3:出会いは偶然で必然
会場の外、人気のない場所でランカはすうっと外の空気を吸い込んだ。夜風の冷たい空気が肺を冷やし、熱気に当てられた体も冷やしてくれる。
「……疲れた」
周囲に誰もいないことを確認して、ため息とともに気怠げにつぶやいた。
指名の後は大変だった。未来の女王候補だからと、今から顔見知りになりたい貴族連中から、ああだこうだと話しかけられたのだ。
「今さらチヤホヤしたって、誰にも忖度するはずがないのに。それすら分からないなんて、ほんと馬鹿な奴ら」
疲労とストレスを吐き出したいからと、長々と独り言をこぼしてしまう。
「ランカ様で決まりでしょう」
「未来の王太子妃とお話しできるとは光栄です」
そんな分かりやすいおべっかを使ってくる輩もいれば、背後からはコソコソと悪口も囁かれていた。きっと自らの娘が選ばれなかったことへの不満を、そうやって解消していたのだろう。
「誰も私に勝てるわけがないのに、馬鹿じゃないの」
見た目だけではダメ、頭が良いだけでもダメ、そのどちらも兼ね備えた上で、厄介な貴族の中を渡り歩いていく気の強さが必要。
そんなの、私以外で誰もいないのに。
そんなことを考えながら、もう一度深くため息をついた。
「あーもう、だるいからこのまま帰ろうかな」
これ以上誰かに用もないし、会場に長々といたからと言って王太子妃の選別に影響もしないだろう。こんな事で選ばれなくなるのならば、王太子妃なんてこちらから願い下げだ。
一度そう考えると、もう何もかも面倒になった。
さっさと帰ろう、そうしよう。目立たないように、このまま出口付近まで向かってしまおう。
そう思い、くるりと振り返ると、一人の男がこちらを見ている事に気がついた。
誰だと訝しむよりも先に、気怠げに伸ばされた白銀の髪が目を引いた。長身をより引き立てる長い手足は彫刻のようで、どんなに複雑なデザインの服でも着こなしてしまいそうな程均衡が取れていた。
夕闇にも負けない青色の瞳も、からかう様に口角の上がった薄い唇も、どれからも目が離せなかった。
「はじめまして、ランカ令嬢」
ぼんやりと見つめていると、ふいにそう声をかけられた。同時に、やばいと内心ひやりとした。さっきの独り言が聞かれていたらどうしよう。そう思いはしたが、すぐに表情を和らげてにこりと笑った。
誰だっけ、どこかで会っていたら忘れるような風貌ではないのだけれど。そう考えを巡らせながら言葉を返そうとすると、先に話し出されてしまった。
「いやあ、驚いたな。まさかあの傾国のご令嬢に、そんな一面があったとは」
聞かれてるじゃないの。
無駄に作られた笑顔を固めたまま、どうしたものかと一瞬のうちに頭を働かせる。しかしながら、誤魔化しの言葉しか咄嗟に出てこない。
「ええっと……なんの事でしょうか?」
「私に勝てるはずないのに、馬鹿な奴ら。だるいから帰ろうかな。そんな言葉が聞こえてきたのは、俺の気のせいだったかな?」
完璧に聞かれている上に、全て覚えられているわ。
だるいな。誰にも言わないでなんて頭を下げるつもりもないし、とは言えこれを無かったことにすることもできない。
まあもう、どうでもいいか。
そう思うと本格的に投げやりな気持ちになり、何度目か分からないため息とともに、作っていた笑顔を取り下げた。
「そうですか。それで、なんですか。弱みでも握ったとでも言いたいの?」
「弱みになるの?」
「いいえ、全く。誰か知らないあなたの言葉より、傾国美少女で王太子妃候補である私の言葉の方を、誰もが信じるに決まっているから」
そう言うとその男は、怖い怖いと言いながらも、すこぶる楽しそうに笑った。
「たしかに、それはそうだよね」
「もういいかしら? 聞いていたから分かると思うけど、もう用事もないし私、帰ろうと思うの」
そう言って、早々に踵を返そうとドレスの裾を軽く掴むと、待ってと手を絡め取られた。
「もうちょっとだけ話そうよ。俺が誰かとか、気にならないの?」
突然掴まれた手にドキリとした気がしたが、完璧美少女の私が誰か分からない男にときめくわけがないと、すぐに気を持ち直した。
「誰かなとは思ったけれど、まあいいかなって」
「そんな雑な」
上位貴族なら知っているはずだし、知らないとなると辺境貴族か名前だけの下位貴族だと思うけれど、この見た目だ。噂くらいにはなるはずだが、数多のパーティーに出席した私ですら、何故だが全く知らない。
