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瓶の中の幸福

作者: ゾルピデム


気がつくと、よく分からない場所にいた。


壁、床、天井。どこに至るまで真っ白。四角い長方形のような部屋の中には白しかない。その中心に突っ立っている私は異物だ。黒いワンピースだけがくっきりと、白の世界から切り取られているよう。長い髪が白髪で良かったと安堵する。


「いらっしゃい。」


ふと声が聞こえた。声の主を探し、視線を下に向ける。すると、そこには1匹の黒猫がいた。


「僕はこの世界の管理人。名前は無いから、好きに呼んで。」

「じゃあ、クロネコさん。」

「構わないよ。僕は今から、君だけのクロネコさんだ。」


そう言ってクロネコは鼻で床をつついた。すると突如、床から真っ白な机がせり上がってきた。ちょうど私を囲むように机は並び、私の周囲には長方形型の机が並ぶ。


どこから持ってきたのか、クロネコは透明な瓶を抱えていた。円柱状の瓶で、入口がちょっと広めになっている。全体のフォルムも曲線で描かれていて、丸みを帯びた、優しさを感じる形だ。


私の前に瓶を置いて、クロネコさんは言った。


「これは君のものだ。君の好きな物を詰めるといい。もちろん、種類は問わないよ。」


好きな物を詰めていい、クロネコさんは言うけれども。ここには詰められるものなんて何も無いじゃないか。


そう口にしようとした時、全てを見透かしたようにクロネコさんは鼻を鳴らす。


「君が欲しいものなら、僕が先に準備しておいたから。」


立ち上がるって周囲を見渡し、私は驚愕した。私を囲むように並んだ机の上には、私が好きな物が隙間なく満たされていたから。


「材料には事欠かないだろう?瓶がいっぱいになったら、また他の瓶を用意してあげる。だから、ここにあるものは全部好きに使っていいよ。」


それだけ言って、クロネコさんは部屋の隅にちょこんと座った。たまに床に鼻を擦り付けたり、足で頭を搔いたりする。大きな欠伸をすると、ポンッ!と魔法のように新たな瓶が出てきた。それを前足で器用に並べ、クロネコさんは私に向き直る。


「遠慮はいらない。ここは君だけの場所で、僕は君だけのクロネコさんだ。ここにあるものは全て、君だけのものなのさ。」

「─────分かった。」


私はまず、瓶を手に取った。両手で抱えられるほどの小さな瓶。たくさん詰めれるかは分からないけれど、好きなだけ詰めればいいとクロネコさんは言った。つまり、詰めようが詰めまいが、全ては私の自由。


周囲に並んだ机を物色する。クロネコさんが言った通り、私の好きな物しか用意されていない。

私はまず、淡いだいだい色の錠剤を手に取った。人差し指と親指つまんで、それを瓶に入れる。

カラン、とガラスの音が響く。

続けて、ひとつ、ふたつ、みっつ。カランカランカラン。また音が響く。クロネコさんは不思議そうに私を見つめる。


「それは薬かい?」

「ええ。」

「何の薬なの?」

「睡眠薬。」


クロネコさんが用意したのに、なぜ知らないのだろうか。視線で尋ねると、猫の身体で器用に首をすくめた。


「僕は君の好きなものを集めただけで、内容や効果までは知らないのさ。」


そういうものか、と納得し、再度薬を入れていく。

カラン、カラン、カラン。子気味良く、心地いい音が部屋全体にこだまする。


「君は睡眠薬が好きなの?」

「ええ。好きよ。」

「どうして?」

「逃げられるからよ。夢の世界にね。」

「そうかい。」


クロネコさんは相槌だけ打って、また黙った。

次は黄色の錠剤。これはさっきのものよりひと回りも大きい。とは言っても錠剤の範疇は出ないので、人差し指の爪くらいの大きさだ。同じようでつまんで、瓶の中に入れていく。


カラン。またガラスが鳴る。


「それは?」

「抗うつ剤。」

「君は本当に薬が好きなんだねぇ。」


クロネコさんは驚くと言うより、呆れているようだ。前足で器用に耳を搔く。その間にも、薬はひとつ、またひとつ、瓶の中出音を奏でる。


カラン。


「それは?」

「頭痛薬。」


カランカラン。


「それは?」

「胃痛薬。」


カランカランカラン。


「それは?」

「整腸剤。」


コツン。


「それは?」

「皮膚の痒みを止める薬。カプセル型だから、飲みやすくて楽しい。」


色とりどりの錠剤で、瓶は彩られていく。私の胸に、満腹感にも似た充足がじんわり広がっていくのを感じた。この瓶の中はたくさんの薬で飾られていて、そのどれもが私を安心させてくれる。満ち足りた気分とは、今まさにこの時のためにあるのだろう。

