろしい限りだ。見ていると十年以上前の事なのに殴られた脇腹が疼く。
「いやあ、とりあえずあいつが動けなくなるぐらい年取るまでは一緒にやんなくていいか」
お前の才能は存分にボクシングの世界で活かしてくれ。俺はもう殴られたくないんだ。そもそもあれって劇じゃなくてあいつが人を殴り飛ばしてるだけだったし。
強い決意を胸に俺はテレビを切る。さて、次の脚本を考えないとな。
数年後、元世界チャンプ、演劇の世界へ。そんなニュースが国中を沸かせたとか。
「この一面、最高に人を惹き付けるフックがあるよな!」
「……そうだな。……頼むから大人しくやってくれよ」
「わかってるって!」
その舞台は上演日程の半分ほどで公演中止となる。理由は……、わざわざ言うまでも無いだろう。