そんな疑問はあったが、知りたい気持ちよりも、知らないことに対する怪しさの方が強かった。言ってしまえば、これ以上関わりたくなかった。
「まあ知らないのも無理ないよ。一応、爵位は取られていないだけの、極貧貴族だからね」
なるほど、それなら知らないのも無理はないかと思ったが、それでも疑念は消えない。
「そんな人がなぜ、王宮のパーティーに来ているの? おまけに今日は王太子妃候補が指名される日。そんな日ならなおさら、上位貴族しか呼ばれないはずだけれど」
そう、無駄な争いを避けるために、今日は普段から懇意にしている貴族しか呼ばれていないはずだ。
「まさか、忍び込んで……?」
「まあまあ、俺のことはいいよ」
そう言うと、思いっきり油断していた手を、ふいに引っ張られた。拒否する間もなく体が引き寄せられると、ほとんど抱きしめられているくらいの距離まで体が近づく。
「それより、ストレス溜まってそうだね。俺が色々と聞いてあげようか?」
耳元でそう言われ、熱っぽい吐息を首元に感じた。低く体に響く声が心臓を掴んだかのように、嫌に鼓動が大きく鳴った。
息が詰まり、このまま何もかも委ねてしまいたくなったが、唇を噛んで我に帰った。
「いえ、結構です。こんなところで密会でもして、変な噂になりたくないの」
「こんなところ誰も来ないよ」
「駄目です。私、王太子妃候補なのよ。候補というか、私以上に王太子妃に相応しい人なんていないから、私がこの国の未来の王妃なの。こんな事で、妃候補から離脱するわけにはいかないの」
そうはっきりと言うと、ぐっと手に力を込めて男の胸板辺りを押し返した。すぐに離れたその体温を、どこか名残惜しく思ったのは、気のせいだと思っておこう。
「どうしても王太子妃になりたいんだね」
「……まあ、そうですね」
「なんのために? 王族になったとして、何か良いことある?」
どこか冷めたような、怒ったような口調でそう聞かれた。なぜこの人が怒っているのかと一瞬引っかったが、きっぱりと言い返す。
「だって私、可愛いじゃない。家柄も良いし、それなりの教養も身につけてもらったし、頭も悪くないの。おまけに、箱入りで育ったわりには気も強いのよ。厄介な貴族連中の間を渡り歩くなんて、お手のものよ。こんな私が、この国の女王にならないなんて、国の損失でしょう?」
思ってもみなかった返事を聞いたからか、男は呆気に取られたようにぽかんとしていた。
「王族になりたいとか、家のためとか、金のためとか、そんな事ではないの。これは、完璧美少女に生まれてきた私なりの、ケジメよ」
そんな話があるかと言いたそうに、目を見開いてこちらを見ていた。でも本当のことだから仕方がない。これ以上言うことはなにもないけれど、まだ何か言いたいのか。そう思いながら見返していると、男はふっと吹き出して笑った。
「すごいね、ランカちゃん」
「当たり前じゃない。だって私、傾国の美女よ?」
そう自信満々に返して見せると、もう一度笑いながら頭を触られた。ぽんぽんと触られたその手が、やけに優しくて嫌になった。
「また会おう。次のパーティーでも、庭園に出てきてくれたら声をかけるよ」
「同じパーティーに呼ばれるかなんて、分からないでしょ?」
「大丈夫、次も会えるから」
そう言うと、右の手の甲に唇を当てられた。よくあることだ、貴族間の挨拶で何度もされたこともある。ただ敬意を示しているだけだ。それなのに、どうしてこうも、唇が触れたところの熱が冷めないのか。
「ルーク、俺の名前だから覚えておいて」
そんな言葉と手の甲の熱だけ残して、ルークと名乗ったその男は、身を隠すかのように庭園の奥へと去っていった。
ほらやっぱり忍び込んで来たんじゃない。招待もされてないくせに。どこの誰かもわからない奴じゃない。
「……良くないわ」
まったくもって良くない。そんな事がどうでもよくなるくらい、心臓を掴まれてしまったなんて。傾国の美女で、国の宝石で、完璧美少女の私が、どこの誰とも知れない男に心を掴まれるなんて。
良くない。箱入りで、恋愛に疎い女の子が、ちょっと悪い男に惹かれてしまうなんて、そんなありきたりな話がこの身に起きてしまうなんて。
これは、本当に、良くないわ。
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