半分中身が入った瓶を抱きしめる。暖かい、安心する。──────でも、まだまだ足りない。


カランっ


「それは?」

「咳止め。」


カラン。


「それは?」

「ビタミン剤」


カラン。


「それは?」

「鉄分のサプリ。」


カランカラン。


「それは?」

「野菜の錠剤。栄養は大事ってお姉ちゃんに教わった。だから、こうやって摂るようにしてるの。」


お姉ちゃん、と言った瞬間、わずかだが黒猫さんの動きが止まった気がした。でも瞬きの後には、いつも通りのクロネコさんがいる。


「お姉さんがいるのかい?」

「うん。私よりずっと年上で、なんでもできちゃうすごい人。」

「お姉さんのこと、大好きなんだね。」

「うん。大好き。だから、ずっとずっとそばにいて欲しい。」

「そうかい。」


ビタミン、鉄分、亜鉛、コラーゲン、カルシウム。ひと通り入れ終わると、今度は鮮やかな色の飴玉が目に付いた。


赤色の飴玉。快晴のような飴玉。レモンの色に、ミルクティーの色。中にはいろんな色が混ざってマーブル状なったものもある。見ているだけでたのしくて、私を飴玉をつまみ、瓶へ入れた。


カランコロン。


瓶の中が甘さに満ちていく。チョコ味、コーヒー味、イチゴ味、ブルーハワイ。お姉ちゃんが大好きだったレモン味。


「飴が好きなの?」

「甘いものが好き。甘くてきれいなもの。」

「なるほどね。」


飴の次は角砂糖。その次は色とりどりの琥珀糖。瓶の中に、甘さと美しさが詰まっていく。その度、私の中にじんわりと暖かい気持ちが満ちる。


いつか、お姉ちゃんと一緒に買った金平糖。小さなキラキラを星の形に押し止めて、瓶の中へ。

宝石の形をしたべっこう飴。ぐるぐる巻きのまあるいキャンディ。涙の形をしたドロップ。指先が飴に触れ、また離れてく。その繰り返しなのに、不安の欠片も感じない。


お花の形。くまちゃんの形。こっちはねこちゃんのかたち。可愛いもので、瓶はどんどん彩られていく。


最後に真っ赤なハートを入れると、瓶はいっぱいになった。仕方がないので、クロネコさんが用意してくれた蓋で栓をする。完成した瓶は、後光がさして見えるほど美しく、私はあまりの感動に泣きそうになった。いや、泣いてしまった。目尻から零れた涙が顎先を伝い、真っ白な床に落ちた。


「よかったね。」

「うん!」


瓶を抱きしめる。ドクンドクン、私の鼓動が、ガラスを反射して伝わる。なんて暖かく、心地いいんだろう。私は暫く、充足感に身を浸し、瓶を抱きしめ続けた。


「これでおしまいかい?」


うっとりとする私に、クロネコさんは言う。


「まだまだ瓶は有る。好きなだけ詰められるよ。」

「…。」


新しい瓶が、目の前に差し出された。何も詰まっていない、空っぽな入れ物。見ているだけで虚しくなる。胸をギュッと抑える。大丈夫、私には大好きがたくさん詰まった瓶がある。


「あ、…」


抱きしめて、頬ずりをして気づいた。この瓶の中、足りない。


「ねぇ、お姉ちゃんは?お姉ちゃんはいないの?」

「君のお姉さん?いないよ。」


クロネコさんは首を横に振る。当たり前だろう?と真っ黒な目が言っている。


「なんで?私の好きな物、全部用意してくれてるんでしょ?」


わたしが食ってかかると、クロネコさんは困ったように口をへの字にした。


「うーん…。そうだけど、君のお姉さんもう死んでるでしょ。」


暖かい瓶の温度が、急速に遠のいていく。

冷たい。寒い。安心が、安息が、どこにもない。暗い暗い迷路の奥に、ひとり取り残されてしまったよう。

暖かい手。どこにあるの?私を撫でてくれた、触ってくれたあったかい手。


「死?…お姉ちゃんが、おねぇちゃん、が、」


冷たい、冷たい。手が凍る。全てがかじかんで動けない。

瓶がこぼれ落ちる。カシャン、とあっけない音を立て、瓶は壊れた。錠剤と飴玉が床に転がる。クロネコさんが無表情にそれを眺めてる。


「ああ、いるじゃない。」


私はクロネコさんの腕を掴んだ。ふわふわしてて、暖かい。肉球は人の肌のような弾力がある。


「僕は君のお姉さんじゃないよ。」

「見た目はね。でも中身は───魂はお姉ちゃんでしょう?私分かるよ。妹だもの。」


暖かい、木漏れ日のような、陽だまりのようなじんわり染みる暖かさ。これは紛れもない、私のお姉ちゃん。私だけのお姉ちゃん。


「お姉ちゃん、こんな白い部屋にずっと居たんだね。何も無くて、寂しかったでしょ?お姉ちゃんの体は私が何とか集めるから、それまでは、私のそばにいて。」


右手で腕を掴んだまま、左手で空瓶を引き寄せる。

瓶はクロネコさんが入り切れるほど大きくはない。仕方がないので、私はクロネコさんの腕をちぎり、瓶に入れた。血がこぼれ落ちてしまわないよう、丁寧に丁寧に。左手も同様に。両脚もちぎり、横に転んでしまわぬよう、縦にさしこむ。残すは胴体と頭。どうしようかと頭を捻る。


