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5:真実は時として残酷

 全て、どうでもいいと思わされた。あんなに、エマと話していたのに。自分の中でも、嘘だった幻だったと言うシミュレーションはできていたのに。自分の中で、なかった事にしようと飲み込めたはずだったのに。


 だって、私は王太子妃にならなければいけなくて、未来の皇后であるべきで、私の経歴に傷を付けることなんて許されなくて。そう強く決意していたのに。一目見たその瞬間、全てがどうでも良くなってしまった。それくらい、どうしようもないほど恋をしてしまっていた。


「ほらね、また会えたでしょ?」

「……どうして、本当にいるのよ」


 会いたかった。会いたくなかった。その相反する二つの想いが、頭の中を交錯する。会ったら、もう戻れないと分かっていたから。だから絶対に会いたくなかったのに、それなのに。どうして。


「どうしてだろうね、気になる?」

「別に気にならないし、聞かない方が良い気がするから何も言わないで」


 そう、今回は国の建国を祝うパーティーだ。今回ばかりは本当に、上位貴族しか呼ばれるはずがないのだ。それこそ、私が絶対に顔も名前も知っている人しか来れるはずがないのだ。それなのに、どうしてここにいるのか。


「あなた、本当は上位貴族なんでしょ? 誰かの隠し子とか、もしかして最近親が結婚してその連れ子とか?」

「そう思うならそれでいいよ。頑張って、俺の正体を当ててみたら?」


 ああもう、この人を弄ぶような、小馬鹿にしたような態度が、どうしようもなく心を掴まれる。自分でも知らなかった、体の奥底の熱情をくすぐってくる。


「でも本当は、ランカちゃんにはもう会えないかと思ってたんだ」

「どうして? あなたがまた会えるって言ったんじゃない」


 そう聞くと、ふっと口の端を持ち上げた後、ぐっと腰を引き寄せられた。やっぱり、否定する間も拒否する間も与えてくれず、ただなされるがままに体を委ねるしかなかった。


「もう、俺には会いにきてくれないかなと思って」

「……っ、」

 

 そう耳元で囁かれると、体がどうしようもなく熱くなるのが分かった。顔も真っ赤になっているのが、見るまでもなく分かる。こんな私が、完璧美少女の私が、息を詰まらせることしかできないなんて。不服だ。


「でも会えたから、嬉しいよ」

「それは……どうも、ありがとう」


 そう言うと、引き寄せられていた体が離された。もっと近づいていたかったのに。そう思わされてしまった事を自覚したと同時に、諦めが付いた。


 これはもう、落とされたわ。身も心も落とされた。後戻りはできない、今更好きになる前にも戻れない。もう、どうにでもなれだわ。


「それにしても、今日もすごい猫被ってたね。あっちが本物なのかと思っちゃうくらい」

「当たり前よ。この私の嘘がバレるはずないわよ」


 くだらない賞賛の言葉を和かに返すことも、私に勝てない女からの嫌味を笑顔で無視するのも、当たり前の事だ。


「ご夫人集団からの嫌味にも、男爵との会話も全部笑顔で誤魔化してたもんね。素直にすごいなと思ったよ」

「本当よ、名ばかりの公爵夫人なんて何の力もないのに、毎回私を挑発してくるのよ。私がまんまと乗っかってボロを出して、噂にできる日を待っているんでしょうけど、そんな手に引っかかるわけないのに」


 一応、公爵家に嫁げると言う事は、見た目も良くなければいけない。それはそれはチヤホヤされてきたのだろう。私が来る前は。


 まだ幼い頃から貴族中の注目の的になってしまった私を、面白く思っていないのは知っていた。主役の座を奪われたのが気に入らないのだろう。


 でもそんな事、私のせいではない。強いて言うなら、私の可愛さが悪いのであって、私自身は何も悪くない。


「見た目しか取り柄がなかったくせに、それすら奪われたせいで、良い年して私に敵意を抱いているのよ。どう考えても、未来の女王の私を敵視するべきではないのに。そんなことすら考えられないくらい馬鹿なのよ」

「相変わらず口が悪いね」

「馬鹿に馬鹿って言えない時間が続くとストレスも溜まるの」


 こんな態度を取っても、俺で良かったら話くらいは聞くよと、胡散臭い笑顔で答えてくれる。分かっている。この人は、こうやって女が好む顔で笑って、優しさを見せるだけで、弄べることを理解している。傾国の美女だともてはやされている女を、手のひらの上で転がせることを、面白く思っているだけだ。


