7:空は快晴
空は快晴。活気あふれる人混みの中、聞こえてくるのは楽し気な管楽器の音。きっとどこかで、大道芸でも披露しているのだろう。
幸せそうな子供の笑い声と、お酒を飲みながら盛り上がる話し声。久しぶりに降りた街は、活気で満ち溢れていた。
「この地域はいいね、街も綺麗で誰もが幸せそうなだ」
ルークが感心したようにそう言った。どこかと比べているようなその口ぶりは、いつもと違う人の様に見えた。
「当たり前よ。シーナベル家が日々気を配っているのだから。集めた利益は、しっかりと領土とその人々に還元するのが、貴族の役目で私たちのモットーよ」
「そうなんだけどね、それができない貴族も多いからさ」
またしても、いつもの様に茶化した表情ではなく、どこか思考している素振りを見せる。
「そうね。だからこそ、そんな貴族の片隅にもおけないような奴を無くすために、私は王太子妃になりたいの。権力がなければできないこともあるの。だから私が絶対に、未来の女王にならなければいけないのよ」
「……ランカちゃんは、良い女王になれると思うよ」
私の言葉に驚いたのか、ルークは目を見開いてそう言った。そうだ、街に降りて改めて思った。こうやって笑ってくれている人を、少しでも増やしたい。いや、この国の人全員を幸せにしたい。そのためには、王太子妃から外されるわけにはいかないのだ。
「まあ今は、色んなしがらみも忘れて楽しもうか」
そう考え込んでいると、いつもの表情に戻ったルークが言った。王太子妃にはなる。でも同時に、少しでも思い出を作りたい、そんな思いもあった。王太子妃に決まってしまえば、あとは王族になるための教育だったり各地への挨拶だったり、多々ある行事ごとに参加したりと、自由はほとんど無くなってしまうのだから。
「ランカちゃん、どうかした?」
またしても考え込んでしまっていた。そんな私を不思議に思ったのか、ルークが顔を覗き込んできた。その仕草に、また頬が火照りそうになったが、太陽の暑さのせいだと言い聞かせて、なんでもないと首を振った。
「身分を隠して街に出られるなんて、そうできる事でもないものね。今日は目一杯楽しませてもらうわ」
気分を入れ替えて、にっこりと笑ってそう答えた。その様子を見たルークも嬉しそうに頷いてくれて、どうしようもなく幸せだなと思ってしまった。
「じゃあまずは、何か食べようか。お腹すいたでしょ?」
「ええ、何か美味しいものがあったら教えて欲しいわ。こう見えても私、好き嫌いはないの。何でも食べられるのよ」
「それはそれは、食べさせ甲斐があるね」
それならこっちに行こうと、手を引かれると、柄にもなく浮き足だってしまった。胸はときめくし、口角は自然と上がってしまう。ああもう、幸せだ。意味もなく走り出したくなる気持ちを抑えて、繋がれた手をそっと握りしめた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「これが最近、街では人気らしいよ?」
「そうなの、これが……」
目の前には、丸い何かが揚げられた食べ物。持ちやすくするためだろう、数個まとめて串に刺さっている。中身が何かは分からないが、たしかに食欲はそそられる匂いがする。普段食べているものとは違い、少々勇気はいったが、どうにでもなれと思い齧り付いた。
「……ん、美味しい! 甘くて温かくて香ばしくて、よく分からないけれど、とりあえず美味しいわ」
「それは良かった」
いつも室内か、せいぜい綺麗に整備された庭園でしか食事をしないが、こう言うところで食べるのも悪くない。なんか楽しいし幸せだなと思いながら、パクパクと食べ進める。
賑やかな雰囲気がそうさせたのだろう、大きく口を開けた時、ふいに隣から視線を感じた。
「…………なによ」
「いや、可愛いなと思って」
「またそうやって人をからかって。もう騙されないんだから」
「本心だって」
酷いなあと言いながら、楽しそうに微笑んでいる。その温かい目も、柔らかい笑い声も、心を掴まれすぎて胸が詰まるような気がした。
一人で悶々としながら、誤魔化すように食べ終わらせると、手にあった串すら持ち去り、止める間もなく捨てに行ってしまう。なんでこんな、くだらない事でときめかなければいけないのか。そうは思いながらも、手慣れた態度にどうしても翻弄されてしまう。
「まだ食べられるよね?」
「うん、食べられる、かな」
