8:閑話休題再び
空は曇天。止むことのない雨が降っていた。湿度が高い外気に触れることがない、空調管理の行き届いた部屋の中までも、屋根に打ち付ける雨の音が響いていた。
暗い気持ちになりそうになるが、部屋の中はシャンデリアの柔らかい明かりで満たされている。花瓶に生けられた鮮やかな花も、気分を朗らかなものにしてくれた。
目の前に座っているのは、気心の知れた、たった一人の友人。毎度変わらずエマの家に招かれたランカは、いつも通りリラックスした様子でソファに深く腰をかけて座っていた。
「そういえば、王太子妃候補として頑張ってるらしいじゃない」
「え、私が?」
「それ以外誰がいるのよ」
思い当たる節がないなと思いながら、視線を斜め上に向ける。それほど深く思案するつもりもないため、片手には紅茶の葉が練り込まれたクッキーを持っている。さすが、美味しそうだ。
「全然分からないわ。何をした記憶もないし、どちらかと言うとずっと心を掴まれてしまっていて悩んでたわ」
「そうなの? 貴族の間でも話題になってるわよ。潜在化していた、隣国との貿易を活性化させたって」
「……ああ、あれね。大したことではないわ」
ルークと街へ出かけた時の事かと思い出す。彼との思い出が強すぎて忘れていたが、そう言えばそんな事もあったか。
「王太子妃に選ばれるために、内外にアピールしたんじゃないの?」
「まあ、そうと言えばそうなんだけど……」
そうですとはっきり言えるほど自信はないため、語尾が小さくなる。今回の施策は、たまたまルークと出かけた時に、偶然気づいたからにすぎない。
街を歩いている人が、自国の人たちとは違う肌の色をしている人が多かった。その原因を調べてみたら、どうやらここ数ヶ月で、一気に国外へ装飾品の輸出が増えていることがわかった。
もう少し深掘りしてみると、隣国の王女がこの国伝統の装飾品を気に入っていることが判明した。そのため、王女に気に入られようと、名だたる商団が大量に装飾品を購入しに来ていたのだ。
それならばと、今まで装飾品に無駄にかかっていた関税を下げて、貴族やそれらに憧れる金持ちの市民にまで装飾品が行き届くように、対策を取ったのだ。
「さすがよ。伝統的な装飾品の輸出を増やすだけじゃなくて、交渉材料にお茶の葉の関税の引き下げも提案したんでしょ。そのおかげで、前まで高くて変えなかった輸入品の質の良い葉が、安く買えるようになったって、市民からも支持されてるわよ」
「あれは、前から変に関税が高すぎたのよ。輸入品を減らして国内でお茶の葉の栽培を試みた時の名残りらしいけど、失敗した時点で引き下げてしまうべきだったと思うわ」
これから季節は冬を迎える。その前に、温かく美味しいお茶を安く買うことができたら、厳しい寒さも乗り越えられるだろう。
「輸入に頼るのが怖いんでしょう、きっと」
「お茶の葉なんて作ってる国、いくらでもあるんだから大丈夫よ。それに、最悪の場合、無くなっても生活に影響が出ないものは輸入に頼って、自国独自の物に投資をするべきよ」
「さすが、先を見据えているお方は違うわ」
「やめてよ。そんなつもりじゃないんだから」
とっくに食べてしまったクッキーを、紅茶で調和する。これが輸入品のお茶の葉だ。やっぱり美味しい。茶っ葉なんて、品質が気候に思いっきり左右されるんだから、向いている国に任せたらいいのよ。
輸入ができなくなったらどうするのかって。紅茶の葉がなくなって、死ぬ人間がどこにいるの。悲しむ人はいるかもしれないけれど、すぐさま生命に影響はないでしょう。それなら、ある程度は国が備蓄して、輸入できなくなった時に考えたらいいのよ。
「意外ね、あなたがそんなこと言うなんて」
「うん? なにが?」
ぶつぶつと頭の中で独り言を呟いていると、エマがこちらを見ながら言った。
「王太子妃、目指してるんでしょう? それを否定することなんて、今までなかったじゃない」
「……否定、とかではないけど、なんとなく前より、気乗りしないと言うか」