 全部お遊びでしかないことを理解しながらも、自ら転がされにいってしまう。これが恋煩い。重症だ。


「でもランカちゃん、気をつけないと駄目だよ」

「言われなくとも、こんな態度、他の人には取らないわよ」

「そうじゃなくて。ほら、今日ダンスに誘ってきた男、あいつ絶対に下心あったよ。ランカちゃんが、そんな下品な奴の視界に入るのは嫌だな」


 少し拗ねたような口調で言われてしまうと、自分でも知らなかった母性本能がくすぐられた。ときめきで胸が締め付けられて、心臓が苦しい。こんな手段も使ってくるとは、なんと姑息な。


「……私に近づいてくる男で、下心がない人の方が珍しいわよ」


 苦し紛れに言い返してみたが、自分の顔が赤くなっているのは自覚していた。今が昼間じゃなくて良かった。月に照らされていなくて良かった。夜の暗さが、顔を隠してくれなければ、私の顔は見せられたものではないだろう。


「可愛く生まれてくるのも大変だね」

「そうね。でも、あなたからは下心も何も感じられなかったわ」


 そう言うと、急に表情を消して目をじっと見つめられた。人に見られることなんて慣れているのに、誰が見ても恥ずかしくない私なのに、この人に見られるとどうにも落ち着かない。


 自信しかなかったはずなのに、どこかに逃げ出したくて仕方がなくなる。


「俺もあるよ、下心くらい」

「……っ、え、なに」

「ランカちゃんと、もっと仲良くなりたいなって」


 危険、逃げて、戻れないところまで落ちるわよ。頭の中で警告音が鳴っているが、またしても見つめられた目を逸せない。


 ほら、今すぐ動かないと、何か言わないと。次の手に引っかかって、次は本当に逃げられなくなるから。そう思ってはいても、魔法にでもかかったように体は動かない。


「そんなにスキだらけだと、危ないよ」


 言われた言葉が頭に届いてはいるが、意味が飲み込めるまでに時間がかかる。もう無理だと全て投げ出して、思考停止に陥っていると、そっと頬に手が添えられた。


「え……」

「ほら、俺みたいなのもいるからね」


 あ、もうこれはキスされる寸前です。そんな距離まで顔が近づいてきている。もう耳まで真っ赤になっている自信がある。


 エマージェンシー、エマージェンシー。余裕のない気持ちとは裏腹に、どこかでこの状況を俯瞰している自分もいる。そのせいで、もうこの気持ちが、取り返しが付かないくらい大きくなっていることも理解できた。好きで好きで、仕方がなくなっていた。


 でも、この人は私のことなんて好きじゃないことも分かっていた。遊びたいだけ。面白いから一緒にいるだね。それが分かっていることが、何より苦しかった。


「そんな泣きそうな顔しないでよ」

「……してない」


 意地を張ることしかできずに、とりあえず出た否定の言葉。全て悟られているのか、また笑われてしまう。優しげに下がっている目尻が、憎らしいほどに愛おしい。

 

「……ねえ、逃げないの?」


 逃げられないのよ。そう答えたかったが、ただ息を潜めて目を逸らすことしかできない。それを肯定と取ったのか、ゆっくりと近づいてくる体温。


 大丈夫、キスくらいばれない。私の経歴に傷が付くこともない。だからこのまま、唇も何もかも奪っていって欲しい。そんな思いでいると、唇の端にそっと柔らかい感触がした。


「なんてね。ランカちゃんの唇は、未来の旦那様に譲るよ」

「……そう、よね」

「別に俺がそうなってもいいんだけど、そのつもりはないでしょ?」

「………………ええ、ないわ」


 そう、何もかも投げ捨てて、この人の隣を歩く勇気はない。それでも、好きな気持ちを諦めることもできない。何も決められない自分が、情けない。


「うん、そこがランカちゃんの良いところだよ」


 好きなところ、とは言ってくれないのね。そんな口に出せない気持ちに、頭の中が支配される。自分から否定しているのに。それでも、これで最後にはしたくないずるい自分からは、どうにもならない言葉が溢れてしまった。


「また、会ってくれる……?」

 

 どんな顔でそう聞いたのかは分からない。泣きそうだったかも、縋る様な顔をしていたのかもしれない。それに同情したのか、またしてもそっと頭を撫でられた。


「次は俺が会いに行くから、待ってて」


 そう言うと、触れられていた毛先にそっと口付けられた。会いに来るってどうやって、そう聞きたかったが、恥ずかしさから俯いている間に、私をからかってきた男は目の前からいなくなっていた。

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