心動かされている間に、またしても手を掴まれる。繋いだ手を優しく引いて、さあ行こうと歩き出す。前を歩く背中すらかっこいいと思ってしまう。揺れる白銀の髪は、陽の光を浴びてキラキラと輝いている。その隙間から時折見える首筋も、芸術品の様に整っている。
ふと、ガラス越しに映った自分の姿が目に入った。目の色は黒く染まっているし、髪も深い茶色に変わっている。普段通りとはいかないが、それでも間違いなく美少女だ。通りがかる人が、羨望の眼差しで見返しているのも気づいている。それでも、彼の隣に立つときだけは、どこか落ち着かない。
「はい、次はこれね」
「えっ」
「これも美味しいから飲んでみて」
「ええっと、」
「あ、これもおすすめだって」
そう言いながら、次々と食べさせようとしてくる。焼いた肉、甘そうな飲み物、蜜のかかった果物と、どれも見たことがない食べ物だ。
すすめられるがままに口にしては、新しい味に驚いて、それを楽しそうに見つめられて、その度に胸が締め付けられる。
「普段こんなもの食べないでしょ? それなのに、美味しいって思うんだね」
「食べたことはないけど、美味しいとは思うわ。私だって、値段だけじゃなくて、美味しいものは美味しいと思えるくらいの分別はあるんだからね」
いくら貴族令嬢だからって、高いものしか食べないわけではないし、美味しいと思わないわけではない。失礼なと思いはしたが、それよりも他には何があるんだろうかと興味が湧き、周囲を見渡してみた。
人は変わらず賑わっているし、困窮しているような集団も見られない。犯罪も起きていないし、衛生面でも問題ない。それでも、どことなく違和感を覚えて、もう一度周りを見る。
「ランカちゃん、どうかした?」
「えっと、なにか前と違う気がして……」
何だろう、と思いながら考え込む。街の状況は良い、景気も良い、領主としての運営はできている。でも違う。そう思い行き交う人々を見ているうちに、はっと気付かされた。
「ランカちゃん?」
「そっか、人が違うのよ」
突然不審な動きをしたかと思えば、勝手に解決したかのような口ぶりで話し出した事に、ルークは不思議そうな顔をしている。それは分かっているが、そんなことよりと思い、もう一度周りを見る。
「前まではね、この領土にいる人はほとんど自国の人ばかりだったの。それが、以前と比べて他の国から来た人が多くいて……なんでかしら、何か理由があるはずなんだけど」
「うーん、移民が増えたのか、輸出入が活性化してるのか、観光とか?」
「そうよね、そんなところよね……うん、家に戻ったら調べてみるわ」
領地に問題が起きているわけではない。でも、状況が変わっていると言うことは、このままだといつか問題が起こるかもしれない。政策を変えるか、利益が見込めそうなら支援策も用意しなければ。万が一のために、将来の犯罪の芽も摘んでおきたい。
「すごい、真剣に向き合ってくれるんだね」
「当たり前よ。だって私、未来の女王になる女よ。自分の領土くらい守れなくて、国のために働けるわけがないじゃない」
そう言うとルークは、じっと目を見つめた後、困ったようにため息にも似た声で笑った。
「やっぱりランカちゃんには、敵わないな」
「え?」
「デートだって言ってるのに、いつだって仕事モードになっちゃうんだから。どんなに口説こうとしたって、王太子妃になるって言うランカちゃんの意思は変えられない」
寂しそうにそう言う仕草には、ぐっと喉を締められる感覚すら覚えた。それでも、自覚してしまった。どれだけ楽しくても、目の前の人に心動かされてしまっても、根っこに張り付いた思いは変えられない。
「……そうね、だから応援しててくれると嬉しいわ」
自分の中でもふっきれたのか、笑ってそう答えることができた。
「まあ俺も、まだ諦めないけどね」
「えっ」
最高の笑顔を見せられたはずなのに、完璧美少女だったはずなのに、それを超えるような不敵な笑みを返されて呆然としてしまった。
「そろそろ時間だから、帰ろうか」
送るよと言って引かれた手には、やっぱりときめいてしまって、もはや自分を殴りたい気分になった。ああもう、さっきまでの意思は何だったのか。
またしても一人で悶々としながら、ただ連れて行かれるがままに歩みを進めていくことしかできなかった。
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