何が何でも、この国のために自分が王太子妃になるべきだと、ずっと思っていた。でも最近、それだけが未来なんだろうかとも思えてしまう。別に、王太子妃になるだけが、国のためではないのではないか。こうやって、一貴族であってもできることはあるのではないか。そんな考えが、尽きない。
「あら、例の彼に本気になったのね」
「だって…………」
「すぐに否定できない事実が、本音でしょ」
だって、何度も諦めようとしたけれど、その度に心揺さぶられてしまうのだ。それでも、王太子妃も諦めきれなくて、どうしていいか分からないのが本音だ。
「良いじゃない。確かにあなた、王太子妃にもなれるとは思うけど、たぶん向いてはいないと思うわ。もう少し、しがらみに捉われない方が上手くやっていけるわよ」
「そう思うんだけど、でも、物心ついた頃からずっと王太子妃になるんだって思って生きてきたから、なんか夢みたくなってると言うか、アイデンティティの一部と言うか……」
夢ねえ、とぽつりと言われた言葉が、頭の中でこだまする。そう、夢なのだ。でも、今までの概念を根底から覆されるような出来事が、今起こってしまっている。
「まあどちらでもいいけれど、早くしないと取り返しがつかないことになるわよ」
「まあ、選ばれる前には決断するわ」
「そうじゃなくて、それより前に候補者がいなくなるかもって話よ」
「どう言う意味?」
意味深なことを言いながら、エマは皿に盛られていたマカロンを手に取った。人のをみると食べたくなるもので、ランカも自然と手が伸びた。
「マーガレット令嬢、王太子妃候補から辞退したって」
「え、なんで?」
「あら、本当に知らなかったのね。あなたのことだから、何が何でも蹴落とそうとしているのかと思った」
たしかに彼女は、いささか顔だけで選ばれた気がしないでもなかった。まあ私には負けるのだけれど。でも何故、このタイミングで辞退なんて。
「国内の茶葉栽培、誰が進めていたと思う?」
「……え、あっ、あれ? マーガレット令嬢の家系だったっけ?」
「ご名答」
そうか、誰がこんな馬鹿げた政策を続けているのかと思ったら、そう言うことか。今まで報復を恐れて誰もメスを入れられなかったところに、このタイミングで私がきっかけを作ってしまったのか。
「心配しなくて大丈夫。王太子妃争いを理由にしないと、こんな大それたことはできなかったから、みんな内心有難いと思ってるのよ」
「そんなつもりも無かったんだけど……」
「あなたにそんなつもりはなくても、ガリア家にしてみたら喧嘩を売られたようにしか思えなかったでしょうね。これ以上、家系としてボロを出したくないから、手を出さないでくれって言いたいのよ」
「……私、すごい性格悪い女みたいじゃない」
よくよく話を聞いてみると、私たちの領土が関税を引き下げたのを良いことに、ここぞとばかりに他の貴族たちも真似をしたらしい。おまけに、その貴族たちも自分たちに都合のいい物品の関税を引き下げさせたため、各々いい感じに利益が出ているようだ。
そう、国内で茶葉栽培を進めていたガリア家以外は。この流れと結果だけ見たら、たしかに王太子妃選抜へのアピールにしか思えない。
「マーガレット令嬢には、悪いことをしたわね」
「本当にそう思ってるの?」
「んー、全然思ってない」
タイミングが悪かったかなとは思うけど。
「こうやって結果を出してしまうと、やっぱり王太子妃になりたいと思っちゃうのよね」
「難儀な性格ね、あなたも」
どちらにせよ、それを聞くと早く決断しなければならない。こんなに右往左往しているけれど、流されるがままに自分の人生を決められるのは嫌だ。
「このまま、あなたに攻撃されたくないからって、ドミノ式にみんな辞退したりして」
エマが可笑しそうにそう言った。ありえない話ではないため、返事に詰まってしまった。口に含んだマカロンも、喉に詰まりかけた。
「面白くない冗談はやめてよ」
「何言ってるのよ。早く決めなさいよって、発破かけてあげてるんじゃないの」
ため息を一つ吐いて、この話は止めだと首を振った。せめて友達と話している時くらいは、楽しいことを考えよう。そう思って、無理やりながらも話題を変えた。もちろん片手には、甘いお菓子を待って。
面白かったらブックマーク・評価して頂けると嬉しいです。