「君、狂ってるね。」


クロネコさんが淡々と言った。狂っている、の意味が分からなかったので、私は無視することにした。


首と胴体をちぎる。頭は最後に入れるとして、問題は胴体だ。丸い長方形をどうやって捌けばよいか。数分間悩み、机の上に置いてあったナイフを使うことにした。手始めに尻尾を切り落として瓶に詰め、中心を横一線に切り落とす。残りを等しく4等分して、だいぶ細かくなったところで瓶につめた。最後に頭を入れて蓋をする。


「できた!」


私はお姉ちゃんが詰まった瓶を抱きしめた。太陽の光をたっぷり吸い込んだ、暖かい体温。真っ赤な血が、さっきの瓶に入れた赤色の飴玉みたいでとても綺麗。バランスよく配置された塊は美しさの均衡を保っており、周囲を飾る朱が芸術的な奥ゆかさを醸し出す。


私はもう一度、両腕を巻き付け、瓶を抱く。今度は絶対に、落とさないように。













サイレンの音がする。


天井に付けられた警報器から、けたたましい音が鳴り響く。同時に、大人数がバタバタと動く足音。チカチカと赤色が瞼を刺す。


「出撃準備です、隊長。」


背後で声がする。低い男の声。誰かが隊長、と呼んでいる。数秒遅れて気づいた。隊長とは…ああ、私のことか。


「北部魔法隊の残党が、魔女の頭部を手にしたとの情報が入りました。現場に急行し、これを奪取せよ、との司令です。」


魔法隊。魔女の頭部。…そうか、そういうことか。点と点が線で繋がり、私に非常な現実を突きつけてくる。


「夢…だったのね。全部。何もかも。」

「隊長?」


背後で男が膝を折り、心配そうに私を見つめている。だが今は、首相な部下を労っていられる余裕がない。


瞼を開ける。真っ黒なベットに、真っ黒なワンピースを雑に着た私が転がっている。真っ白な髪が妙に目に付いて不快だ。舌打ちを打つ気力もない。


「…クロン!どうかされたのですか?」


クロン。私の名前。かつては柔らかい、お姉ちゃんの声が呼んでくれた名前。なのに今は空っぽだ。空っぽの響きが反響し、私の胸に空洞を穿つ。


ようやくベットから起き上がる。ベットサイドに、薬と飴玉が詰まった瓶が置かれていた。もうひとつ、何も入っていない空っぽの瓶も。


「…ッハハ!」


馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。胸の奥から笑いが込み上げてくる。ここまで滑稽で、憐れで、空虚な結末など見たことがない。映画並ば傑作ではないか!クックックと喉を鳴らす私を、親愛なる部下は寂しそうに見つめている。


「残党規模は?」

「中隊規模だと予測されます。」

「結構。魔女の部位は頭で間違いないな?」

「はい。四肢、それと胴体の一部は、我が国出所有しております。」


ああ、さらに笑いが込み上げてくる。いっその事ここで踊り狂ってしまいたい気分だ。だが部下の手前、それもはばかられる。わたしは下唇を思い切り噛んで、何とか衝動を抑えた。顎先を赤い血液が濡らす。


「ならばよし!あと5分で出撃だ!!」

「はっ!」


黒いスーツをひるがえし、同じく黒のプリーツスカートスカートを履く。ネクタイをぞんざいに巻き付け、履き古したヒールに足を突っ込んだ。そのままの勢いで杖を手に取る。腿にホルスターを装着し、ハンドガンを突っ込んだ。

そうして顔を上げれば、目の前には一糸乱れぬ隊列が組まれている。


「…行くぞ!!」


野太い鬨の声と共に、私は床を蹴り、宙へ身を躍らす。体を打つ雪も、吹き付ける風も、もはや寒くも痛くもない。夢で感じたあの喪失感と孤独は、一体何処へ言ってしまったのだろう。


───お姉ちゃん。


心のなかで呟く。暖かさなど微塵もかんじない。でも、もうすぐ会える。魔女の体───お姉ちゃんの体を揃えて、私がこの世に蘇らせる。


だから、それまで。


「待っててね。」


ヒールの踵を思い切り鳴らし、私は宙を蹴った。



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